大泉黒石『俺の自叙傅』
親記事>大泉黒石『俺の自叙伝』『人間開業』の入力作業と覚え書き
底本:『俺の自叙傅』玄文社、1919年12月20日発行
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俺の自叙傅 大泉黒石
幼年時代
アレキサンドル・ワホウィッチは俺の親爺だ。親爺は露西亞人だが、俺は國際的の居候だ。あつちへ行つたり此方へ來たりしてゐる、泥坊や人殺しこそしないが、大抵のことはやつて來たんだから、大抵のことは知つてゐる積りだ、ことに露西亞人で俺位日本語の旨い奴は確かにゐまい。これ程圖迂々々しく自慢が出來なくちや、愚にもつかぬ身の上譚が臆面もなく出來るものぢやない。
露西亞の先祖はヤスナヤ・ポリヤナから出た。レオフ・トルストイの邸から二十町ばかり手前で、今殘つてゐる農夫のワホウヰツチと云ふのが本家だ。俺の親爺は本家の總領だつた。
日本の先祖は何處から來たんだか、あまりいゝ家柄でないと見えて系圖も何もない。
祖父の代から知つてゐるだけだ。俺の祖父は本川と云つた。下の關の最初の稅關長がそうだ。
維新頃日本にも賄賂が流行したと見えて、祖父は賄賂を取つたのか、取り損ねたのか、そこははつきり知らないが、長州の小さい村で自殺した。あまり人聞きのいゝ話ではないが、恥を打ち明けないと眞相が解らないから、敢て祖先の恥を哂す。嘸不孝な孫だと思つてゐるだらう。
俺のお袋Keita(惠子)はこの人の娘だ。俺を生むと一週目に死んだから、まるで顏を知らない。そんな理由から親類の有象無象が俺のことを仇子と云ふんだらう。俺には兄弟がない。天にも地にもたつた一人だ。
露西亞の廢帝が日本を見舞つた――その時はまだ彼は皇太子だつた――とき親爺も末社の一人だつた。親爺が長崎へ立ち寄つたとき、或官吏の世話でお袋を貰つたんださうだ。その時親爺はまだ天津の領事館に居た。
お袋は露西亞文學の熱心な硏究者だつた。それは彼女の日記や藏書を見ても解る。それで、親爺がお袋を吳れろと談判に來たとき、物の解らない親類の奴共が大反對をしたにも拘はらず、彼女は黙つて家を跳び出して行つた。舊弊人共が、お惠さんは亂暴な女だと、攻擊した。「わたしは、その時どうしやうかと思つて困り果たばな」と、祖母が言つた。
俺は二十七だ。
支那海の浪が長崎港へ押寄せて來るまともに英彥山が見ゆるだらう。山麓の螢茶屋から三つ目の橋際に芝居小屋があるだらう。その隣りが八幡宮だ。鳥居をくゞると靑桐の蔭に白壁の暗い家がある。今でも無論ある筈だ。そこでお袋は俺を生んで直ぐ死んだ。死んだときは十七だつた。
「おばあさまに難儀をかけずに、大きくなつてくだはれ」と云つて息を引き取つたさうだが、おばあさまには、それ以来難儀のかけ通しで、まことに申しわけがない。
乳母は淫奔な女だつたと誰でも言ふ。俺を三つ迄世話して、倩夫と豐後へ駈け落ちする途中、耶馬溪の柿坂で病歿したさうで、乳母の母親が、娘が可愛さうだから、何卒石塔を一基建てゝくれと何遍も賴みに來たが、頑固な祖母が、不人情な我儘者お惠(乳母の名もお袋と同じだつた)に建てゝやる石塔はないと云つて斷つたさうだ。だから今でも乳母は石塔のない土饅頭の下で眠つてゐる。
俺の代になつたから、こつそり建てゝやらうと思ふが、まだ自分一人を持てあましてゐる位だから、そこまで手が出ぬ。
乳母が逃げた後は、祖母の手一つで曲りなりに育つて來た。俺は疳癪持ちだから、隨分だゞをこねて老婆を弱らせたと云ふが、それはほんたうだらう。
俺が泣くと、雨が降らうが、風が吹かうが、山の麓から海岸まで脊負ふて行つた。祖母は目が惡い處へ持つて行つて餘り智慧のあるたちでなかつたから、俺を脊中へ縳りつけて、海岸へ行つて海を見せさへすれば、得心して泣き止むものだと定めてゐるらしかつた。
今でもあるが、その時波戶場に大きな、まんまるい大砲の丸があつた。
「ほら、大砲ん丸。な。ふてえ丸ぢやろが。よう見なはれ。唐人船うちに使ふたもんばい、ふてえ丸ぢやろが」
と云つた。「ふてえ丸ぢやろが」を何百遍聞いたか知れない。祖母の方でも、俺を持てあましたらうが、俺の方でも、大砲の彈九には飽き飽きした。
俺が三つの時、化け物のやうな奴が突然やつて來た。俺は玄關で乳母と一緒に裸で鞘豆の皮を剥いてゐた。するとこの化け物が俺の顏を見てかつと赤い舌を吐ひて抱かうとするから、俺は鞘豆のざるを抱へたまゝ泣き出したら、臺所から油虫と一緖に祖母が飛んで來て「まあ\/。おとつつあんたい。よう來なはつた」と、あべこべ化け物にお辭儀をしたことを記憶してゐる。これが俺の親爺だ。その時分八幡樣の石段の下に、高山彥九郎の後胤が貧乏世帶を張つてゐた。此家の爺さんが、俺が日本を離れるとき
「ジャッパン國にキリシタンの御堂を建立したなあ、この俺ぢやと云ふてくだはれ。オロシヤ人は喜ぶばい」と云つた。誰に事傳てするのか、それは本人も知らないらしかつた。長崎に黑船が來た時、中町にキリシタンのお寺を建てやうと云ひ出したのがこの爺さんで、俺の祖母と一緖に高臺寺の繪踏みを恐れて暫く姿を眩ましてゐたんださうだ。中町のお寺は今名物になつてゐる。爺さんは漆師だつた。
俺を可愛がつて春德寺下の幼稚園へ入る手續きをしてくれたのも、この高山の爺さんだ。
幼稚園で俺の組に、色の黑いギス\/の子が居つた。大きな紫メリンスの帶をしめて異彩を放つてゐた。その時分メリンスの帶なんぞ卷いて步く子がなかつたからだらう。先生はこの子を一番可愛がつて小便までさせてやつた。高木と云ふ長崎代官の子と俺が、竹竿で先生を叩いたとき、半日罰を食つて廊下に立往生を命ぜられたら、メリンスの帶が來て手を叩いて囃した。代官の子と俺が相談してメリンス帶を毆ると、わい\/泣き乍ら、下女を小使部屋から呼んで來た。
「若樣。この子でございまするかのし」
と下女が俺を指すと、メリンス帶がウンその子だ。早う叩つてくれと云ふ。
「畜生。この異人めが。若樣をようたゝいた」と云ひ乍ら俺の頬つぺたをぐつとつねつた。
代官の子は慄へてゐた。代官の子なんてものは弱いもんだ。だから親爺が代官をやめられて、目藥を賣つたり神主なんぞになるんだと思つた。メリンスの帶は小松原英太郞の子だつた。もう大分大きくなつてゐるだらう。
よその親爺と俺の親爺とは少し異つてゐるから譯を質問したら祖母が偉さうな顏をして
「そら、あんた、おとつつあんは、露西亞のお方のけん、ちつた違ふとつたい」
と敎へて吳れた。「露西亞のお方けん」靴穿きで疊を荒したり、石臼の上にお釋迦樣のやうにあぐらを掻いたりするのだと云ふことも解つた。然し何故俺の側へ始終居ないのか解らない。
隣の車屋の三公や煙草屋の留太郞が每晚德利に酒を買つて門前を通る。
俺は祖母にあれは誰が飮むのかと尋ねた。說明によると三公や留太郞の親爺が飮むんださうだ。俺の親爺にも買つて飮ませたいが、一體何處に逃げたんだと折り返して聞いた。そしたら
「はんかをに居らつしやるけん。こつちで酒を買つてやらんでもよか。」
と云ふことだつた。はんかをは酒を飮まないんだ。三公の親爺も留太郞の親父もはんかをに行かないから飮むんだ。然し町內で德利を下けて酒を買ひに行かない子は幅が利かぬ規則になつてゐたから。俺の親爺も早くはんかをを免職にして歸つて來ればいい。日に二度でも三度でも德利を振り廻してしてやると殘念でたまらなかつた。俺は幼稚園へ入つたばかりだつたが近所の子に負けるのは嫌ひだつた。鑄掛屋の子が一番俺を酷めた。此奴が
「おめいの親爺は酒がのめねいのか」
と云ふから
「俺の親爺は、はんかをだから飮まねいぞ」
とやつつけた。そしたら此奴が
「はんかをなんぞ、うつちやつちまへ」
「うつちやるものか、はんかをは高價いぞ」
「いくらだい」
俺は生憎、祖母にはんかをの相場を聞いてゐなかつたが、默つて居れば、はんかをを馬鹿にするから、大抵行軍將棋位の値段だらうと考えて少し安いとは思つたが、
「五錢だい。ざまあ見ろ」
と凹ませて歸つた。
祖母に、はんかをは五錢にいくつ吳れるか樣子を糺すとはんかをは一つたいと答へて吳れた。一應尤もだ。はんかをは五錢に一つと定めて、それから、はんかをの事を誰が尋ねても、高いから一つだ、親爺は、はんかをを賣つて了つたら俺の家へ戾つて來るんだと威張つてやつた。
大きくなつてから學校の先生に、はんかをは支那の都會だ。かうかきますと、漢口と云ふ字を書いて敎えて貰つた。
もひとつ腑に落ちない奴がゐた。それは俺の家に、俺が生れぬ前から寢てゐる女だ。この女を祖母がお母さんと呼べと命令したから、中途はんぱから具合が惡いけれども、止むを得ずお袋にして、間もなく死んだ時も、お袋なみに、はかりよく泣いてやつたが、あとでこの女の正體が暴露して、ほんたうのお袋の姉だといふ證據があがつたとき、いくら可憐いがつて貰つたつて、も少し泣き惜みすればよかつたと後悔した。ところで、家族は祖々母と祖母と俺の三人になつて、小さい西山といふ町の家へ引越した。
親爺は不人情な奴で、到々二度と長崎へ來ないで了つた。俺は櫻の馬場の小學校を三年生で打ち切つて漢口ヘ親爺の顏を見に行つた。親爺が露西亞領事館にすましてゐるから、領事館で小使ひさんをやつてゐるかと思つたら、親爺が「領事はわしぢや」と吐しをつた。
こゝの處で說明をする。俺の親爺はウィッテ伯爵と前後にペテログラード大學の法科を出た支那通だ。何、始めから、こんな臭い處に來る氣ぢやない。やつぱり國曾議員で通す意氣込みだつたらうが、儲かると思つて、政府にだまされて追ひやられたんだらう。親爺は法學博士だ。俺は二十八で課士になつた。お前も俺を見習へ。そうするとアレキサンドル・ネヴスキー勳章はゆづつてやると云つた。その時は俺だつて二十八で博士になる約束をしたやうに覺えてゐる。
親爺が明治三十四年に死んで、俺は到頭孤兒になつて了つた。然し、親が揃つてゐたつて、滿足な人間になるやうな手輕な兒でないことを自覺してゐたから、親がなくても不自由だとも、肩身が狹いとも思はなかつた。親爺が漢口で死んだ年俺は遺骸をウラヂヲストックの露西亞人の墓地へ埋めに行つた。親爺には三人の兄弟があつた。二人は男で一人は女だ。女が叔母ラリーザだ。男の方は二人共藪醫者で、モスクワに一人、西伯利のイルクーツクに一人開業してゐる。俺が叔母ラリーザとモスクワで落ちついた處が卽ち三男の藪醫者の家だつた。此處にもまた伯母が居る。馬面の三十代のフィンランド女で、タニャと云つた。
俺は甥の癖にこの馬面の伯母をタニャ、タニャと呼びつけにしてゐた。
しみつたれで、見え坊で、足を洗はぬ前がマルイ劇場附の女優だつた故か、馬鹿にひがみ根性の、嫉妬心の深い女だ。生意氣に、女權擴張者のソフィ・コワレヴスカヤなどゝ往復してゐた。パーチナがどうの、ペローチナがどうの、ペロヴースカがどうの、イアキモワ゛がどうのと變な本を買ひ込んで來て、伯父に噴嘩を吹つかけてゐた。
俺はこのターニャが大嫌ひだ。お前の母さんは日木人だからキヨスキーは露西亞つ子ぢやないと言ふ。キヨスキーと云ふのは俺のことだ。俺をタニャにあづけて置いて、叔母ラリーザは、巴里のローマ敎女學校へ敎師に迎へられて行つた。
その時分俺はニコラス二世の乘馬軍服が、その頃流行つてゐたので、學校通ひの制服に、ねだつて拵へて貰つて學校へ伯母の家から出掛けたものだ。
讀本を開いて「犬が吠ゆる」。「狼がうなる」「鷲が叫びます」なんて、露西亞だけに「ハナ・ハト・タコ・マリ」と穩かに行かないから面白いと思つた。荒つぽくて、何でもガサ\/して珍らしかつた。
少年時代
一
俺はモスクワの小學校へ放り込まれたが。露西亞語が滿足に解らないので、半年の間唖で通した。何と譏られても平氣でにこ\/してゐた。困つたのは運動時間に露西亞人の子が、不思議な奴が來たと云ふので、俺の周圍に、うよ\/と集つて勝手な熱を吹いてゐた。それが五月蠅くつて仕樣がない。露西亞人で露西亞語が解らないなんて、天下の奇觀だ。然し三年たつたらやつと解つた。そしたら巴里の叔母ラリーザから、自分の勤めてゐる學校の先生で、お隣りの中學校にも敎へに行く人がある。其處で生徒を募集してゐるから、來い。來る氣なら、こちらから暇を見て連れに行くと云つて來た。
「叔母さんの側なら、いつでも行きたい。」
と返事を出して置いた。それは十二月の中頃だつた。雪が引つきりなしに降つてゐた。
俺は頭が單純だから、何でも、くど\/書くことが嫌ひだ。書かうつたつて書けない。自叙傳なんか、くど\/やつて行つたら締りがない上に、きりがつかぬ。大ざつばな處、俺が巴里へ返事を出して二三日したら、タニャと伯父は、ペトログラードへ病院を建てるから地所の撰定に行くと云つてモスクワを發つた。俺は、よく俺の話の中へ出て來るイヱドロフの宿屋へ當分の厄介をかけることにして、卽日其處へ引移つた。アレクセイ屋と云ふ行商人の木賃宿だ。どほせ俺をあづかつて世話するといふ家はその位の處だらう。イヱドロフは旅宿の方は細君のサミヤとサミヤのお袋にまかせて、自分は馭者を本職にして、始終伯父の處へも出入したから、知つてゐるんだ。俺の荷物は長崎の大德寺の門前で買つた二圓五十錢の柳行李が一つあるだけで懇意の憲兵に錢をやつて宿まで擔いで行つて貰つた。宿は「雀が丘」に近かつた。細君のサミヤと婆さんが出て來て「キヨスキーは今夜から、うちの者になるんだよ」と云つて歡迎して吳れたのはよかつたが、俺にあてがはれた部屋が寒い上に、階段の昇降口にあつたから騷々しくつていけない。部屋を取り替へてくれと賴んでも、そこが一番上等の部屋だ、あとはみんな勞働者があばれるから、壁も床もこはれてゐると容かなかつた。
部屋は俺が荷物の中から聖畫像を出して掛けたら、住めゐやうになつたが、食い物の拙いのには弱つた。
それも我慢するとして、今度は粗製の露西亞人が、扉を蹴るのに閉口した。自分の部屋の扉を開けるのに、何も靴で蹴らなくたつて、排して入ればいゝのに、無暗に蹴つて音を立てる。それも辛棒するとして、今度は煙草の煙とアルコホールが銳く鼻を衝いて來る。晚になつてイヱドロフが戻つて來ると、他に能がないものだから、婆さんと口論する。サミヤが子供だと思つて、いつでも俺の部屋へ飛んで來て、めそ\/してゐた。
或晚烈しく妻のサミヤと口論したイヱドロフは翌朝、ふらりと家出したままゝ歸つて來なかつた。意氣地なしの厄介者が何處へ失せ居ると、婆さんは結局喜んでゐた。サミヤは淋しさうな樣子をしてゐた。そして、俺を捕へて、うちの亭主は養子だ、やれ、家出しちや饑ゑ死するだらうと云つた。然しどうしたのか一向戾つて來ない。
厄介な宿屋だ。俺は每日々々巴里から叔母が迎ひに來るのを待つてゐた。仲々來ない。
女の聲がするから跳び出して見ると、いつも、旅宿人が化性なユダヤ女を連れ込んで來て騷いでゐるのだつた。
二週間ばかりすると、ひよつこり伯父が洒落込んで、旅舍へやつて來た。何しに來たと思つたら、クリスマス前に一度ヤスナヤ・ポリヤナを廻ると言ふ。お前も來ないか、先祖の百姓家があると云ふ。俺は行くと答へた。
ヤスナヤ・ポリヤナ村の先祖の農家といふのは樅の林の中にあつた。最初其處へ寄つて、それから馬車橇で煉瓦造りの小さい「靑玉葱塔」の寺院へ行つた。其處で紳父を誘ふて、村の病人のうちを片つ端から廻つて步いた。處が、途中で一人の見すぼらしい老人に出逢つた。この老人が路傍で拾つた瘦せ犬を引つ張つてゐる。俺の伯父が、帽子に人差指を當てゝ挨拶してゐるから、不見識な眞似をするもんだと思ふと、これが、はじめて聞いて、初めて見るレオフ・トルストイだから可笑しい。伯父は俺を連れてトルストイの家へ立ち寄る積りらしかつた。それで一緖になつて步るき出した。老爺は病家へ見舞ひに行つた歸りだつた。不思議なことに行衞不明のイヱドロフが、突然この村で馭者になつてゐたことだ。彼は俺逹の顏を見ると、驚いて跳んで來た。
俺逹は乘合馬車の輪が動かなくなつたので步くことにした。
爺さんの大きな鼻の尖が赤蕪のやうに赤くなつて、灰色の口髭にぶら下つた鼻汁と髭とが、申し合せて白く凍つてゐた。
口をもぐ\/動かすと崩れて落ちさうだが、爺さんは平氣で步いてゐる。
先登に此爺さんが瘦せ犬を引張つて行く。その後ろからアキモフ神父と伯父が行く。次に俺とイヱドロフが神妙にくつついて、ぼそ\/步いた。イヱドロフは一體何處へ行くんだらう。
揃ひも揃つてみんな薄汚ないシュバを引つ被つて、一樣に鼻つ柱を赤くしてゐるが、俺の伯父だけは洒落てゐた。
伯父の外套の襟は大野猫の毛皮だ。その茶色の毛が、ぎら\/光るのを俺は感心して見てゐた。然し今日考へて見ると、この外套も矢張り俺の親父の金で工面した一張羅の晴着かも知れなかつた。
俺は後で巴里のラリーザ叔母に聞いたのだが、親爺が死ぬと親爺の遺產爭ひをして、この伯父が、半分橫領したさうだ。さう云へば、狡猾さうな面構へだ。だから、俺の懷には親爺の金が半分しか入らなかつた。
遺產爭ひの理由と云ふのが、俺のお袋は日本人だから、露西亞人の子を產む筈がないと云ふのださうだ。そんなら誰の子が俺だらう。
その時態々巴里のラリーザ叔母が俺の人相を檢分に來て、俺の目が海のやうな色をして、俺の髮が黃金色に輝いてゐたものだから、「勝訴だ、勝訴だ」と喜んで露西亞の神聖なる裁判官に「キヨスキーは眼が靑くつて髮の毛が灰色だから、露西亞人に違ひない」と言つたら、裁判官が「そんなら喧嘩のないやうに、ワホウヰッチの遺產を半分分けに取らせろ」と云つたさうだ。行屆いた裁刊官があるものだと俺は感心した。
俺の伯父はモスクワの藪醫者だから、獸皮の外套が買へる理窟がない。
その時俺は貧乏人を毛嫌ひした。その癖本人は人並外れて困つてゐた。俺は大野猫の外套に顎を埋めてゐる伯父が、この中で一番偉いと定めた。反對に俺とイヱドロフはまるで御話にならぬ程、哀れな風をしてゐたのだ。
瘦せ犬を引摺つて步るくお爺さんも矢つ張り左樣で、黑荼がゝつたシュバにくるまつて、芋俵のやうな形で步いてゐる。その棕櫚の皮見たいな、さゝくれた毛纖の毛に觸るとざら\/した。
一ニ町ばかり、雪靴で雪を踏んで來たとき、振り返ると乘合馬車橇は農家に遮られて見えなくなつてゐた。北風が吹き止んで、雪は吹き散らなくなつた。氣持ちのいゝ白い湯氣が、口からと、鼻からと、噴き出て來る。それでも空は低く黑ずんで、さていつになつたら太陽が光りを見せるか、想像すらつかなかつた。
茫漠たる平野の中央を通つ切る路の兩側は畑で、畑の畦に、すく\/と枯木立が並んでゐる。枯木の枝は眞白だ。自然の沈默なる仕事とはこれだらう。
たまには大きな奴が塊つて森をつくつてゐる。森の根にまるで雪の中に島流しに遭つたやうな低い農夫の家が蹲踞つてゐる。それが飛び\/に雪を冠つて恐縮してゐる。恐縮してゐると云ふよりも、雪に押し潰されて、やりくりがつかずにゐると云つた方が適當だらう。
前を見ても、後ろを見ても、眞つ白な雪が一面に世界を埋めてゐる中を、ペチカの煙がもや\/と騰つた。忽ち雪の中から黑い人間の粒が潛り出て、芋蟲のやうに動き出した。やがて芋蟲が、こつちへ近づくに從つて段々大きくなると、しまひには
「さあーつ」と俺逹の側を掠めて飛で行く。手橇だ。
手橇の上から百姓の子が、兩手を擧げて、
「ブラヴォー」
と怒鳴ると、爺さんが、ちよいと立ち停つて、
「へえ――へえ――」
と、元氣のいい農夫の忰を見詰め乍ら、雪明りに大きな凹んだ目をしばたいて、また、ぼそ\/と步るき出す。
「俺逹は全體何處まで步くんだい」
と默り込んでゐるイヱドロフに尋ねると、
「旦那の家でさあ。旦那の家に定まつてまさあね。大きくて、廣くつて馬鹿に俺は好きになつちまつた。それに旦那は旅の御客さんが好きだと來て居るからね」
と云ふ。
「それでお前さんは何處へ行くんだ」
「旦那の御供をするんでさあ」
當り然ぢやないかと云ふやうな顏をした。
「お前さんが、旦那々々といふのはあの爺かね」
「左樣でさあね。」
叉でさあねえと下司な露西亞語で云ふ。
「あの爺さんは誰だい。イヱドロフ」
イヱドロフは大きな草入水晶のやうな靑い眼の球を、大きく膨らせてぐる\/と廻轉させた。これが俺の親友イヱドロフの呆れた時の唯一の表情である。
「あれや別莊の親方でさあ。キヨスキーはまだ知らないかね」
「別莊つて、何處の別莊だい。」
「モスクワさ」
「モスクワ?」
「うんモスクワ」
モスクワの別莊の親方だと云へば、先は大抵呑込めさうなものだと云ふ積りであらうが、實の處、俺には見當がつき兼ねた。
「モスクワの別莊の旦那だよ。俺はよく話をしたんだ。あの旦那とね」
「お前さんがかね。へえ。何處で」
「別莊の庭でさ。お早うござりますと云へば、親方が、お前さん、お早う。働くかねと來るんだ。間違ひつこなしだよ」
イヱドロフが話をしたと云ふのは、通りかゝりに帽子を取つて挨拶したことだつた。
「旦那がソハを擔いで庭を步いてゐる。其處へ俺が出掛けて行く。お早うと言ふんでさあ」
まさかこの爺さんが、重いソハなんぞを擔ぐこともあるまいと思ふと、イヱドロフの言ふことが、俺にはます\/解らなくなつて來た。
向うから百姓がやつて來て俺達と行き違ひ樣先登の爺さんに饒舌り掛ける百姓の話によると、何んでも爺さんに此百姓が牡牛を一匹賣つて吳れと賴んで置いたのが漸く昨日か一昨日か買手が附いて話が纏まつたといふのである。別莊の旦那に牛を賣って貰ふといふのがそも\/聞えないぢやないか。此の百姓も爺さんに對つて旦那と云つたが目禮もしないでさつさと行つちまつた。
爺さんは何といふ名前の人だとイヱドロフに餘つ程訊かうかと考へたがまた妙な事を言ふと癪に障るから止した。
丘といふ名には過ぎる位の畦を通り拔けると、林が目の前に展けて眞黑な小鳥が蚊のやうに群がつてゐる。林迄步かせられては堪らないと思つてゐると。爺さんはぐるりと踵を巡らせて岐路へ這入つて了つた。
衝き當つた處に白い寒さうな家が此方に向つて門を閉してゐる。五人は默つて扉を排して家の中へ這入つた。一番尻からのこ\/跟いて來るイヱドロフが勝手知つた顏で扉を締めた。
「イヱドロフ。これが爺さんの家かい。」
「ウム。ウム。」
イヱドロフは莞爾々々してゐる。氣がつくと俺の長靴は雪にぬれてゐた。薄暗い廣い室へ這入つて行かうとして、まご\/してゐると、爺さんがどしり\/と俺の方へ步いて來て、
「ヘエ。ヘエ。」と露西亞人特有の唸り聲で怒り出した。そして圓い眼で俺の靴を見下ろしてゐる。
俺は最初から此爺さんが怖かつたので、此處で眼を剥かれて、どぎまぎし乍ら、面喰つて其儘部屋の中へ片足踏み込むと、
「こら、こら、こら、こら」と俺の二の腕をぐつと引摑んでずるする裏口へ引つ張つて行つた。
到頭其裏の石段で長靴の雪を手袋で叩き落して、後ろで俺の仕事を茫然眺めてゐる爺さんに連れられて再び暗い部屋へ引返して見るとイヱドロフが居ない。
暗い空が卓子の上の空窓から覗かれて爐邊に蹲踞んでゐる俺の尻がぽかぼか暖かくなつて來た。
今迄、外を步いてゐる時はお互に口を利くのが億刧でつたが少し暖まると恐ろしく饒舌り出した。俺の伯父も椅子に腰を下ろして、頻りに此爺さんと話をしてゐる。話は何であつたか、俺は記憶してゐない。
雪の崩れる音が室外に聞えて、窓から見ゆる空の模樣は段々いけなくなつて來る。部屋の中が暗くなると爺さんは卓子の上に蠟燭を立てて、火を點した。灰色の壁に灯が映つて巨薪の燃ゆる音がぼうぼうと尻の方で鳴る。
かうして神父と伯父とを相手に腰をかがめ乍ら口を動かしてゐる爺さんの、恰も高麗犬の樣な恰好の顏を見詰めてゐると死んだ親爺の顏を思ひ出した。俺の親爺は此勞働者じみた薄汚ない爺さんよりは幾倍若くもあつたがもつと顏立が立派だと思つた。同じ露西亞人でも如何しても俺の親爺の方が小柄ではあるが容貌が上等だと思つてゐると、ひよいと俺の方を見て、
「お父さんの墓へ行つたかい。」と俺に尋ねる。俺は默つて點頭いて見せた。俺の先祖の墓は此爺さんと同じ村にあるんだ。どう云ふ譯だか親爺の遺髮だけはウラジヲストックのミハイル僧正の寺院に埋めてある。
「何と云ふ名前だつたね、坊は。」と伯父に尋ねてゐる。此爺さんの眼から見ると十二になりかけてゐる俺は確かに、「坊」であつたに違ひない。其時伯父は、
「キヨスキー」と云つたやうに覺えてゐる。伯父からして俺の事をキヨスキーと呼ぶから、イヱドロフ親子だつてキヨスキーで通すのだ。
俺は此處でもキヨスキーで我慢を餘儀なくされた。すると爺さんは、つと立つて、
「キヨスキー」と言ひ乍ら、先刻のやうに俺の片腕を摑まへて、爺さんの膝の方へ引き寄せて顏の檢査を始めた。伯父はにこ\/笑つてゐる。
「ステパノに似て居るね。」一寸枹へる眞似をした。此時神父は部屋の外へ出て行つて了つた。爺さんはポケットに手を突込んで見たが、何も無いと云ふやうな顏をする。其處へ、今迄何處へ行つたか解らないで居たイドロヱフが、
「マーレンキー」と云つてのつそり這入つて來た。右の手には一封の手紙を摑んでゐる。それを俺に見ろと云ふのらしい。
爺さんは、半ば卓子に凭り掛り乍ら、伯父と話を復活させてゐた。俺が其手紙を手に取つて見ようとすると、
「一寸待つて吳れ」と件の手紙を引奪つて爺さんの方へ持つて行く。爺さん其手紙にざつと目を通すと、頭を斜めに振つて、浮かぬ顏をした。そしてペンを取ると、封筒の上に、すら\/走らせた。それを今度はイヱドロフが更めて俺の處へ持つて來て見せた。
「愛するレオフ・トルストイより」と書いてある。
「ウン、ウン、レオフ・トルストイ」イヱドロフは頻りに喜んでゐる。今度は表面を返して見ると、
「神に忠なる寡婦へ」とあつた。
「レオ・トルストイといふのは此爺さんだねえ」
「レオ・トルストイ? ム左樣だ」
「寡婦といふのは誰かい?」
「モスクワの婆さんさ」 ・
「ム。ム。」
あの慾張りの宿屋の婆さんに、此爺さんは何の用があつて此樣手紙を書いたのだらうかと少なからず好奇心に驅られて、封をしてない儘に、中から手紙を引き出しかけて、一寸、イヱドロフの顏色を窺つたが、別に、苦情も言はず、眼皺を寄せてゐる。手紙は誰が書いたものか知らないけれども、文句は、確にイヱドロフが家出の事に就て、冗々しく並べ立ててある。今にモスクワへ歸るが喧嘩をしては神の罪が怖ろしい、婆さんにも忠實なる神の僕になつて吳れ。と云ふやうな事が書いてあつた。これは後でモスクワヘ歸つてからアレキシス屋の婆さんに聞いたのであるが、イヱドロフは、何でも此爺さんの別莊で何か用達しをしてゐたらしいのである。それで夫婦喧嘩の仲裁迄賴み込んだのであらう。
「イヱドロフ。これを持つて家へ歸るの?」
「歸る。」
「何時」
「キヨスキーと一緖に歸りたいねえ。」と途方もない事を申し込んだ。
「俺は何時歸るか解らないよ。」
「明日でも歸つたらどうだね。」
「伯父さんに尋ねて見るといゝ。」俺は成る可くなら此樣な男と一緖に歸りたくなかつた。遠慮を知らぬ彼も、流石に、伯父には懸け合はないで浮かぬ顏をしてゐる。實を云へば俺も早くモスクワへ歸りたかつたけれども、此方へ來てからまだ一日しきやならないから折角誘つて吳れた伯父に、もう歸りませうとは云ひ兼ねて、此鹽梅では、每日每日雪の上を駈けずり廻らねばならぬかも知れないと思つて情けなくなつた。伯父だけは落ち着いてゐた。
俺と伯父は間もなく爺さんの家を辭して外へ出た。爺さんはむつつりした顏で戶口まで出て來て送つて吳れた。その後ろに田舍風の女が二人俺の顏を凝乎と眺めてゐるのを發見した。
イヱドロフは、如何したか知らない。來がけの路を、とぼ\/步いて五六軒疎らに農夫が塊つてゐる處へ來ると、馬車が待つてゐた。けれども馭者が變つてゐる。
俺は伯父の脇に小さくなつて乘つた。午後二時頃、可なり賑やかな村に着くと、其處で下車てこれからまた顏も名も、まるで未知の人々の處へ一夜の宿を賴みに行かなければならなかつた。
俺は雪の上を步くのが大分上手になつた。
翌日も空が曇つてゐたが、降りさうには見えなかつた。伯父は俺を殘して朝の內から何處かへ出掛けて行つて未だ歸つて來ずにゐる。昨夜寢た此家は、如何やら宿屋ではない樣だ。
昨夜寒さに眼が醒めたので、寢臺の上に起き上つて窓の外を眺めると、茫々として果てしない眞白な雪の原を、汽車が眞紅な火を噴いて走つてゐた。夜が明けてから一度夜半に確めた處を見直したが何もない。けれども、田舍停車場に近い處だとは、近所に踏切りがあるので受取れた。ヤスナヤ・ポリヤナから三里位はあるだらうか。
村の名は地圖を擴げて見れば、今でも思ひ出せさうである。
俺は此一日、伯父が歸るのを待ち暮らして、一寸も家を出なかつた。
只飯時に、家族の人々と顏を合はす外には絕えず口を利かない。顏も見ないで、貧しい爐邊に、うつらうつらしてゐると日が暮れて、伯父は歸つた。其翌日も晴れてゐた。降り積んでゐる雪は次第に硬くなつて來た。俺は此日、恐しい光景を見物した。見物したばかりでない、一昨日別れたばかりの爺さんと一緖になつて働いたのだ。
今でも其時の有樣を追想すると身慄ひがする。
俺は此一日の事を記さう。
モスクワを去つてから丁度三日目の朝であつた。伯父と俺は再びヤスナヤ・ポリヤナの村へ向つて馬車を走らせた。
朝のうちは、空模樣が險しいといふ程でもなかつたが、俺達がヤスナヤ・ポリヤナに着く頃から、四邊は恐ろしく暗くなつて來て、物凄い雪雲に反響する鞭の唸りがヒュウ、ヒュウと聞えて來た。馭者臺から、帽子をすつぽりと耳の上まで被り込んだ馭者が、
「降るぞ。降るぞ」と獨り言を云つた通りに、灰のやうな雪が一面に狂ひ舞つて來た。
俺は伯父の眞似をして、頭から外套の大きな袋頭巾を引つ被つてゐると、瞬く間に雪は來た。二三間先が、朧ろ氣に見ゆるだけで、右も左も眞白な簾に閉ざゝれて了つた。折々例の鞭の音が風を斬つて響くのと轍が雪に食ひ込んで、がら\/軋る音が耳につく丈で、雪を恐れて、此邊へ散らばつてゐる人の影もまるで家から出て來ないと見えた。
何れにしても俺はこんな寂しい處で深い雪に出逢つたことは始めてゞある。最初美しく見えた景色が、段々怖くなつて來てなまなか出掛けずに居ればよかつたと後悔する。顎を襟に埋め、眼だけ出して、鼻と口とは袋頭巾の平べつたい紐で隱して置いて、眞向から打つつかつて來る風雲を、少し腰を曲けて頭で、突つ切る工夫をした。伯父も馭者も雪と風に對する防禦策を講じてゐた。かうして馬車が恐ろしく動搖し乍ら駈けて行く途すがら、伯父は手提鞄を小脇に抱へた儘で二三度馬車を下りて、用を足して來た。その都度俺は馬車の上に十分なり十五分なりぽつんとして伯父の歸るのを待つのであるが、凝乎としてゐると寒さが靴の底から全身に泌み渡つて來て、體を堅く縮めて力んでゐた。
俺の伯父は、厚い布を張つた屋根の下で小口の甁から黃色い臭い酒をぐい\/呷つた。
そして、無言で俺にその飮かけを押しつけた。俺も呷つた。足の指の頭が、千切れさうにぎりぎりと痛んで仕樣がない。眼の底から冷たい淚が、ぽろ\/湧いて來て、小鼻から頬を傳つて唇へ流れ込む。
かうして爺さんが住んでゐる村は素通りして了つて、小さい貧乏村へ入ると、村の入口に出迎ひの百姓が一人傍に俺達を待つてゐた。其男は俺逹を見ると、早口に何とか云ひ乍ら雪を蹴散らして馬車に乘つた。
馬車は動き出した。雪は愈々酷くなる。爺さんの村から一里半ばかりの處で馬車は。ごとり止まつて、第一に百姓の男が飛び下りた。此處で下りて了ふのかなと思つてゐると第二番に伯父が下りた。續いて俺が下りようとして、馬車の柱に一生懸命捕つて居ると、百姓の男が、後から抱き下ろして吳れた。
三人は一口も利かずに、寒さを堪へ乍ら、五六間雪靴を引き摺ると、其處から往還が二つに岐れてゐて、其の岐點の畦の下を狹い小川が流れてゐた。片足を上げて氷を踏んで見たが、何の音もしない處を見ると、底まで凍つてゐるらしい。四五寸程の雪の路を苦心して步くより、此小川の水の上を辿つた方が如何位樂だか知れない。前の百姓も伯父も俺の眞似をして川の上を渡り始めた。
少し淺い個處はギシギシと氷の咬み合ふ音がする。これで、一町も來たなと思ふ頃、水車小屋が眼の前に現れて、飴のやうな氷柱がぶら下つてゐた。其處から汚ない百姓の家が幾つか疎らに續いてゐた。
急ぎ足で雪を蹴つてゐた伯父は、おや、と思ふ內に、一軒の眞暗な百姓屋に紛れ込んで了つた。
「彼處だ。彼處だ」と此百姓はいきなり俺を駈け拔いて、其百姓屋へ飛び込む。俺も後から、ぽつりと這入つて行くと 伯父は、見た處此百姓の妻君らしい下品な人相の女を相手に焚火を圍み乍ら饒舌つてゐた。黑い薪の煙りが、粗末な家の中に、卷き上つて、蛇の舌のやうな眞紅な焰が、爐邊の二人の顏をてか\/と照した。
俺は先刻の百姓と膝を突き合せて、焚火の前に蹲踞んだ。途端に、焰の中に茫乎した赤鬼の顏が、焰の具合で現はれて、叉、おや、と思ひ乍ら、熱心に煙の底を見詰めると、其鬼のやうな顏は何でも爐の向ふ側にあるらしい。煙がむく\/と立ち登ると忽ち消えて了ふ。
俺は薪の燻を避るために、ぐるりと向ふ側へ位置を換へると
「キヨスキー」と唸つて、俺の肩を叩いた者がある。ひよいと振り向くと、頭の上に先刻の赤鬼の顏が現はれた。俺は立ち上つた。よく見ると、赤鬼の面に見えたのは、此薄暗い土間とも板の間ともつかぬ程、泥で汚れてゐた床に積み重ねた薪の上に腰を下ろしてゐる一昨日の爺さんだ。トルストイ爺さんだ。
爺さんは煙の中で圓い眼をしばたたかせてゐた。兎もすればぼう\/と燃え上る焰に赤鬼の樣に見えたのである。爺さんの顏を見ると、イヱドロフの事を思ひ出したが、此爺さんに、イヱドロフは如何したかと、尋ねる氣にもならず默つてゐると、先刻の百姓がばた\/と表口から駈けこんで來て、「旦那? 早くしねえと危なうございますぜ」と伯父に向つて言ふ。何が危ないのか俺には解らなかつたが、此爺さんと伯父と百姓との纏りのつかぬ話を聞いて居ると、何でも近所の百姓が何處かで怪我をして生命が危ないので、醫者の處へ、此の百姓が駈けつけたけれども、遠くへ出掛けた留守なんだ。仕方がないから、爺さんを引つ張つて來たと云ふのである。引つ張られて來た爺さんだつて、醫者でないから、怪我人の家へは行かずに、此家で焚火に尻をあぶつてゐる。
「そんなに危ないのかね。」
「危なうございます。」伯父も呑氣な醫者で、危ないかね、危ないかね、を繰り返すだけで中々動く氣色がない。處で、或醫者が暫く此爺さんの家に厄介になつてゐたが、生憎居ない。何處かの宿場に醫者がゐるから、遠くもないし、早速呼んで吳れろと爺さんが百姓に賴んだから、百姓は呼びに行つて、漸く連れて來たといふのだ。その醫者が俺の伯父だから驚いてゐると、此爺さんは尻をあぶるのが嫌になつたと見えて、芋俵のやうな外套の頭巾を被つた。兎も角も行つて見やうと云ふ。
「何時怪我をしたのかね」と俺はお神さんに尋ねる。
「昨日の夕方でさあ。昨日の夕方」
昨日の夕方、そんなに酷く負傷した人間を、如何してゐるのだか知らないけれども、一日放つといたら可哀相に死んで了ふだらうと、俺は一人で心配してゐると、爺さんと伯父と百姓が家を出て、ざくりざくりと步るき出す。
「お前さんは焚火にでもあたつて居た方がいゝよ、」お神さんは後から御苦勞にも跟いて行かうとする俺を引き止めようとした。
俺は頭を振つて聞かなかつた。
大怪我をした百姓の家は小高い堤の橫腹に氣味惡く建てゝある。門口に彳んでゐた細君が、乳呑兒を抱いて、蒼い顏をしてゐた。
俺逹を見ると、忽ち怒鳴り出した。
「カルジンはもう死んで了つた、口も利かずに、唇を動かして。」
「死んぢまつたかい?」百姓は細君の顏を見詰めた。
細君は默つて返事もせず抱いてゐる子を搖つた。
「どれ、どれ。」百姓の後から伯父と爺さんが暗い物置のやうな部屋の中に這つて行くと、部屋の入口には、莚と薪がうんと積んである。大怪我をした百姓は一體何處に轉つて死んでゐるのかしら、と怖々と其處を見廻してゐると、誰かがシュッとマッチを摺つた。やがて其のマッチの火が蠟燭の心に移される、と部屋の中が仄かに明るくなつて來る。
「旦那、カルジンは床の上に寢てゐます」と指さす方を三人は一樣に眺めた。藁蒲團の上に夜具を敷いて、その上に仰向けに寢てゐるのが怪我をした百姙で、今迄此暗い部屋の隅に一日呻吟通しに呻吟いてゐたのだと云ふ。其處から臭ひ匂が洩れて來た。爺さんは、一間ばかり離れて兩手をポッケットに突つ込んだなりで立つてゐる。
「死んぢまつたかしら」
「一寸お待。」
伯父は、此病人が頭に卷きつけてゐる鉢卷をぐる\/解いて行かうとすると、錆色の血塊が鉢卷にこびり附いて、剥すまいとする。伯父は無理に引き剥した。眼を閉ぢてゐた男が「ウーン」と呻いた。傷口は額から首にかけて四寸許り開いてゐる。もう血の氣がない。「矢つ張り生きてゐるね」 例の百姓は鹿爪らしくカルジンの枕邊に寄り添ふた。伯父は暫く傷口を調べてゐたが、其處にカルジンの妻君が居ないことを確めると、
「駄目です」
と低い聲で爺さんの方を顧りみた。
「可哀相に助からないかなあカルジンは」爺さんは凝乎として動かない。伯父は、眞個に駄目だと云ふ顏をして再び傷口に繃帶をした。
「もう長い事はないだらう」と呟やく。
俺は此男の妻君が可哀相になつて來た。半死人の枕邊に燈した蠟燭の灯が、天井から落ちて來る雪水の雫を吸ふて、ジイジイと彈く。火の氣の一つない部星の中へ、恐ろしい寒さが襲つて來た。半死人は次第に冷たくなつて行く。伯父は情ない顏をして、
「如何してカルジンは負傷したかい?」
「氷柱が崩れて頭が飛んぢまつたんでさあ」
と大きな氷柱のやうな風をして見せる。
「何處だらう」
「直ぐ裏の丘でカルジンは鐵砲を打つてゐたんでさあ。ブンと鐵砲が嗚つて駈け出さうとすると、旦那、もうカルジンは引つ繰り返つちまつて氷往と打つ突かつたんで。見なせえまし、この傷がそれなんでさあ!……貧乏者――可哀相に、死んぢまふのかな」
百姓は、見物して居た樣に話をした。
「左樣かね。行つて見ませう。」
伯父は爺さんを誘つた。
「フム、フム」
爺さんは老年の癖に氷柱の下へ行つて見る積りだ。
此處を出る時、伯父は、細君に彼の蠟燭を消すなと言つた。細君は矢つ張り怒つた顏をして居つた。
直ぐ此半死人の家の後から登り難い短かな石段がついてゐる。それから一寸した丘の上に出ると、樺の林がある。恐ろしい巨きな老樹が枝を參差して、一丈餘りの大氷柱が、鍾乳石の樣にぶら下つてゐる。人閒の脊よりもずつと高く、人間の體よりも餘程大きい。如何して斯樣な大な氷柱が出來上つたのか不思議でならない。
半死人の百姓は此處へ獵に出掛けて來たのであらう。靴の跡は雪に印された儘で一尺ばかり凹んでゐる。其足跡を辿つて行くと、大きな岩で行き詰つた。其處で靴の痕は消えてゐる。
「此處だ、此處だ」
百姓は岩の根を指して見せた。。
「俺は此處からカルジンを擔ひで歸つたんですぜ。其時鐵砲を忘れてゐた」
とぐる\/其岩の根を探り廻してゐる。此處で打つ仆れたものだとすれば、血痕でも殘つてゐる筈だが、そんな穢ない物は何にもない。
小止みになつた雪は、再び林の枯枝を潛つて、どし\/落ちて來る。
「此處かね」
爺さんが百姓の男を見ると、
「間違ひなく此處でございますよ。」
と薪の先で、雪を上を掻きまわして見せた。
「どれ。私にそれを貸して御覽。」
と爺さんは、件の薪を雪の中へ突き差してがさ\/掘ぜくる。昨日から積雪の上に更に一尺以上も積んでゐた。せつせと、掘つて行くと、雪の中から眞黑なものが頭を見せた。
「お爺さん。俺が掘る」
俺が、いきなり、兩手を捲つて雪を掘らうとすると、
「キヨスキー、へえ、へえ。危ない。危ない」と云ひ乍ら、俺の手を靴の先で拂ひのけた。
すると側から木の枝を拾つて來た百姓が、ごり\/探し始めた、掘り出
して行くうちに黑い物は段々、はつきりと形を現はした。最後に出て來たのは一挺のマキシム銃だつた。
十五分間ばかり、氷柱の下に俺達は立つてゐたが、間もなく例の焚火の家へ引き揚けた。それから三日目にまたモスクワの下宿へ戾つた。ヤスナヤ・ポリヤナを出るとき、この爺さんが、
「さようなら。キヨスキー、またモスクワで逢ふわい」
と云つた。果してそれから暫くして俺は修道院で、この爺さんにぽつこり出逢つた。それはもつと先だ。
モスクワへ戾ると、ペトログラードから伯母ターニャが家へ歸つてゐた。
「伯父さんや伯母さんが、まだモスクワへ戾つたんだから、イヱドロフの宿から引揚げておいで。あんな汚ない處にゐるもんぢやありませんよ」
と云つた。人を馬鹿にしてゐる。汚ないやうな處へ何故、最初から俺を預けたんだと思つた。
その晚、またいやなターニャの側でくらすことになつた。巴里からは、なか\/叔母ラリーザが俺を迎ひに來ない。三月經つた。
或る日の午後のことだ。
俺が應接間のソファに兩足を伸ばして讀書してゐると、「男爵夫人」が、のつそり入つて來た。「男爵夫人」と言ふのはターニャが俺よりも旨い物を食はせて寵愛してゐる牝猫だ。
此猫が微風の如く、こつそり入つて來た。暫く俺の顏を迂散臭い目で見詰めて居た。そのうちにぴよいと卓上へ跳び上つて、肛門を膨らせた。忌々しい。突落してやらうと考へた刹那に、窓際に松茸帽を冠つて、土弄りの皮手袋を穿めたターニャが現はれた。
すると、「男碍夫人」がいきな窓臺へ跳び移つた。その拍子にインキ壼が後趾で蹴倒されたから、讀みかけの本が滅茶滅茶になつた。癪に障つてゐる矢先だから俺は手を延ばして「男爵夫人」の柔らかい首筋を摑んで力任せに床へ叩きつけたら、ぎゆうと呻つて動かなくなつて了つた。
心配になるから猫を摘み上けて見ると、死んでゐる。俺は少なからず狼狽した。美しい動物なんてものは案外跪いもんだ。
次の瞬間に恐ろしい目が俺を睨んでゐるのを發見した。惡いことをしたと思つたが、後の祭りだ。ひたすら恐惶してゐると女だてらにタニャが窓を跨いで入つて來て、眞つ赤な顏に、ぽろ\/淚を零し乍ら、くやしさうに猫の死骸を抱いて接吻した。
美しい動物と云ふものは果報なもんだ。タニャは俺が死んだつて淚一つ零して吳れまい。
それから戰々競々として悸んでゐる俺の耳を、ぐい\/引つ張つた。この邊で淚を零して泣いて見せたら、死んだ畜生の弔ひにもなるし、タニャの怒りも、いくらか鎭まるだらうと思つて、思ひ切り哀れな聲でわいわい泣いた。
然し泣きやうが非公式だつたんだらう。到々門口から地下室へ摘み出されて了つた。
地下室は最初は眞つ暗だつたが、段々馴れて來ると、何でもない薄明るい冷つこい處だ。タニャの側にゐるより餘つ程いい。
俺は醫者の邸宅に地下室があらうとは思はなかつた。四方の壁は黃色い石と耐火煉瓦で積んである。床は厚い砂疊で、靴の先で、こつ\/掘つて見たら、馬鈴薯が、ころ\/と轉り出た。面白いから、こつ\/と掘る。またころ\/と飛ひ出す。今度は壁の隅に並べてある大樽を覗いた。一種の刺激性な惡臭が鼻を衝いて來る。腕まくりをして、樽の中へ手を突込むと、ひやりと針で刺すやうな冷氣が腦天まで響いて來る。はゝあ水だなと思つた時、俺の指の先に柔かい肉のやうなものが引つ掛つた。引き上げて見ると、鹽漬けのキャベツだ。キャベツが醗酵してゐるために、ぬら\/と指の間から逃け出さうとしてゐたんだ。
俺がパンの間へ挾んで食つたり、豚の肉を包んで食つたりするのがこれだなと思つた。
俺は日本に居る時、何にも知らずに糟味噌へ手を突つ込んで水膨れに腫れたことがある。今度も、どうかなりやしないかと思つて心配したが、何ともなかつた。
次の樽を覗くと、腐りかけたスウヨークラ菜が泡を噴いてゐた。ニ度目に露西亞へ來たとき知つたのであるが、實は今俺が幽閉されてゐる地下室が、貯藏畑だつた。だから、砂の中から色々の野菜が出て來ると思つた。冬は温かくて、夏は凉しい。晝間暑くつてやり切れない時は、投げ込まれないでも、自分で志願して入つてやる。砂畑に轉つてゐると、去年漬け物の手傳ひに態々遠い田舍から汽車でやつて來た百姓の娘を思ひ出した。頭から風呂敷を被つて、庭先で鼻唄を唱ひ乍ら、腰から下は素裸で、樽の中へ入つて鹽を撒いたりキャベツを踏んだりしてゐた。あゝしないと出來ないのだらう。あの娘は、あれが尊門で。都會を夏だけ廻つて步るくのだらうと思つた。
俺は日本に殘して來た片目の祖母が、金比羅樣に、俺が早く日本へ歸りますやうにと祈願を込めてゐる夢を見乍ら、砂畑の上に寢てしまつた。
タニャが、その晚貯藏畑を覗きに來た時、俺は砂の上で、手も足も顏も砂だらけにして。ぐつすり寢込んでゐた。タニャは空氣ランプを提げてかう言つた。
「お前は學校へ行くんですよ」
俺は驚いて、砂と一諸に起き上つた。
「學校は休暇ぢやありませんか」
と言ふと。
「可哀さうに無邪氣な猫を殺すやうな酷い兒に休暇なんぞいるものか。さうだらう?」
「學校へ行つたつて誰も居やしませんよ」
「今迄の學校ぢやないよ。ゾヴスカさんのセルギヴスカヤ學校です。ソヴスカ先生が親切に休暇中でもお前の世話をしてくれるさうだから」
そんな親切があるものかと思つた。
「誰がそんなことを賴んだんです。伯母さん」
「妾ですよ。お前のやうな亂暴者は休みなしで、みつしり躾けて貰はないと、碌な者になりやしない」
碌な者にならんでも澤山だ。
「今晚から行くんですか」
「いゝえ。明日お出で。電話で先刻さう言つて來たから、今晚は大人しくお寢み。お祈りする時に、私に新らしい心を下さいますやうにと、神樣に忘れずにお願ひするんですよ。」
「新らしい心つて何です」
「何でもいゝから、左樣云つてお願ひさへすれば、神樣の方ではちやんと解つてお出でだ」
して見ると、神樣は、學校の敎師のやうなもんだ。學校の敎師は俺が理解の出來ぬ答案を書いて出しても、ほんたうに解つてゐるものだと感違ひして及第させてくれる。
「今夜お前が突然死ぬやうなことがあつて御覽、お前は何處へ行くかい」
「何處へ行くか知るものか」
「いゝえ。知れてるとも」
「ぢや何處へ行くんです」
「地獄さ」
俺は漸く釋放されて。寢室へ護送された。寢床へ這ひ上る時就寢前の挨拶をした。
「お寢みなさい伯母さん。今晚死んだら地獄へ行きます。だから接吻をして下さい」
「いけません。お前なんかちつとも可愛かないよ。お前の惡戲が世間に知れたら鼻摘みにされます。お前は大きくなつたら人殺しでもやり兼ねまい」
と毒づいた。
「私ほんたうに濟みませんでした。ほんたうに濟みません。もう二度とあんな眞似はしません」
俺は急に心細くなつたから、藁蒲團の上に、きちんと坐り直して頸に掛けた十字架の鎖を外して、叮嚀に詑びた。
「妾も油斷しない。またどんな惡戲しないとも限らない。一すぢ繩で行かない兒だからねえ。それではお祈りを忘れないやうに」
と言つてタニャは出て行つて了つた。俺は眠くつて仕方がないけれども、命ぜられた通り十字架の黑い數珠玉を繰り乍ら、熱心に祈りをして、いつまでも善良な兒であるやうにと願つて寢た。
後で聞いたら、「男爵夫人」はタニャが伊太利人から百留で買つたんださうだ。して見ると俺の一ヶ月の學費の三倍になる。つく\/惡いことをしたと思つて後悔した。
其夜俺は、自分の手足と胴とを別々に取り脫して、凾の中へ入れて、「これだとつゞまりがいゝ」と安心して首だけで寢て居る夢を見た。
二
翌朝俺はセルギヴスカヤ學校へ追ひ遣られた。ヤロスラヴスキー停車場で俺を受取に來て居たゾヴスカといふ貧相な女先生の手に引き渡された。
そして囚人同樣の監視の下に、學校へ着いて見ると驚いた。其處は尼さんを養成する女學校だ。休暇で女學生は一人も居ないからよかつたが、それでなければ、吃驚して脫走を企てたか知れない。
校舍はがらんとしてゐた。ゾヴスカさんは俺を引張つて校舍をぐる\/巡り步いた。俺の部屋を決めたり、湯桶を敎へたり、食堂を覗かせたりした。斷つて置くが、俺はあてがつて貰つた湯桶を一度も使はなかつた。食堂にも入らなかつた。休暇中留守をあづかつてゐる女中が怠け者と來て居るので別段女學生の世話を燒くやうに更まつた湯桶に入らなくつてもよからうと云ふから、ウンいゝと答へたら、女中が入る風呂槽に一緖に俺を入れた。不都合な女とは思つたが、氣作に脊中を流したり、腕を洗つてくれたりするから文句も出なかつた。同じやうな理窟で、食堂は陰氣だ、それより自分の友達がいつも御茶呑みに來るから、食事は臺所で間に合はせた方がいゝと獨りで決めて了つた。
寢室と湯桶と食堂の檢分が濟むと、今皮は花園へ出た。
花園と云ふと綺麗に聞えるから、荒れ果てたことを言ひ表はすために廢園と云ふことにしやう。
ゾヴスカさんは瘦せた色の白い、脊の高い、ひよろ\/した四十年配の露西亞正敎の尼さんだ。ゾヴスカ尼さんと俺は廢園の入口に列んで立つた。
そこから、石垣を越えて、トロイツコ・セルギヴスカヤ・ラヴラの古城が見える。石垣から廢園の小徑を、巨きな榛と、ソースナ松樹と、ヅーブ樫が翼を擴げてゐる。塔のやうな簇葉の隙間を黃金色の朝の光りが、飄搖と潛つて來る。樹の葉が搖れるのでなくて、まるで光が瞬くやうにぎら\/閃めいた。啄木鳥のくちばしで啄いた樹の皮が、蝗蟲の刺靑見たやうに、點々と刻まれて、鐵砲蟲の出た痕が白茶化けてゐる。
校舍の周圍は廢墟だ。廢園の雜草が遠慮なく延びてゐる。五月草と、蘩蔞が小さい花を開いてゐた。
ゾヴスカ尼僧と俺の頭の上から、復活寺の午鐘が、がらん、がらんがらんと鳴り出した。俺はこんな幽靈屋敷じみた氣味の惡い家を見たことがない。モスクワの街は不思議な處だ。街のまんなかにクレムリンの城廓があつたり、「赤い町」があつたり、ユダヤ町があつたり、貧民窟があつたり、酒場の窓から尼さんの顏が出たり、勸工場の門から牛が出て來たりする。モスクワ河畔にこんな寂しい學校があることも知らなかつた。愈々今夜から先生と二人で此家に寢起するのかと尋ねたら、ゾヴスカさんは氣の毒さうな顏をした。
「妾はこれから放行するがお前さんはコロドナが世話をします」
と云ふ。コロドナとは誰のことだか解らない。
「お前さんはタニアさんの家と此處と、どちらがお好きか」
と尋ねる。
「どつちも嫌だ」
と正直な返事をすると、仕方がない、一ヶ月我慢しなさい、さうすれば、授業が始まるから家へ歸れると云つたが、タニャの家へ戾る位なら、いつまでも此處に居る。いけなければ飛び出して乞食にでもなつた方が、いくらましだか知れやしない。
女はほゝと笑つて、それでは妾が歸るまで大人しくしてゐらつしやい。ペトログラードで一週間以內に用を足して來ますと云つて、裏木戶から往來へ出て行つて了つた。幽靈のやうな賴りのない先生だ。このゾヴスカさんとタニャが、どんな交涉ひの友達だか知らない。いくら大切な猫を殺したからとて、こんな意地惡い復讐をしなくてもいゝだらう。猫を殺す少し前にリジャといふ田舍娘が下婢に雇れてゐた。解傭される日に、アストラハンの墨茶碗を破したり、イコナの前に釣してある提燭壺のオリーブ油を剌繍の絹繪の壁畫に零したりした時、タニァは火の如に怒つた。リジァは烈しい畏怖に襲はれて絨氈の上に跪づき乍ら、タニァの着物の裾を捕へて續け樣に何遍も何遍接吻して
「神樣。何卒奧樣が妾の粗忽を許るして下さるやうに、奧樣の心を和らげて下さい」
と叫んだ。俺は其晚リジァが大きな風呂敷包を抱へて、頭から顏を隱すやうに絹巾を被つて門を出て行く姿が可哀相でならなかつた。田舍へ歸るのか、雇女紹介處へ行つて訴へるのか知らないけれども、彼女に錢のないことはよく知つてゐたから、馬車賃を惠んでやらうと思つて金入を探つたら郵便切手がたつた一枚あつた。
叔父は患者の家へ出掛けた留守だつた。タニャだから、入口で見張つてゐたかも知れない。だから、猫を殺した罪に空家同樣の學校へ放り込む位のことは、恩典だと言ふ氣でゐるのだらう。
それで居て、巴里のラリーザ叔母の手前は、休暇中でも學校で勉强させてゐます。義姉さん御安心下さい、妾があづかつて世話を見てゐる以上は、決してあの兒の不爲になるやうなことはしない。序に今月分の學費を寄越してくれるやうに旨くたくらむに違ひない。俺はそれが口惜しかつた。手紙にも一二度タニャの讒訴を書いて內證で出したが、ラリーザ叔母は何と云つたつて年寄に味方するだらう。
露西亞の女は、みんな年を取るとこんなんだらうかと思つてると、スコツチ羅紗の肩掛けを引つ掛けて、白いリボンの饅頭帽子を冠つた女中風の中年の女が、臺處の入口に現れて
「キヨスキー」
と黃い聲を出して、俺を手招ぎした。
ゾヴスカさんより、ずつと下卑な着物を着流してゐるが、ゾヴスカさんよりは、顏が氣持ちよく出來てゐる。一見してユダヤ女だと悟つた。
臺處へ入つて行くと、卓子の端に黑麵麭と牛乳の壺と肉饅頭に赤い枌を振りかけた皿が列べてあつた。俺に食はせるのだらうと思つて椅子に掛けやうとしたら、この女が俺の手を握つて引き寄せるや否や、電光石火の早業で額に接吻した。俺はその時、この女が綺麗な耳環を穿めてゐるのを見た。
「キヨスキー。いゝ子になるんですよ。今夜から、妾がお前さんの母さんになつて上げる。」
こんな荒つぽい下品なお母さんが何處の國にあるものか。ゾヴスカさんがコロドナがお前さんの世話を燒くと云つたのが、この女かと思ふと、何だか變な氣がした。然し、いつの間にか、俺の名を記憶へ込んでゐる處だけは感心した。
俺は最初この下婢のコロドナが俺を馬鹿にするやうな樣子だつたから癪に障つたが、段々馴れると、案外氣の利いた、よく捌けた、親切なことが解つたから、俺は何でもコロドナに相談した。翌晚コロドナが飯を食ふ時、
「お前さんは酒がのめるか」
と云ふ。俺は大好だ。此處にあるなら、內證で出して吳れと云つたら、コロドナは大きな口を開けて笑ひ出した。
「此處は修道院だからアルコホルは何にもない。お前さんが好きなら今度外出した時貰つて來て上げる」
「何處から貰つて來るのかい」
コロドナは笑つて答へなかつた。この女の自讃によると、彼女が學校の生徒間で一番の人氣者ださうだ。然しゾヴスカさんとは犬と猿のやうな惡い仲で、いつも彼女が授業振りに口を出して叱られるさうだ。最初の晚は誰も來なかつたが、二日目からコロドナの遊び相手が來て、終日饒舌り續けてゐた。この連中も矢つ張り何處かで水仕事をしてゐるのだらう。コロドナには話相手があつたり、仕事があつたりするから氣が紛れていゝが、俺には話相手も仕事もない。たまに退屈だから、馬鈴薯の皮むきの手傳ひをしかけると、コロドナは口を尖らせて怒つた。彼女は自分の領分へ少しでも手を出されるのが嫌らしい。
だから殆んど一日を廢園でくらした。庭も飽き飽きした。陰鬱な部屋に閉ぢ籠るのは一番氣が腐つた。たまに石垣を越えて川畔へ出ると、コロドナは後からおつかけて來て、
「お前さんに散步をしろと誰が云ひました」
と俺を頭から叱り飛ばした。公園の鋼像の鐵鎖にぶら下つてゐると、
「妾が、庭ヘブランコを釣つて上げるから、公園などへ行くもんぢやありません。公園にぶらついてゐる奴は、みんな惡人だから」
と云つて、廢園の楡の枝へ繩を掛けて、粗末なブランコを作つてくれた。公園に行く奴はみんな惡人だ、死んだら地獄へ行くのかも知れない。この學校では、そんなことも敎へてゐるから、コロドナが聞きかじつてゐるのだらう。
俺の部屋は敎室だ。塵つぽくて、汚れたインキ壺が隅の方へ掃き寄せてある。黑いカウカシア樫の机とデヴァンが積み重ねて、その上へ地圖が卷いて棄てゝあつた。黑板には消しかけた白墨の文字が、いくらも殘つてゐる。
聖母マリアの像が柱時計の上に掛けてある。窓が三つ、廊下に一つと、廢園に面して二つあけてある。「スシスタス」から冷たい風が流れ込んで來る。壁は鳶色に塗られ、點々として黃色い雨の痕に、黴が見えた。俺は午前六時から此處で、三十分祈禱をする。祈禱の本を机に立てかけて、床の上に跪坐して祈る聲が、洞穴のやうな部屋の中に、釣鐘の音の如く反響した。禱り乍ら、ふと止めて、自分の聲に耳を傾けると、壁に當つて戾つて來るのが聞える。
それが濟むと、朝餐だ。コロドナは俺に、朝の挨拶をした。そして一緖に椅子に掛けて、甘つたるい人參と馬鈴薯と、キャベツと肉塊を投け込んで掻きまぜたスープを啜るのだ。
「食事が濟んだら、庭へ行つて遊んでゐらつしやい。」
とコロドナが俺を庭へ追ひ遣つて置いて、彼女は友達が來なければ、獨りで編み物の針を動かしてゐる。俺はこの位不思議な生活は、何處へ行つたつてなからうと思ふ。朝起きて黑麵麭を噛り肉汁を啜つたら庭へ出て、晝飯を食つたら、また庭へ出て、晚餐をしまつたら、また庭へ出て睡氣がさす頃、「キヨスキーもうお寢み」と云ふから、引つ込んで寢支度にとりかゝる。
これで押して行つたら、今に、頭が馬鹿になり、智慧が引つ込んで圖體ばかり大きくて、どんな退屈な世界へ旅行しても、平氣な人間が出來るだらう。コロドナもいゝ加減中毒してゐるのかも知れない。
寢室は低い屋根裏だ。三疊敷位の狹い處だ。そこへ木造の小露西亞型の寢床が据えてある。天井には大きな橫梁が二本渡されてゐる。夜半に目が醒めると、この橫梁が、みしみしと悲しく鳴ることがある。天井の板の目には、地瀝靑と松脂とを煉り合せた、どろどろの塗料が塗り込められて、寒さを防いでゐる。柱には聖畫像が掛つて、棚に小形の福音書が埃を被つてゐる。寢床の足元には、石油ランプが釣してあつた。
明り窓の代りにペチカの側へ圍ひ一尺ばかりの硝子張りの孔が見える。夜明け頃にこの二重硝子の小孔から仄白い光が流れ込んで來る細工だ。はじめの晚に猫の夢を見た。夜になると猫の死骸を思ひ出す。同時に忘れやうとしてゐる恐ろしい犯罪の意識が、烈しく記憶の底から甦つて來る。
二日目に廢園の樹蔭に彳んでゐると、石垣の隣家の窓から白い女の顏が現はれた。女の顏は珍らしさうに鐵格子の內から俺を見下ろしてゐた。俺は引返してコロドナに
「隣家には誰が住んでゐるの」
と尋ねると、コロドナは不思議さうに、
「老人と娘が住んでゐるんです。お前さんはあの娘の顏を窓口に見やしなくつて?」
俺は頷いて見せた。
「あの娘を呼んで遊んぢやいけないかしら」
「飛んでもない。いけませんとも。あそこの老人は娘と一緖に遊ばせてもいゝ善良な兒はモスクワに居ないと思つてゐるんです。可哀さうにあの娘は每日家の中にとぢ籠められてゐるから、あんな憔悴れた顏をしてゐるんでさあ」
「放つとけば病氣になるだらうね」
「左樣ですとも。卵のやうな白い顏をして大變咳をするから、この頃は聲を嗄らしてゐますよ。でも近いうちに佛蘭西へ行くと云ふから、今に居なくなるでせう。お前さんはあの娘と遊んぢや駄目ですよ。あの老人がお前さんなんぞと遊ばせるものかね」
コロドナも俺が猫を殺したことを知つてゐるんだ。俺は眞つ赤な顏をして庭へ跳び出した。隣家の壁と學校の廐の間に空地かあつて、一面に短い草が萌えてゐる。其處へ足を投げ出して、俺は何故猫を殺したらうと考へた。
少年時代に猫を殺した者は、罪人として永久に暗い汚點が着き纏ふて行くのではないだらうかと思ふと、俺は悲しくなつて來た。
古風な廢園、馬のない廐、つたの垣が目の前に現はれた。俺は草原に顏をあてゝ、死んだ親の名を呼んだ。廢園にはコロドナも出て居なかつた、然し誰か俺を見守つてゐるやうな氣がして仕方がない。
廐の壁には葡萄蔓が匐ひ廻つてゐる。まだ靑い柆がいぽのやうに、ぽつつり、ぽつつりと梢に吹き出たばかりだ。俺は薔薇の花瓣をしやぶり乍ら、黃昏まで草原に坐つて、葡萄の實を數へてゐた。其夜は早く寢た。寢る時に「いつまでも善良な兒でありますやうに」を繰り返した。俺の眞面目な振舞は、この祈禱位なものだ。
三日目の朝、俺は樂しい過去もなければ、光輝の希望も將來もない、只無終止無際限の堪へ難い現在に生きて居る、棄て鉢の悲愴な獨りぼつちのみじめな兒として目が醒めた。目が醒めてから寢るまで、また廢園でくらした。俺の目には廢園か牢獄の如く見えた。そして大人が牢獄を忌むやうに、廢園を厭ふた。
逃げ出さうと決心したこともあつたが、その度に、僅かに巴里のラリーザ叔母へ手紙を出して、自分を慰めてゐた。猫事件を報せてやつたら、あべこべに愛相をつかされる恐れがあつたけれども、猫を引合に出さなければ、尼さんの學校へ押し込められた原因が解らなくなるから思ひ切つて訴へてやつた。
俺が生れる刹那から脊負ひ廻つてゐる陰鬱な心はだん\/險しく暗くなつた。何者かに絕えず見守られてゐるやうな、つけ狙はれてゐるやうな氣がした。
淋しい日はつゞいた。俺がこれから一生擔ひで行かねばならぬ隱險不滅の刻印は、この時、心にも頭にも、深く焙りつけられたものだと思つて伯母を恨んでゐる。
俺は此處へ來てから長い長い三日間といふものを廢園と寢床の中で過した四日目に廢園のヅーブ樫の蔭から隣家の窓を仰ぐと、娘の顏が見えた。
娘は蒼褪めた小さい顏をしてゐる。瞳の靑さが病的な曇りを帶びて暗藍色に、うつとり濡んでゐる。長い灰色の髮が、白い肩掛けの兩側に垂れて、髻だけが額から丸い木櫛で後ろへ押し分けてある。その先が短かく切れて、丁度襤褸襞の紙飾りの如く、そゝけてゐる。
娘は突然白鳥が羽搏きするやうな恰好で、俺を手招ぎして微笑を浮べた。
「おーい。あんたは病氣かい?」
少女は微笑して幽かに、ぶる\/と唇を動したが、何とも答へなかつた。
「聲が嗄れて出ないのかい。外へ出ちや駄目?」
少女は笑ひ乍ら默つて頭を振つた。
「あんたと口を利いたつて誰も怒りやしないぢやないか。左樣だらう?」
彼女はまた默つて唇を慄はせた。そんなことは云ふなと云ふやうな目で俺を熱心に見詰めてゐた。
「そんな處に居て飽きやしない?」
すると、彼女は飽き飽きしてゐる顏をした。
「何か投け込んで上げやうか」
と云ふと不思議に娘は聲を出して
「いらないわ」
と云つた。
「妾はあなたが其處で遊んでゐるのを見てゐるのが好きなの」
とつけ足した。俺は夢中で廐の屋根へ石垣を傳つて登つて、屋根の端に兩脚をぶら下げ、調子を取つて、靴の踵で棟を叩たくと、彼女は微笑し乍ら、音のない拍子をしてくれた。
俺は一週間ばかり厩の屋根でこの娘と饒舌りつゞけた。遲くなるとコロドナが俺を引づり下ろしに來た。脊伸びをすると、コロドナの肩が厩の軒まで屆く。コロドナは兩手を擴げて俺が跳びつくのを待つて、俺を脊負ふと、さつさと寢室へ擔ぎ込んだ。俺がコロドナの脊中であばれると、少女は窓の內で、聲を揚げて笑ひこけた。
朝起きると、今日も娘が窓口に出て吳れゝばいゝがと心配した。樂しい心配に戰いた。
少女は俺が猫を殺したことを知らない。俺はそれを隱して居るのが苦しくつて到頭自分から白狀した。そして俺はそんな殘酷な、今に殺人犯人になるやうな兒だと云つた。猫のことを考へると、無性に口惜しくて、淚がぼろ\/零れて來る。
すると、少女は美しい目を見張つて、
「そんなこと妾構はないわ。妾あなたを、そんな怖い兒だとは思はなくつてよ」
と慰めてくれた。俺は安心した。
「あんたの名は何と云ふのかい」
「ナタリア・ポノワ゛」
「何歲?」
「十二」
俺も十二だと答へた。かすれてゐた彼女の聲が、段々聞きとれるやうになる頃俺は厩の屋根の上に色々のものを持ち出して遊んで見せた。傾斜の急な板の上で時節外れの獨樂を廻したり、玉を彈いたりして見せる。手際よく行くと、俺はナタリアの拍手を豫期して彼女を見たものだ。露西亞の唄が種ぎれになると、日本の唱歌をうろ覺へに聞かせた。ナタリアは窓のうちで足踏みし乍ら喜んだ。
俺は話を多く知らないが、俺の物語ることが、半間で、間が拔けていやうが、てんで噓だらうが、ナタリアは熱心に耳を傾けてくれた。
俺は世の中の凡てが夢のやうに見えた。やまびこする部屋も、コロドナの下袴も、明るい饅頭帽子も、コロドナの友達も、黑パンもスープも、俺の寢床も、朦朧として夢の如く、たゞ、世の中に眞實のものは、窓から顏を出すナタリアだけだつた。
暗い鐵格子の窓から出る瘦せた蒼い顏。一束の纑の髮。俺のすることを興味深く見る目、蒼白い唇!
俺はナタリアの身の上を每日少しづゝコロドナに聞いた。俺にはも一つ眞個のものがあつた。それは夜の夢だ。夢に俺は窓のなかでナタリヤと遊んだ。そして歸るときに俺は目隱しをされて彼女に導かれた。
俺は夢でなければ彼女と一緖に遊べなかつたのだ。俺はラリーザ叔母が來て巴里へ連れて行かれることを忘れてゐた。俺は僅かにナタリアの顏を見るために生きてゐたやうなものだ。コロドナが時々、俺をナタリアから遠ざけやうとするのを惡魔のごとく咒つた。
一週間以內にペトログラードから戾つて來ると云つたゾヴスカさんは仲仲歸らない。
コロドナが「今度外出したら貰つて來る」と云つた酒は、なか\/貰つて來なかつた。何とかかんとか云つて胡魔化してばかり居る。市中に酒を賣つてないことはよく知つて居るから、何處から持つてくるか、何遍尋ね直しても只笑つてばかりゐる。俺はこの下婢め、噓をついたな、子供だと思つて馬鹿にしてゐると獨りで憤慨してゐると、突然ワルシャワから電報が來た。無論俺に來たのだ。
俺が暗い煤けたランプを天井から釣るした湯室のカーテンを絞つて、脫いだ着物を釘に掛けて、湯氣の中へ跳び込んで、じやぶ\/やつてゐる時、裏木戶の鈴が鳴つた。間もなく、コロドナが電報を持つて來た。
「ラリーザからお前さんに電報ですよ。ほら。妾封を切つて讀んであげるわ。お前さんは其處で聞いてゐらつしやい。これでも妾電報位樂に讀めてよ」
と云ひ乍ら、びり\/封を裂いた。電報にはラリーザ叔母が三日經つたら、モスクワへ着くとあつた。コロドナは自分で讀み乍ら、頻りに身振りをする女だ。
俺は電報を自分で讀み直した時眞個に救はれたやうな氣がした。電報を石鹼棚へ上げやうとしたが其棚に手が屆かないので鏡の面へぴつたり貼りつけた。コロドナはいつものやうに着物をカーテンの蔭で脫いだ。そして裸になつてから、手拭ひを忘れたと云ひ出した。
「キヨスキー、今度だけでいゝから、お前さんのをお貸し」
「いやだ。誰が女に貸すものか」
「貸さなければ、借りなくつてもよござんすよ。その代り酒を持つて來て上げないから同じことだわ」
「貸したつて持つて來やしない癖に」
「今晚は眞個に買つて上げる。だから體を拭くときだけでいゝから手拭をお貸しよ」
「買つてやるたつて、錢がないだらう」
コロドナは十三から二十八まで、小使錢を一コペックも自分のものとして持たずに來たと自分で云つた。さうだらう。正敎派の女學校の下婢に小使ひは要らない。買つてやると云ふから、それも噓だと思つた。するとコロドナは裸で蒸暑い湯氣の中へ突つ立つたまゝ、赤い顏をして、編み物をスラヴヰアンスキーバザールの商人に賣つた金があると胸を叩いて見せた。彼女の全身から玉のやうな太い汗の粒が湧いてゐた。編み物を始終やつてゐることは知つてゐるが、その時編物の何を賣つたとか云つたか、忘れて了つた。何にした處で下婢の編み物だから大したものではない。俺は何だかこの女が可哀さうになつてきたから、
「手拭は貸すけど、酒はもう要らない」
と云つて手拭ひを渡してやつた。暫くすると、
「來週でなければもう湯を立てないから、叔母さんが來て汚れていちや妾が叱られる。こつちへ、上つていらつしやい。洗つて上げる」
と俺の腰掛を拵へて吳れた。其處へ坐ると、彼女は毛深い太い脚を投げ出して、脂ぎつた眞つ白な腕を伸して、俺の肩から脊中へかけて、ごし\/擦り始めた。彼女は、毛深い脚と毛深い太い手が自慢なのだ。
「今晚お前さんをバザールへ連れて行つてあげやうか。行くかね、キヨスキー」
多分また編み物の帽子でも賣るのだらうと思つて、俺は行くと云つた。コロドナに頭から湯を浴びせて貰つて出て行かうとする時、彼女が俺を抱かうとしたから怖くなつてカーテンの中へ逃げ込んだ。
其晚ドロシキーを驅つてスラヴィアンスキーバザールへ行つたら小型のイコナを買つてくれた。歸りにツヴェルスカヤ街のブフヱットで琥珀色のスウェトルイ・クワの中ヘウヰスキーを混ぜて飮ませてくれた。俺が金を拂はうとしたら、コロドナは目をむいて怒つたから、俺は慌てゝ金入を引込めた。ドロシキーの馭者がシュッ、シュッと鳴らす鞭が、金十字架の聖なる都の巷を學校の方角へ、敷石を彈いて驀然に走つた。
街の夜の灯がちら\/動いていく。突然コロドナが俺の腕を捕らへた。俺はその時、コロドナが無理に接吻を求めた顏を忘れることが出來ない。
校舍へ戾つた時、彼女は平氣な顏をして寢室まで送つて吳れた。俺は恐ろしい、忌な氣持ちがした。翌朝買つて吳れたイコナは卓上のサモワ゛ールの側に小さい額に穿めてあつた。
タニャの家にも叔母から電報が屆いたと見えて、俺を連れ戾しに來た。半日ごた\/口論して到々俺は頑張り通した。この日も俺は遂に窓からナタリアが顏を出すのを見ることが出來なかつた。
俺の日記にはその翌日もナタリアの顏を隣りの窓口に見ないと記してある。
ラリーザ叔母は、質素な風をして、トロイカで、こつそり校舍の裏口から入つて來たさうだ。それはもう日が暮れて俺が寢床の上で「いつまでも善良な兒を」繰り返してゐた。
突然廊下を步るく靴音がした。扉が開いて、コロドナとラリーザ叔母が入つて來た。俺は寢床の上から叔母へ犬のやうに跳びついた。俺は尻ごみするラリーザ叔母を無理に寢床へかけさせて、到頭一時過ぎまで起して置いた。コロドナの話によると、俺が「まるで戀人にめぐり逢つたやうな嬉しさ」で叔母を捕らへて放さなかつたさうだ。
目を醒すと、昨夜は何處でどうして寢たのか、服を着替へて、叔母は臺處でコロドナと話をしてゐた。
俺は默つて廢園に出た。最後にナタリアを見たときとは、まるで違つた心持ちで、今日は「左樣なら」を告げやうと思つたが、窓は鐵の扉が堅く閉ざされてゐた。
「ナタリヤ! ナタリヤ!」
續け樣に呼んだ。すると、慌てゝ臺處からコロドナが出て來た。
「キヨスキー、いらつしやい。お前さん早く手と顏を洗ふんですよ!」
「後ですぐ洗ふから一寸……」
「いゝえ、駄目ですよ。牛乳と、ほら……叔母さんが持て來なすつた綺麗な菓子を食べて、出發するんですよ」
「一寸今用があると云ふぢやないか」
「何です。用と云ふのは」
俺はこの女に隱したつて仕樣がないと思つたから、低聲で、
「隣の娘に逢つてから行くんだ」
と云つた。するとコロドナが呆れた樣子で、
「ナタリヤさんに? あの娘はゐませんよ」
と云ひ乍ら恐ろしい力で、俺の腕を摑んだ。
「さあ。さあいらつしやい。叔母さんが待つてゐるぢやありませんか。もうちやんと荷造りが出來てゐるのに、何です、見つともない。」
恐ろしい馬鹿力の女もあるものだ。俺を一間ばかり、ずるずる引つ張つた。其處へ誰かのそ\/入つて來た。俺は、ずるずる引き摺られ乍ら、その人の顏を見ると、ポリヤナの老爺さんだ。
「お爺さん。其杖でコロドナの足を叩いて下さい。駄目なんだ、駄目なんだ。」
「いけませんよ。」
「何故僕は庭へ行つて、ナターリアを見ちやいけないのかね」
俺は、それでも抵抗した。
「見やうつたつて、あの娘は死んだんです」
爺さんが目を丸くして臺所へ入つて行つた。多分俺の叔母に逢うためだらうと思つて、今度は猛烈に藻搔き出した。
「死んだなんて、噓だ」
「お前さんは何と云ふ馬鹿だらう。死んだ者に逢へるものかね。さあ。大人しく、いらつしやい」
俺は、草叢の中に埋もれてゐる井戶端に、柱からぶら下つてゐる砂袋の下まで引き寄せられた。
「ほんたうに死んだのかい」
「眞個ですとも。可哀さうに今頃は天使になつて、お前さんと妾とが爭つてゐるのを天國から見物してゐるでせう。疑つたつて仕樣がない」
俺は、矢つ張り「噓だ」と云ひ張つた。するとコロドナはそんならと云つて先刻の場所まで俺を連れて行つた。そして堅く閉されてゐる窓の扉を指してあれでも噓かと云つた。俺は彼女がほんたうに死んだものと漸く信ずるやうになつた。其處へ
「肺病で昨日死んだ、今日は老人が埋めに行つたから、家の中は誰も居ないんです」
と押つかぶせて說き伏せて了つた。俺が茫然立つてゐると、また臺所から爺さんが出て來た。コロドナが、
「旦那樣。隣の娘は死んだんでございますねえ。」
「死んだ?」
爺さんは肩を搖つて、肩へ首を縮み込ませた。そして顏を顰めて、口を尖らせた。
「ニコラス・リュベイモヴ僧正の姪のナタリヤが死んだとは思はぬ」
「それ見ろ。コロドナ。爺さんが知つてら。ね、お爺さん、死ぬもんかね。」
「コロドナが左樣云つたかい、キヨスキー」
この爺さんはまだ俺の名を記憶してゐた。
「噓をついたんですよ、お爺さん」
「はつはつは、キヨスキー。それぢや死んだかもしれんぞ。それよりお前をラリーザが呼んでゐる、早く行かないと、俺が菓子を貰つて行くぞ」
俺は胡魔化されて臺所へ入つた。すると、叔母ラリーザが、俺を指して暫く爺さんと立話をしてゐる。多分俺の惡口でも列べてゐたんだらう。爺さんは中氣病みのやうな目をして、口をもぐ\/動かせて、汚い髯をすごき乍ら默つて、ふむ、ふむと頷いてゐた。
爺さんは別莊へ來たんださうだ。
「キヨスキー、巴里へ行くのか」
と云ふから、
「モスクワなんぞに居るものか、お爺さんお菓子を上げやう。」
と云つた。俺が菓子の小さい包みを爺さんに握らせると、乞食の樣な手附をして、ポッケットへ入れた。多分馬車の上で食ふのだらうと思つた。ラリーザは俺が子供の癖に酒を飮むと云つたものだから、爺さんが、恐ろしい顏をして、俺の耳を引つ張つた。俺と爺さんが、裏木戶で別れる時、俺の荷物を積んだトロイカが、廢園の中から、ごろ\/と川端へ出て行くのが見えた。
「巴里へ行つたら、ナターリナに逢へるわ」と云ひ乍ら爺さんは俺に尻を押されて馬車に乘つて、俺の荷車を追ふて去つた。俺は後ろから、小石を拾つて爺さんの馬車へ、五つ六つ投げつけた。爺さんは杖を振つて怒つた。いつ見ても薄汚ない爺だ。
一度タニャの家へ立ち寄つてから立たうと云つたラリーザ叔母の言葉を俺は最後まで退けた。そして旅行に馴れてゐるとは云ひ乍ら、可憐さうにラリーザを促してその翌朝、モスクワを去つた。俺の日記には一八九七年三月十五日とある。コロドナが、「お前さんのそばへ妾も追つかけて行くから待つてゐらつしやい」と云つた顏がしばらく停車場の窓口に見えてゐた。
三 靑年時代
巴里に三年居たが勉强も何もしなかつた。俺の友達は怠けるのを名譽と心得てゐたから、試驗前にはいつも狼狽した。佛蘭西の兒と露西亞の兒とが、仲がよくつて、亞米利加人や、獨逸人やいぎりす人の兒とは、まるで交際はないでしまつた。
俺の學校はノートル・ダム寺院の近所にあつた。木造の古いサン・ゲルマン・リセーだ。俺は寄宿してゐたから、二階の寢室の窓から每日、ノートル・ダムの屋根を眺めた。ノートル・ダム橋を渡る群衆も見えた。
學校の舍監が嫌な奴で、日曜日に俺のグループが外出先から戾つて來ると、一人一人舍監室へ呼びつけて置いて、犬のやうな鼻をうごめかし乍ら俺達の口を嗅ぐんだ。俺達のグループと云ふのは、シャールに俺に、ポールに其他今は名を忘れて了つたが、何でも總勢七人ばかり居つた。そのうち俺が一番年下の癖に、誰かが俺を酒のみだと蔭口を利いたので、俺は注意人物になつてゐた。實際俺は酒が好きだつたから仕方がない。
酒は虫が好くんだ。だから、どうもこうも我慢のきかない時がある。或雪の降る晚だ。俺は共同寢室の便所に行つて、歸りに、舍監室を覗いたら、舍監のヴヰグレーと云ふ親爺が、暖爐の前に椅子を寄せて、寢込んでゐたから、しめたと喜んだ。共同寢室には寢臺が七十脚ばかり列べてある。俺は、たちが惡いから隅つこの方へ遠ざけてあつた。三十五臺を左右に分けて、中央が步廊だ。天井の棰からケチな角ランプが釣してある。俺は向ふ見ずの子が好きだから、向ふ見ずのポールを搖り起こしたら、
「ヴレヴ・ブランドル・デ・ポワソン」
なんて妙な寢言を言ひ乍ら起きた。此男に蝙蝠傘を持たせ、外套を小脇に抱え、寢臺の下を潛つたら階段の入口に匐ひ出た。其處に扉がある。困つたことには鍵がかゝつてゐたから、また寢臺の下を逆戾りして、舍監の部屋の中を匐ふて過ぎた。便所の脇から、廊下へ出て、鐘樓の梁を足場にして、先づ俺が石垣を攀ぢ登つた。
石垣と云つても左程高くないから、鐘樓からポールが蝙蝠傘をさしかけてゐると、帽子を冠らぬ頭に雪がかゝらぬ。
然し乍ら、積んでゐる雪に手と足が埋まつて、迂然すると辷りさうだ。俺が登ると、今度はポールが來た。ポールを先に往來へ跳ばせて置いて最後に俺が蝙蝠傘をポールへ渡して、跳ぶから退いてくれ、退いてくれと云つて居るうちに、垣の頭が崩れて、運動場へ墜ちてうんと腰の骨を打つた。
ポールは蝙蝠傘を擔いで、戾る譯にも行かず、一晚巴里のラテン街を慄え廻つたさうだ。俺は腰の骨を痛めた上、停學一週間を喰つて叔母に嚴しく怒られた。
其時校長室に引張られて靑竹で尻を叩かれた。その時校長室の窓に凭りかゝつて、俺がぽろ\/淚を零してゐる悲劇を、にや\/笑ひ乍ら見物してゐた爺がある。此爺がドオデエだと云ふから、ドオデエと云ふ奴は物の解らぬ奴だと思つた。此爺いはよく俺の學校へのこ\/やつて來て、敎室をぐる\/見廻つて步いた俺の面を見ると、眉を釣つて笑つた。いやなぢゝいだ。
巴里へ來て二年目にラリーザ叔母は、スイスの女學校へ轉職した。俺はまた一人ぽつちになつた。一人ぽつちになつた方が結句呑氣だが、學資を出して吳れるのがラリーザ叔母で、遠く離れて了ふと、金は直接俺の手に入らずに、學校の會計へ來た。だから、小使に窮して會計係へ借りに行くと、いつも嫌な顏をして、「何を買ふんだ?」と尋ねる。
「帽子を買ひます」と答へる。俺は、買ふものはいつも帽子に定めてゐた。他のものは大抵學校で賣つてゐたが、こればかりはなかつた。ないものを云へば帽子は學校にないから、靴で間に合はせろと云へないからだ。すると會計め、「ウヰスキーの間違ひだらう。」と妙な目付で俺を弱らせた。一か月に二度も三度も帽子を買ひますと云つたことがある。處が月末の淸算書を會計係からラリーザ叔母へ送つた。返事に、「そんなに帽子ばつかり買はないで、靴でも取り替へたらいいだらう」と云つて來た。
靴は學校で賣つてゐるから駄目だ。この時分あんまり帽子の殺生をしたから、それが崇つてこ此頃は、季節の帽子すら樂に買へない。
まだある。俺がいよ\/この學校を追はれる三日前のことだ。俺は酒は呑んでも、寺には每週缺かさず參詣したから偉い。
ダリユ街の公園モンサウ池の側に露西亞寺院がある。今でもあるだらう。其處で露西亞人が集まつて祈禱をあげることになつて、俺の學校にも露西亞人はみんな出て來いと言つて來た。多分露西亞大使館が退屈まぎれに考へ出したんだらうと思ふが何の祈禱會だつたか趣意書になかつたやうだ。日露戰爭が濟んだばかりだつたから、敗戰祈禱かも知れない。すると、俺のやうな露西亞留學生が見る間に聚つた。中に女學生も少なくなかつた。
その崩れが、モンサウ公園に集まつて、露西亞人ばつかりで結社を造らうと言ひ出した。
この時牛耳を取つたのがレリァと云ふ音樂學校の女學生だから不思議だ。二十四五歲の女で、情夫があつた、日本人や英吉利人やアメリカ人の學生を排斥するから、力を貸してくれ、往來で彼奴等を見たら、男なら須らく引つぱたけ、女だつたら金を引奪くれ、嫌だと云つたら、髮の毛を摑んで引つ張れと豪語した。その時分の過激派だらう。日本人にお袋を持つてゐる癖に俺もその結社へ入つた。何と云ふ腑拔け者だらうと、今でも思ひ出すと、冷汗が出る。而も、この結社に入つたために俺は非道い目に逢つて學校まで、出なくては叶はぬやうになつたんだ。入社式の話をしやう。
入社式はボヘミヤ町のマデレーヌと云ふ汚い美術學生の酒場で行つた。
俺は新兵の格で、順番が囘つて來て資格試驗をやられたんだ。レリァは大將株だから、ビールの空甁で卓子をどん\/叩く。これが大將の合圖である。誰かゞ俺の目隱しをした。
俺は目隱しをされたまゝ、酒場の裏へ引つ張り出された。
レリァが大將のやうな聲を出して、
「キヨスキー、お前は聖なる兄弟の一人に選ばれるのだ。その前に眞個の名を白狀しろ。噓つくと咽喉をナイフで刳るよ。お前のほんたうの名は何だい」
ほんたうに咽喉を刳りさうな劍幕だから俺は蒼くなつて、
「アレキサンドル・ステパノウィッチ」
と云つてやつた。
「それぢやキヨスキーは誰の名か。矢つ張りお前の名だらう」
俺も困つた。キヨスキーは日本語でキヨシだ。長崎で生れた時、來合せた肥後の浪人が、大泉なら淸に限ると云つて、淸が名になつた。八幡樣の繪馬の額にも「淸奉納」とある、その位由緖つきの名だ。それを親爺が厭がつてキヨスキーに變へて了つた。スキーだけ餘計かも知れない。ポールは俺のことをキヨスクと呼ぶが、キヨスクは小店といふ言葉だ。成る可くスキーの方にしてくれと賴んである。小店なんて緣喜でもない。
「キヨスキーは日本人がつけた名だ。今云つたのは親ゆずりの露西亞名だ」
「お前は日本人に友達があるのか」
ある處ぢやないお袋は keitaと云ふ日本の淑女だ。說いて見せると、この際だから、嘸嫌な顏をしたらう。
「俺達の結社に入つた上は決して裏切らぬと云ふ證據を見せろ」
「證據がないから、殘念だが見せられぬ」
「それでは、誓つたゞけでいゝ」
「小生入社後は決して裏切り仕らぬことを誓ひ候成」
とフランスの佳文體でやつたら、後ろから、佛蘭西がセ・ビエンと云つた。露西亞がパコルノ・ハロショウと叫んだ。レリァが
「我が兄弟姉妹よ。諸君はキヨスキーを結社の一員として選ぶべく贊成するか」
と例のビールの空甁を振ると贊成々々と怒鳴つた。
「それでは、これから試驗をするから、こつちへ來るんだ」
と俺に靴を脫がせて湯殿へ押して行く。眞つ暗だから、どんな仕掛けがあるかさつぱり解らないが、熱い空氣が俺の全身を包んだことを直覺した。
「一步前に湯桶があるから、足を入れろ」
女の癖にレリァが命じた。俺は兩足を浸けた。熱湯だ。
「もし裏切つたらこの湯でお前をうで殺すんだから、忘れないやうに」
俺が、たまらないから熱いと叫んだら、
「靜かにしろ」
と鞭のやうなもので俺の脊を毆つた。
「たまらないから、この邊で勘辨してくれ」
「駄目だ。凝乎としてゐないと咽喉を刳るよ」
刳られて堪るものかと思つて一生懸命で我慢した。こんな酷い目に逢ふのだつたら、最初から逃げればよかつた。亂暴を通り越してこれや殘酷だ。酷い酷いと零してゐると、
「まだ試驗があるんだ。確乎りしろ」
と云ふ。漸く靴を穿かされたら、今度は、また目隱しのまゝで煖爐の前へ引出された。
「今度は、ボワルの中から火を摑み出すんだ。男らしくやれ」
男らしくやれと云はれると、俺は引つ込めない性で、こうなるともう燒け糞だ。そのうち誰か俺の兩手を焚火の正面の見當へ伸ばしてくれた。
突然レリァが
「そら。今だ突き込め」
と床を靴で鳴らせた。俺は齒を喰ひ縛つて、目を堅く閉ぢ乍ら燃える石炭を突差の間に摑み出して卓子の上へ放り出した。
「旨くやつたね」
旨くやつたつて、何になるものか。人を馬鹿にしてゐる。レリァが目隱しを外して、
「弟キヨスキー、お前は今日から結社の名譽ある一員だ。握手しやう」
握手した後で掌心に疼痛を覺えて來た。馬鹿々々しい。試驗はこれで濟んだらうが、濟まないのは俺の手と足だ。お蔭で一週間ばかりづき\/痛みつゞけに痛んで夜は呻り通しに呻つた。
目隱しがなくなると、俺を取り卷いてゐる有象無象が、拍手し乍らどつと笑つた。人の災難がそんなに面白いのか忌々しいと思つから、彼奴等を睨み廻してやつた。
レリァがビールの空甁でどし\/卓子を叩く。其處へ、酒場の親爺が籐籠に煮豆とビール甁を入れて運んで來た。ビールを呷つて、口をハンケチで拭かうとしたら、ハンケチは贅澤だ、上衣の袖で拭けと云つてレリァが引つ奪つて了つた。
ひどいもので、ビールを飮んで騷いだら、桷がぐら\/動いた。一人が風琴を鳴らすと、レリァが美しい聲で唄ひ出した。喧噪の音は酒場に響き渡つて、窓の外を、のたくり步るく饑ゑかけた勞働者が、さぞ咽喉を鳴らせたことだらうと思ふ。するとレリァが演說を始めた。彼女の目は火のやうに輝やき、彼女の頰は紅潮し、彼女の灰色の髮の毛は電燈の光に閃いてゐた。俺はそのときレリァを美しい女だと感心した。
すると、突然、
「皆さん」
と云つて、例のビールの空甁で、こつ\/やる。
「一言述べます。我々は結社の中に新らしく生れた、可愛いゝ弟の健康を祝して盃を擧げます。キヨスキーは彼の正義の路を今日見出したのです。皆さんも卓子の上に登つて盃を擧げてください」
すると、十七八人の野蠻人や、俺のやうな遊牧の不良少年が、一時に卓子の上を占領して、俺は忽ち左右から硝子洋盃の洗禮を受けた。其處へ慌しく酒場の扉を蹴開けて、酒場の親爺が駈け込んで來た。
「巡査だ。巡査だ。巡査が來たあ」
巡査が來たつて差し支へなからうと泰然と構へてゐたら、俺一人が捕つて警察へ突き出されて了つた。もと\/何も惡事がある譯でないが、子供だてらに晝間酒場で酷い騷ぎ方をしたと云ふので、矢ヶ間敷しく小言を言はれてゐるところへ突然俺に面會人が來た。
考へなくつても、俺に面會に來る者はない筈だ。學校の舍監だつて俺が、警察の椅子に腰をかけて、署長の說敎を謹聽してゐることは知らない。それとも誰か報告に行つたとすれば、或は舍監のヴヰグレーかも知れないと、もう覺悟をしてゐた處が、入つて來たのは舍監でも大工でもない、モスクワの修道女學校の下婢だ。
俺は意外だから、
「コロドナぢやないか」
と云つたら、コロドナが、
「到頭こんな處で逢つちやつた」
とがつかりしてゐる。この女は二年經つてもやつぱりぼんやりだ。俺が恐縮して署長の說敎を拜聽してゐるにも拘はらず、橫合ひから、ぺちや\/饒舌り出して、署長に叱られてゐた。
一時間たつたら俺は釋放された。署の門をコロドナと二人で跳び出した。コロドナは三十歲になる。も少し分別があつてもいゝ女だ。いつ見ても子供のやうな、あどけない顏をして、妾は無敎育者でございます、あなたの御み足を踏んでも知りませんよ、と云ふやうな步るき方をする。
「どうして巴里なんぞへ、やつて來たんだい。コロドナ」
「お前さんを慕つて來たんぢやあないの? いけなくつて?」
俺とコロドナは、外國語學校街の街路樹の蔭を列んで步いた。步るき乍ら彼女は、眞個のことを語つた。コロドナはダリユ街の露西亞寺院へ裁縫女に來たんださうだ。一度巴里へ行きたい行きたいと云って居つた。最初は寺院なんぞへ行かないで巴里のラリーザ叔母が勤めてゐた學校の洗濯部屋へ雇はるゝやうに叔母が奔走してゐたのが、急に途中で話止みになつて、寺院へ行つたんださうだ。
「こつちへ、長くゐるの」
と尋ねたら、
「いゝえ、誰があんな窮屈な處にゐるものか。お前さんを連れて、直ぐ歸るんですよ」
と俺の知らないことを獨りで勝手に定めてゐる。これが、この女の癖だ。
「お前さんは矢つ張り惡戲坊ですねえ。妾が學校へ訪ねて行つたら、受付へ警察から電話がかゝつて居た處だつたから、直ぐ跳んで來たのよ。」
「それぢや、學校の方ぢやもう知つてゐるんだね」
「知つてゐるとも。」
「どんな奴が受付にゐたかい。」
「白頭の眼鏡爺さん」
「駄目だ。駄目だ。あの爺いだと、內證にして吳れないだらう。困つちまつた」
俺は眞個に困つたやうすをすると、コロドナは馬鹿だからほゝと笑つてゐる。
翌日俺は露西亞寺院のコロドナを訪ねた。コロドナは俺をモンサウ公園のベンチへ連れて行つた。今日はこの女を驚かしてやらうと思つて來たんだ。俺は女の顏を見ると、いきなり「俺は到頭退學を命ぜられたんだ。」と言つた。そしたら女は、何んな感じがしたのか、暫く俺の顏を見詰めて、何にも言はなかつた。
困つたからつて俺は女に庇はれる積りではない。櫻の馬場の小學校に通つてゐる時、天長節に絹八丈を着て行つたら、式場で校長に絹の着物は校則に反するから奉祝させる譯に行かない。然し今から家へ歸つて木綿と着替へる時間はない。折角出て來たんだから式場の外で拜めと劍突喰はせた。その時俺がさつさと外へ出やうとしたら、「淸ちゃん、こつち。こつち」と龜田と云ふ女の先生が小さい聲で呼び止めて、自分の羽纖の中へくるまつてくれた。熱くつても好意に對する感謝のしるしに、一時間ばがり羽纖の中で、うだつてゐた。この校長とは、それつきり逢はないが、今度出逢つたら、天長節といふものは奉祝させて貰ふんではない。此方から奉祝するものだと敎へてやらうと思ふ。女先生の方がよつぽど開けてゐる。女に庇はれたのは、あとにも先にもこの位のものだ。
コロドナが俺を疑ふ樣子だから、一緖に學校まで來て吳れ。そしたら俺の荷造りを見せてやると云つた。
「荷造りは見なくつてもお前さんの話を噓だとは思やしないが、これから、どうする積りです、ラリーザ叔母さんだつて、遊んでゐる人に學費は送りませんよ」
と始めて心配さうな挨拶をした。俺は
「明日から仕事を探して自分で食つて見せる。コナロド。さようなら」
と云つて駈け出して寄宿屋へ戾つてみると、保證人が俺の椿事を聞いて、校長に詑びに來てゐた。俺は寢室で荷を纏め乍ら保證人と立ち話をした。
「その荷物を、一體どこへ持つて行くんだね」
「友達のポールの實家へあづけます。」
「そして君は、どうする積りか。明日からでも、何とか後の方法を取らなくつちやなるまい」
「これから働くんです。長々御世話になりました。」
保證人はいぎりす人だ。古いケンブリッジの卒業生で、四十になるが、まだ細君がない。エルムパーク伯爵といふのが、この人の親爺である。俺の叔母が巴里で金を預けてゐた銀行の支配人で、叔母がスイスへ去る時、面倒だからと云つて俺の保證人になつて貰つた、俺とは丸で性質の變つたいぎりす紳士だ。
「君に出來るやうな仕事はあるかなあ。それより、倫敦の學校へ行つちやどうだらう。君は倫敦は嫌か」
「倫敦は大嫌ひです」
保證人は笑ひ出した。
俺は巴里へ來て一年目に倫敦へ見物に行つた。この保證人が暑中休暇に連れて行つてくれたのである。着いた晚に基督靑年會館で、慈善音樂會があつた。切符を貰つたから俺は保證人に道を聞いて出掛けた。一時間ばかり、馬車と自働車に追ひ廻はされて漸く解つた。受付に切符を渡して入らうと思つたら、生憎受付がない。俺は遠慮なく入つた。入ると、眞つ直ぐ所謂うずらに出る廊下と、二階へ昇る階段がある。どつちへ行かうかと其處で暫くまどつた。切符は一等だから、何處へ行つたつて苦情はないが、妙なもので、やつぱり行き場が解らぬと、まごつくものだ。
すると何處からか委員が赤リボンをフロックに插して出て來て俺を見ると、
「何處から來たか」
と尋ねた。何處から來たつて切符さえ持つてれやいゝ譯だが、折角尋ねるから、
「ゼームス・アヅソンさんの家から來た」
と答へた。橫柄な委員だ。
「ぢや、この椅子を持つて二階へ行つてくれ」
と階段の下から椅子を出して吳れる。默つて二階へ擔ひで昇つた。
「はゝあ。此處だな。」
と思つて、觀客の中へ割り込んで見ると、恰度保證人が舞臺で呻つてゐた。處が、先刻の委員がまた來て、もう二つ椅子を持つて來いと云ふから、
「椅子は一つで結構です。何卒御かまいなく」
と帽子を脫つて敬々しく挨拶した。すると、委員が、それでは困ると云ふ。何が困るんだらう。一人で椅子を二つも三つも脊負はせられた方が餘つ程困るぢやないか。俺は今まで椅子は一つづゝ使つたものだと逆ねぢを食はせたら、おや君は給仕ぢやないのかと吐した。尤も俺の方では巴里の中學生の服を着てゐたが、いくら倫敦だつて中學生がフロックやモーニングで音樂會へ行く奴もあるまい。
それからまだ癪に障つたことがある。それはアズソン家の娘が、飯を食ふ時に、俺に
「あんたの服の胸ボタンの處は、スープで汚れて見つともないわ。お尻もよ。どぶみたいな人ねえ」
と何でもないことを大勢の中で吹聽した。俺は夏服が一枚しきやないから何處へでもこれで罷り出るが、まだこの娘のやうに小五月蝿い憎まれ口を聞かない。汚れてゐるなら、誰も居ない處で、さつさと拭ひて吳れゝばいゝ。
まだある。それはこの保證人が俺に、倫敦に居る間小使にしろと云つて、金を吳れたからうつかり手を出したら、
「英國人は、どんなに困つても他人から金を貰はない習慣がある。日本や露西亞はどうだね」
と皮肉を叩いたから、俺は其時、一旦貰つた金を突つ返して、每日每日一文なしで生活した。一層のこと、その時、日本人や露西亞人はそんな氣取り屋で僞善者の英國人の厄介になる間拔けはゐないと云つて巴里へ引つ返さうと思つたが、喧嘩しちや何にもならぬから、俺の方で負けてゐた。
だから、俺はいぎりすが嫌だ、從つていぎりす人と名のつくものが嫌だ。英吉利人を見ると、此奴は氣取り屋で、僞善者で不人情な奴だと思ふ。
保證人アヅソンさんが倫敦の中學校は如何だと尋ねても、どうしても、あんな僞善者が集つて、薄つぺらな人間を製造する學校へ行く氣にならかつたから、いさぎよく斷つた。
保證人は、君の勝手に任せるから、若し相談があつたら自分の家へ來て吳れ給へ、然し學校を止したことは直ぐスイスへ報せてやらなくちやいけないと念を押して歸つた。
俺は校長と舍監に別れて、ポールと一緖に彼の實家へ一先づ落ち着くことにした。
ざつと三年の間寢起きした學校をかうして退散した。門を出るとき、目鏡の受付けを大きな目で睨みつけてやつた。俺は矢つ張り露西亞がいゝ。露西亞人が好きだ。たまに俺の伯母タニァのやうな强腹な女がゐても、やつぱり露西亞人に親しみがある。
この際俺に眞個の同情を寄せてくれたのはポール位なものだらう。同じグループの中にシャールと云ふ男があつた。モリオニといふ伊太利の留學生もゐたが、いざ俺が學校と緣切れになつて了ふと、その瞬間から俺に面を外向けるから、彼奴等も取るに足らぬ小人だと、こつちで見限つてやつた。
俺はレセール街に藥種と化粧品の店を出してゐるポールの家に當分厄介になることに決めた。店には母親とポールの小さい妹がゐた。俺とポールを前へ据ゑて置いてお袋が、
「キヨスキーは理想通りに放校を食つて、嘸本望だらう。今度はポールの番ぢやないか」と蟲眼鏡を出して俺の顏を覗いた。黴菌ぢやあるまいし。
「キヨスキーは何の志望で勉强してゐたかい」
「志望なんぞあるものかね小母さん。俺は死ぬまで志望も目的もないんだよ」
ポールの小母さんは呆れてゐたが、今もつて俺に志望も目的もない處を見ると、其時は確かにさうだつたに違ひない。
露西亞人に志望や目的があると思ふが、そも\/間違ひだ。そんな有難いものは小さい國へ買ひに行くがいゝ。
ポールの家で厄介になつた晚に「では當分、身のおさまりをつけるまで賴む」と云つてポールを、再びあの野暮な宗敎語學校へ送り返した後で、寢臺へ轉つて財布の底を逆樣にはたいて見たら、二法と五スウあつた。これで明日は食へる。これで手紙を出して、叔母ラリーザから何とか返事が來るまで、仕事を探して自活することに決めて悠くり寢た。
俺は他人のうちに因緣がなくて厄介になり得るのんき者でない。翌日俺はレ・ペチ・フランセー雜誌の秋季園遊會の廣告ビラをシャンゼリゼー街の大四辻で廣告屋から貰つた。俺は其廣告ビラを利用しやうと突差に考へた。利用すると云つた處で、俺の仕事として廣告ビラを配つて步くより外に出來さうなことがない。それでもいゝ。俺はレ・ペチ・フランセー社を其足で訪ねた。
メジェー街五番の汚ない家が、この小學生向きの雜誌發行所だ。入つて行つて、廣告ビラを配らせて吳れと賴んだ。するとフォリエといふ物語作者が出て來て、それは承知したが一日一法だ。それでいゝかねと云ふ。一法で飯が食へるものか。
俺は十五歲の少年だ。然し朝から日沒まで稼げばその二倍の骨折賃は何をしたつて貰へるんだ。一法はちと安過ぎる。
俺が思案してゐると、この物語作者が、
「君は白墨で字が旨く書けるか」
と云ふ。俺は無論書けると答へた。すると、今度は、
「筆の方はどうだね。」
と尋ねる。それも出來ると返事をすると、物語作者がペンと紙を持つて來た。俺の住所姓名が、雜誌社の名簿に載ると、
「今晚は編輯者が交代で徹夜するが、よければ君も手傳つて吳れ、明日の朝には四法支拂ふ」
と云ふ。俺は「よろしい。やる」と答へたら「それぢや。活版屋に詰め切つて吳れ玉へ。直ぐこの先だ」
とカプシン街を敎へた。俺の仕事は校正刷の紙を番號通りに揃へて印刷部へ廻すのだ。翌朝四法の外に電車賃を貰つた。夕方まで印刷部屋の職工と一緖に紙の上に寢て居た。
人間の運といふものは妙なもんだ。俺はフォリエ文士の家を屡々襲ふた。いつも色々な面相のペンの勞働者が集つて賑やかに騷いでゐた。畫かきが居たり、女が居たりした。
學校を廢して一月ばかり雜誌屋の印刷部屋でパンとバタと水で命をつないでゐた。そのうちに叔母から手紙が來て、眞面目になつて他の學校を探せ、アヅソンさんにも吳々も賴んで置いたと云ふのだ。
その時アヅソンさんの手許へ金が送つて來てゐることを知つてたが、アヅソンさんの顏を見るのが嫌だから、取りに行かないで居ると、學校を探したから、是非一度英佛銀行支店まで訪ねて吳れと云ふ葉書が、ポールの家へ來た。
暫くポールの家へ行かないでゐるうちに色々の手紙が溜つてゐた。ポールの親爺が久しぶりだと云つて、ペトログラードの支店から戾つて居た。
俺はポールの親爺と一緖に食卓を圍んだ。そして夜に入つて手紙をポッケットへ押し込んで印刷所へ引返した。印刷部屋の屋根裏で手紙を讀むと、先刻のアヅソンさんから來た葉書が一枚、ポールから來たのが一つ、ラリーザ叔母から來たのが一つ、露西亞のタニァ伯母からも來てゐた。最後に、モンサウ公園の露西亞寺院のコロドナの名が、オリーブ色の封筒に見えた。
タニァ伯母は金を儲けて、ペトログラードに病院を建てたさうだ。スワ゛ロフ街の將軍の銅像の近くだとある。儲けたんぢやない盜んだんだらう。醫者は强盜のやうなもんだ。强盜は刄物を振ふが醫は盛り殺す。伯父のことだから或はやつたかも知れない。
ポールの手紙は、たゞ、これだけの手紙が學校へ投げ込んであつたから屆ける。俺は禁酒したからお前もあまり飮むなと殊勝らしい忠告が加へてあつた。コロドナから寄越したオリーブ色の封筒が面白い。文字が拙いから屹度自分でペンを執つて書いたんだと思つて封を裂くと少か五行しか文句がない。
「お前さんの居處が解らない。やつぱり學校にゐるのだらう。この手紙が屆いたら直ぐお寺まで訪ねておくれ。妾はお前さんのお母さんになるつもりで巴里へ來たんだから、云ふことをよく容くものですよ」
俺は可笑しくなつて笑つた。あの女は何だつてあんなに馬鹿だらう。
俺は筆不性な男だ。漸く叔母ラリーザヘ宛てゝ「もう學校へ入ることは斷念した自分は今、巴里の印刷職工と共に働いてゐる、だから、あなたは金を送らなくつてもいゝ。自分は初めて自分の天職を發見して喜んでゐる。さよなら」と云つてやつた。この手紙がスイスのモントレエ・ボンポールヘつく頃、巴里はクリスマスが終へて、新年が巡つて來た。俺は十六になつた。
「おばあさん。おばあさん。今年は何處で餠をついて貰ひましたか。」
俺は一年ぶりに長崎の祖母へ手紙を書いてゐたが、筆を止める時になつて、ぽろ\/淚が零れた。何か手紙の中へ入れてやらうと思つて、行李の中を搔き廻したが何にもなかつたから、フランスの紙幣を一枚疊込んで、郵便函へ入れた後で、祖母はめくらだから送つても仕方がなかつたと氣がついた。
俺は日本に年に一度しか手紙を書かない。いつも十二月の中頃か末に書く。去年まで、學校から出したが、今度は印刷屋から出した。
そのうちにポールが休暇で店へ戾つて來た。一度訪ねようと思つて到頭元日まで行かないで了つた。銀行から寄越した金と稼いだ金とを合せたら二十八法と端錢が少しあつた。
學校ではモウパッサンの小說の耽讀を禁じてあつた。俺がそんなことゝは知らないから、モオパッサンを露店で買つて舍監へ許可の判を貰ひに行くと、舍監が目をむいて、これは學生の讀む可きものぢやないから沒收する。その代りにこれをやると云つて、書棚の中から宗敎小說を出して吳れたこんなものが讀めるものかと思つたから、そんならモオパッサンは讀まないがこれもいらないと云つて返した。
生意氣な小僧だと思つたゞらう。俺はその時分モオパッサンより偉い人間は居ないと信じて居たから、モオパッサンが若い時分にごろついてゐた下宿とか、遊びに行つた犬の墓地などを尋ね廻つて一人で喜んでゐたもんだ。モオパッサンを讀むなと云ふ奴は、同じフランス人でも愛國の觀念に乏しい下素だと罵倒した。モオパッサンを眞似損ねた通俗調で文章を拵へてその邊の氣まぐれ者に見せて步いた。
「君は非常に作文が上手だ」
と一人が御世辭を云つた。學校で、圖に乘つて「壞れたインキ壷」と命名した廻覽雜誌を拵へて、三百人餘りのフランスやイギリスやロシアの學生に文章を書かせたことがある。書かせたと云ふとさも偉さうに聞えるが、實は書いて貰つたんだ。その癖俺が一人で選をした。第一號が學校の職員間に物議をかもして沒收されると、がつかり凹たれてもう第二號を出す勇氣がなく、そのまゝ棄てゝ居るうちに俺が退學を食つたから、到頭出ないで了つたさうだ。一號に敎師の下馬評を大膽に列べたから惡かつたらしい。俺は向ふ見ずで、いつも困ると思ふ。その時分、或る男が、
「お前はこの位の文章が書けるんだから、一層のこと文學者にならんけりや噓だ」
とおだてた。おだてられた俺はいゝ氣になつて、「うん。俺はこの位の文章が書けるんだから、文學者にならんけれや噓だ」
と變なもんだ。思ひ出すと顏から火が出る。それでも、フランセー・イリュストレーと云ふ大きな雜誌──これはその時分週刊で、いつも土曜の朝出た──に、「ウヰクトール・ユーゴー博物館の印象」を書いたときは、可なり人氣を集めた。さう云へば、巴里や巴里以外のフランス人に「ユーゴー博物館」を紹介したのはかく申す俺が最初の人間だと云つてもよからう。因にユーゴー博物館はその年に開かれた。ユーゴー翁の遺物なら大抵其處に蒐めてある。噓ぢやない。
卓上のインキ壷は翁存生時のまゝだ。翁は十五年此家に住んで物語を拵へてゐた。その後翁の友人でポール・メリスといふ人が住んでゐたのを其儘博物館にしたのだ。
その次に「國民印刷局の歷史」を載せた。ロハン僧正(ムド・ヴォルカノ)とカーラーイルが云つた「ダイヤモンド頸飾事件」の悲劇の一部を狙つて書いたものだ。これも成功した。
俺は續けざまに五十法路端で拾つたやうな氣がした。その雜誌をスイスの叔母へ送つて、おだてゝ貰ふ積りだつたら、叔母はあべこべに俺を惡魔のやうに罵つて來たから、叔母も話せない女だと、一人で偉がつてゐた。これだからローマ敎徒は了見が小さい。新敎徒の迫害を受けたつて、それは自業自得だと俺はすましてゐた。
貰つた金を何に使つたか忘れた。多分有頂天になつて酒場でも廻つて步いたに違ひない。俺は眞面目なローマ敎中學校を破門された不良少年だつたから。
酒をのんだり、警察へ厄介をかけたことはラリーザ叔母へは無論言へる義理でなかつたが、舍監が退學顚末を詳しく、大袈裟に報告したと見えて、叔母ラリーザから續いて飛んで來た手紙は怖くつて碌々讀まずに行李の中へそつと藏つた。今日只今どうかすると、その手紙がひよろひよろ出て來る。不良少年に環をかけて始末の惡い碌でなしとして、自分で自分を持てあましてゐる今日でもこの時の手紙に飛び出されると、ひやりとする。
其年の夏、スイスの叔母が是非來いと言ふから、スイスへ行つたら、うんと油を絞られて半年振りに放還されてまた巴里へ舞ひ戾つた。スイスの話は書きたくないから廢さう。巴里へ戾ると、コロドナが急に戀しくなつた。間もなく露西亞寺院を訪ねたら、コロドナが、恨めしさうな顏をして。
「何故お前さんは半年も一年も妾に居處を知らせないで隱れてゐたんです」
と頭から叱りつけた。俺はその時
「お前はそんなに俺が好きかい」
と云つた。そしたらコロドナの奴、年にも恥ぢず、
「好きですとも。好きですとも、こんなに好きです」
と俺の橫つ面へ、冷めたい頰を痛いほどこすりつけて、抱き上げやうとして、
「まあ。いつの間にこんなに重くなつたんだらう。もう妾の力じや抱けないわ」
と驚いた。いつまでも俺をモスクワの湯槽の中の赤ん坊だと思つてゐる。だから智慧のない女だと笑はれるんだ。
自分では一科の文學者だと自負して居る處へ持つて來て、この女に小僧あつかひにされると、もう、うんざりする。然しこの女は馬鹿でも智慧が足りなくても、何だか戀しい處がある。ユダヤ女だつて、無學者だつて、タニャに比べると人間が素直で、親切だ。
「お前さん何處に住んでゐるの」
「定つてゐない。スイスから歸つて來て、まだ宿を探さない。俺は今旅館に居るんだ」
「旅館に? そんな贅澤をする金があつて?」
失敬な申條だと思つたが、これがこの女の持ち前だと知つてゐるから噓のない處
「實は、叔母から貰つて來た金が少しある。然し旅館に一月も居たら失くなるだらう。どこかいゝ宿はないかね」
「妾よりお前さんの方が街のことは詳しいぢやありませんか。自分で直ぐお探しよ」
成る程さうかも知れない。この女はお寺で、一間先の戶外も見ないやうな尼僧同樣の生活をしてゐるが、俺の方が宿探しなら詳しかつたんだ。
だらしがなくつても、年が若くつても浮浪者には、それだけの不安があるものだ。俺は貧乏者で氣が小さい故か、金のあるうちは、威勢がいゝけれども、なくなると元氣が頗る衰へる。今度困つても遊んでゐるうちは、ちつとも構ひませんよとラリーザ叔母に警告を受けてゐた。その時はへいへい大丈夫です、今にいゝ仕事を見つけて眞人間に立ち返りますと安心させて置いたが、まご\/居食ひしてゐるうちに、早いもんだ。貰つて來た金がなくなつて了つた。その筈だ。アルゼー街のタミス旅館で一泊三法に、朝飯が一法、晝が三法、晚が五法だつた、だから一日平均十法より下ることはなかつた。ヴォジラールのルクセンブル公園から一町ばかりの或鐵道官吏の持ち家の二階を一間借りた時は、財布は空だつた。ナポレオン三世の戀人だつた例のロベスピエールの妹の家や、ラマルチンが泊つた宿といふ家もすぐ近所にあつた。セーヌ河を上下する汽船の笛もよく聞えた。宿が定まると、俺は直ぐコロドナヘ知らせた。翌日彼女が炎天を平氣で乘合馬車に運ばれて來た。コロドナが此家の主婦を捕へて、下手なフランス語で、キヨスキー、キヨスキーと俺の身の上話を饒舌り立てるので、俺は側で冷冷した。
コロドナは勝手に俺の「お母さん」になつた氣で居る。歸りがけに卓上に投げ出して置いた空財布を開けて、
「お金はないの」
と變な挨拶をした。
「ちつともない。なくつてもいゝ」
と云つたら、默つて自分の胸の奧へ手を突つ込んでゐたと思ふと、紙幣を出して、空財布へ詰めやうとするから、
「お前にいつ金を吳れろと云つたんだ。そんなことをすると、今度引つ越したら知らせないぞ」
と脅かして突つ返した。そしたら翌日郵便で送つて來た。郵便の外に小包みがあつた。金を包んだ紙に「お前は何故妾の親切を受けてくれないんです。妾がきらいなのか。きらひならきらひでいゝ。お前さんのことは忘れて了つて、もう一生逢はないから」
とあつた。小包みには新らしい白地の夏服が入つてゐた。値段を書いた名刺が疊み込んであつた。露西亞の田舍者だから、巴里の商賣人に揶揄れたんだらう。追つかけてまた手紙が來た。
「洗濯物を、他人に賴まないやうに一緖に溜て置いて下さい。お僧さんのものと一緖に洗つて上げる、日曜日の晚に訪ねるから」つい先刻は、もうお前さんとは一生逢はないと書く奴が、洗濯もないものだと思つて思はせぶりに俺は日曜の晚外へ跳び出した。コロドナから貰つた金で、イル・デ・シテの岸からエィフヱル塔の下までボートを漕いだ。綠樹が兩岸に鮮やに見えて、眞白な夏服の女が、ぞろ\/葉蔭を步いてゐた。宿へ遲く戾つて、おかみさんに、
「誰か尋ねて來た者はありませんでしたか」と聞くとおかみさんは、いゝえ誰も」と首を橫に振つた。コロドナに噓をつかれたと思ふと、こつちは人惡く家を明けてゐた癖に腹が立つた。俺はこんな我儘者だ。
翌日十二時(晚の)過ぎて、俺はアヅロンさんが銀行の事務員見習に採用するから、我儘を言はず、我を張らずに眞面目に働けと云ふ手紙に對する返事を書いてゐた。いつもなら例の向ふ見ずで、一息に斷つてやるのだが、年を取ると段々人間が意氣地なくなるもんだ。俺は、飢じ腹に、「やれやれ」とすゝめられてて貧乏神に弱虫だと嘲けられて、文學の神樣に銀行に勤めましても決して、あなたは忘れませんと卑怯な言ひ譯をし乍ら、何卒宜敷賴みます、もう無賴漢の生活は懲りたから、ぷつつり止しましたと書いてゐるとき、怪しからん噓吐きだと怒るやうな怒らぬやうな、曖昧な處で拗ねてやらうと構へてゐたコロドナが出し拔けにやつて來て、
「キヨスキー。まだ起きてゐるんですか」
と俺の側へ、倒れさうに、不作法な大きな足を投げ出して椅子に掛けた。
「何だつて今時分やつて來るんだい。」
彼女は額に汗を浮べてゐた。
「洗濯物を取りに來たの。昨日はね、昨日はね。妾寢てたんですよ」
「だから一日待つてたけど、お前來なかつたんだね。」
と俺は噓をついた、するとコロドナは口をすぼめて、意外だと云ふ表情をした。
「ほんたうに?ほんたうに妾を待つてゐたのキヨスキー?」
「噓つくもんか。」
「すみませんでしたわねえ。キヨスキーは妾の破約を許るして呉れるでせうね。」
俺が默つてゐると、彼女は耳元へ來て私語いた。
「妾どうして昨日寢てたか知つてゝ?知らないでやう。それや意外なんですもの」
「知るもんか。そんなことを尋ねるから、お前は田舍者の馬鹿だと云ふんだよ」
「いゝわよ。馬鹿でも狂人でも。妾ねえ。昨日酒をのんで醉つちやつたの」
「お寺で酒を飮む奴があるもんか」
「いゝえ。お寺で飮みはしませんよ。カフェ・デ・カスチョンで」
「カスチョンは、直ぐこの近所ぢやないか」
「ええ。ご存じ?あゝ。お前さんは酒飮みだつたわねえ」
「どうしてカスチョン迄酒のみに來たんだ。何故俺のうちへ寄らなかつたんだ」
コロドナは默つて說明しなかつた。俺は何故この女が酒なんぞ飮むんだらうと考へてみたが、解らなかつた。
「のんぢやいけない?」
「いけないとも。お寺にゐる奴が酒なんか飮んでいゝか惡いか解らぬ筈はあるまい」
「左樣?左樣かしら。神父樣に見つかつて追ひ出されたらどうせうかしら。その時、お前さん此處へ置いてくれるでせうね。キヨスキー」
彼女は電燈の下で紅い顏をしてゐた。
「そんなことはどうでもいゝが、よくこんなに遲く出て來られたね。この間の夏服は有難う。まだ着ないよ」
彼女は、俺が禮を述べても知らん顏をして兩手で顏を蔽ふてゐた。そして苦しい息を吐いてゐた。彼女の唇は火のやうに赤かつた。
「お前今夜も酒をのんでるぢやないか」
俺は顏を支へてゐる彼女の手を引外した。すると彼女は充血した眼を見張つて、微かに頷いた。何處で飮んで來たんだらう。彼女は唇を慄わせた。何か云はうして、また力なく默つて了つた。俺は彼女の顏に不思議な變化が起るのを凝乎と見守つてゐると、やがてコロドナは、卓子を抱くやうにして
「妾お寺から逃げて來たの」
と熱い嘆息を洩した。俺は面喰つて噓だらう。そんな冗談を云つて脅かすなと叱りつけたら「すみません。今言つたのは、噓です」
と一體俺を何處までなぶるんだらう。その晚また恐ろしい接吻を强られて、一晚不愉快で眠られなかつた。何が不足でコロドナは醉つたんだかちつとも解らない。彼女は洗濯物を抱へて淋しい夜の街をセーヌ河を渡つて歸つた。彼女が居なくなつてから、白い薄い皮手袋が落ちてゐるのを發見した。
銀行の口が略定つて、いつからでも出掛けていゝ準備が出來た時、急にその方を斷らねばならなくなつた。それは瑞西の叔母ラリーザがレオマチスで起てなくなつて、手が足りなくなつたからだ。俺は荷物を纏めてコロドナにもポールにも默つてスイスへ行つた。二度目にゼネヴ湖畔に立つたとき、「ルッサウの宿」を觀た。
俺は年を一つ取つた、すると、祖々母が死んだといふ便りが來た。つゞいて、スイスの新聞にトルストイ爺の訃音が載せてあつたが、ほんたうのやうな氣がしなかつた。丁度マリア・ペロヴースカヤが革命運動に來てゐた時だ。俺は慌てゝ旅行の支度をして伊太利のヴヱニスへ出た。
伊太利から直ぐ日本へ戾つた。長崎へ着いたら、大分景色が變つてゐた。無論祖々母の葬式は濟んで、小さい家に祖母が一人で、ぽつんとかたづいてゐた。そこで長崎の中學の三年級へ入れて貰つた。宗敎學校だから、三年にでも四年にでも喜んで入れるんだらう。くだらない學校だから落第せずに卒業したら默つて二十一になつた。俺は露西亞で偉い人間になつて來ると言つて祖母が何と云つても容かずにまた跳び出した。その時、死んだ親爺から死んだお袋へ送つた手紙を纏めて鞄の中へ詰めて、オデッサへ着いた。それからモスクワへ行つた。
俺は暫く音信を絕つてゐたコロドナがまた戀しくなつたから一體あの女は、今年いくつになるだらうと指を折つて數へて見たら、もう三十六だ。
三十六でも馬鹿だから、やつぱり、ぼんやりしてゐるだらう。まだ巴里にゐるかしらと思つて、九年前幽閉された修道女學校を訪ねたら、丁度授業中で少々御待ち下さい、私がこの鐘を鳴らすと先生がいらつしやいますと云ひ乍ら、以前井戶だつた處へ屋根つきの柱を立てゝ、簡單な鐘がとりつけてある奴を下からぐい\/引つ張ると見かけ倒しのしみつたれな音ががん\/と鳴つた。
がんがんと二度鳴らすのが先生を呼び出す暗號だ。入口に立つてゐると、女先生が「どなた?」と顏を出した。
そして突然、あゝキヨスキーでしたか。よく忘れずに來ましたねえ。今ちよいと授業をしまつて來るから食堂で待つていらつしやい。ほんの十分ばかり、すぐだから、すぐだからと慌てゝ引つ込んで了つた。
この女先生ゾウスカさんは、俺の顏を見るとすぐ何處かへ飛んで行つて了ふことにきめて居る。九年前も俺を廢園にうつちやつて置いて、すぐ戾るから待つてらつしやい、妾はぺトログラードヘ行つて來ると行つたのはよかつたが、到頭歸つて來なかつた。鐵砲玉みたいな女で、惡い癖だ。今度は十分間だと云ふから大丈夫だらう。俺はベル鳴らしの爺さんに話しかけた。
「お爺さんはいつ此處へ來たの」
「三年になります」
「その前誰がゐたか、知つてるかね」
「イワノーヴナ婆さんがゐましたよ」
「その前は?」
「知りません」
爺さんは「ヤー・ニズナーユ」と云つて切つて終つた。俺は廢園の方へ廻つた。ヅブ樫もソースナ松も榛も依然として舊態のまゝだ。只石垣が繕はれ、庭が手入れを施されて、綺麗になつてゐた。厩の屋根は地上に立つて、俺の肩がつきさうになつてゐた。早いもんだ。もう九年になる。厩の壁を俺がナイフで刳つた痕だけ殘つてゐた。俺は小學校も訪ねて見たが、反つて、窮屈な月日を送つてゐた此方の方が餘つ程懷しい。殘念に思つたのは、隣りの窓からナタリヤの蒼い顏が見えなかつたことだ。あの時コロドナが、娘は肺病で死んだと云つたが、死んだのが眞個で、「巴里へ行つたら逢へる」と云つたトルストイ爺さんの言葉が噓なのかも知れない。こゝであの娘が窓から顏を出して「キヨスキー、屋根の上で獨樂を廻して頂戴」と來るなら小說になるだらう。小說にはなか\/手輕にぶつ突からんもんだ。窓は昔の扉が昔のまゝに寂しく閉ざされてゐた。厩の屋根の上でよく獨樂なんぞ廻したもんだと感心してゐると、鐵砲玉のゾウスカさんが、食堂の入口で「キヨスキー。キヨスキー。」と呼んでゐた。食堂はまるで變つてゐた。卓子が隅へ位置を替へてサモヴァールの側に立てゝあつた聖像の額も何處へ逃げ出したか、なくなつゐる。棚も釣り替へてあつた。いつもコロドナが編みかけの毛絲の球を乘せて置いたパン函もお廢止になつてゐる。その頃此處に通つて居た女の子は、もう皆一科の尻さんになつて働いてゐるだらう。こう色々の物が昔の姿を失つてゐるのを見ると、何だか自分ばかりがいつまでも眞人間になり得ずして、下道の世界をうろつき廻つてゐるやうな氣がして恥しい。
「ロロドナは今何處で何をしてゐますか」
實際俺はコロドナの其後の消息を知りたいばつかりに、見たくもない鐵砲玉のゾウスカさんの皺顏を見るんだ。
「コロドナ──あゝ。あの人は今ペトログラードに居るさうです。」
さうだらう。とてもあの、ぐうたらぼうでは巴里の寺院に辛棒出來るものぢやないと思つたから、
「ペトログラードで何をしてゐるんですか」と尋ねた。ペトログラードに居るなら、どんなことがあつても一度逢はう。巴里なんぞに居ると聞いたら、がつかりする處だつた。
「フォンタンカの冬園で洗濯女に雇れてゐるさうですが、晝間はポシルニーの傳達會社へ通ふさうです。詳しいことは知りません」
とあまり晴々しい顏をしなかつた。
「なぜこの學校へ戾つて來ないのですか」
「女は雇はぬことにしました。ことにあの人はユダヤ人ですから、生徒が嫌うんです」
然し九年前彼女は、自分が一番生徒間の受けがいゝと言つた。どちらが眞個だか解らない、あの女はよくゾヴスカさんと口論したさうだから、それが嫌なんで、コロドナの方でも巴里へ跳び出したし、露西亞へ戾つてゐることが解つても、鐵砲玉の方で、此處へ寄せつけないのだう。
俺はゾヴスカさんに恨みはないが、好きかと云へば、嫌ひと答へる。俺は瘦せた女と、眼鏡をかけた女は蟲がすかぬ。ゾヴスカは瘦せて眼鏡をかけてつんと濟ましてゐる。こんな枯木のやうな女より、ユダヤでもコロドナの方が向き合つてゝ感じがいゝ。コロドナは美人ではないが、この人よりずつと愛嬌があると思つた。
その晚ペトログラード行の切符を買ふのに停車場で二十留出したら二〇コペック釣錢を吳れた。十時間ばかり大きな汽車に搖られてゐたら、ペトログラードのニコライ停車場へ着いた。馬車を驅つてスワ゛ロフ街へ向つた。
スワ゛ロフ將軍の立豫の近くだから、タニャの家はすぐ解つた。久し振りで逢つて見と、伯父もタニャも半白髮を交へてゐた。スイスの叔母だけが、親爺の兄弟の中で一番老けてゐると思つたらさうでない、皆んな老ひ込んで了つてるんだから滑稽だ。コロドナだけは、まだ娘のやうな顏をしてゐるやうに思はれてならなかつた。
今度は落ちついて此市で勉强する覺悟で來たんだと言つたらタニャも伯父もお前はやつぱり親爺の國で成長しなけれや駄目だ。第一その靑い眼と灰色の髮を擔ぎ廻つたつて、日本ぢや相手にしまい。それより、お前は露西亞の學校を出て露西亞の官吏になつて、露西亞の女を妻君に迎へた方が出世する。お前は早く妻君を貰はなくつちいけないとすゝめた。
露西亞に來ると日本へ歸りたくなるし、日本に一年も居るとたまらないほど露西亞が戀しくなる。俺は二つの血に死ぬまでかうして引き廻されんだらう。
伯母も伯父も猫一件は忘れたのか今になつて、俺を責めたのが氣の毒になつたのか、九年前とは、待遇が違つてゐる。地獄へ行かないやうに神樣へお願ひしたから、心を入れ直して立派な靑年になつて來たと思つたのかも知れない。……三度目にコロドナと逢つたとき彼女は「モドヌイヤ」を喫かしてゐた。そして今度は平氣で俺に口說きかゝつた。
話は大分飛ぶが俺は露西亞革命までペトログラードにゐた。ユダヤ女コロドナとペトログラードを退散するまで同棲してゐた。スイスから送つて呉れる學資はコロドナの帽子になつたり指環になつたりして、俺は學校へ出ない日が多かつた。「マルイ劇場」や「ミハイロヴスキー劇場」に入りびたり入つてゐたのもこの時分だ。
コロードナに引つかゝつてゐるうちに、露都は革命の巷と變つた。俺は學校からの歸途モスクワ大學生の包圍を受け、大學生の群に投ず可く强迫された。裁判所を襲ふた時に占領した黑自働車を驅使して、砲煙の下を縱橫に飛び廻つた。アドミラルスカの街頭で屠られて轉つてゐる二百にあまる市民の死骸の上を、ごろごろ軋り乍ら、車の上から盛んに發砲したときは、痛快は痛快でも流石に怖かつた。
「赤い月曜日」が漸く夜に入る頃、俺はモスクワ大學生と別れてコロドナの家に戾つた戾つてゐると、忽ち銃聲が起つて、コロドナの宿の近くは、殆んど晝間この邊へ追い込まれた巡査隊に包まれて火を放たれやうとしてゐたから、俺は驚いてコロドナに伯父の家へ避難しやうと云ひ出した。
四邊の狀況が既に危險に迫られてゐるのを發見したコロドナは、それでは連れて行つて下さいと云つた。二人はかくして闇の中へ跳び込んで、ネヴカ河へ向つて走つた。
コロドナと俺は、大ネヴカ河畔アンドレエ修道院の前まで逃げて來た。
「もう大丈夫ですよ。キヨスキー」
「後ろは大丈夫だらうが橋が渡れるかしら。」
「もしいけなかつたら、此處へ一夜隱れてゐやうぢやありませんか。」
と修道院の中を覗きに行つたコロドナが、
「尼さんが殺されて窓の下に倒れてゐる!。」
と云ひ乍らも年增の癖に、娘のやうな樣子をして顏を蔽つた。ほんとうに十七歲ばかりの尼僧が銃殺されたと見えて死んでゐた。一匹のボルザヤ犬が、潰れた顏のあたりをくん\/嗅いでゐたから、ぞつとして門の外へ跳び出した。
よく見ると、門には、恐ろしい力に屈した痕が殘つてゐた。暗い窓の鐵格子と玻璃とが、かき挘られ、聖畫像にさゝげてある釣燭臺が、歪んだまま、辛うじて鐵鎖に、からまつてゐた。
夜に入つて、市街は寒霧の底へ沈んでゐた。折々コサックの銃聲が、烈しく、どこからともなく轟いて來た。
恐ろしい晚だ。
銃聲は忽ち濃霧に遮られて了ふ。橇やドロシキーは既に通行をやめてゐた。二つ乍ら通行出來ない程危險だつたからだ。俺とコロドナは狂犬のやうな形で、慘劇の跡の暗い街の路次をぶら\/步るき乍ら、、後ろを振り返つたり、霧の底をすかして見たりした。
すると、何處かで、突然、
「パピエーダ。パピエーダ」
と犬を呼ぶ女の聲がした。俺と彼女は工場と煉瓦塀の假監獄の通りへ出た。假監獄は數時間前に解放されて、囚人は逃げ落ちた跡だつた。逃げそこねて、コサック兵や憲兵に銃殺されたのが、門際や、高い壁の下に、ごろごろ轉つてゐた。
アルセナリの前へ出ると、愈々ネヴカの流れへ出て了つた。ネヴカはこの火と硫黃の大市街の心臟を貫く氷河だ。
晝間、この邊一帶を黑自働車に赤い旗を立てゝ駈け廻つた時は、流氷は、少かに解けてゐたが、今見ると鋼のやうに凍りついてゐる。
「お前この河を渡るだけの勇氣があるか。コロドナ」
「渡らなくつて!折角一生懸命でこゝまで遁れて來て、こゝで悸けちや無駄骨ですよ」
俺はこの女の度胸のいゝのに感心した。
「俺は今日お前の家を出る時、牛乳を飮んだつきりで、何にも喰はないでゐるから、腹がぺこ\/に減つちまつた。お前何か口の中へ入れるものは持たんだらうな」
「そんな贅澤云ふもんぢやありませんよ。金はあるけど」
「困つたな。兎も角も橋を突つ切らう。そしたら何かあるだらう」
河岸へ出ると、突然、向岸のウォスクレセンスカヤ街で、消魂しい銃聲が起つた。するとコロドナが、俺の腕を捕へて、
「あれ、人が……人が殺された。キヨスキー。キヨスキーあれを御覽」
と叫んだ。俺は向岸の街燈の下を見た。俺の充血した目に映つたのは、岸からコサック士官の長靴に蹴落された男の死骸だつた。死骸は河面へ落ちて、する\/\/と一間ばかり滑走した。
いつも海のやうに波うつ河が、街頭燈の光を茫々と亂射してゐる景色はこの氷流の深層に、苦悶のまゝの姿で、夥しい生物が、幾重にもかさなり合つてゐることが想像の出來ぬほど、物凄く美しかつた。コロドナのあとから警戒し乍ら、アレキザンドル橋を渡らうとする時、
「止れ」
と、橫合の暗い鐵柱の蔭から咎められて、殆んど、すくみ上つて了つた。俺は向ふ見ずの無鐵砲な男だが、膽が小さいから、不意に止れと怒鳴られたときは、どきんとした。
處へ舊式のマキシム銃を擔いだ兵士が飛んで來た。よく見ると、一人は六十前後のよぼよぼの俄兵士で、今一人は若僧だ。二人とも、垢光りのする毛外套を着込んで寒さうな顏をしてゐる。
惡い奴に出逢つたと思つたが、後の祭だ。愈々この橋の袂で犬死だと覺悟して、俺は二人の隙を狙つてゐた。女を見ると、忌々しい、俺よりも、よつぽど落ちついてゐる。突然、勞働者と學生と滿載した帆かけ橇が、さつと橋の下を潛り拔けて行つた。
二人の兵士は、まづコロドナを捕へた。
「おい。美しい眉毛のない妖女!山鷸の若情婦!お前は天國のどこから天降つて來たんだ。」
「ザローフ伯父さんの家から、戾るんです」コロドナは出鱈目を云ふ。そして老兵士の手を振り放した。今度は若僧が俺につつかゝつて來たから、俺は大學生だ。人民の味方の大學生だ。と云つて、自動車の上で分配にあづかつた木綿の赤リボンを出して見せた。するとこの女はお前の何だと尋ねる。人を馬鹿にすると思つたから、正直に、
「俺の情婦だ」
と怒鳴つた。すると、
「情婦?お前のお袋ぢやないのか」
と愈々人を馬鹿にすると思つたが、實際、年が十五違ふから、ほんとうに、戀人だの情婦だのと云つたつて誰も左樣だと受け取るまい。こんな奴にかゝはり合つてゐられるものか。
「美しいお姫樣。行つて寢やうぜ」
といきなり老兵士がコロドナを抱かうとした。コロドナは例の恐ろしい腕力で老兵士を雪の上に突き倒した。同時に、此處だと思つたから、俺は若僧の銃を力任せに引つ奪くつた。
思ひ出しても身慄いがする。俺は銃の尻で、若僧を二三度毆つたら、彼は雪の上にへたばつたまゝ、ごろ\/轉げ出した。
「キヨスキー。早く。早く。」
コロドナと俺は河の中へ銃を棄てゝ、夢我夢中で橋を突つきつた。
「駄目だ、駄目だ。橋を渡ると射つぞ」と後ろから老兵上が頻りに叫んでゐたやうな氣がする。俺はミンツ橋や、トロイツキー橋が封鎖されて、對岸へ行くには、どうしても通行稅五留を拂つて此橋を通らなければならぬことを知つてゐたから、五留拂ふだけの餘裕はあつたが、老兵士や若僧の云ふことが、癪に障つたから、毆り倒して逃げたのだ。
ウォスクレセンスカヤに出た時、「まあ、よかつた。死なずに濟んだ」とコロドナが俺に獅噛みついた。獅噛みつく段ぢやない。やつぱりこの女は馬鹿だ。それから、キロチナヤ街から、行路死人の掃きだめ揚になつてゐるタブリダ公園へ入らうとして、行手に物々しいカザーキ隊が現はれたから、バセジナヤの四邊まで魂を跳ばせて一氣に駈け拔いたら、
「キヨスキー。妾はもう動けなくなつた」とコロドナがべそを搔き出した。こんな時、驅け落ぢやあるまいし、女なんぞ引つ張つて來るのが惡いと思つたが、また、女の宿が、見す見す巡邏隊に包圍されるのを見てゐながら、自分だけ姿をくらますのも男らしくない、少なくとも妻同樣の彼女を放つて置く譯もないと思つて、危ない道連れにして來たのだ。
低い雪雲とすれ\/に、白堊や白煉瓦の商店の軒の下を傳つて、圓い石を埋めた、破壞後の電車道を急いだ。時計を見ると十時過ぎてゐる。家々は悉く戶を閉してゐた。往來は火事場の後のやうだつた。俺とコロドナは、そこに黑い物影を見たり不意に足音を聞く度、何遍十字を切つたか知れない。バセジナヤから、ぐつと左へ折れて、右へ曲がるとリゴヴスカヤだ。
俺の伯父の自宅はリゴヴスカヤ街にあつた。ブルーシロフ將軍の邸から七八軒目だ。何でも、コロドナを引き摺つて、無茶苦茶に突喊して居つたら、サゴロードニの見晴しで市民兵の裝甲自動車に出會して、ひやりとした。市民兵でよかつた。これが、巡邏か憲兵隊だつたら、今この話は書けないだらう。
路傍には硬化した男や女の屍が、他愛もなく重なり合つて雪漬けにされてゐた。ニコライ橋の屍體假收容所へ明日にでも廻されさうな生々しいのもあつた。リゴヴスカヤヘ曲る辻で、七八人の勞働者が、焚火を圍んで銃を五六本組み合せ、まん中に鼠の死骸を十匹ばかり釣るしてゐた。
多分あぶつて食ふのだらうと思つて通り過ぎやうとしたら、勞働者連が、
「クデー・ルスキー・ラゲリー。アセドライ・ローシャチ!あはつはつは」
と何處かで聞きかじつた兵士の號令の眞似をして、どつと笑ひ崩れた。そして、俺を呼び止めて、
「俺の親愛なる友達。お前はセルゲイ宮の前で巡邏の騎馬隊に出逢はなかつたか」
と云ふ。俺は否と答へた。コロドナが側から、早く伯父さんの家へ行きませう。妾何だか怖くなつたわと急に焦り出した。處へ突然四辻から慌しい蹄鐵の響が起つた。同時に、轟然たる銃聲が聞えた。
「騎馬隊だ。騎馬隊だ。地獄の犬め!くたばり損ひ!」
「やつつけろ!」
恐ろしい喧騷の中から、勞働者の方でも、火蓋が開かれて、其に物凄い深夜の應戰が始まつた。俺はコロドナを引つ張つて伯父の家へ駈け出した。一步二步三步、雪を蹴つて駈け出した時、コロドナが雪の上に、ばつたりのめつた。慌てゝ抱へ起さうとして彼女の顳顬に過まつて手を觸れると、俺の三本の指の叉へ血が流れて來た。
「コロドナ。コロドナ。どうしたんだ。起きろ。早く駈けるんだ。起きろ。起き」ろ俺が彼女の顏を覗かうとしたら、彼女は俺の靴へ捕まつて仰向けに倒れた。額から胸の白い襟にも血が落ちてゐた。
銃聲は烈しく轟いた。雪を掬つて飛ぶ銃丸の呻りと「ボルジョム天然カウシヤ鑛泉。露西亞紳士は誰でも飮む」のガラス窓を劈く裂音が續いて起つた。巡邏が鞍から落ちる劍の音も聞えた。
コロドナは何とも答へずして俺の長靴を捕へて放さなかつたが、ふと彼女の髮の生え際を撫でゝ疵を見た時、俺は跳び上つた。彼女は顳顬の少し上の頭骨を通貫されてゐたのだ。恐らく銃丸は頭の中へ埋まつてゐただらう。そして苦しまぎれに俺の長靴を摑んだんだらう。死んだと思つたが、それでも三間ばかり俺は屍をずる\/引摺つて行つた。そして迚もつゞかぬと思つたから、獨りで逃げ出して、伯父の家へ垣を破つて跳び込んだ。翌日モスクワへ遁れた。
そから日本へまたやつて來た。何だかまだ充分にコロドナの死を見極めなかつたから、暫くしてから、甦へつて、今でも達者で生活してゐるやうな氣がする。然しそんな筈はない。確かに彼女は死んだんだ。
コロドナは幼ない時モスクワの修道院に拾はれた女で、親も兄弟も何處にゐるか解らない。或は居ないのかも知れない。彼女が死んだつて可哀相だと思ふのは俺位なもんだ。ユダヤの女には、えてこんな運命の女が多い。
日本へ歸つた俺は直ぐ京都の高等學校へ入つた。間もなく日本人の妻を貰つて東京へ來た。この間西伯利へ出掛けて歸つたばかりだ。今度は落ちつかうと思ふ。妻を貰つたら、妾はもう死んでもいゝと祖母が云つた。
予は最初これだけ書いたのである。すると物好きな世間が、景氣よく拍手してくれたから、少なからず面喰つてゐる處へ、もつと先をお書きなさいと、おだてられ、そんなら書きませうと答へて、話の先をつゞけた。拍手の序だから、奮發して喝采を添へてくれるだらう。以下の話をとり敢へず後編とする。
京都時代
俺の話は東海道のやうに眞つ直ぐだ。
長崎へ歸つた年の夏、故鄕の中學で友達になつた圭吉と二人で京都へ高等學校の入學試驗を及第に出掛けた。長崎から京都まで可なり長い道中を汽車の中で圭吉は親切に俺に漢文を敎へて吳れた。今でも感謝してゐる。
處が試驗なんてものは不思議なもので、危ないと思つてゐた俺が及第して、落ち着いてゐた彼が落第したから俺は申し譯がなかつた。試驗の前の日、實は圭吉が「俺だつてビールの半ダースは造作なく飯める」と威張つた。俺は酒の上で他人に壓倒されるのが嫌だから、「よし。のんで見ろ。夕飯を食つて、洗湯へ行つた序に散步をするから、その時のんで見ろ。のめたら偉い。試驗は合格だ。」とけしかけた。
すると彼は「よからう」と、肩を聳かして、ビールの半ダーズ位、樂に片づけさうな氣勢を示した。圭吉の方では俺が奢るのだと考へたらしい。俺の方でも奢る積りでゐたんだから。
俺と圭吉は岡崎の下宿屋を出た。大極殿の松林を通り拔けると、必ず疏水へ出る。其處を智恩院の方へ出た。圭吉は濡手拭と石鹼とを兩手に握つてゐる。俺は二十八圓入りの蟇口を袂の外から、握つて步いた。
圭吉は英語が下手なので、いつも懷に變な本を隱してゐた。
俺は、今でも左樣であるが、漢文と來た日には全で解らなかつた。俺は外國で敎育を受けたから、漢字に打つつかる機會がなかつたんだ。その代り西洋の漢文を知つてゐる。知つてゐるだけで何の足しにもならぬ。
この際圭吉に倣つて、俺も懷へ漢文の種を潛ませることを知つてゐるが、面倒臭いから、吹き通しにしてゐた。
粟田口で「お前も京都は始めてなんだね」と圭吉に言つた。「さうだともその代り臺灣なら何遍も行つたぞ」と答へた。彼の故鄕は臺灣の基隆にあるんだ。親爺は其處の小役人ださうだ。
圭吉が中學に居る時、夏休みに臺灣へ行つて來た。生れつき色の黑い顏に物凄い艷が出た。その顏を其儘持つて歸つたものだから、アメリカ人のホヒラオと云ふ英語の敎師が仰天して、「お前は一體何處へ行つたんだ」と尋ねた。すると圭吉は言下に I am Taiwan ですと答へて、はつはと笑つた。今でも、これで差し支へないと思つて居るだらう。
彼は柔道が旨い。脊が高くて、橫が張つてゐて、よく人を毆る癖があつたから受持敎師が恐れをなして彼を級長に推選すると、根が正直だから、大きな圖體に赤いネル製の櫻の花を貼りつけて貰つて、他愛なく腕力を振り廻して喜んだ。卒業試驗の時、同病相憫むんだと稱へて、敎師の目を盜み乍ら、俺の英語の答案と彼の漢文の答案を交換したから、たとへ尻の方でも、首尾よく卒業出來たんだが、さもなければ、何遍落つこつたか知れやしない。その時こそ、二人は心得べきことを心得てゐる體になつてゐたんだが、その實、圭吉は英語を知らんし、俺は漢文を知らなかつた。
散步をする途中で酒を飮む積りでゐたが、京都は不便な處で、バーもカフェーもない。
智恩院の山門と尼さんの學校の間の狹い路を、多分こつちへ行けば淸水へ出られるだらう。そしたら酒を賣る家があるだらう、あの通り、八坂のパゴーダが見えるんだがと、丸山公園から祇園へ拔けた。すると、圭吉がパゴーダつて何だいと平氣で尋ねた。
淸水寺に漸く着いた。音羽瀧茶屋で、約束通りビールを五本づゝ飮んだ。三本目の栓を拔くとき圭吉が突然「試驗なんて屁のやうなもんだ。心配するな、大丈夫だよ」と嘯いて見せた。 英語は知らなくても元氣のいゝ男だ。五本のビールを到々飮み盡して了ふと、「醉つた。醉つた。試驗なんて、試驗なんて屁のやうだ」と都々逸をやつて、赤毛布の上に正體を失つて了つた。
俺は茶屋の婆さんに賴んで、寺を一囘巡つて戾つたが、まだ寢てゐた。翌朝試驗を受けたが、頭がぴん\/鳴つて敵はないとこぼした。生憎その日に英語が、から駄目だつたさうだ、俺は何だか氣の毒で仕樣がなかつた。
翌年漸く圭吉は入學を許された。けれども酒の上で、決して强情を張らない、酒は俺が强いと云ふことに定つたのもその時分からだと思ふ。
寂しいと言ふことが直ちに美しいと言へるなら京都は美しい町に違ひない。金に屈託がないと、王城花に埋れて、洛水春の影長しなどゝ優美に形容する筈であるが、どうも俺の懷の立場から見ると、幾千年前から降りつづけてゐる氷雨に叩き落された栗の朽葉が、地面に縋りついたまゝで町一面に化石しかけてゐるやうに冷やかだ。南禪寺は松の名所で、左へ行けば祇園、右へ行けば如意ケ嶽の麓の白川へ出る。俺は滅多に左へ行けない。
俺の小屋を見下ろす黃色い木犀の花がこぼれつくして、栗のいがが目立つ後から、比叡颪が小屋を脅やかしに來る。突然雨が降る。御陵の土饅頭を掠めた雨が堂の落書を消しに來る。參詣人が俺の小屋へ雨宿に來る。寺の厠と間違へて來る。
町を通ると、暗い家の暗い窓口に、よく女の白い顏を見ることがある。あつと氣がついて立ち止ると、顏が引つ込む。たまには、こんな女も駈け込んで來ればいゝ。
俺は學校へ行かないで、每日死人とお寺の番をしてゐるやうな氣がした。他人が見たら、まるで天下茶屋の仇討先生が非人に落ちぶれて山門の下に、敵の來るのを氣長に待つてゐるやうな形に見えたらう。
世界大戰亂で、カイゼルやロマノフも困つたらうが俺も弱つた。何しろスイスのラリーザ叔母から一文も送つて來なくなつた處へ、俺の持ち金も殆んど失くなつて了つた。スイスの叔母は前に書いたやうに露西亞人の學校を建てゝゐた。それが戰爭のために閉校したから、金は當分送れないと云つて來た。俺の生涯を通じてこれ程效目のある打擊はないだらうと思ふ。
すつかり弱つて了つた。金が貰へなければ學校は廢さねばならぬが、折角漕ぎつけた此處で浪人に逆戾りするのも男らしくない。故鄕には祖母がゐる。祖母は一人で食つてゐる。
この年になつて祖母に食はせて貰ふのも不面目だし、ぼんやりしてゐると、明日の米にも差し支へるやうに窮迫して來た。
そこで俺は圭吉に相談をした。何故圭吉に話を持ち込んだかと云ふと、彼は、臺灣の親爺から送つて寄越す金で食べて學校へ行けない。それに、時々自分の伜が京都にゐることを忘れると見えてゝ月によつては一文も送つて來ないことが屡々あつた。その用心に、彼は夜間だけ京極の靑年會館の小使ひに傭はれてゐたんだ。
靑年會館では困つてゐる人間に職業を世話するさうだから、兎も角も一番先に駈け込んで見たが、苦學生の內職は何にも見當らない。幹事が俺の顏を觀察して「そんなにお困りなら、學校を退いて、神戶の棧橋で毛唐の客引をしたらどうです。それだと、ミカドホテルから賴まれてゐるから、いつでも、世話して上げる。何。此處から神戶まで、汽車で僅かですよ。それが一番適業ぢやありませんか。」
と吐かした
「學校を退く位なら、苦勞はしません。大きにお世話樣」
と云つて歸つた。京都なんて云ふ處は、お寺の修繕だけ喜んでする處だ。
俺は小さい時から困り通しに困つて來た。が、さて明日から食ふ米がなくて、突差の間にどうしやうかと思つて、途方に暮れたことは、さうたんとない。
あると云へば、巴里のリセーを追ひ出された時と、この時と、東京で原稿を斷はられた時だ。
東京の話は、それから後のことだから、此處で披露すると、話がしどろもどろになる恐があるかも知れない。然し大體が、筋も骨もない、のつぺらぼうの自敍傳だから、どうせ書くなら十年前のことも廿年先のことも、何だか、今朝見た夢のやうに、ごた\/と、人樣に解り難く、廻りくどく一本調子に列べてお目にかける方が俺に取つては大變都合がいゝ。
東京へ逐電して間もなく、食ふに困つて、小使錢に困つて、家賃に困つて、酒代に困つて、日本で思ひついた最初の原稿を買つて貰はうと思つて、「新小說」へ出掛けた。
俺は垢だらけの着物を纏ふてゐた。俺は通り三丁目迄步いて春陽堂の店頭に立つて、ご免なさいと云つた。俺は昔から見ず知らずの家へ、臆面なく出掛ける癖がある。乞食さへしなければ、どんな場所へでも、平氣で出かけて差し支へないものだと思つてゐる。圖々しいと云ふ方の性質だらう。
番頭が出て來て
「何か御用ですか」
と俺の着物を見た。俺は日本の文壇を知らない。枕草子の作者が淸少納言であつて、徒然草の作者が兼好法師であることだけ高等學校で敎つたから餘儀なく知つてゐる。だから、無論知名の文士で俺を知つてゐる者もない代り、不幸にして俺の方で知つてゐる文士もない。從つて本屋の店頭から一步を疊の上へ乘り出して行くために必要な紹介狀もない。どんな物を書けばいくらに買つて吳れるのか、文士でなければ、相手にするのかせぬのか、その邊の消息も知らなかつた。今でも知らない。せめて、紹介狀の代りにと思つて、勿體ない頭を惜しまず下げてやつた。
「編輯のお方はいらつしやいますか」
「編輯のどなたですか」
「誰でもいゝんです」
「貴方樣は何と仰有いますか」
俺は昔から名刺を持たないで成長した男だ。この位贅澤な玩具はないと云ふ考へから、其時も持ち合せてゐなかつた。幸にしてこの番頭氏が穩やかに見えたから、疊の上に落ちていた紙ぎれに、鉛筆を借りて姓名を書いて渡すと、番頭は名刺と俺の顏を比べて、不思議さうに頭を傾け乍ら穴の奧へ潛り込んで、やがてまた鼠のやうに首を出して、
「何卒御上り下さい」
上れと云ふから俺も鼠の眞似をして、上つた。後で考へてみた。鼠のやうに體をまるめて這ひ込まないと、頭と足が穴の入口に突つ張つて入れないんだ。番頭氏は餘程鼠の修養が出來てゐると見えて、譯なく、ちよろ\/と出たり入つたりする。
西伯利監獄の窓は丈夫な鐵の棒で囚人を逃がさぬやうに出來てゐるが、此處のは鐵の棒がない。逃ぐる心配がないからだらう。其の中で、俺と編輯者とが相對して坐つた。俺はこんな時に狼狽へる性だから、到々初對面の挨拶を忘れて、
「昨日明治座で松井須磨子の『生ける屍』を見ました。その以前私が露西亞に居りますとき、露西亞の俳優が演つた『生ける屍』を何度も見ました。今、露西亞の芝居と日本の芝居とを見て、色々面白い處を發見しましたから、それを書かうかと思ひます。つまり、印象の差であります。新小說に御願ひ出來ないかと思つて御伺ひに上りました。早く云へば、日本の俳優の演り方と、露西亞俳優のやり方の違つた點を書くのであります」
その時「生ける屍」が流行つてゐたんだ。白秋と云ふ詩人が、「行かうか、戾ろか、オロラの下を」などゝ奇妙な唄を造つた時である。俺が一人で、あまり旨くもない日本語を操つて來た頃、編輯者は、彼の堂々たる態度を寸毫をも崩さずに、忽ち
「君は一體何だい」
と來た。俺は腦天から鐵槌で一擊を食つたやうに感じた。俺は答へた。
「日本人でございます」
「日本人?ふむ。日本人にしちや少し變だね」
「親爺だけが露西亞人でございます」
「左樣だらう!」
左樣だらうとは手酷い。
「先生は失禮ですが、お名前は?」
「最中と云ふんだ」
「はあ」
俺は恐れ入つて控へてゐると、「最中と云ふんだ」が
「原稿は出來てゐるのかい」
「いゝえ。まだ、これから御相談の上で、書いていゝと仰有つたら書きます」
「左樣か。それで、何かい。君は一度何か書いて雜誌へ出して貰つたことがあるかね」
「どういたしまして、まだ一度も」
此處に至つて彼の態度が俄かに猛威を加へて、俺の頭上から壓迫して來た。俺はいよいよ恐れ入つて了つた。
「君は全體日本語で文章が書けるのか。先刻から話を聞いてゐるが、どうも、はゝゝゝ。解り難いね」
こうなると、もう笑はれても、毆られても、引つ込めない。
「少しは書ける積りです」
「少し書ける位で、『生ける屍』のやうな非常に複雜な心理を扱つた劇の善惡を批評するといふのは間違つてゐる。大膽過ぎるぢやないか。まあ見合せて置いた方がいゝだらう」
大膽過ぎて、間違つてゐるから、無勝手にぽか\/出向いて來るんだ。その位の事は本人ので方、百も二百も承知してゐる。然し此處へ來て罵られたお蔭で、「生ける屍」が複雜な心理を捏ね廻した芝居だと云ふことを敎はつたから、有難うございますと禮を云つた。
最後に、俺の話は物にならず、穴倉の二階から、塵と一緖に掃き落されて歸つた。俺はもつと大膽な筈だつたが、後で考へて見ると足の裏から指先へかけて、泥がべつたりとついてゐたんだ。ハンカチの嫌ひな俺は、春陽堂の店頭で、一寸着物の裾で拭いたが、いくらか狼狽てゝ居たから、半分泥を殘して上つた。店先から、穴倉まで疊の上に足跡がついてゐた。愈々「最中と云ふんだ」編輯子を向ふに廻して强談判にとりかゝらうとすると、ぼろ袷の裾蔭から、大きな、大きな十三文半の驚くばかりの足が泥つきのまゝで、龜の首のやうな指を揃へて出てゐたから、氣がついて眞つ赤になつた。その刹那に俺は日頃の勇氣と無遠慮とを失つたんだ。でなければ、もつと氣焔を吐いた筈だ。俺は、人間が、がさつでも流石に上品だから、足袋の爪先が摺り切れてゐたり、指の頭が汚れたりしてゐるのを人に見られるのが苦になる。
その次に早稻田文學へ行つて、同じやうに中村閉口から斷はられた。丁寧に門の外まで出て來て追つ拂つた。二人ともいやな奴だ。「生ける屍」が何だか知らないんだらうと思つて引上げた。この位困つて行き詰つて、家へ歸れずに往來で思案に暮れたことはない。つい其時の苦しさを思ひ出して書いたら、到々こんなに長くなつた。
自敍傳の方から云ふとまだ東京へ來てゐない。京都で浮ばふと沈まふかと藻搔いてゐる處だ。取り敢へず京都の南禪寺の境內へ戾る。俺の小屋は石川五右衞門が隱れてゐた山門から遠くない。五右衞門が生きて居たら、可憐さうに、日本人とも西洋人ともつかない書生が門の下に恐縮してゐると思つて、彼は貧乏人に物を吳れて喜んだと云ふから、俺にも學校の月謝位は喜捨して吳れたらう。
俺はメリケン粉に湯をぶつかけて、辨當箱の中で捏ねて、團子を拵へて飢を凌いでゐた。そのメリケン粉が盡きやうとした。つまり俺の露命が細くなる頃、圭吉が飛んで來て「よろこべ。よろこべ。英語敎授の口を探して來た。中學生がお前にリーダを敎はりたいといふんだ」
と云ふ。圭吉は米を食つてゐるので元氣がある。何處で、どんな男に敎へるのか、篤と云ひ渡さぬうちに、
「これから直ぐ出掛けやうぢやないか。俺は寒くつてやり切れん。早く行かう。金儲けだぜ」
と、心細い俺に外套を脫いで被せたかと思ふと、俺に向つて續け續けと云ふやうな格好をして、南禪寺から京極まで、むさゝびのやうに飛んで行つた。
基督敎靑年會館の三階の屋根裏に彼の巢があつた。俺を其處の暗い二疊敷へ、引摺り込んだ。
五燭の電燈の下に、二十歲前後の男がかしこまつてゐた。俺が部屋の中を覗いたとき、この男は垢じんだ前掛けの下へ兩手を突つ込んで、默禮した。俺は一見して、いやな、死人のやうな不景氣な顏をした、小汚ない男だと思つた。
「圭公。この人か。俺に物を習はうてのは」
「左樣だよ。これが大泉先生です」
と前掛けの男に圭吉が俺を引き合せた。こんな前掛けに、先生だなんて第一滑稽だ。
「お前は中學生だと云つたぢやないか」
と圭吉に言ふと、突然、今迄かしこまつてゐた前掛けが、
「わてえ。中學生だつせ。」
と哀れな聲を出したから、意外だつた。
「君が?おい圭吉。京都の中學生は、頭を角刈りにして、外へ出るときは、みんな前掛けをしめてゐるか」
「さうかも知れない。何でもいゝぢやないか。折角會館へ賴みに來てくれた人だから、敎へてやれよ」
「それは構はんがね。君は中學の何年生です」
「三年どす。」
「幾歲になりますか」
「當年二十一歲どす」
して見ると俺より二つ下だ。三年生で徵兵檢査だとすると、屹度二度位落第したに違ない。容貌が何となく低能に見える。
「今日から每晚此處へ來るんですか。君の家は一體何處ですか」
「京都市どす」
「京都市は解つてゐるが、京都の何處です」
「九條」
「へえ。そんな處から每晚通ふつもりですか。偉いね」
「はあ。自轉車だと譯のう來られますさかい」
「成る程、自轉車か」
すると前掛けが、卑しい聲で
「今晚から敎へて貰ふとしまして、月謝はなんぼにして貰ひまほか」
と云ふ。すると突然机に腰を掛けてゐる圭吉が橫合から口を出して。
「三圓五十錢位でいゝでせう?なあ君。それで敎えろ」
「三圓五十錢?偉う高いなあ」
と前掛けが目を見張つて圭吉を振り向いた。
「わてえの學校が、あんた二圓で敎へて吳れまつせ。三圓五十錢は高いなあ」
圭吉が個人敎授は學校の月謝より高いのが通り相場だと云つたが、前掛けは、偉う高い、偉う高いで頑として容かない。俺は癪に障つて、もう敎へるのは嫌だ。そんな安い先生があるもんか、お前一人の爲に南禪寺から四條下だりまで出張るんぢやないかと云はうと思つたが、馬鹿げて物が云へなかつた。
それで、どうなつたかと云ふと、最後に二圓五十錢で手を打つた。古椅子でも買ふやうな氣でゐる。
前掛けは、明後日親から小使を貰ふから、その日に月謝を納めると云ひ乍ら、揃へて前に突き出した膝の下から、何とかリーダを取り出した。可笑しな藝をする男だ。リーダを尻の下に敷いて、先刻から、先生になる俺と、机に腰かけてゐる圭吉の形勢を觀望してゐたんだ。
知らぬことゝは云ひ乍ら、飢ゑかけて、ひよろひよろして、餓鬼のやうな手つきをして、狂犬のやうな眼を据えてゐる俺を相手に、いつ物になるか解らぬ英語なんぞを、悠々と稽古しやうとする奴の氣が知れない。こんなに困つた先生が、親切に落ちついて敎へる道理がないぢやないか。前掛けのリーダを見ると、鉛筆で振り假名がべつたりついてゐる。その下に左から右へ、橫文字の通りに譯が施してある。多分人の本を間に合せに借りて來たんだらう。これだと、習ふ方も樂だ。敎へる方も骨が折れない。その通り敎へる。
前掛けの中學生は翌晚も、きちんと、ルビ付のリーダーを、膝の下に敷いて、俺の出張を待つてゐた。
リーダーの中に、瘦せ犬が骨つきの牛肉を盜んで人間に毆り殺される話があつたが、何だか、泥棒犬が可憐相でならなかつた。圭吉が時々顏を出して
「そのうちに、ぽつ\/生徒が殖えて來るから、辛棒してくれ」と云ふけれども、何だか子供をだますやうで、あてにならない。三日目には、前掛けが二圓五十錢持つて來る約束だつたから、勇躍して三階の屋根裏へ突進した。
俺は二圓五十錢が、色々の形に化けて、目先にぶら下つてゐた。勢よく扉を開けて入つた。誰も居ない。前掛けの中學生も圭吉も居ない。暗い廊下を見廻したが誰も居ない。俺は烈しい不安に襲はれて、今に前掛けがリーダーを抱へて來るだらうと考へたから、寒い部屋に立つたり坐つたりしてゐると、圭吉が
「大變だ。大變なことになつた」
と事務室の方から、階段を夢中で登つて來た。俺の不安は寒さを伴ふて俺を疊の上から廊下へ突き飛ばした。
「この葉書を見ろ。今受付に投げ込んであつたんだ。」
と彼は一枚の葉書をくしや\/になる程摑んで持つて居た。俺は引つ奪つた。
「お前は何處にゐたんだ」
「活動寫眞の辯士を練習してたんだ」
「辯士を?」
「まあ、いゝから兎も角も葉書を讀め」
俺は讀んだ。こう書いてある。
『拜敬陳者私事家事都合に依り、英語の夜學を中止致候。先生に今日迄敎へて頂きし御恩は決して忘却仕らず候。勿々頓首。先生樣』
意外だつた。俺は驚愕と憤怒と失望とを一瞬間に經驗した。
「亂暴な奴ぢやないか」
と圭吉がわな\/慄へてゐる。
「前掛けの居處は九條の何處だい」
「それは聞かなかつた。まさかお前の英語を泥棒しやうとは思はないからなあ」
「お前が大體呑氣だ。迂鬪だよ」
「さう言はれると、俺が彼奴を世話したんだから、全く申し譯がない」
彼は眞つ黑な顏を崩して、みゝず色の唇の外へ、大きな門齒を二本はみ出して、氣の毒さうに頭を下げた。
俺は生れた時から眼が大きかつたさうだ。その大きな眼で、圭吉を睨みつけた。ずつと後で、圭吉が、あの時お前の眼は顏一杯に擴がつて怖かつたと言つた。小さい時、俺が肝癪を起すと、顏中が、眼だらけになつたさうだ。或は、今度も顏一面に眼が擴がつたかも知れない。何しろ俺は無暗に怒つてゐたんだから、腹が立つて其晚は眠れないで了つた。
メリケン粉がなくなる時の用意に、最後に殘された一枚の夜具を擔いで、寺町の質屋へ行つて、ぼろ\/の紙幣を五枚摑んで戾つた。山門が閉されてゐたから、垣を越えて、家へ入つた。
家は、二疊と三疊で、戶と壁が隙だらけだから、新聞紙を貼り廻してある。このぼろぼろの紙幣が失くなる時、今度こそは俺が寂滅する時だと覺悟して、酒を買つて來て、唯一の財產であり、かつ南禪寺から家賃の抵當に押へられてゐる抽匣のない机を中央に据えて、四圓何錢を、その前に置いた。
そして、これから絕望世界の首途に、やけ酒を呷らうと云ふ段になつて、慌しく圭吉が駈け込んで來た。
「おや\/。大變な景氣だね。德利があつて金があつて。どうしたんだい」
「默つてろ。お前に飮ませるんぢやない。俺が勝手にやるんだ。」
「はゝゝ。まだ怒つてゐるね。時に、おい\/。今度は確かな仕事を見つけて來たぞ」
「もう懲り懲りだ。よく人を馬鹿にしたがる男だな」
「冗談ぢやない。先刻の謝罪をしたいと思つて、無理に仕事を引受けて來たんだ」
「何だい」
俺は一人で飮み始めた。圭吉は凝乎として俺の茶碗の運動を眺めてゐた。
「繪をかくんだ。ユーゴーの Les Misérables を來週から俺の處で活動にやるんだ。俺は辯士を引受けた。電車の廣告を畫工に賴むと云ふ話だつたから、俺が幹事にせがんで、お前に書かせやうと思つて來たんだ。決して噓ぢやない」
俺は日頃から自分の繪を自慢する。圭吉も確かに俺の繪を認めてゐた。
少なくとも、ミゼラブルの廣告繪位は綽々としてかけることを信じてゐたから、こんな話を持ち込んで來たんだらう。
圭吉の講釋によると、廣告繪は長さ一尺、幅七寸の紙に繪の具を用ゐて、塗れば、造作ないんだ。それで、値段の處は、俺が特に會計の何とかさんに賴み込んで、十圓拂ふと云ふのである。
「ほんたうに、今度は物になるんだらうな。書いて了つてから一圓にまけろつたつて、駄目だぜ」
「其處は大丈夫だよ。俺が直接に賴んだんだから。その代り繪が出來ても、俺の方で取りに來る迄、決して持つて來ちやいけないぜ。畫家に賴んだことにしてあるんだから」
「じや今夜からかゝらう。いゝだらう」
「いゝとも、早い方がいゝ。」
「有難う」
「どういたしまして」
この男から、どういたしましてなどと古典的な言葉を聞くは滅多にない。それにしても、圭吉は、よく色々の商業を拾つて來る男だと思つて感心した。
大學を出たら、臺灣で辯護士をやる豫定ださうだが、それよりも一層のこと東京へ上つて、上野の山下あたりで周旋屋でも開業すれば、成功するだらう。彼は法科の生徒だ。俺は理科だ。
彼は廣告繪の注意をして歸つた。今度は俺の方が、いくらか氣の毒になつたから、二十錢袂の中に投げ込んでやつた。彼は臺灣產の下素だ。うどんが好きで、誰の前でも憚りなく七杯落ちついて食ふ。俺が製圖用のワットマン紙を延べ乍ら、ミゼラブルの圖案の下繪を始める頃、恐らく彼は、祇園坂下の夜泣屋の赤い提燈の下にうづくまつてゐたらうと思ふ。
學校は自由休業をしてゐた。一文なしではどうしても本を讀んだり、講義を聞いたりするやうな呑氣な心持ちになれぬ。それに、殆んど每日のやうに、學校から小倉服の小使が來て、親切にも、粗末な狀袋に入れた月謝の催促狀を呉れる。
會計係の言ひ分は、學校を休むのは、貴殿の勝手に屬するが、月謝だけは人並に納めろと云ふんださうだ。この小使の爺さんが、破れかけた緣側へ腰を据えて、小倉服のポケットから煙管を出して、煙と一緖に、
「正確に何日納めるか、そこんところを云ふて貰はんと困りますさかい。どうぞ。定めて下さい。その期日によつては、待つこともあるだらうし、また除名することもあるだらうし」と大變親切に敎へて吳れるが、ないものは仕方がない。
「御覽の通りだ。翌朝の米に屈托してゐる。昨夜實は一枚の夜具を金に替へて來た位だから、月謝に至つては、何時納められるか、土臺見當さへつかぬ。「小使さん、左樣云つて吳れ。親代りの叔母は戰爭のとばちりを食つて、スイスで弱つてゐる。戰爭が濟んだら、何とかなるだらう。それ迄待てたら待つてくれつて。
京都へ舞ひ込んだ目的は確かに勉强するためだつたが、こう窮地に陷つて見ると、學問なんかは贅澤の沙汰だ。要するに坊つちやんの道樂だとことづけてくれ」と、つけ足した。無論放校は覺悟の上で、さう云つた。爺さんが、呆れた顏をして、
「そないなこたあ、あんたはん庶務さんへ云ふてんか」
と云ふ。
「俺は忙しいんだ」
「遊んでゐなはるんぢやろ」
「遊んでゐるもんか。これ、この通り、一生懸命ユーゴーの廣告ビラの製造をやつてるんだ。」
「ユーゴーかね。」
「お前知つてるのか。知るまい。それよりあのな。圭吉の處にも月謝の催促に行つたさうだね。爺さん」
「松原さんかね。行きました。」
「吳れたかい。」
「いゝえ。松原さんの姉さんが月末に來やはるさうで、それまで待つてくれつて、云はれました。困つたもんです」
「おい\/爺さん。圭吉の姉が來るつて。」
「はあ。月末に」
「彼奴には姉なんか、ないんだぜ。爺さんがだまされたんだ。庶務さんにさう云ふといゝ」
俺は可笑しかつたから繪の上で笑つた。爺さんが、さよならまた來まつせと云ひ乍ら歸りかけたとき、圭吉も月謝滯納組の仲間なんだから用心しろと注意してやつた。
爺さんが戶口を離れる時、俺の身の周圍を、じろじろ見廻して出て行つた。あの老爺は一體、どう云ふ氣で、あんな商賣をやつてゐるんだらうと思つた。
久しく、足本靑愚や厩川惡村の偉さうな顏を見ないが、こう腰が坐ると結句、この手合とは逢はない方が、爽々しいやうだ。
俺は出來上つて廣告繪を一人で感心して眺めて、眺めては、俺は天才だと思つた。圭吉は馬鹿だが、俺の書いた物は何でも賞める。そして、いつも無條件で天才にして、くれるから好きだ。
足本靑愚は俺の面を見ると決まつたやうに、お前は餘つ程勉强せんと落伍するぞと脅かすが、俺は學校の門から一步外へ出ると、すぐ天才になるんだと考へてゐたから、靑愚の云ふことなんか、てんで耳に入れなかつた。惡村は虫が好かぬ。
圭吉を待つてゐると、間もなくやつて來た。俺が繪を見せて、どうだい。これで物になつてゐるだらうと暗に彼の推賞を求めると、「結構々々。色の配合が素敵だ。レス・ミゼラブレスの下に立つてゐるのは西洋の惡魔かね」と解らないことを言ふ。
圭吉は無學だから、レー・ミゼラーブルをレス・ミゼラブレスと讀む。その癖ヒューゴーとは云はない。いくら訂正してやつても頭が惡いから、すぐまたレス・レスと云ふ。奇妙な男だ。レ・ミゼラブルの下には小說の中に出て來る僧正を描いたつもりだつた。西洋の惡魔ぢやないと注意すると
「あ左樣か。成る程僧正に見えるよ」
と言ひ乍ら、金は直ぐ屆けると云つて忙しさうに繪を持つて行つた。
繪を持つて行つた晚に、寒い。寒い。と呻き乍ら、蝙蝠のやうな形をして來た。
俺は確かに十圓呉れるんだと思つて待ち佗びてゐた。買ひ物の寸法まで立てゝゐた。處が、圭吉が、持つて來た紙包みの中には十圓の代りに五十錢銀貨がたつた一枚入つてゐた。
俺はまた憤慨した。
「なぜ、こんな惡戲をするんだ」
何か云つたら、酒德利を振り廻さうと、机の下へ手を延べてゐた。處が圭吉は、不思議にまた低頭平身を始めた。
譯を聞くと、廣告ビラが急に不用になつたから、只戾すのは氣の毒で、五十錢持つて來たんだと言ふ。そんならいゝが、もし俺が本當の畫工だつたら、やつぱり五十錢で追拂ふ積りだらうかと云ふと、圭吉は、術なさゝうに、さあと云つて、こそこそ引き揚げた。
處が、奇妙なことには、不用であるべき筈の繪が、三日して電車の中に現はれた。それは俺の繪ではなかつた。
俺はその市街電車から飛び下りて、そのまゝ、切符も渡さずに四條へ疾驅した。
俺は今でも、瘦せぎすだが、その時も決して肥つてゐなかつた。反對に圭公は肥つた上に柔道が旨いから、喧嘩をすればどつちみち負けるに決つてゐる。然し俺は向ふ見ずで有名だ。算盤を彈いて喧嘩が出來るものか。今度こそ毆れるだけ毆つてそれから素敏しこく引揚げる積りで靑年會館の屋根裏へ驅け込むと、出し拔けに面食つた。
迂闊に摑みかゝらうものなら、とんだ耻を晒すのだつた。其處に居たのは、圭吉でなくて、若い見知らぬ女だつたからだ。女は俺の血相に驚いて飛びのいた。
「圭吉はゐないんですか」
「はあ。松原さんを、先刻から待つてゐるんですけど、まだお歸りになりませんので」
と、怖さうな樣子をして、俺を見るやうな、見ないやうな、おど\/した風で、どうしやうかと云ふ處だ。
彼女は誰だか知らない。無論この女が、俺の細君になる可き女だとは夢にも思はなかつた。
巷說に從へば、俺の細君は美人でないさうだ。美人でないと言ひ切つて了へば、俺が氣を惡くすると考へて、「その代り愛嬌があります」さうだ。愛嬌の點は亭主の俺も確實に認めてゐる。
「活動寫眞のビラでも配つて步いてゐるんぢやないでせうかね」
「はあ。さうかも知れません」
と未來の細君は、もじ\/して、この野良犬のやうな獸が、どうかしやしないだらうかと云ふ樣子で、疊の上に坐りかねて、腰を浮かせてゐる。
「失禮ですが、貴女は圭吉の御知り合ひなんてすか? お友達ですか?」
「は。はあ」
女は、奇妙な返事をした。そして、きちんと坐つたきり默つて了つた。圭吉を毆りに來た俺は到々此處で氣拔けした。
漸く圭吉が戾つて來た。俺の顏を見ると、いきなり、
「おや。來たのか。こなひだは失敬」
と女と俺の中央に陣を構へた。
「何が失敬したんだ」
「また怒つたね。や。三輪子さん、一寸待つて下さい。」
「當り前だ。俺の繪はどうしたんだい。あるなら返せ」
「うんあれか、あれはねえ」
と圭吉は、袖の中に煙草を探してゐる。仲々煙草が出て來ない。いつもなら、此奴が、俺に一本呉れろと云ふ可き處だが、今日は俺が血相變へてゐるから、遠慮してゐるらしい。誰がやるものか。
俺は圭吉に逢ふたら、あゝ言はう、かう言はうと、豫め喧嘩の獨白を腹の中で拵へてゐた。愈々圭吉と差し向ふ段になると喧嘩の順序が滅茶々々になつた。けれども、一つ位は是が非でも毆つて見せないと、癖になる。俺は外套のポケットの中で拳固を握つてゐた。汗臭ひ拳固は今にも飛び出しさうだつた。
「あれはねえ」
またあれはねえと、煙草を、ごそ\/探して居る。煙草を喫まないうちは、答辯が出來ないんだらう。ざまを見ろ。
「お前は大體俺を何だと思つてるんだ。」
「俺の親友ぢやないか。」
「糞でも喰へ。餘り馬鹿にするな。俺は怒つてるんだぞ。お前が賴みに來たからかいたんだ。五十錢問題は別として、不用だと云ふ廣告繪は洒々と電車の中に出てらあ。お前も見たらう。」
「あれやお前の繪ぢやない」
「默つて聞いてろ。俺の繪ぢやないから癪に障るんだ。俺の繪が、拙いから他の奴にかいて貰つたんだらう。」
俺はこれだけでも怒鳴つて了ふと、いくらか胸が空いた。然し考へて見ると、忌々しい。圭吉に言はす筈の文句を俺が饒舌つたことになるんだから。圭吉が、
「實は左樣なんだ。俺はお前の繪を傑作だと思つてるんだが、幹事が承知しないから仕方がない。我慢してくれ。決してお前を馬鹿にしたんぢやなんだから。幹事がいけないんだ。解らずやなんだよ」
と言ひ乍ら、頭を下げた時に、突つ返してやる下の句が出なかつた。拳固も無駄になつた。俺は談判事にかけちや、から意氣地がない。權謀術數を知らぬから、いつも負ける。
仕方がないから、怒るのは止めた。嫌だ。嫌だと頑張つてみた處で、相手が臺灣の生蠻ぢや張り合がない。
俺は今の處、目的も方針もない。行き當りばつたりで、どうかなるだらうと思つてゐた。南禪寺の小屋にはまだ三圓と若干ある。
俺は圭吉の側に女を置きつ放して歸るのが何だか氣になつて仕樣がないけれども、女が話をしかねてゐるし、圭吉が邪魔になるだらうと考へて、立つと、圭吉が慌てゝ
「一寸待つくれ、面白い話があるんだ。まあ落ち着け。」
と外套の裾を捕へた。意外だから、何だと云ひ乍ら逡つてゐると、お前の將來を支配する重大な問題だから、兎も角も坐れと、到頭俺を裾え直した。圭吉の重大問題なら、犬抵柔道を稽古してもつと肥れと云ふだらうと思つたら、出し拔けに、お前は學校を止めろと途方もない相談を持ち出した。
「學校は、お前に、忠告されないでも、とうに止めかけてゐる。庶務係の小使が每日責め立てに來て弱つてるんだ」
とうつかり煙草を出したら、此奴が、重大問題も勿論だが、俺にも一本と、橫着な手を出して、がつ\/喫み始めた。そして庶務係の爺さんが來るかね、はつはつと笑つた。
女は相變らずつゝましやかに控へてゐる。
「お前は文學が好きだと言つたね。少しは本を讀んだか。」
「文學は好きだが、ちつとも讀まない。」
天才が無暗に他人のものを讀むものか。
「文章は旨かつたね。」
「旨いとも。」
「そこで。お前には誂え向きの仕事があるんだ。今日職業紹介部へ賴んで來たんだが、學生ぢや時間の都合がわるい。」
「場合によつちや明日でも學校は廢業する氣でゐるが、何だいその仕事つてな」
「新聞記者をやるんだ。大阪朝日のね、京都版の、國太郞さんが助手が欲しいそうだ」
桃太郞は知つてゐるが國太郞は知らん。知らないけれど、國太郞の癖に助手が欲しいなんて生意氣だ。圭吉は作文は下手だから、とても人間の形容などは出來ない。只大きな男だ。始終洋服を着てゐると言ふ。よし。やらう。今から直ぐ行つて見やう。案內をしろと云ふと、圭吉は急に女を顧みて、會館の向ふ隣だから、お前一人行つて來るがいゝ大體の話はしてあるんだと動かなかつた。氣の早い男だ。
俺は女より國太郞さんが大事だから、早速逢ひに行くと、始終洋服を着てるが、俺が差し出した手製の名刺を熟々眺めて、漸く。
「『銅傳藻奈禮』と云ふのは君の雅號かね」
と迂散臭ひ目をした。俺は左樣と答へた。圭吉の言ふ通り法外に大きな圖體だ。それで居て、まん丸い。
俺は日本に來てから、餘りこんな種屬の男に出逢はないから珍らしかつた。俺が珍らしさうに彼を見ると、彼も亦、此奴は變つてゐると云ふやうな目をした。
ずつと後になつて、中央公論の親方に出會した。田中貢太郞さんに出會した。どちらも大きい。貢太郞さんは腫れてゐるが親方の方は膨れてゐる。然し國太郞に較べると、お話にならぬ程貧弱だ。俺は先づ國太郞の體格に壓迫されて、大きな聲が出なかつた。國太郞が第一に俺の經歷と境遇とを根掘り葉掘り聞いて、記者になると通信を書かなくつちやなりませんが
どうです。出來ますかねと、流石に出來ますまいとは云はなかつたから此奴は紳士の禮儀を知つてゐると思つた。短篇で何かあつたらお見せなさい。小說でも感想でもいゝと命じた。俺は歡んで、もう新聞記者になつた氣で、出來合ひの短篇小說を携へて行つて見せた。すると、無躾にも、
「君は小說を知らないんだね」
と頭からどやして置いて、
「小說と云ふものはこんなべら\/調子で書くもんぢやない。もつと、しんみりと、落ち着いて、靜かに人生を寫すんだ。例へば」
と彼はチョッキの釦の穴に豪然と兩手を突つ張つて、俺の小說を睨み裾え乍ら。
「──俺は苦しまぎれに醉拂つて女郞買ひに行くんだ──などは丸で小說の文章ぢやないね。」
「はあ。」
俺は彼の左の指に輝く指環に氣を取られてゐた。
「これなんか、小說にしやうと思ふなら──私は自分の心を醉はせ神經を麻痺させる事によつてのみ、一刻の猶豫もなく私を追窮する不安や焦躁やから逃れようと試みた。また激しい酩酊が必然に導く一切の思慮分別を撥無した精神狀態の中に、私の出口を持たぬ猛烈な野性を爆發させやうと試みた──とするんだね」
と云つて、俺の小說を卓子の上へ放り出した。成る程。國太郞は旨い。
醉拂つて女郞買ふより、酩酊して必然に導いて貰つて、出口がなくて爆發した方がいゝ。國太郞は旨い。彼はこんな名文を、二十秒で敎へて呉れた。俺は、すつかり感心して了つた。
小說は國太郞のやうに、心を醉はせて、神經を麻痺して、不安や焦躁から、まわりくどく遁れて、綺麗に胡魔化さなけれや駄目だ。
だから俺は、お前は小說を知らないと嚴しい宣告を受けても、異議を稱へずに、感心して引退つたが、翌日「新聞記者應募者ともあらうものが、能力試驗に自作の小說を見せるやうな心掛けぢや、とても使つて間に合はぬから一應お斷りする」と云ふ葉書を受取つたとき國太郞は亂暴な奴だ、と蔭で憤慨した。すると、圭吉が、何が濟まないのだか、頻りに濟まない。濟まない。國太郞はあんな皮肉な奴で、仲間から嫌はれてゐるんだと詫びに來て、二圓呉れた。
「この金は何處から持つて來たんだ。出處によつちや受取らんぞ」
と一旦受取つたものを突つ返さうとすると、
「俺が活辯の前借をしたんだから費つてくれ。ミゼラブレスが明日から始まるから見に來て呉れ。この間の女も來るぜ。木野も來るさうだ」
と云つたが、突然。
「あ。お前は木野を知らないんだつけ。大佐の息子なんだ。今度紹介する。だから是非觀に來い」
と獨りで饒舌つてゐたが、歸りがけに、
「こないだの女ね。あれや一寸美かつたらう」
と門齒を二本むき出して歸つた。忙しい男だ。學校へ行つたり靑年會館の小使をやつたり、夜になると辯士迄働く。高等學校の生徒で辯士を稼ぐ男だと云へば、此奴位なもんだらう。
俺は高等學校で理科をやつてゐると前に斷つたが、やつて見ると、この位下らぬ學問はない。到頭理科に愛想をつかして、貧乏に志すと共に、スイスのラリーザ叔母に手紙を、つゞけ樣三本書いた。
金は送つて來なくなつても、小言だけは顏變らず來る。俺は文學で飯を食はうと考へた。一途に思ひつめた。それには早稻田がいゝさうだから、これから京都を見限つて早稻田へ出奔して、文學をやるんだから、親愛なる叔母さんも贊成して下さいと云つてやつた。
文學なら貧乏で通る。理學はいけない。物にならぬ。仕事がしん氣で、眼が惡くなる。
その返事が、やつと來た。俺の叔母ラリーザは、前の自敍傳で露西亞人だが今度も露西亞人だ。
「妾の愛するキヨスキー。
妾は日本の若者は非常に惡くて、勉强を嫌ふさうだが、ほんたうは、みんな悧巧者なんでせう?」
俺はラリーザ叔母がまた始めたと思つて先を讀んだ。
「──悧巧で勉强家なんでせう? でなければ、ほんたうの Japan Boy でないんです。そんな人を見倣つてはなりません。
でも、そんな惡い學生を日本の敎師は何故罰しないか不思議でなりません──」
ラリーザ叔母は日本とスイスと同じやうに考へて居る。
「學校の先生は、惡い性質の男や怠惰な生徒を遠慮なく放校することです」
これだけが序で、これからが、猛烈な本文である。
「お前は、東京へ出て、ワセバ大學で(俺は手紙にワセダと書いてやつたつもりだ)學問したいさうですが、妾の考では、「ワセバ」は實務的でないから、お前には適せぬと思ひます。
お前は一體學問に幾年費す氣ですか? そして、その結果どれだけのことが出來ると思ふのですか? これから實業學校へ入つて二三年のうちに卒業するんです。ワセバ大學へ行けば五年もかゝるではないか。五年の後に、それも、ひどく勉强した上でやつと卒業證書が貰へるだけではないか。それもいゝとして、その五年でとてもお前には卒業出來ますまい。」
これだから、俺は叔母から手紙が來ても、悅ばないんだ。
「お前はとても、祖母を連れて東京へ行くだけの金があるまい。若しあんな老婆を長崎へ置いて行くと云ふなら、お前は、不實者です。不孝者です。
お前は今廿二でせう。五年の後には廿七以上になる。日本で廿七は老人なんです。お前はその五年で金を費ひ盡すだらう。
無理をして勉强したゝめに惡い病氣にかゝらぬとも限らない。それよりも早く月給取りにおなり。
東京には無數の無政府主義者がゐるさうですから、すぐ惡い知己が出來る。金も健康も時間も空しく消えて、最後に殘るものは病態と不成業者の悔のみです。無政府主義者とならなければ社會主義者となるでせう。
お前は何故もつと、大人びないんだらう。
ヨーロッパでは、新聞記者や文學者となるためには學問ばかりで金がなければ、迚もなれません。人並み優れた體格を持たねば駄目です」
俺は國太郞を聯想した。
「强い大きな心と勇氣と、力と、精力の持ち主でなければいけない。」
此處まで讀んで來ると、こう條件が澤山あつちや、迚も俺には文士や記者には向かない。いゝ鹽梅に國太郞から斷られたと思つて喜んだ。新聞記者志願に落第した矢先に、こんな怖い手紙が來るのは、愈々文學は俺の商賣ぢやないと、神樣が敎へてゐるんだらう。有難い。ほんたうに有難い。俺は此處の下りを繰り返して讀んで、ラリーザ叔母は流石に世間師だと感服した。
「──善良な記者の位置を得ることは容易でありません。その癖新聞や雜誌の記者の立ち場は、大變六ケ敷く、責任が重くて、心配が多い。」出來損なへば、世間の邪魔になるばかりだと云ふんだ。ひや\/する。
「お前が記者になつて拵へた新聞や雜誌は、反古籠の中へ投げ込む時だけ正當な存在の理由を持つてゐるんです。歐州では今日學問をした人は掃く程ある。本を著したり、新聞や雜誌に寄稿する學者はざらにあるけれども、みんなストーヴのたきつけにしかならぬものばつかりです。」
「妾の愛するキヨスキー。お前なとが、なんで文學者になれるものか。お前は勇氣も精力もない。善良な文學者になる氣質もないではないか。」正直な叔母さんだと思つたら、その先にお前の惡口を云ふんぢやないから、誤解するなとあつたが、これぢや、とても、誤解のしやうがない。
「妾は只お前の身を案じて、お前の行末を氣づかつて、お前の希望と計畫を考へると、どうしてもお目出度うと云へません。」
「何卒もつと悧巧におなり。妾は貧しい女です。この上どうして上げることも出來ない。これから先迚も長く學資の仕送りは出來ません。五年間!五年間! とても! とても!
一ヶ月二十圓をこれから先六十ヶ月! とても!とても!」
俺は一ヶ月の學資に二十圓だけ、ある銀行の手を經て送つて貰つて食つてゐたんだ。此處からペンを持ち直して、彼女は俺を商人にならねば飢え死すると、思ひも寄らぬ說に入つた。
俺はラリーザ叔母をいぢめたくないが、俺の理想と彼女の理想とが、巴里以來、どうしても妥協しないから、もどかしくつて仕樣がなかつた。學者になれば、いづれ貧乏したり、無政府主義者になるものだと書いてある。
「お前の、愛すべき父ワホヴヰッチは大學者でした」
「彼は二つの大學を終へました。卒業證書と金メダルを貰ひました」
卒業證書が、そんなに有難いんだらうか。金メダルなんざ、三丁目の時計屋に行きや、いくらも賣つてゐる。學校を卒業さへすれば、卒業證書を吳れるのは當り前だ。俺が高等學校へ入るとき、どうあつても卒業證書が必要だとあつたから、半分に切れた奴を持つて行つたら、垢井と云ふ校長が、半分はどうしたんだと言つた。どうしたかよく存じません。多分がらくたと一緖に屑屋に賣つたんでせうと答へたら、そんな馬鹿なことがあるか。も一遍よく探せと吐したが、高等學校の校長なんてものは、話せない奴だ。確かに紙屑と一緖に拂ひ下げたやうに思てゐる。
「──彼は非常な勤勉家で二十一歲の時に」とまた始めた。自分が稼いで勉强したと云ふんだらう。偉いんだらう。だから俺にも眞似をしろとつゞいてゐる。これが昔から彼女の口癖なんだ。
「妾の愛するキヨスキー。お前はまだ若い。お前は世間と云ふものをてんで知らない。用心しないと世間は妾たちに向つていつも不運を準備してゐます」
ラリーザは、此處で世間は惡魔の巢だと罵つた。學者が惡魔の張本だときめつけた。
「妾の愛するキヨスキー。妾は云ひたいことをすつかり言つて了つた。可愛いゝキヨスキー。妾はお前のほんたうの友達です。お前の行末に心を惱すだけで、貧しいから、どうすることも出來ない、
妾はお前の國へ行けないのが悲しい。お前と一緖に生活せないから殘念です。
考へ深い神樣よ! 妾の愛するキヨスキーは決して愚か者でございません。
お前の取るべき道は、今の學校を卒業るか、實業界に入るか二つに一つです。そして善良な悧巧な娘と結婚するんです。そして長崎が嫌なら、どこでもいゝから家庭をつくるんです。どれだけお前のために幸福だか知れない。學問や友達は決して的になりません。
お前の父ワホヴヰッチは大層自然を愛してゐました。花園や森を愛してゐました。田舍の生活が大好きでした。ペトログラード大學生時代には錠前屋、鍛冶屋などの稽古をしたり、大工や左官の仕事を習つて、自分の家を自分で建てたり、生活に必要なものを自分で拵へたりしました。妾はその時分女學生でしたが。彼の色々の手傳ひをしたんです。ですから、
彼が若し今日まで生きてゐたなら、屹度お前に向つて、妾と同じやうな忠告を與へるに違ひありません。學問も勸めるが、自分で生きる道も敎へたでせう。
妾は生涯のうちに、これ程長い手紙を書いたことがない。妾は疲れて了つた。もう終りに近づかうと思ひます。
妾の愛するキヨスキー。妾の言ふことを御聞き。そして忘れずに時時詳しい眞心からの消息を下さい。さようなら。キヨスキー。
愛する
マリヤ・ラリーザ」
それからお前のお祖母さんにも何卒よろしく。お祖母さんは、どう云ふ意見か報せて下さい。早く貞操な娘と結婚しなさい。と繰り返してあつた。中頃まで何でもなかつた。讀んで行くうちに俺の目には手紙の文字が突然見えなくなつた。俺は亂暴者だが、すぐ淚を零す癖がある。突然、まつ毛の先から、ぽと、ぽとゝ手紙の上に落ちた。
「おい\/」と云ふ圭吉の聲が突然入口に聞えた。手紙を隱して、振返つたら、やつぱり圭吉だつた。
圭吉の後ろには、この間圭吉の部屋で見た小柄な女が綺麗な樣子をして橫を向き乍ら日傘の先で土を弄つてゐた。
くどいやうだが、この女があとで俺の細君になつてくれたお三輪さんだ。俺は彼女の荒つぽい黑い髮と黑い瞳を最も賞讃した。始めの間は、この二つを正面から見詰めるのが怖かつた。
結婚式の場所にお三輪さんが仰々しい姿をつくつて物々しく俺と向き合つて坐つて、きちんとすました時、俺は乞食が革の鞄を盜んでゐるやうな戰慄を覺えた。俺にお三輪さんを吳れないと云つて猛烈に騷いだ親類共が我を折つたのか、負けたのか兎に角、このお目出度い席に、續々押寄せて祝辭を列べた時、俺は赤くなつて、うろ\/してゐたが、そのうちに俺の恐怖は頂點に達して、途中で戶外へ跳び出した。
お三輪さんと彼女の伯母の家で結婚した。
二條の烏丸にあるんだ。俺は閾を跨ぐや否や出町の方へ、どん\/駈け出した。後で聞いたらお三輪さんが驚いて、俺を探し廻つたさうだ。親類共が酷く憤慨して、こんな祝言は生れて始めてだと言つたさうだ。
圭吉に小聲で、あの女は何だいと尋ねた。すると圭吉が、うん長崎の人だよ。お三輪さんだと云ふと、地聲だものだからお三輪さんが、此方向いて、何かしらと云つたかと思ふと頭を二つ下げた。
「上れよ。あなたもお上んなさい。」
「いや。上らん。今日は大變なことをやつたんだ。それで、これから引越すんだ。お前も手傳つてくれ。實はお三輪さんも半日借りて來た譯だが。いやかね」
「何だつて引越すんだ。今日から辯士をやるんぢやないのかい」
彼は辯士を止めた。詳しいことは步き乍ら話すから、出て來いと云ふ。俺は何だか馬鹿に外へ出たくなつたから、それぢや行かうと云ひ乍ら、三人で南禪寺の山門を出た。
「何方だい」
「松原通り」
と圭吉は杖で大佛の方向を指して見せた。圭吉の話によると、中學時代に長崎の西山で隣り合せてゐた賴田と云ふ家の娘が東京から京都の二條烏丸へ來たさうだ。東京で大名屋敷へ奉公しやうと云ふ氣だつにが、まだ奉公口がさまらぬうちに嫌になつて、東京の伯父の家から默つて跳び出して來たんださうだ。
愈々烏丸へ落ちついて見ると、以前隣りにくすぶつてゐた圭吉も京都へ出で、學校へ通つてゐるから、暇があつたら、一度學校を訪ねるといゝと長崎から手紙が屆いた。俺が先夜靑年會館の屋根裏で、出逢つたのが、卽ちこのお三輪さんだつた。それは解つたが、辯士の方はどうしたと尋ねた時、圭吉は眞つ黑に煤けたお能の面のやうな顏を赤漆のやうにして、大きな馬齒を空に向けて崛み乍ら、實は幹事の奴が、お三輪さんと俺が、屋根裏で話をしてゐたのを、扉の鍵の穴から覗いてゐたんだ。俺はちつとも知らないから、お茶を入れて來やうと思つていきなり扉を蹴開けたと思へ。
外で、あつと叫ぶ聲がした。あすこの廊下が狹いうへに、ほら、手欄がないだらら。到々轉げ落ちたんだよ階下へ。それがお前、幹事だから、默つてゐる譯がないさ。もと\/故意にやつたんぢやないことは誰でも知つつてゐるが、そのまゝ濟むもんかと、お三輪さんの日傘の奧を覗いて苦笑した。お三輪さんは、どんな顏をしたか見えなかつた。
「それで屋根裏を空け渡せと云つたのか?」
「そんな事は云はないけれども、辯士だけは斷る。お客さんに對して、どんな粗忽をするか解らないと云つたから、それぢや一層のこと俺は出て行くと云つて、悲田院に引越して、そこから通ふことにしたんだ。今から荷を運ぶぞ」
俺はこんな話を聞くと、面白くて、やつて見たい氣になる。祇園神社の大通りで、圭吉は車を傭ふて四條の屋根裏へ行つた。
俺とお三輪さんは、悲田院の道を敎はつて先へ出掛けることにした。そのとき、お三輪さんは、氣の毒さうな小さい顏をしてゐた。
八坂下から護國神社の石段の前を通り拔けて寂しい路へ入つた時、俺は默つてゐるのも變だから。
「幹事が三階から落ちたときは驚きましたらう」
と挨拶した。お三輪さんは益小さい顏をして、
「えゝ。ほんたうにどうしやうかと思ひましたの。松原さんの處へ行かなければよかつたんですが、伯母が、かき餠を」
と云ひ乍ら微笑して、
「是非持つて行つて上げろと申しますので、」
「はゝあ。かき餠を食つて圭吉め、屹度お茶が欲しくなつたんですね。平生客にお茶なんか出すやうな男ぢやないんですから。それで幹事は怪我でもしだんですか」
「えゝ。腰の骨を折つたとかで」
と終ひ迄言へずに赤くなつた。俺は先達の仇を打つたやうな氣がして、痛快々々と手を拍つて笑つてやつた。そしたらお三輪さんも可笑しかつたと見えて笑ひ出した。
圭吉は元來無頓着な男だ、俺よりも遙かに無邪氣だ。この間、態々學校を休んで詩を造つたから見に來いと言つた。圭吉にも詩が出來ることを讀者諸君に紹介する。
「湯氣立ち騰る食堂の。中に眞黑にそめられて、蒼ばな垂らす賄ひが。顏におどろの鬚まばら。米やこれ南京の砂混り。茶は山吹の色も濃く。嚙めど切れせぬ牛の腸。舌にまだるき脂肪皮」
「どうだい。旨いだらう。」
と云ふから。
「旨いね。一寸節をつけて唄つて見ろ」
とおだてると、彼はいきなり、汽笛一聲の節で唱つた。翌日學校へ行くと、この詩が告示板に貼りつけてあつた。圭吉はその前に突つ立つて、頗る得意だつた。
察するにこれはデモクラ詩だらう。ホイットマンより解り易いぜと感服して見せたら、元氣よく左樣かねえて言つた。
だから、世話になる幹事が腰を拔かしても平氣で嬉んでゐられるんだ。
お三輪さんと俺は漸く悲田院を探し當てた。三十三間堂の前から狹い山路を紅葉寺の方へ行かずに眞つ直ぐに登ると、東山の中腹に孝明天皇の御陵があつて、竹藪をすかして悲田院の屋根瓦を望む、と京都案內記にあるが、大體當つてゐる。
『徒然草』の中の悲田院を叩つ壞して、以前あつた場所から此處へ建て直したんだから、材木は當時のものどすえと、坊主が自慢した。圭吉が此處へ引籠つてからも、ちよい\/出掛けた。坊主が尻を端折つて、冬枯れの柿の木の枝にとまつて、しみつたれな黑い實を、もぎ取つてゐると、若い細君が丸髷を背中に擔ひで、圭吉が借りてゐる部屋の、ぼろ\/の緣側から、もつと右、もつと右と指揮をしてゐたことがある。
圭吉は食ひ意地が張つてゐるから今に吳れるか今に吳れるかと待つてたが、一向吳れなかつた、ケチな坊主だと不平を鳴らしてゐた。お三輪さんが、
「あら、此處に石碑がございますわ」
と松並木に傾いてゐる大きな四角のみちしるべを指すから、苔を剝ぎ落したら悲田院と云ふ文字が跳び出した。
「此處から入るんです。ほら、向うに門が見える」
と云ひ乍ら茂りを分けて入ると、大佐の息子が此方を向いて小便をしてゐた、俺とお三輪さんを發見すると、吃驚して、
「あなた方でせう、圭吉君の引越しの手傳ひに來なすつたのは、私は木野と云ふんです」
と四角な帽子を取つて、栗々坊主をちよいと下げた。だから、大佐の子だと解つたんだ。三人はお互に初對面だ。圭吉は晚くやつて來た。これが引越の日の印象である。簡單なものだ。歸りがけ大佐の子は、紅葉寺の側で、
「私の家は此方ですから此處で御別れします。あなたは血天井を御存じでせう。あそこの直ぐ側です木野と仰有れば、直ぐ解りますから、是非一度遊びにお出で下さい」
と云つて、俺とお三輪さんを、大街道の方へ追ひやつて、こそ\/逃げ行つた。
坊主から借りた寺紋入りの細長い提灯を中央にぶら下げて、俺とお三輪さんは步いた。大佛殿の前で、
「あなたは何方へ」
と俺が立ち停つた。そしたらお三輪さんが、まだずつと先まで御一緖に參れますのと小さい返事をした。淸水と西大谷に狹まれた坂の下で、道が二つになつたから、
「あなたは何方へ」
と俺は立ち停つた。すると、お三輪さんが、まだずつと先まで御一緖に參れますわと答へた。まだずつと先は八坂神社と祇園遊里に面した小路のことだつた。火の消えた提灯をぶら下げて停留所に茫然立つてゐたら、お三輪さんを乘せた電車が走り出したから、俺は南禪寺へ戾つた。
何處かで見たやうな娘だ。長崎だと云ふなら長崎で見たやうな娘だ。京都だと云ふなら京都で見たやうな娘だと思つてゐるうちに眠つた。すると翌日不思議にお三輪さんがやつて來て、悲田院へ提灯を戾して來ますと、袖の中から蠟燭を二本出して見せた時、眞白な腋の下が袖の蔭から、ちらと見えて、俺はぞつとした。押入から古提灯を出してやると、彼女は後ろに隱してゐた風呂敷包みを內證で解いて、疊んだ提灯を押込まうとした時包みが切れてかき餠が飛び出して、お三輪さんは赤くなつて笑つたやうに思ふ。
「圭吉に持つて行つてやるんですか」
「いゝえ。お寺樣へ持つて參りますの」
と恥しさうな返事をした。あんな坊主にかき餠なんか食はせることが要るものですか。それより、圭吉にやれば、助かる、と云つて喜ぶでせうと忠告をしてやると、彼女は暫く逡巡つてゐたが、
「では松原さんにしませうか」
と云ふ。
「それがいゝです。お寺樣には蠟燭で澤山ですよ。坊主の癖に昨宵はお茶一杯のめと云はなかつたぢやありませんか」
お三輪さんは奇拔な女だ。では、左樣いたしませう、ほんとうに左樣でしたわねえと俺の忠告を容れて吳れたから、何だか、嬉しくてたまらなかつた。すると、突然思ひ出したやうに、
「でも松原さんは、まだ持つてゐらつしやるから、これはあなたへ差し上げませう。伯母が拵へましたんです。御好きなんでせう」
と、また提灯を出して、メリンスの風呂敷を俺の膝の下へ押しやつた。これが不意だから面食つて、それには及びませんと言へないで、坊主のものを到頭橫合から頂戴して了つた。後で氣の毒だつた。お三輪さんに歸りにお寄んなさいと云つた。すると彼女は歸りに眞個に立ち寄つたから正直な女だと思つた。
俺の顏を見るや否や「昨晚ねえ。松原さんの部屋へ狸が石を投げたんださうですよ。戶を繰ると誰も居ないから、蒲團の中へ入るとまた、石を投げる。また戶を繰ると誰も居ないのですつて。到頭一晚うつらうつらしてゐたんですつて。今朝お僧樣に實は昨夜これ\/だと云ひますと、お僧樣は、はゝあ。多分それは狐狸でせうつて。隨分怖いお寺ですわねえ。妾怖くなつたので、もう松原さんの處には行きませんから、あなたの方から家へいらつしやいつて云つて、とんで來ましたの。」
お三輪さんは頻りに怖い時の表情をして見せた。
「それは屹度狸に違ひない。私もそんな目に逢つたことがありますよ。殆んど每晚のやうに。」
「こゝで?」
と彼女は、あどけない目を圓くした。
「此處ぢやない故鄕ですよ」
と笑ふと、まあ、そんな怖いお故鄕? いやですわねえ。どちら? と云つたら正直に白狀すると、あら噓でせうと最初は噓にして居たが、終ひには、まあと云つて呆れた。呆れた處を見ると、お三輪さんは眞個に今まで俺の故鄕を知らなかつたんだ。圭吉は迂鬪な男だ。長崎の證明が漸く濟むと、餘程暇だと見えて彼女は漸くこげ茶色の疊へ座つた。
「あなたは八幡神社をご存じですか」
「お芝居の隣りでせう。知つてますよ。妾の親類がございますわ。妾の祖父の兄の家が」
「へえ。八幡宮の境內ですか。」
「えゝ。鳥居を二つ潛つて右の方」
「へえ。可笑しなものだな。あなたのお祖父さんの兄さんは何と仰有るんです。ひよつとしたら、私が知つてるかも知れない。」
「本川と申しますの。」
「それは俺のうちだ!」
俺が出し拔けに頓狂な聲を出して飛び上ると、彼女は、「あら、あなたは本川つて仰有るの!」と俺につゞいて慌てゝ起ち上つて、暫く俺と睨み合つてゐた。
俺が小說家だと、こんな時に、憚り乍らこれで濟ますんぢやないんだ。つゞけ樣に感嘆詞を三つばかり奮發するんだ。殘念乍らその邊の修養に缺けてゐて、小說の呼吸を心得て居らぬ。今度國太郞に逢つたら、男と女が十二年目に巡り合つた刹那の心理描寫はどうやるんだか聞かうと思ふ。そして改めて、お三輪さんと俺が目を廻す光景をも一遍始めから出直したいもんだ。お三輪が
「キヨさんでしたの?」
と驚嘆して、べつたり座つたまゝ
「まあ、どうしたの!」
と敬々しく呆れた時に、俺は申し譯がなくて、恥かしくつて、額から膏汗がどろ\/湧いた。これからお三輪さんのことを、親しくお三輪と呼びすてにする。俺が八つの年、お三輪を大阪へ送つた頃は、ビワちやんと云つてた。
彼女には父親がない。母親が一人で彼女を連れて大阪へ行つた。何しに行つたか知らない。そのうちに俺も露西亞へ行き、佛蘭西へ行つたから消息が絕えた。長崎へ殘して置いた俺の祖母にも便りがなかつたさうだ。不思議なのは圭吉が長崎で下宿をしてゐた西山の家の隣りに、行衛不明である筈のお三輪の母親だけが住んでゐたことだ。
そして折々、何處からともなく、お三輪がお袋の家を訪ねて來たことだ。
どう云ふ譯だか、さつぱり解らない。何か深い譯があるんだらう。でなければ俺の家へ隱して居る譯がない。
そのわけは、東京へ移つてから、漸く解つた。その後俺とお三輪とが夫婦になれさうで、なか\/なれずに、ごた\/してゐた譯も解けた。
それが偶然圭吉の屋根裏で出逢つたんだから、出逢つた時は双方顏を見合せてもお互に知らずにゐた筈だ。狸の一件から到頭素性が露れた。お三輪が俺の遠緣だと聞いたら、圭吉めさぞ意外に思ふだらう。お三輪は幼ない時から俺が好きだつた。俺もお三輪以外の子と遊ばなかつた。俺の家と彼女の家は十町を隔てゝ、川があり、橋があり、田圃があり、丘があつた。その川を渡り田圃を越え、丘を登つて俺は彼女を訪ねた。
俺が行かぬ時は、彼女の方から、風船玉のやうに、ふら\/やつて來た。お三輪は六つだつた。俺が二つ多いから、滅多に喧嘩はしなかつた。
お三輪の家は春德寺山の下にあつた。彼女の父は農夫だつた。鼬色の柔らかな芝土に綠の絹絲を匍はせたやうな櫨の木が彼女の家を繞つてゐた。汁の多い若芽をふくらませた靑櫨が、芝上の泥路へ枝を垂れてゐた。春の月を浴びた彼女の牧場は悲しめる美しい幽靈の如く寂かだつた。櫨の下の小路は靑い雲のやうな牧場に蜥蜴の尾のやうに光つて弧を描いたまゝ黑い流れへしなだれてゐた。流れは低く灰色の粘土を溶いてゆた\/と、銀鰐の鱗を重ねたやうな岸を舐めてゐたが雨が降ると、銀鰐を二分ばかり越えて、すゝゝゝゝと走り廻る赤い小さい粟粒のやうな水蟲を浮べて、それが小路へ流れ込むと、呼吸を塞ぐやうな草いきれの牧場へ湖をつくつて見せた。雨が止まぬ時は、山の赤土が洗ひ落されて、流れが血のやうだつた。長崎四郞の亡靈が流れの血を浴びて朦朧と見えたさうだ。
河床から膨れ上つた水は、ほんたうに血と泥を捏ねたやうに毒々しく波立つた。お三輪と俺は牧場の櫨の下で、ぼんやり生活した。お三輪の家へ豚賣りの來たことがある。初夏の白い雲が雨上りの山の上から勢よく盛り上つてゐた。豚賣りの老爺は家の中へ入る前に、汗じんだ汚ない肌衣を脫いで、牧場の木柵に掛けて行つた。
家の中でお三輪の父親と豚賣老爺の笑聲が聞えてゐた。俺は老爺の肌着の襟から腋の縫目にかけて無數に小さい白茶化けた蟲が匍ひ廻つてゐるのを發見した、今考へると、虱に違ひない。
俺は水溜を搔き廻して泥まぶれになつてゐるお三輪を手招ぎすると、お三輪が飛んで來た。俺はうごめいてゐる虱を、お三輪に臺所から茶碗を持ち出させて中ヘ、一匹づゝ摘んで入れて、虱が茶碗の底から匍ひ上らうとするのを日向へ持ち出した。
お三輪はその時分から悧巧だつた。彼女は、物置の柱の釘に懸けてある雞の羽蟲を調べる時に使ふ蟲眼鏡を持つて來た。
お三輪と俺は半日かゝつて、虱を天日で燒き殺した。
その夕方だつた。
俺は彼女に難題を吹つかけた。富次郞も松尾の伜も、春德寺の坊主の子の龍玄も俺と同じやうに友達だつた。
富次郞は質屋の子だ。松尾は地主の伜だつた。俺は、龍玄や松尾や富次郞が彼女の幼ない歡心を買ひに來るのが一番氣に入らなかつた。四人とも同年だ。俺は虱を殺した後で、お三輪に四人のうちで誰が一番好きかと尋ねた。すると、彼女が、あんたが一番好きだと答へたから、俺は眞個かと念を押した。お三輪は非常に怒つて、噓だと思ふのなら妾の手を斬つてもいゝ、痛くつても耐へてお母さんに告げないからと大膽なことを云つて內證で臺所からナイフを持つて來て、それを握らせて、妾の手をお斬り。痛くつても辛棒すると云つた。俺は思ひ切つてお三輪の左の手首を傷けた。細い絲筋のやうな血が噴き出たから、ナイフを棄てゝ俺の家へ逃げて歸つた。
お三輪は感心な女だ。痛さうな顏をしてゐたが、誰にも腕の疵は見せなかつた。十二年見ないと、こんなに大きく、ませるものかと、俺は驚いた。
讀者には甚だ申し譯がないけれども、俺は戀といふ字が大嫌ひだから、此處から、端折つて、一足跳びに俺とお三輪の駈け落ちを描いて、東京へ突つ走らねば、もうあとに紙數がない。今この邊で惚れたとか、惚れないとか、煮え切らずにゐると雜誌の校正係が表に待つてゝ、可愛さうだから思ひ切つて俺がお三輪に惚れて、お三輪が俺に惚れて、兩方で戀の渦を卷き起して、頗る混沌としてゐるうちに、お三輪の伯母が驚いて南禪寺へ飛んで來て、怒つたり、恨んだり、しまいには慰めたりした。心中でもされちや、取り返へしがつぬと思つたからだらう。そのうちにお三輪の母親が上つて來て、混雜に混雜を重ねて、あつちへ走つたりこつちへ駈けたり、夫婦にするのか、夫婦にしないのか、要領を得ない掛合ひがすんだんだらう。夫婦になつたら、死んでも離れるなとお三輪に言ひ含めたかと思ふと、俺に向つて、何卒いつまでも可愛がつてくれと泣いて下から出られて、大いに赤面して、返事をしやうと思つたが、舌がこはばつて、齒の根が合はずに、唇が意氣地なくぶる\/震へて、聲が塞つて出なかつた。そんな不思議な戀があるものかと云ふなら、俺の家へ來い。お三輪が細君になりすましてゐるから。
愈々、結婚反對黨を征服して、祝言を擧ぐる段になつて、出し拔かれて口惜しがつのが圭吉だつた。それつきり向ふから來もしなければ、行きもしない。
お三輪のお袋が、南禪寺の小屋の中で俺に祕然言つたけ。お前とお三輪は二つの年から許嫁だつたと。その時、そんなら、さうだと早く言へばいいと恨んでやつたら、處が實は、お前の祖母樣の姉樣と、八幡樣の松西が露西亞のお父樣の財產が欲しいからお三輪をあんたにやるんだと云つたから妾は、そんな、あさましい女ぢやない、この話は、こちらから打ち壞すと云つて、間もなく大阪へ去つて、以來杳然として消息をしなかつたんださうだ。結婚反對黨は、結婚後も、異人の俺にお三輪をやつちや天道樣に濟まない。祝言は祝言でと、祕かに離婚策を講じたから、怪しからん奴だと思つてお三輪をそゝのかして東京へ駈け落ちした。
世間では祝言がすまないうちに駈け落ちするさうだが、俺は祝言してからやつた。不思議な夫婦だと思ふ。
南禪寺には机が一脚置いてある。あれは小屋の借り賃だ。坊主のものになるだらう。座蒲團や下駄や傘や靴は酒屋へやると、戶口に貼紙して來た。圭吉が來たから、しつかり勉强しろ。俺は東京で新規に蒔き直すんだと書き置きを、お三輪と二人で、暫く嚙つてゐたかき餠の中に入れて來た。圭吉は鼠のやうな男だから、先づ押入を開けてかき餠を嗅つけて、手紙を讀むだらう。
學校には默つて來た。お三輪のお袋には手紙で居處を知らせた。
俺は、とても髮の黑い女を、細君に持てまいと覺悟をしてゐた。だからお三輪が愈々俺の細君になつて吳れた時、俺は氣の毒でならなかつた。そのために友達からも親類からも見限られて了つたんだから。
俺のお袋のケイタの苦勞を、今俺はお三輪に繰り返へさせてゐるやうなもんだ。俺と一緖に外を步くと、通行人が目をそばだてるさうだから、いつも一町位離れて、見失はぬやうに散步した。お三輪は平氣だわと云ふけれども、俺の氣が咎めるから、成る可く一人で、外へ出る。
駈け落ちをする時、俺は裸一貫だつた。高等學校の制服の外に一枚のシャツもなかつた。お三輪がじみな伯母の着物を盜み出して、袖を縫ひ詰めて吳れたから、俺は七條停車場から、へんなへら\/の銘仙を着て夜發つた。新橋へ着くまで、俺は死んだ氣でゐたんだ。旅費だけは制服を賣つて拵へたから間に合つたが、新橋で下車して、靑い目で、べら\/の女の着物の袖の隙間から、祕然東京を眺めた時、俺は嘆息と不安な恐怖の外に、何にも覺えがなかつた
俺は一人で逃げた。お三輪は翌朝早く伯母の家を拔け出すと云つた。俺は少しも彼女を疑はないで、長い時間大きな赤ら宇の長煙管を啣え乍ら、へら\/銘仙の蔭に隱れて、三等待合室のベンチで、勞働者の群や、汚い朝鮮人と共に、お三輪を待つた。
たしかに一月一日であつた。元日の夜明け頃、ぞろ\/吐き出される客が、改札口から雪崩れて出て來る中に、小さい、ぽつんとしたお三輪の姿を認めたとき、溺死しかけてゐる人間が、救助船の影を發見しいやうに心强く感じた。
東京時代
俺とお三輪は京橋に落ちついた。
小說家になつたら、駈け落ち者はみんな東京へ來いと、書かうと思つて居る。何をしたつて、食つて行ける。
俺は石川島鐵工所の職工募集に應じて、正直な履歷書を出した。すると翌日面談するから來いと言つて來た。俺はお三輪が持ち出して來た例のぺら\/した女物の銘仙の裾を引摺つて出掛けたら、職工長が膽を潰した。
そうだらう。目色毛色が尋常の日本人とは違つてゐる處へ、紅絹裏の袷で表裝をしてゐたんだから。あれで日本語が出來なかつたら、そのまゝ巢鴨の病院へ追ひ込まれたかも知れない。
感心に日本語を饒舌ると思つて相手になると、どうして、大したもんだ。職工長は驚いて庶務係長を引つ張つて來て、いそ\/耳打ちしてゐたが、突然
「あなたは、經驗のない職工になるより、鑄物工場の書記心得をやつたらどうです。見た處字も旨い。敎育もあるやうだ。それに丁度空席があるんだから」
と云つた。俺は敬々しく頭を下げて、何卒よろしくと答へた。その翌日から日給三十二錢五厘で鑄物工場の書記になつた。書記は嫌な商賣ださうだ。炭團のやうな、まつくろな、職工の方からは苦情を容かねばならぬし、技師や親方の機嫌は取らねばならぬさうだ。入つてから三日目に江口と云ふ古參の書記が愚痴を零した。
この江口と云ふ書記は俺より一つ年が上だ。佐賀の產だから、やあ君も九州か、それや有望だと大きな聲を出して、親方に矢ヶ間敷―いと怒鳴られた、歸りがけに渡舟の中で、
「俺は此處に給仕の時から勤めて居るんだ。工藤や親方より、よつ程古いぜ」
と云つて、古さうな顏をしたが、口程でもない。古榮えのしない男だ。工藤と云ふのは技師で、江口の說によると、惡性工學得業士ださうだ。何だかインフルエンザ見たいな技師だと思つた。始終鼻の穴へ綿を詰めてゐる。
俺を捕まへて、
「どうだい。此處に辛棒する氣なら、社長に賴んで晚だけでも工手學校へ通はせてやらうか。俺んとこにも、ちつと遊びに來い」
と云つたが、有難過ぎるから、それには及びませんと斷つた。
この間銀座のまん中で、ひよつこり、このインフルエンザに出會つた時彼は鼻の綿を押へながら、
「いよう。珍らしいね。あなたは大變偉い小說家におなんなすつたそうですね、社長が噂をして居りましたよ。何ですか一か月の收入は千圓位あるでせうな」
とわめいたから、往來の人が集つて來た。俺は面倒臭ひからそれは人違ひでせう。さようならと、電車に跳び乘つたら、呆氣に取られて、工手學校へやつてやるから、ちと俺の家へ遊びに來いとは云はなかつた。
お三輪が第一囘のお產の仕度をしてゐる時、お三輪の伯母の義兄がやつて來た。助三と云ふんだ。のんだくれで行商をし乍ら、到々此處まで流れて來て、俺の家へ當分漂着するから左樣心得えろと云つて置いて每日酒ばかり浴びでゐた。俺は相變らず二時間宛定刻に遲れて鐵工所へ通つた。
最初は、大きな天洋丸の煙筒のやうな釜でヅクを熔かすのが面白かつたから、仕事を放つといて、專らその方ばかりのんきに見物してゐた。
ヅクと云ふのは鑄鐵の雅號だ。煙筒が赤熱されて憤慨した拍子に臍を爆發させると、熔けた鐵がどろどろの赤い湯になつて、恐ろしい叫喚と共に痛快に飛び出す。すると炭團連が、素つ裸で、ワッと鬨を揚げる、珍らしものだから、事務所の窓の中で、呼吸をはかつて、手に汗を握つてゐた。すると、到頭インフルエンザに見つかつて、
「仕事をしろ仕事を! お前の方の帳簿は、ちつとも捗かどらんぢやないか。何だつて茫然してゐるんだ」
と俺の肩を摑んで卓子の前へ突き飛ばした。すると、來合せてゐたインフルエザ共が、どつと笑つた。俺はよつぽど跳びかゝらうと思つたが、江口が、卓子の蔭で、袖を曵いたから、勘辨してゐると、親方が、小脇に五六册の帳簿を抱へてやつて來た。
「おい。新參! この帳簿はお前が預つてやつてるんだらう」
と鼻の先に突きつけた。いかにも俺が扱つてゐるんだ。
「左樣です」
「これは一體何と云ふ字か」
と橫柄に帳簿の表紙の獨逸文字を鐵槌のやうな指の頭で突いた。それは、日本で、職工精勤調と云ふんだと說明すると、彼は拳固をかためて、いきなり卓子を、どんと叩いた。
「誰が、毛唐の文句で帳簿を造れと言ひつけたんだ、この工場で橫文字の見える奴は一人もゐねんだから、手前一人が、讀めると考んげえやがつてふざけた眞似をしやがると、承知しねえぞ、早く書きけえろい。畜生」
と恐ろしい目で俺を瞋め据えて、さつさと出て行つた。
親方は炭團連を人民とする工場と云ふ專制政治の暴君だ。こ奴には迚も敵わぬと思つたから俺は、温順に詑つた。
もと\/帳簿を獨逸語で拵へたのは、インフルエンザ共が、寄ると觸ると書記を馬鹿にするからだ。天丼の註文を命じたり煙草を買はせたり、まるで小使か給仕のやうに追ひ廻すから、酷めるつもりで、俺一人で、企んでやつたことなんだ。
江口は側で蒼くなつて慄へてゐた。酷める積りであつたが、あべこべに頭からどやされて、卓子を叩いて脅かされたから、それから三日ばかり胸糞がわるくつて無斷で休んだ。
忌々しいから、行商人の助三と三日打つ通しで飮んでゐると、突然お三輪の義理の祖父が、中風病みの癖に、ぽこ\/京都からやつて來た。伯母の夫の親で助三の親にも當たる。助太郞と云ふんだ。
人間の壽命は、いつ、どこで、飛んで行くか解らないもんだ。
此老人も京都へ温順してゐれば、死なゝいで事濟みになつたかも知れない。なまじつか老爺の癖にお三輪のお產を手傳ひに來たんだと云つて、俺の家の梯子段を無暗に上つたり下つたりしてゐたから、足を踏み外して逆樣に落ちて、階子段の下の空金鉢に頭を打ちつけて、あつけなく死んだんだ。
お三輪は大きな腹を抱えて狼狽えた。助三は、泥のやうに醉つてゐたが慄へ上つた。俺は葬式代の心配で胸がつまつた。仕方がないから京都へ電報を打つと、五十圓送つて來た。
その五十圓は忽ちのうちに火葬場の切符となり、柊となり、早桶となり籠屋の辨當料となり、線香となり、蠟燭となり、殘つたのが、酒代となつてなくなつたが、死んだ老爺の死骸のやうに、始めから、こつちのものでないと思ふと、さつぱりした。
困つたのは、老爺の圖體が並外れてゐたものだから、並みの早桶に抱えて入れたら、頭だけ棺の外へ出た。
すると助三が、よし。と云ひ乍ら鴨居にぶら下つた。醉つ拂つてゐるから何をするか解らない。少々、持て餘してゐる男だから何をしやうと勝手に任せてゐると、宙に浮いてゐる兩足を、死人の肩に乘せた。
乘せたかと思ふと、渾身の力を足の先へ集めて、うんと踏んだ時、可哀さうに、老人の肩の骨が、ぽり\/と鳴つて、二寸ばかり、棺の中へめり込んだ。
「おい。まだか\/」
と鴨居にぶら下つて足を突つ張つてゐる。俺は助三の勇氣に恐れ入つた。
「まだ五寸も棺の外へ出てゐますよ」
「それぢや駄目かなあ、お前は頭の方を力一杯押して見ろ」
俺は滑らかな老人の冷めたい頭を力任せに押した。押す度に、いくらか前へ傾き乍ら、棺の中へ入つて行くが、手を放すと、筋肉の剛ばつた恐ろしい彈力で、びつくり箱の猫の首のやうにまた飛び出した。
「いけないねえ。」
と助三は到頭諦めて、鴨居の手を放した。死人の惡臭は、助三の足と俺の手からと不氣味に漂つた。
お三輪は、眉を潛めて、兩手を胸に當て乍ら、怖々襖の蔭に彳んで、見てゐた。俺と助三は、一先づ死人を棄てゝ置いて、大なき皿に盛つてあるすしを、臭ひ指で摘んで頰張り合つた。
「仕方がないから、も一廻り大きい棺を買つて來るんだね。これぢや、蓋が出來ない」
と助三が自分で、葬儀屋へ走つて行つたが暫くすると、駄目々々、明日でなくちや、職人がゐなくて出來ないさうだと、云ひ乍ら戾つて來た。かう云ふ譯で俺と助三郞とお三輪とは、早桶から首を出してゐる老爺と向合つて一夜臭ひ思ひをした。
火葬場から戾つて來ると一文なしだつた。仕方がないから、鐵工所へ給料の前借りに出掛けた。獨逸語で帳簿を拵へて酷い目に逢はうとした親方を探して、不本意ながら先日の詑をして、憐みを乞ふと思つて、鑄物場を探し廻つたが、居ない。
事務小屋の入口で除方に暮れてゐると、木工場から突然ヴァイオリンの音が流れて來た。こんな地獄の底のやうな處にヴァイオリンは變だと思つた。金の工面の出來ないで、悄然と事務所を出て歸りがけに、木工場を覗いたら、眞つ暗な奧から、ヴァイオリンが聞いて來た。折々赤い火が閃めいた。閃めく度に赤い鬼のやうな人間の顏が輪をつくつて仄かに現はれた。ヴァイオリンの音は、その邊から傳わつて來る。
俺が、薄闇の中に茫然突つ立つて、この不思議な光景を見詰めてゐると出し拔けに後ろから俺の肩をぐつと摑んだ奴がある。
俺は驚いた。其奴の手を捕へやうとすると、
「おめえ、其處で何してゐる?」
と耳端で銅羅のやうな聲がした。それと同時に材木の蔭から、また一人躍り出た。其奴が、マッチを摺つて俺の顏を覗いてゐたが、
「あ。書記の毛唐だ。脅かしやがる」
と云ふ、と肩を摑んでゐる黑ん坊が、
「左樣か。」
と俺を地べたへ突きのめした。俺が悸然として逃げ出さうとすると、
「まて\/。此方へ來い。今逃げられちや困るて」
と、二人がゝりでヴァイオリンの方へ、俺を引摺つて行つて、闇の中へ引据えた。俺は烈しく藻搔いた。時々マッチを摺ると、俺の前で車坐になつて、賽を振つて、必死に勝負を爭つてゐる猛獸のやうな職工の影が、十五六まで數へられた。
彼等は賭博に耽つてゐたんだ。ヴァイオリンを彈く男は意外にも江口だつた。江口は職工に傭はれて賭博を胡魔化す爲にヴァイオリン彈いてゐたんだ。彼が樂器を持つてゐることも木工場が、賭博場であることも、俺は始めて知つた。給料の前借どころではない。
俺はその月末に馘られた。
馘りの宣告を下したのは例の親方だつた。原因は、朝寢をして定刻を二時間過ぎねば工場へ出て來ないこと。職工の缺勤調べが行き屆かないで、職工に餘計○星をつけたこと。○星を職工の金札につけると其日の工賃が十錢ふえるんだ。
それから、職工と口を利くこと。職工と口を利いて仲よくすると、職工がつけ上つて、秩序が亂れるさうだ。まだある。親方が職工の中に混つて賭博をしてゐる最中を俺が知らずに發見したこと。それに獨逸語を識つてゐる獸は、工場に不向だと言ふこと。これだけだ。
月末の給料を吳れる時、親方が、
「社長が手前に話があるさうだから、歸りがけ一寸行つて見ろ」
と怒鳴つた。行つて見ると、給料が上るんぢやなくつて、馘られた。面白くもない。給料を上げるから行つて吳れつたつて、眞平だ。
馘られて意氣揚々として家へ歸ると、京都から、三輪の伯母が爺さんの骨を受取りに來て居た。
それから間もなく淺草の今戶へ引越した。どう云ふ譯で穢多の群へ飛び込んで、皮を剝だり、豚の毛を毮たりして、血まみれになつて働いたかと尋ねる人があるなら、食へなかつたからだと答へやう。板倉龜次郞と云ふお三輪の伯父の友達が京橋で火山灰の問屋をしてゐた。面倒だから、板龜と云ふことにする。
板龜が新潟の稅關で、賄賂を取り過ぎたので、終いに露れさうになつたから、職を止めて、京橋に來て火山灰の問屋を始めたんだ。團十郎の顏に似てゐるから、芝居狂ひの細君が板龜に惚れたんださうだ。板龜は欲の皮の突つ張つた男だ。露西亞が獨逸に宣戰した時、日本へ長靴の注文が來たさうだ。
何でも、東京の靴屋だけでは持て餘す程どつさり注文があつたから、新規の靴屋が、三河島にどし\/ふえた。どう云ふ處から聞き込んで來たのか板龜が俺の家に突然やつて來て、革屋が儲かるんで、すぐ明日から淺草の龜岡町へ製革工場を建てゝ、君に行つて働いて貰ふんだと一人で定めた。俺は食へない最中だつたから、革屋の番頭になつて見る氣になつたんだ。
俺が三河島邊に割據してゐる穢多の仕事に詳しいのは、さう云ふ譯で自分で彼等と同じやうな商賣で暫くでも飯を食つてゐたからだ。
その時分知らない奴が、俺の素性をよく聞きたがるから、西洋の新平民だと公言して、彼等を歡ばせてゐた。
穢多なんて愚かな動物だ。西洋のこちとらもやつぱり牛や馬の皮を剝ぐかと云つた。剝ぐから西洋でも穢多なんだらう。
俺は京都から脫け出して來て、まだ一度もスイスのラリーザ伯母へ便りをしなかつた。お三輪と駈落ちして、途方に暮れてゐるうちに革屋になつて、子供が生れて、今盛んに泣いてゐるとは、どうしても言へない。言ふたら、お前のやうな獸とは緣を切ると云つて寄越すだらう。
板龜の革屋は半年で沒落した。沒落する時は悲慘なものだつた。
彼は稅關で袖の下を歡迎するやうな狡猾な男だから、三十日間澁液の壺へ漬けて置く筈の牛の皮を、二十一日で引き揚げた。仲間の玄人が、旦那、それや駄目ですぜ。とても皮の心まで藥が通りませんよ。燥かしてからブリキの樣に固ばつて了ひますぜと忠告をしたが、なあに大丈夫だと云ひ乍ら三千枚すつかり壺から出して蔭干しにした奴を靴屋に分けて賣つた。みんなで六万圓になつた。
「どうだい俺の腕は、とても先祖からの穢多共が敵ふもんぢやあるまい」
と威張つて、また空いてゐる壺に新らしい三千枚の皮を漬けた。
三十日藥に漬けて置くのが定則ださうだ。一日でも早く引揚ぐる發明が出來たら皮一枚について十錢だけ餘分に儲かるんだつた。儲かるから板龜が思ひ切つて、やつたんだらう。
彼は頗る得意であつた。二度目に染劑へ投込んだ革はもつと早く引揚げて、まだ濡れてゐるうちに、賣り飛ばしてやると意氣込んでゐると、三千枚の牛皮を買つた靴屋が突然結束して押し寄せた。
代表者の一人が、
「あの革で露助の長靴を造つて、露助の檢査官に見せたら、念の爲一足無駄にするからと云つて、ナイフで出來上つた一足をズタ\/に切つた。切り口を見るとちつとも藥が泌み込んでなくつて、眞白だつたから、露助は怒つて戾した。翌日靴の註文を癈めるからと、日本のお役人を通して來たんだ。どうしてくれる」と温順く理由を語つた後で、穢多の本性を表はして板龜工場を叩つ壞せと騷いだ。工場は叩き壞されずに濟んだが、板龜は三千枚の牛皮を棒に振つた上に、「露助の長靴」から絞りそこねた儲けを、あべこべに、取れるだけ取られて、漸く事ずみにした。
板龜工場は翌日潰れて、俺は殘つた生の牛皮を二三枚內證で賣り飛ばして其處を引き拂つた。
板龜が芝居好きの妻君を絞殺して、彼女の屍の前で咽喉を突いたのは、工場に棄てゝ置いた革が、ぽつ\/盜まれる翌々日であつたと思ふ。
だから、俺は、皮の話が出來る。革屋を始めやうと云ふ人があつたら、壺の中へは三十日漬けなさい、慾ばつて二十一日で引き揚げると大變なことになりますよと、敎へてやらうと思ふ。その時分俺は穢多もやつたが大學にも通つてゐた。學校は、ついこの間癈した。成業の見込みがなくて、月謝が滯つて、學校の門を潛るのがつらかつたからだ。
そのうち、ある官吏が西伯利へ行かぬかと云つて來た。西伯利は一度汽車で素通りしたことがあるんだ。
「西伯利へ行つて、何をするんです」
と問ふた。すると、
「戰爭が始まつてゐるから、どさくさ紛れに金鑛でも占領するんだね」
「金鑛なんて、そんなに手易く奪つてもいゝものかね」
「あゝいゝとも。過激派の露助に荒らされて、持ち主は逃げちまつたさうだ」
とその時は自分の疝氣を他人にゆづるやうな、たやすい話だつたから
「それぢや、行かう」
とうつかり返事をしたら、
「ほんたうに出掛ける積りかね」
といやに念を押し出した。
「行くとも。さう云ふ譯だつたら行く。然し命に別狀はないだらうな」
と今度は俺が駄目を押した。するとその男が、俺の眞劍な樣子を眺めて、はゝゝ大丈夫だよ君と肩を叩いて笑つた。
この官吏がどこから、どう話を持ち込んだものか、間もなく俺はある會社から西伯利へ出張を賴まれた。無論俺ばかり行くんぢやない。その會社の重役が、こんど西伯利に支店を建てるについて、俺を通譯者としてお供を命じたんだ。
愈々出發する日に、官吏が來て、
「屹度旨いことがあるぜ。あつたら、俺も仲間に入れて吳れ。」
と云つたから、よし承知した、ごた\/最中へ飛び込んで行くんだから、何かあるとも、あつたら知らせるから出て來るがいゝと答へて置いた。
すると、東京驛で、汽車が動かうといふ間際まで、見送り人の中に、きちんと、すましてこの官吏が、汽車がごと\/動き出すや否や、慌てゝ跳んで來た。窓口につかまつた。
何か云ふことを忘れたやうに、口を動かしてゐたから、
「何だい。あつちへ行かんと危ないぜ」
と注意すると彼は細い聲で、
「別に用はないんだがね。西伯利へ行くと靴の裏に砂金が密着いて、步いてゐるうちに動けなくなるさうだから、用心をしろよ。動けなくなつて、凍つちやおしまひだからな」
と心配さうな顏をした。そんなに砂金があつたら、少々動けないで、少々凍つてもいゝと嬉しがつたが、後で東京へ戾るまで、靴の裏には一粒もくつつかないでしまつた。お蔭で凍らずに濟んだ。
俺には年老いた祖母がある。西伯利へ行くときお三輪へ預けて置いた。
俺が過激派に殺されずに舞ひ戾つた時、俺の顏を見て、
「妾が息のあるうちに、とても、よう歸つて來んともとんだばい。よかつた。よかつた」
とぼろ\/凋んだ眼から淚を零し乍ら、もう何處へも行くなと云ふから、もうどこへも行かないと答へたらまたら、よか\/と云つた。
俺の原稿が賣れるやうになつたのは、西伯利から歸つて來てからだ、或るとき或る本屋に小說を賣りに行つて二人の客に出會した。一人の男は狆のやうな顏をしてゐた。これが生方敏郞さんで、今一人の方は布袋樣のやうだつたが、これが田中貢太郞居士だつた。その時貢太郞居士が俺の小說を見て、旨い旨いと、つづけ樣に赤い舌をべろべろと二度出した。
それから俺を中央公論の親方へ引つ張つて行つて、こ奴は物になるから何か書かせろと言ふと、親方が、俺の話を聞いて、そんなら自叙傅を書いて見ろと云つたから、直ぐに書いたのが、ざっと此通りである。
俺の自叙傅終
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