PSYCHO-PASSシリーズを全部観て思ったこと
個人の特徴は物質と精神で大別されている。物質は肉体であり鏡などで視認できるであろう。では、果たして精神はどのように視認できるのだろうか?
「選択」によって現れる「意志」が個人の精神であると思う。どんな人生でも選択の連続である。職業選択ないし今日の食事まで全て「選択の結果」である。その選択の連なりで個人の特徴が現れ、ヒトという生物の多様性が作られると思う。
PSYCHO-PASSシリーズは巨大監視ネットワーク(以下:シビュラ)があらゆる心理傾向が全て記録・管理される世界である。いわば、その人の「選択」がシビュラによって決められる世界である。
"「選択」によって現れる「意志」が個人の精神"
と定義したらPSYCHO-PASSの世界に精神という概念は存在しないし必要ない。
現実世界もシビュラまでは行かないがAIに支配されている様な気がする。ある日、職場で休みの日に何をしていたかを同僚に尋ねたときに、家の近くにあった雰囲気が暗い中華料理に勇気を出して食べに行ったと答えた。より聞いてみると、その料理屋は食べログなどには掲載されておらず情報が少なく入るのが怖かったが料理は美味しかったとのこと。
この話で「人間はもう終わりだぁー、全部岸田せいだー」みたいな陰謀論を主張するつもりは毛頭ない。ここで言いたいことは現実でもシビュラに少しずつ近づいていることである。家の近くにあった中華料理屋は食べログなどの情報がなければ怖がることもなかったはずである。言うならば、「家の近くにある中華料理屋を怖がる」という「選択」をAIよって誘導された形なのである。
この世間の風潮の終着点はPSYCHO-PASSの世界である。この作品はこの社会において「人間らしくあるためにはどうするべきか?」を問い続けているような気がした。しかし、AIが幅を利かしている今、「選択」は何かした干渉を受け続けてしまっているのかもしれない。
PSYCHO-PASSシリーズを全部視聴して感じたモヤモヤが少し晴れたような気がしたので文章として書いてみました。黒歴史になりそうな文章がソワソワしてます。ここまで読んでくださってありがとうございます。