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イプセンの百年祭

『絶望の書』 (1930年11月、万里閣書房)は「巴里の下駄」「絶望の書」の二部で構成されている。「巴里の下駄」は渡仏時代の文章を集めたもの。それについての覚え書きを残しておこう。

・巴里の下駄>此処が巴里>十三時(1928年)

特に停車場で使う言葉だというが、発車時刻を尋ねると、十六時だとか二十二時だとかいうのだ、――つまり午後一時のことを十三時というわけだ。マラルメの詩に「サクソニイの時間は十三時を打つ」という文句があったと記憶するが、わざと詩人がシャレていったものとばかり思っていたが、パリではやたらにこんなことをいってるのだ。しかも早口でやられるのだからメンクラわざるを得ないではないか、つまり午前と午後を判然とさせる為めだというのだが慣れない人間には至極迷惑である。

日本でも現在は時刻表で16時とか22時とかいうのが当たり前なんだけど。辻によれば、1928年当時そうではなかったようだ。本当かいな?


 巴里でも先月の初め頃からイプセンの百年祭で新聞や、雑誌が騒ぎ立てているようだし芝居もイプセン物ばかり続けてやっているようだが僕は見にも行かなかった。日本ではたしか去年あたりイプセンの百年祭をやったように記憶しているが、日本と西洋では年の数え方がちがうのだと見えてこッちは一年遅れているようだ。

興味深いのがこの記述。西暦の年号で並べて見よう。
1828年3月20日 イプセン誕生
1927年 日本でイプセンの百年祭
1928年 パリでイプセンの百年祭
日本の百年祭は「数え年」である。生まれた時点で1歳、元日を迎える毎にプラス1歳と加算していく方式。現在の「満年齢」とは異なる時間感覚。

この「数え年」の感覚は今でも生きている。年号がまさにこれなのだ。端的に言うとゼロ年という概念がない。
項羽と劉邦、楚漢戦争の後を見てみようか。劉邦による前漢の建国は紀元前206年。前漢の滅亡は紀元後8年。BC206-AD8。西暦紀元にゼロ年はない。BC1年の翌年はAD1年である。
先の百年祭に話を戻した場合。日本ではイプセン暦100年という元号感覚、パリでは1828年+100年という時量感覚。

・巴里の下駄>日本がいいよ>無軌道電車(1928年)

 電車でも、乗合自動車でも停留所には必ず番号の数字の入れてある紙切れが置いてあって待合す人間は来た順にそれを切りとって持っている。そうして番号順に乗ることになっている。勿論定員を超過した場合には次の車を待たなければならない、こういう規定だから乗る客も楽だし、車掌も楽だ。電車の外側にぶら下がっている人間などは到底見たくも見られない。これはパリの人口が少ないのと交通機関が発展しているのにもよるだろうが、こっちの人間が御相互に便利に生きることを心得ているからだと思う。

吃驚させられたのがこの記述。「電車の外側にぶら下がっている人間」と。
1928年頃の”電車”という場合、現在の”路面電車”や”市電”に相当する。

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「電車の外側にぶら下がっている人間」と。定員オーバーで実際にぶら下がっていたのであろうか。演歌師の「東京節」も決して大袈裟な歌ではなかったということか。

「東京節(パイノパイノパイ)」
添田さつき作詞・アメリカ民謡

東京の名物 満員電車
いつまで待っても 乗れやしねえ
乗るにゃ喧嘩腰 いのちがけ
ヤットコサとスイタのが 来やがっても
ダメダメと 手を振って
又々止めずに 行きゃあがる
なんだ故障車か ボロ電車め
シチョウサンタラ ケチンボで
パイノパイノパイ
洋服も ツメエリで
フルイ フルイ フルイ

「東京節」のYoutube音源。

当時の雰囲気を出しているのは岡大介。
演歌師の音と魂を引き継ぐ伝道者。
https://youtu.be/9dk0kLk4Xt4?t=55

大衆歌謡として洗練させたのは春日八郎。
良くも悪くも人畜無害。
https://youtu.be/ywK4k8Lpy0I?t=105

個人的に好きなのがモノノケ。
音も毒も今風。
https://youtu.be/lbKuSWUg9Zw?t=280

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