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1st.あいあむ あ ひーろー?

少し前にYouTubeにて、
完全な完成形ではないアコギのみのデモを残していこうと決めた。

これは、今やっているYouTubeの活動である「sぽWorld」で、
音楽をコンテンツに入れようという話が出たからだ。

俺の音楽歴については、また別の記事で書こうかなとも思うけど、
今回から自作曲についても掘り下げていきたいと、
このタイトルで投下することにする。

一番最初に選んだのに、大きな理由はなく、
単にお気に入りというのと、最近書き換えた歌詞が気に入っていたから。

この楽曲の歴史は、そこまで古くはなくて、
5年ほど前に作った曲。(普通に古いか。)

タイトルや、YouTubeとかインスタの概要欄にも書いてるけど、
同名のマンガである「アイアムアヒーロー」から持ってきている。

ここまで露骨に何かをタイトルや曲に落とし込んだことはなくて、
(そりゃもちろん裏コンセプトでイメージとかはあったけど)
その世界観を勝手に俺が決めていいものなのか?ってのは昔から思ってて。

だけど、これは何となく「いつか実写化したら使ってもらいたいな」
みたいな感覚で作ったのを覚えている。
(ちなみに、すでに大泉洋主演で実写化してる。)

それでは、歌詞をそれぞれ見ていこう。
以下「あいあむ あ ひーろー?」の歌詞。

 いつの間にか僕らの世界は、
 優しさに包まれることはなく
 儚く脆く崩れてった
 偽りだけを見てたかった
 あいあむあひーろー?

もともと、俺の書く歌詞には「世界」とつくことが多い。
仮の歌詞を作る時も頻繁に出てくる。

この部分、というか、この曲の裏コンセプトがあって、
頻繁に使う「世界」という言葉を封印しようという意思があった。

自分の中で「世界」に勝手に期待して、勝手に失望してる人はいると思う。
実は俺もまさにそんな人間。

でも世界というものは、平気で嘘をつくし、報われる保証もない。
頑張ったのは偉いかもしれないが、それが結果になるとは限らない。
そこには良いも悪いもないし、それをもっと俺も知るべきである。

相方のようにポジティブではないし、
自分以外の何かの責任にしたい人は俺以外にも結構いると思う。

マンガ作品「アイアムアヒーロー」の主人公である鈴木英雄が、
まさにそんな感じで、そこに自分を重ねてしまう。

彼と自分を重ねた結果、自分が勝手に世界に背を向けていて、
「優しい」ように見える、偽りを見ていたかった、
でもその世界には終わりがくるよ、というメッセージ。

マンガで言えば、ZQNと呼ばれるゾンビの襲来等に当てはめてる。
リアルの世界で言えば全然いいことじゃないけど。

サビの部分は昔から歌詞を全く変えてないので、
そんなふうに思っていたんだと思われる。

 光浴びてても、居場所のない世界で
 自分を証明できるのだろうか? 
 できないのなら、暗い闇に堕ちて、
 孤独を感じてた方がマシだろう。

自分を認めてくれないとか、生きてる意味がわからないとか、
そんな自分本意の世界に生きてる人は実に多いと思う。

ここでも、まさに俺のことなんだけど。

いじめられてたりとかしたら、悪い意味で脚光を浴びてるよね。
でもそれって、本当に自分といえるのだろうか?

それを不服に思ってても言い返せない人とかもいるだろうし。
ここでは「自分を証明できるかどうか」って、
本当に自分なのかが曖昧になってる主人公を描きたかった。

できないなら、いじめられてたりしたら、
嫌なら学校とか職場って無理に行かなくていいよ、って。
そんなメッセージも込めてる。
自ら命を絶つよりマシだよって。

いじめてるやつより、
孤独の方が自分に寄り添ってくれるでしょ?と思って書いた。

「かわいそう」なんて言葉はもう、うんざりだ。
 求めちゃいない、価値観の相違さ。
 いつだって、世界が謳う輪の中に
 僕の居場所は存在しなかったみたい。

昔、何かの新聞の記事で、
一緒に買い物に行った子供が「荷物を持ちたい」とせがむので持たせたら、
周りからヒソヒソ声で、
「あんな小さな子に荷物を持たせるなんて可哀想」
と聞こえてきた、というのを読んだことがある。

周りからしたら、それが正義なのだろう。
だけど、子供はお母さんの役に立ちたかったのかもしれない。

そういうことも何も知らない外野が、自分は優しいと思われたくて
「可哀想」とか言ってたとしたら、
その優しさが一番子供を傷つけてしまうよねって思ってた。

いつもこの世界が声を大にして言ってることは、きっと押し付けだ。
別の歌でも描いてるんだけど、
子供の頃に
「友達なんだから仲良くしなくちゃ」みたいに言われてきた。
大人の勝手な天秤で友達を決めないでほしい。
じゃれてんじゃなくて、こっちはおもちゃ奪われてんだよ。

 狂っているのは、僕の方か
 奪うことでしか回れない世界の方か。

ここはまさに上で書いたことをギュッと凝縮してる。
上手く生きれないほうが間違いなのか?
なんて生きにくいんだって。

 物語の主人公は
 いつも僕ではない他の誰かで。
 こんなちっぽけな手のひらじゃ、
 こんな僕じゃ何も救えない?
 あいあむあひーろー?

ここの歌詞は、
アイアムアヒーローの主人公、鈴木英雄が
「自分の物語の中でさえ、俺は脇役だ」って言ってたのが、
すごく印象に残ってたのからきてる。

子供の頃から思ってはいたんだけど、
言葉として落とし込めたのは、アイアムアヒーローを読んでからだ。

脇役に救ってもらいたいヒロインなんているのか?という、
斜め後ろから見てる情景を書いたサビ。

 どこまでいっても、本質は変わらない。
 死んでないだけで、生きちゃいない
 

この言葉を入れることによって、
そして綺麗に落とし込めたことによって、この歌がますます好きになった。

好きなゲーム「クロノトリガー」にて、
似たようなセリフが出てくるのを思い出した。

少し前からよく言ってるのだが、
人生がつまらないって、つまらないまま生きていかなきゃいけないのって、
死んでないだけで、本当に生きてると言えるのか?

という疑問だ。

アイアムアヒーローで言うなら、
人間が人間を裁くシーンが一番胸くそが悪い。

どっちが悪だ?って境界線が曖昧になってるのを、
生と死に例えれたのが良くできたと思っている。

 狂っているのは、はたして僕の方か?
 くだらない正義はびこる世界の方か?
 聞こえのいい言葉、うそぶいたって
 誰だって守りたいのは、自分自身だろ?

一番のBメロの強調した感じ。
くだらない正義は、一時期流行った「自粛警察」がイメージしやすい。
まったく理解できなかったから。

人によって、正義って見え方も感じ方も違うから、
押し付けるのだけでは絶対違うよなって。
守りたいのは自分自身だから、周りを盾に言う人間の多いこと…

 
 いつだって、この世界が押し付けてくる綺麗事に
 裏切られてきたんだ、
 今さら見て見ぬふりなんてすんなよ

上で書いてた、大人が言う「友達でしょ?」の違和感を言葉にした。
大人の言う言葉を信じてきて、結果がコレだから。

なのにそんな教育や押しつけをした人間は、今では知らんぷり。
仕方ないかもしれないけども、いい先生だったふうに思ってるやつは、
もう気づくこともできないくらい終わってる。

何回裏切られてきたと思ってんだ。
アイアムアヒーローの主人公も同じモヤモヤを感じてた気がしたので、
そこも含めた俺個人の叫びみたいな感じ。

  
 いつの間にか僕らの世界は、
 優しさに包まれることはなく
 醜く脆く崩れてった
 偽りだけを見てたかった
 あいあむあひーろー
 あいあむあひーろー
 あいあむあひーろー?

説明することはあんまりない。
冒頭で”儚く脆く”と書いていたところが、
”醜く脆く”に変わってる。

もうここまできたら、偽りだけを見るなんてできない。
そういう絶望感も表現してるつもり。

アイアムアヒーローの世界でも後半に進むにつれて、
とんでもないゾンビとか出てくるから、
完全なるバッドエンドで描こうと思ってこの歌詞に。

ラストの「あいあむあひーろー」は3回で、
最後の「あいあむあひーろー?」には「?」がついている。

アイアムアヒーローのマンガでは、
ゾンビに感染すると文字に変化が現れる。

それを表現したのが、この楽曲の今のPVに当たる映像。

あいあむあひーろー

最後の最後で抗ってても感染しちゃう、みたいな、
上で書いたバッドエンドの締めくくりに繋がってる。

ここまで綺麗にこじつけれる作品は珍しい。
そういうのも含めて本当に好きな楽曲になりました。

文句なしの1曲目です。

長々と書いてきたけど、
何が言いたいかっていうと、アイアムアヒーローは素晴らしいマンガです。

あそこまで陰鬱な人間模様を描ける花沢健吾先生はすごいと思います。

ぜひともみんな読んでみてね。

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