にひる・にる・あどみらり
底本:『虚無思想研究 上』1975年刊行、蝸牛社(大澤正道編)
にひる・にる・あどみらり
辻潤
▼一日生きれば一日だけ恥を増すと唐人は云ったが、一日生きれば一日だけ、人間のあさましさと、世の中のアホらしさを、次第に強く感じるばかりだ。
▼「虚無思想」を研究すると云うことはどんなことをするのか私にも実はよくわかっていないのだ、それを研究すればそれがなんのタシになるのだか、ならないのだか、そんなことも私にはわからない。老子はだから「名の名とすべきは常名に非ず」と云っているではないか?
▼僕は昔から老荘のエピゴーネンだと、無想庵も云っているが、僕も御多分に漏れないエピゴーネンだ、老荘も恐らく何人かのエピゴーネンだったのだろう。
▼近代人の異人の思想家ではスチルナアとショウペンハウエルとを私は好む。かれ等が偉大な思想家であるかないかそんなことは私にはわからない。唯だ好きだと云うだけだ。
▼人間は自分と類似な人間を好む。つまり結局自分が好きだと云うだけだ。
▼僕は昔から無想庵が好きだった。今でも彼が好きだ、なぜなら彼の持つ思想や、スタイルが今の日本人中で一番私に似ているからだ。
▼彼の書いたものを読むことは自分の書いたものを読むことと大差ないからだ。
▼最近で一番私が興味を持って読んだ物はやはり彼の日記を集めた「世界を家として」と云う書物だ。それからパピニの自叙伝だ。それからアルチバセフの「作者の感想」だ。
▼私はこの雑誌で古谷栄一君を紹介することを誇りとするものだ、日本にもかくの如くすぐれたひとりの思想家がいると云うことは実に気強い感じがする。
▼現代が彼を認め得ないのは現代が浅薄で愚劣だからだ。
▼私は古谷君の「オイケン哲学の非難」以来古谷君贔屓なのだ。
▼頭が少しも動かない――これは今に始まったことではない、時々こんな風になるのだ――などと云っても読者には恐らく通じないことだと思う。一月の末に朝鮮から帰って以来、兎角健康がすぐれないのだ。多年の貧乏と不摂生の結果だと考えてはいるが、今更どうしようもない。
▼全体、統一を毛嫌いしているのだ、生活が既にそうなのだ――立派な書斎にでも納まって食う心配がなく、好き勝手な本を座右に置いて、すましこんでいられる身分なら、きっと頭も統一がとれてくることだと思う。
▼毎日沢山手紙をもらう。手紙をもらうことは嬉しい――しかし私は不精で返事を少しも出さない――まことにすまないことだと思っている。
▼しかしもらう手紙の返事をゆっくり書いたり、自分の好きな人達にゆっくり手紙を書くことの出来るような境遇になりたいものだと思う。
▼ダダイストは雲や霞を食って生きているのじゃない、又頭で地面を歩いているのでもない。宝の山を積んで生きているのでは勿論ない。
▼彼は貧弱な一個の文筆労働人に過ぎない。彼はかなり常識の不足した一人の平凡人に過ぎない。
▼彼は浮浪人ではあるが独身ではない、おふくろもあれば子供もある、彼が働くことが出来ないようになれば当然かれ等は餓死する運命になる――少なくともそれに近い運命に落ち入るに相違ない。
▼僕がポーランドに行って帰って来ないなどと書き立てた馬鹿な野郎があるが、ポーランドなどへ行って全体どうしようと云うのだ。
▼僕が何処へ行こうと行くまいとまったく大きな御世話だ。行きたくなれば行くまでだ。しかし行きたくっても金が出来なければ問題にはならない。
▼毎日もらう手紙の返事をいちいち書いていたらそれだけで日が暮れてしまう。私はハガキ一枚書くに二三時間かかることがある。これはウソでもなんでもない――わかる人だけにはわかることだ。
▼私はかなりエゴイストではあるが、人間や世の中のことを考えない人間でもない。――私は友達や同胞の不幸を冀う人間ではない。
▼健康で、御相互に仲よく暮らすことが出来、自分の好きな仕事にいそしむことが出来ればそれ以外にあまり問題はない。唯それが如何に出来がたいかという事実が存在しているばかりだ。
▼人間を平等に愛する――そんなことが出来てたまるものか?
▼ひとりを強く愛することはその他に対して冷淡になるということだ。
▼私には愛の使いわけは出来ない。
▼唯だ「愛」の性質が一様でないと云うことだけはわかっているつもりだ。
▼芸術と女を同時に愛することは不可能だとゴッホは嘆じた。それは豈に唯に女ばかりではない。
▼私は過去十余年芸術より酒を愛し過ぎた感がある。しかし私は別段それを悔いていない。
▼二兎を追う物は一兎を得ず――しかし、人間の欲望は元来そう単純なものではない――二兎どころか三兎も四兎も同時に追おうとする傾向がある。
▼僕は近来いたく疲労しているので、どこか一ヶ月余り静かに山の中の温泉にでも出かけて健康を回復したいと考えているが、上海にいる知人から遊びに来ないかなどと云われるとすぐにでも飛んで行きたい気持ちにもなる。又しばらく放棄したフランス語の練習をやりたいと考えている一方では、独逸語の自由に読めない不便をつくづく感じたりなどしている。
▼その癖、まだ英語もロクに読めないのだから厭になってくる。なにもかも半チクだという気がしてやりきれない。
▼知識の限界がわかっていながら、それを全然放棄し去ることの出来ないニヒリストなのである。
▼貧乏、病気、多忙、制作、禁酒、禁煙、禁女、借金 Etcetera 当分土曜以外絶対面会謝絶、強いて御面会御希望の方は一時間金五円頂戴のこと、虚空元年一月吉日、痴呆洞主人、わたしはこのようなビラを書いて今日門口に貼り出しました。
▼神様と云うような動物がどこかに存在していて、このような世の中をこしらえたとすれば、まヅそんなケシクリからん動物から退治する必要がありますね。緊急動議。
▼わたしは近頃ダダイズムが真から真実イヤになりました。ある日のダダイスト。
▼わたしは半病人で毎日ゴロリゴロリとねたり起きたりしています。
▼お小づかいがないので本を売ってまづいお酒を呑んでいます。
▼なんとお酒というおのみものはまづいおのみものなのでしょう!
▼泥酔することは間接に、一時的に自殺することだ。平凡な真理。
▼ビールは変にクサくって、少し呑むと腹がダブついて不愉快だ。
▼鰻が食へないと思うと、仏蘭西へ行くことなんか問題じゃなくなる。
▼人間と話しをすることは恐ろしく退屈で、欠伸が出る。時々、犬や熊などと話がしてみたくなるよ。
▼書物を読むことはヒマ潰しには一番いい、どんなエライ人間が書いた本だって、イヤになればその辺へオッポリ出してしまう。しかし本は文句も云わず、怒りもしない。
▼おれのところへ遊びに来るなら、飛び切り上等な酒とウマイ御馳走でも持って来るがいい。おれのところへ来たって金の儲かる話なんかは一ツもないよ。
▼私の眼はいつでも内側に向けられている。予はアキメクラの一種なり。外界の物象は存在の意義を失うこと時々なり。
▼言葉――自分の知っている言葉が自分の言葉――英語でも、アラビア語でも、アイヌ語でもなんでもかんでも。
▼子供が病気でグズグズ云ってウルサクて耐らない――嗚呼! 嗚呼! 子供を生ませるような真似をした私は天下の極悪非道人だ。
▼なるべく多くの人に読んでもらいたければ、なるべく多くの人にわかりやすいような言葉で書けばいい。
▼で、なければどんなむずかしい文字を使おうと、新語を発明して用いようとその人間の勝手次第だ。
▼正直に自分の思ったことを云うと生きてゆけなくなるとはなんたる不思議な世の中。
▼問題は解決されてしまった――私だけには。
▼アイヌのメノコの話をきいたら、アイヌが羨やましくなって、千島へ行きたくなった。
▼「永遠の女性」と云う奴は、いつでも若く、いつでも神々しく、いつでも美しく、いつまでも婆さんにならないから、私は安心している。
▼ローマ字の好きな奴はローマ字を使え、漢字の好きな奴は漢字を使え、エイゴの好きな奴は……エスペラントの好きな奴は……
▼食道楽、女道楽、バクチ道楽、キネマフアン、革命フアン、フアン、フアン、フアン。
▼道楽のある人間はなんと云っても幸福人だ、夢中になれるフアン、フアン又然りとなす。
▼ニヒル、フアンと云うはだが一向栄えないフアンだ。
▼みんなほんとうでみんなウソか?
▼諸君はねて全体、どんな夢を見ますか? 真面目に夢に就て御考え下さい。
▼ケーベル博士が女性が好きだったと鬼の首でもとったように笑った奴があったそうだ。王様が御飯をあがると云って今更ビックリ仰天する人間と同属だ。
▼鴻の池の奥さん。「どんな貧乏な家にだって千円位はあるでしょう」と、小遣はいつでも火鉢の抽斗にあるわと云うのと好一対だ。
▼らじお――馬鹿の一ツ覚え。
▼昔、議会と云うものが開けさえすれば、忽然として極楽が天降ると信じてた奴等がいた、今では革命さえやればか……
▼昨日剃ったも今道心――一昨日なったも、ダダイスト。
▼飯が食えねえ、仕事がねえ、でんでらでんのでッかいカカア持ちや……でんでらでんか。
▼なんたる長い五月雨、爺さん欠伸にカビが生えか……
▼全たいおいらのような阿保や、低脳はどう始末してくれるんだい、……シッカリ頼むぜ、馬鹿にしてやがら。
▼私がなにか文壇で一角の権威でも持っているように考えて、私のところに原稿を持ちこむ人が沢山いるが、私はまったくなんの勢力もない人間なので、まッたく御気の毒千万だ、自分の原稿を売るのがヤットコセイ、ヨーイヤなのだ。
▼御金があるなら、スバラシクでかい、一人では持って歩くことも出来ないと云うようなデコデコ雑誌を出して、みなさんの原稿を一枚百円で買ってあげたい心は山々。
▼自分の言動は一切その時限りで、前後になん等の執着もない。無義務無責任。
▼まったく頼りにならない人間だと、自分でもつくづく思うことがある。
▼だが、人間はもッと御相互同志アテにしないようになればそれが一番無事なのだ。
▼アテにするから癪にもさわれば、腹もたつのだ。
▼しかし、人間や世の中をアテにしないで、一日だって生きてゆかれるだろうか?
▼生きると云うことは、だが又別のことなのだ。
▼虚無思想を虚無党と感ちがいをしている御役人がいたので、みんなで大笑いをした。
▼こちらは御釈迦様や、老子や、達磨を顧問にしているので、ヘルツエンやバザロフとは少しばかりちがうのだ。
▼しかし、本来空なのだから、なにが飛びだしてくるか予想がつかない。
▼僕は実際、意気地のない、逃避者だ、しかしいくら逃避したところで、生きている限りこの現実からの逃避は一分一秒たりとも出来はしないのだ。
▼人生から逃避するのは死ぬより他になんの方法もありはしない。
▼私は弱虫で、意気地なしだから暴力がだいきらいなのだ。
▼しかし、だからと云って無抵抗を主義としているわけでもない。
▼人間を簡単に色分けにして、それで安心している人間が多すぎる。
▼僕はまさしくインテリゲンチャの一人に相違ない。しかし、知識階級などと云われると気まりがわるっくて穴へでも入りたいようだ。なんの知識だい?――外国語が少しばかり読めると云うことがかね?――
▼いくら考えても、世の中という奴は不公平で、不合理きわまるところだ。
▼しかし「運」という奴はたしかに存在している。
▼ヒョットコやオカメに生れ来たのは、生れて来ようと思って別段生れてきたわけではないのだ。
▼金持の家に生れて来るのも、貧乏の家に生れて来るのもその人間の「運」なのだ。
▼性格、才能、境遇――それはなんとも致仕方がない。
▼プロレタリヤがプロレタリヤ風の生活感情を持っているのに少しも不思議はない。
▼ブルジョアジイに対する憎悪と反抗心とを抱くのはあたり前の話で、かれ等が従来のような奴隷根性から脱却すれば癪にさわるのはあまりにも当然すぎる。
▼闘争は闘争の好きな人間だけがやれば一番いいのだ。
▼民衆をダシに使って無意味な人殺しをやらせる野蛮人共が早くいなくなればいいと僕はそれを冀っている。
▼人間の歴史はどうしてもカクカクの過程を経なければならぬものだなどと、始めから人間の歴史の製造者でもあるかのような顔をしている人達がいる。
▼正気の沙汰ではない。
▼人間は過去のことなどはドシドシ忘却してしまっても差支いはない。未来のことなども考えてみたって、どうなるかわかったものではない。
▼ただこの苦しい現実を御相互に少しでも忘れて楽しく生きるにしかず。
▼いつでも酔払っていろ、――なんにでもいいから――と云ったボオドレエルは真にこの現実の苦しさを泌々味わった人間の言葉だ。
▼人間の言葉は浮雲のようだ――なんにも考えたくないと思いながら、こんなことをいつでも考えているのだ。
▼私はまだ生れて自分で雑誌を出して見ようとか、仲間と一緒になにかをやって見ようかと云うような積極的な考えを起こしたことは一度もない。
▼自分の性分はひとりでほったらかして置いてもらうのが一番好きらしい。
▼この雑誌は辻潤の雑誌じゃないのだから、そのつもりでいてもらいたい。
▼この雑誌の題名と内容とが別だというような抗議を申し込んだ人があるが、題名と内容が別だろうが同じだろうがそんなことは問題じゃない。どうして「研究」などと云う名前をつけたのかわからないような頭の持主はセイゼイ精読してその所似を研究するがいい。
▼「虚無思想」と云うのは「なんでもない」思想と云うことだ、なんでもない思想を研究することはなんでもないことなのだ。
▼まさか「虚無思想」を研究して博士になりたいと思っているベラ棒もあるまい。
▼昔ゲーテは「エルテルの悲しみ」を書いて自殺を賛美したが当人は別に自殺をしたわけではなかった。
▼辻潤はダダとニヒリズムを混同しているそうだ。だからどうしたと云うのだ。頭が悪いというシャレかね。
▼阿呆と低脳の一手販売みたいな人間にそんなことを云ったって今更始まるまい。
▼内藤辰雄の「辰ちゃんの頁」と云う題が甚だ不真面目でよくないと云う――なんでもそのちゃんと云うのがよくないそうなのだ。
▼中々色々と注文があるものだ、だから生きていることはめんどうでたまらないと云うのだ。
▼苟くも「虚無思想研究」の読者ともあろう者が「ちゃん」位に拘泥するとはなんたるこった。まったくちゃんちゃらおかしいやあ。
▼今年は涼しいのか知らないがイヤに蒸し暑い日ばかり多くって不愉快でたまらない。
▼太陽の黒点と云う奴は色々な影響を与えると見える。ダダの発生もその結果かも知れない。わるいことはみんな黒点のせいにしておけばまちがいはなさそうだ。
▼人間は、もっと馬鹿馬鹿しく簡単に、もっと自由に、もっとベラボーに生きられる筈だと思う。anti-pluralistの一考察。
▼先づ子供を生産することをやめるんですね、人間の最上の道徳はそれ以外にありはしないのだ、ニヒリストの至上命令。
▼子供を本能的に欲しがるだけでも女は男より残酷な動物だ。
▼たいていの野郎は女に搾取されている体のいい奴隷。
▼搾取と略奪のだが行われていないところは何処にもないのかも知れない。
▼どうも頭がカラッポな時になにかシャベラされるのは閉口だ。
▼虚無思想と云う奴は尤もカラッポな思想と云うことにもなるから――。
▼遠地輝武が「夢と白骨との接吻」という詩集を送って来た。中西悟堂が序文を書いて村山知義が装丁している。それだけでも、この詩集が如何にダダかと云うことが一見して感じられる。ダダ的なあまりにダダ的な詩集だ。遠地は中々のユウモリストだ。ダダのサンプルみたいな詩集だ。
▼これより先きドンザツキイが「白痴の夢」と云う赤本詩集を送ってよこした。「君は新らしいボートレースだ」と僕は早速返事してやった。ザツキイの詩は中々サイコ・インテレクチャアルで素晴らしくうまいものだ。
▼人間には前から二三度遇っていたがこんなウマイ詩をつくる人だとは思わなかった。
▼話は別だが松本淳三やドンザツキイが辻潤にマヅイ詩を書かせるのはどうも甚だ悪趣味だ。尤も書く奴も書く奴だが――。
▼人間は年をとればとる程、愈々益々厚顔無恥になるばかりだ。それでなければ生きてはいられないからだ。厚顔無恥の美老年。
▼マヴオ ギムゲム ヒドロパス ドン ドドド 世界詩人 ダダイズム ネオ・ダダイズム――まことに隆盛で豪勢なものだ。
▼まるで、DADA洪水の氾濫期と云う盛観だ。
▼橋爪健はある時、辻潤はダダの簇生をなげく男だ、彼はダダイストではないと云うような断定をくだした。
▼高橋新吉もある時、辻潤なんかにはダダはわからないと威張ったことがあった。
▼ダダにもネオが出て来た、いづれまたネオネオと云う奴が出て来ることだろう。
▼ニヒリズムも病膏肓に入ったのは第三期と云う銘を打って現れて来た。
▼新らしい病人の方が一足御先きへ失敬したという感がある。
▼バイキンも旧い奴は兎角ノロノロとしていると見える。
▼時間から云うととうにクタバッてしまっている筈なのだが――。
▼新らしがりやは別段珍しくもないが、若いくせに旧がりやのいるのはまことにオツリキ千万だ。
▼ウチの若い者アビダルのウラ哲(アビダルなんとかと云うムズかしい論文を書いたト部哲次郎のこと)の如きは旧がりやの随一でなんに限らず新しいと名のつく物は一切毛ギライをして頭から毒づきたいと云う厄介な男だ。
▼こないだも角刈りの姿でワザワザ東京から貧乏徳利をブラさげて陀々羅先生を蒲田に襲撃してサンザン悩ませた。
▼なんでも陀々羅先生ともあろう者が年甲斐もなく銀座の真中で断髪のカチュウシャネマキのような衣物をきた女と白昼イチャついて歩いていたと云う報告に接して憤慨おくところを知らずして飛んで来たと云うのだ――若しそれが事実なら今日限り「先生」を破門すると云う大気焔なので、どっちが弟子だか、先生だかわからなくなってしまった。
▼ところが先生もまんざら身に覚えのないことでもないから低頭平身して一応その罪を謝し、アビダル持参の徳利から先ずヒヤでグッと一ぱい呑みほし、さて徐ろにその次第を陳述に及んだ。
▼なんでもそのカチュウシャネマキの断髪と云うのはどことかの自動車の車掌さんで、かねて先生の著書を愛読し、こないだも銀座で「ですぺら」が五十銭で見切り売りになっていたのを幸い有頂天になって早速五六冊一人で買い占めて「御友達にわけてあげたのよ」と云うような熱心な読者で、その車掌さんにつかまって資生堂でアイスクリームを御馳走になって尾張町の角まで一緒に歩いたのだと云う至極アッサリした涼しい話なので、勢いこんで乗りこんだウラ哲もそれをきくと開いた口が塞がらず「なんのこったい!」とハシゴの酔いも一時に醒め、さて改めて持参の徳利をお燗して先生とチビチビ仲なおりをしたと云う。
▼こないだマコト君(「ですぺら」中の「ふもれすく」参照)をつれて大原へ出かけた。大原と云うのは南総九十九里浜に続く太平洋岸で両国から乗ると三時間半ばかりで行かれるところなので近年東京より避暑客多し。
▼大原にはマコト君の弟の流二君(同上「ふもれすく」参照)がいるのだ。しきりに兄きのマコト君に遇いたがり「わが太平洋の岸辺大原」へ遊びに来い来いとこないだから度々ハガキをよこしたので、出かけたようなわけだ。
▼地震前にはたいてい毎年出かけたのだが、地震後しばらく僕がアチコチと歩いていたのでしばらく行かなかったのだ。
▼僕のロマンチック、アイデアリズムは百姓になることか漁師になることだ。しかし、どちらかと云うと漁師の方が好きだ。明るくって、元気で、執着がなく如何にも日本的な気持がしていい。大原へ来るといつでもかれ等の生活を羨望する。イタゴ一枚の人生観は一種の明るいナイヒリズムだ。
▼しかし僕本来の性質から云えば一番適しているのは山寺の和尚さんだ。
▼猫をカンブクロに押しこんだり、御経を呻ったりして空々寂々として暮らしているのが好適なのだ。
▼僕は今かなりな病人なのだ。チョット見た位では諸君には僕の病気はわからないかもしれないが、かなりな重病人なのだ。
▼それ故、非常に友人達にも失敬しているわけだ。年齢から云っても甚だクリチカルなのだから、今年位を経過すれば来年あたりからボツボツ回復するだろうと考えている。
▼物の書けないのも、つまりは病気のセイなのだ。
▼今朝、新聞を見たら細井和善蔵君の訃が報じられている。僕はハッと思ったがどうもほんとうだとは思えなかった。しかし、僕はたった一度、それもつい最近に遇ったのだから細井君に就てはなんにも知らないのだ。しかし、こないだ協調会館の演説会の帰途みんなで芝の日陰町を通って銀座まで来る途中始めて細井君と話をした。細井君は大阪の岩崎鼎をよく知っていると話した。岩崎は僕の親友なのだ。で、岩崎も細井君に度々僕のことを話したと見える。そんなことですぐ御相互にわずかの時間だったがかなり親しく話し合った。
▼私はなぜ「女工哀史」出版記念へ行かなかったのだろうと残念でたまらない気持ちがした。出席するつもりでいたのだが、その前後の二三日僕はどうしても外出することの出来ない事情のもとにあったのだ。私は今此処で弁解がましくその事情を語ることはイヤだからやめるが、しかし考えるとヤハリ残念だと思う。仕方がない。
▼しかし「女工哀史」が生前に出版されたことはせめてもの慰めだ。細井君は充分立派な仕事をして死んでいった。哀悼。
▼ほんとうに遇いたいと思っている人間には中々遇えなかったり、たいして遇いたいと思っていない人間にピョコピョコ遇ったり――
▼ほんとうに手紙を書きたいと思っている人には中々手紙が書けなかったり――
▼ニヒリストと云う奴はあながち陰気臭くジメジメしているばかりじゃないのだ、偶にはハシャイでカッポレ位は踊る元気は充分持ち合しているのだ。
▼勿論、厭世的で、絶望的ではあろう。しかし彼は徒ら厭世し、絶望しているのではない。
▼若し、この世の中に真理があるとすれば――絶対的真理と云うが如きものの、決して存在しないと云うことである。
▼ありのままの現実や、世相をそのまま無条件で受け入れて、一々御尤もさまとペコペコしながら平気で生きてゆかれたら、さぞ気楽なことだろう。
▼しかし、ニヒリストはある場合、そんな風な人間にも見えることがないとも云えない。
▼その時代の大多数の人間共が、口にするようなことを口にし、それ等の人間共のやっているようなことをやって、なんの批判もなく、世の中はいつもこんなものだと思い切って生きていられたらまことに世話はない。
▼こんなロクでなしの世の中に、生きているのになにも戦々兢々と肩身をせまくして、生きなくとものことだ。
▼積極的な信念や、希望を喪失してしまった人間は実にミゼラブルな存在だ。
▼次第に物に対する興味の、うすれて行くことは恐ろしいことだ。
▼真夜中にひとりポカンとしている時、自分は一番解放されたような気持がする。
▼小川未明君が、純真な感激に生きることを主張されている。私は羨望に耐えない。私のような人間はどんな機会に突き当ったら、そう云うものを取り戻すことが出来るだろう。
▼それで思い出したのは十六七の時、始めて読んだ、ウオルズワースの「虹」の詩だ。私はその頃、内村鑑三先生や、蘆花の影響でしきりとウオルズワースに心酔していた。そうして、何時になったら彼の大作「プレリュウド」を読みこなせるようになるだろう――と、それをしきりに心配していたものだ。
▼「私の心は虹を見る度に躍りあがる」と云うのが「虹」の詩の最初の文句である。つまり、彼は子供の時始めての「虹」を見た時の感激が大人になっても少しも変らない。この感激が失われる位なら、死んだ方がまし(という文句はないが)だと云うような気持を唄っているのである。つまり純真な感激性をいつまでも人間は持っていなければならないと云う詩なのである。
▼静かなグラスミヤア湖畔で、逍遥を恣にした当時の所謂湖畔詩人等の面影が偲ばれて、まことに羨やましい。昔を今になすよしもがな。
▼いたずらに、昔を憧憬するセンチメンタリズムじゃないが、なんと日本の現代はイケ騒々しく、ギクシャク、ガタピシ、ドシンバタンとしていることか、おまけに帝都なるものの汚らしさは問題にもなにもならない。
▼芸術は時代の反影だと云う言葉がある。そうだとすれば、ダダイズムなどはまさにその標本と云って然るべしだ。
▼酔払った時だけは、僕も時々感激性に近いものを感じさせられる。
▼酔うと昔覚えた支那人の詩だとか、藤村の詩だとかがひとりで飛び出して来る。
▼いづれも今の生活感情から、甚だ縁遠いものばかりだ「帆あげた船が見ゆるぞえ」――なんて云ったところで、今の隅田川では始まらないと同然だ。落語の存在は奇跡に近い。
▼一切の存在は相対的だ。私がいるから、君がいる、君がいるから、あの人がいる。あの人がいるから、雀がいる、雀がいるから、猫が啼く、猫がいるから、芸者が啼く.……以下省略。
▼虚無主義者と云い、ダダイステンと云い、ポルシェビストと云い、なにと云い、かにと云うもその例外ではない。
▼そこで一切の存在は合理的だとくる……しかし、合理的だと云えれば、又非合理的だとも云えるのだ。凡そ議論にして水掛けならざるものは一つだってあるまい。
▼コレラ菌、ペスト、シフィリス、レプロシイ、メクラ、ケッカイ、高利カシ、ヤリテ婆さん、オカッピキ、ゲジゲジ、ヤモリ、蛔虫、ヒル、ヒゼン、……みんな合理的存在だ。
▼人間は物を考えると忽ち灰色の壁に突き当ってしまう。生きたいと思えば又元へ逆戻らればならない。
▼人生は牢獄のようなものだ。暗中模索だ、あっちへヨロケ、こっちへヨロケてなんとはなしに蠢めいているうちにクタバってしまうのだ。
▼書き散らした断片――
私は今の世の中にはほとほとアイソがつきているのだ。癪にさわったり、怒ったり、悲しんだりすることは、とうの昔に通りこして唯だ唯だ呆れ返っているばかりだ。顔を歪めて笑っているだけだ。
私は絶望の亡者のように白っぱくれて生きている。感情はひと滴らしもないように、ヒモノのように、ミイラのように……
だが若い子供達よ、君達は健康で、美しい太陽の下で愉快に遊んでくれ! 今日の日をわれを忘れて嬉戯してくれ!
分裂した自我の深いかすかな嘆息がきこえてくる。真夜中にバットの煙りが渦を巻いて戯れている。火酒の瓶よ、少しばかり退屈凌ぎに口を開けて笑ってくれ!
打ち壊れた霊魂の破片をていねいに拾い集めたところで、それがどうなると云うのだ――
性格の悲喜劇は、あるこおるの煽動なしには舞台をなさない。またしてもゴロゴロと執拗な痰が咽喉にからみついてガリガリと鼠のような音をさせる。
▼やっと夜起きていられる季節が来た。夜でないと物が書けないと云う不自由な人間だ、今年の夏はずいぶんと不愉快な気持でくらしてしまった。夏はたいてい、いつも元気なのだが、やっぱり身体全体が衰えているせいなのだろう。それに自分のような人生観を抱いている人間がこの世の中を楽しく送ってゆこうなどと思うのが既に滑稽な気がする。
▼トタン張りの屋根と云う奴は地震には安全かも知れないが夏はやりきれない。周囲の屋根がみんなトタン張りだ。トタンの苦しみと云うのはまったくあたっているなどとつまらぬシャレを考えてひとり苦笑してみたりした。
▼新しいと云うことは旧いと云うことより少しも新しくも旧くもない。
▼ある不良少年を題材にして小説を書いた男の序の末節に次のような文句を発見した――
私は本来宇宙の構成に関して責任を追うものではない。若し現在の如き社会組織の下に於て一人のランパス・ボーイ(不良少年を指す)が真直に歩くより、横道に外れることによってより多くの愉快を持つとすれば、私は奈何ともなしがたい。私はわが年少の友の行為を推賛もしなければ、弁護しようともしない。単に一個の事実として諸君の前に展開させたばかりだ。若きアルフ(不良少年)は唯だ、私に非常な興味を覚えさせた、恐らく彼は又諸君を煩わしはしないであろう。
▼人の思いの永えにうつくしからんことを希わば、逢瀬は寧ろ稀なるに若かず、―緑雨の「みだれ箱」にそんな文句があったなと、私はフト今夜そんなことを思い出した。
▼「私は太陽の如く希望に輝いている。」と云う文句と、「私は痩犬の如く人生に疲れている。」と云う文句を書くには同一の努力がいる。
▼生田春月君は自分の喪にニヒリストとイデアリストとが共棲していると云っているが、つまりニヒリストは変態イデアリストのことじゃあるまいか?
▼上ったり下ったり、横に外れたり、倒れたり、起きたり、臥たり、ねじくれたり、真直に歩いたり、泣いたり、笑ったり、進んだり、退いたり。
▼別府のかくれ山草房と云うところから「不知火」と云う雑誌が十一月の上旬頃出ると云うことだ。内容その他どんな風なものか僕はまだしらないがきっと「不知火」のように正体のわからぬ薄気味のわるいものじゃないかと思っている。なにしろ「虚無思想」にあまり縁遠いものでなさそうだけは、わざわざ報告があったのでも知れる。
▼本や雑誌を沢山色々と戴くが、あまり数が多いので精読の暇がない、いつも頂き放しでスマシているのは甚だ申し訳ないと思っているばかり……
▼村上啓夫訳ワイニンゲルの「性と性格」は最近の名訳だと思う、――少し詳しく紹介したいと思いながらまだ出来ずにいる。
▼私の貧乏生活も久しいものだ、考えると甚だリデュキュラスに感じるばかりだ。しかし今迄比較的健康なのでどうやら切り抜けてきたのだがやっぱり年齢には勝てないものとみえる。
▼此処へ来てから二十日あまり禁酒、禁煙、禁女を専ら実践躬行したらかなり完全な阿呆になってしまったようだ。
▼此処というのは静岡県、藤枝町外の山間にある志大温泉と云う温泉宿のことだが、此処の話は別に原稿料を稼ぐ材料にしたいと思うから割愛する。
▼また新年が来るのかな――と思う、そしてこの雑誌、新年号を出すのかなと思うと一寸微笑が浮かんで来る、なんと云うわけもないのだが――
▼新年号と云うと子供や女の雑誌はいつでも十二月の初めに出ることになっているが、そんな風な習慣は何時頃から始まったのかしら――一寸考えてみたがハッキリ思い出せない。物を書く人間も、新年号には傑作を書かねばならないように考えているらしい。
▼この二三年と云うもの御正月を自分の家で迎えたことがない。去年は四国、今年は朝鮮の陋港で年をとった。来年もどうやら元旦には家にいないことになるらしい。
▼「謹賀新年」と書いた活版刷りの年賀状と云う奴も随分と古クサイ感じがする。
▼初日の出を拝んだり、若水を汲んだり、松飾りをしたり、恵方参りをしたり――単純に昔からの習慣に従って新年を迎えることが出来れば、さぞよかろうなどと思っても見る。
▼水道の栓をねじってジャアと水が出てくるのではどう考えても「若水を汲む」と云うようなことにはならない。
▼つい二三日前もこの宿では「エビス講」だと云って特別に御馳走をしてくれた、夜は福引などをこしらえて客にそれをひかせたりした。東京でも商家などでは今でも「エビス講」などを祝う家もあるかも知れないが、まづ一般にそんな習慣はとうの昔からやっていない。その代わりクリスマスを祝う家はかなりあるのかもしれない。
▼この間も独りで小川の堤を散歩していたら枯れた川柳の陰に翡翠の姿を見つけた。少年の頃から掛軸では度々見てはいるが実物におめにかかったのはまだ三度か四度位な気がする。英語のキングフィッシャアと云う言葉とその鳥の画が箱についている巻タバコのことを思い出した。
▼三方山に包まれている平和な静かなこんな村に生れて、余計なことを考えず、先祖伝来の田畑を耕して一生を終ることが出来ればなにより幸福じゃないだろうか?――これは私のような人間の徒らなセンチメンタリズムだとばかり思ってもらいたくはないのだ。
▼ウラ哲が酔うとよく興奮して口癖に云う、老子の「小国寡民章」はまったく手数のかからぬユウトピヤだ。
▼舟輿ありと雖も之を乗る所なく、甲兵ありと雖も之を陳ぬる所なし、……その食を甘しとし、その服を美とし、その居に安んじ、その俗を楽しむ、隣国相望み、鶏狗の声相聞ゆれども、民老死に至るまで相往来せず。
▼所詮文明は没落して、土に還ると云う奴だ――これさえ出来れば文句はない。
▼改まってこんなことを云うのも変だが、日本の神社仏閣と云うものは実になんとも云いがたい味がある。単に一個の建物として見ただけでも人間の心持が純化する。それが荒廃していない田園の自然に包まれている時、更にその美しさを一層発揮しているのではないか、鎮守の森を持たない村はなんと殺風景ではないか?
▼諸君は田舎の道端で屢々出遇う道祖神や、馬頭観世音や、地蔵菩薩に懐かしみを感じたことはないか?
▼頗るハイカラな辻潤もこんな爺さんじみたことを云うようになってはもうだいぶヤキがまわったなと思う諸君もさぞかし多いことだと思う。実際そうなのかも知れない。しかし私は自分の実感を唯だありのままに饒舌っているだけだ。
▼昨日の辻潤は今日の辻潤ではない。明日の彼は又勿論今日の私でもない。
▼私のような人間の書く物でも読んで幾分でも心を慰めている人がいるかと思うと、――私は真実嬉しい気がする、――自分のようなヤクザ者でもそんな時は生甲斐を感じさせられる。生の無意義を痛感している僕のような人間でも。
▼自分がどんなことを考え、どんなことを感じ、どんなことをやっているかと云うことを沁々反省したら、他人のやることは大抵の場合我慢が出来ると思うのだが――
▼他人をやたらに責める道徳家程、厄介なウルサイ人種はない。恥ずかしいとは思わないのか?
▼藤枝の宿には昔弥次喜多のとまった宿屋があるそうだと荒川畔村が真面目くさった顔をして云ったのでウラ哲と僕とが大笑いをした。
▼藤枝の小野庵と云う御蕎麦屋の若主人O君は歌人で、模範青年だ。自分でソバを打って毎日よく働いている。友達にU君と云う哲人がある。この哲人傘を張りながら思索生活をしている。共に私の羨望してやまない人達である。
▼O君にしろ、U君にしろ二人共まだ若い身空なのだから無論ウツ勃たる野心もひそかにパッと炎え立つ時があるかも知れないが、各自がその生れた境遇に準じて、家業にいそしみそのかたわら文学なり、哲学なりを味わっている心持は僕のような人間から考えるとどうしても羨ましくなる。
▼スピノザは黙々としてレンズを磨きながら神に酔いしれて、自己の哲学を打ち建てた。
▼ディオゲネスは樽を家として晏如として乞食生活をした。
▼辻潤は酒を飲み過ぎてからだをこわし、先輩、知己、友人等の小遣銭を巻きあげている。
▼ウラ哲は辻潤を勝手に高士にしたり、セイ風光月の士にしたりして喜んでいる。
▼荒川畔村は君子にしたり、最高の文学者に奉ったりしている。
▼それを又恥かし気もなく辻潤は黙認している。だが、セイ風光月の士だとか、最高の文学者だなどと云う言葉それ自体が既にコッケイな感じを抱かせるだけで、だれもまともにそれを受ける人間もあるまいと思うから、僕も聊さか安心している次第なのだが、戯談から駒が出ると云う諺もあるから、ヨタもいい加減にしないと馬鹿な誤解をまねく恐れがないとも云えない。
▼辻潤はこれから先きどの位生きるかわからないが、いくら生きたところで別段今迄と変わった仕事もやりそうもない。やっぱり今迄やったようなことをグズグズとダラシなく続けてゆくに相異ない。
▼辻潤は辻潤の柄に合ったことを唯だやるだけだ。社会意識がない、民衆の感情になれない、逃避だ、意気地なしだ、独善だ、不真面目だ、馬鹿だ、まったく迂闊だ、――その他なんでもかんでもどんな悪罵でも冷罵でも私は謹んで引き受ける。
▼私はそうアチラにもコチラにも気の向くような誂い向きの人間には不幸にして出来あがらなかったのだから。
▼世界の人間がみんな右を向いて歩くからと云うので、私は無理にも左を向いて歩いているわけじゃない。まさかそれ程、意志の強固なツムジ曲りじゃない。
▼私は唯だ自分の歩きたい方へノソノソと歩いて行くだけだ。ただそれが偶々世間の多数と歩調を同じくし得ないと云ったって別に世間の人の歩く邪魔にならない限りホッタラかして置いてもらいたいと思う。
▼そのうち断崖絶壁からコロガリ落ちてクタバルかも知れない。だがひとり歩きは寂しいから僕だとて御つれの沢山ある方を勿論望んではいるのだ。
▼其雄を知りて、其雌を守れば天下の谿となる。天下の谿となれば常徳を離れず嬰児に復帰す――例の老子の言葉だが、なんとステキに理想的じゃないか?
▼私の近頃の愛読書は「東坡禅喜集」と云う書物だ。ウラ哲が銀座街頭で金二十銭を投じて私の為めに買ってくれた本だ。
応夢観音賛
稽首す観音 宝石に宴座す。忽々たる夢中我が空寂に応ず。観音来らず、我も亦往かず、水は
盤中に在り。月は天上に在り。
たとえばこんな詩がある。それから近頃のダダの詩のように字を倒さにしたり横にしたりした奴がある。
▼東坡の名前は十四五の頃「文章規範」で始めてお目にかかったのだが、今頃になってやっと東坡がどんな人物かと云うことがわかったわけだ。機縁が来なければすべて駄目だ。
▼近頃、私はなぜ英語なんかやらないで、漢文を一生懸命勉強しなかったかとつくづく感じることがある。日本に生れて漢文学を味うことの出来ないのは、虎穴に入って虎子を得ざるが如きものだ。
▼どこを見廻わして不幸な人間だらけでほんとうにイヤになってくる。嗚呼! 嗚呼! やりきれない。
▼いい加減救世主でも現われそうなものだ。なにをしているのだ。グズグズしていやがる――早く出て来い。
▼なんにも書きたくないのだ。要するに――みんな生きているからのことだ、毎日毎日同じようなことを云ったり、したり、そうして日が暮れる。新年はおめでたい、虚無だとかダダだとか、アナだとかボルだとか、ホーカイ期だとか、ホーカ液だとか、ウルサイ、ウルサイ――新年はおめでたい、むべ山は嵐かな――J,O,A,K 御苦労千万、みんなヨッパライの寝言さ、オイチニ オイチニ 右向け前へ左、チンチン働きます、オーライに御入来、浪花節に大和魂、サンジカリズムと云うのは産児制限のことですか?――だとさ、――あの人はサカイ主義者だよ、オッカナネエゾ、ペストル強盗が流行って心中を煽動して、労働争議に早変りをしたと云うのはチト可笑しい――と小首を傾ける老人、タダで原稿を書く詩人のことをタダイスト。
▼これはもう一度逆に読みかえしてみたらいいのだ、何辺でもくりかえして。赤い字で書き、青い字で書き、黒く塗り潰し、引き破り、鼻をかみ、丸めて投げつけ、ハダカで踊り、みんな勝手な夢を見ていればいいのだ。
▼A+B、B+G=Z、どうコンビネーションを変えてもエレメントはみんな一つ穴の狢だ。ムジナとムジナがバカし合っているのだ。狸でも狐でもよろしい。オカメでもハンニャでもよろしい。ワタクシハキガチガイソウダ。ナンマミホーレンダムツ。
▼文学に懲り始めてから約三十年――末だになに一ツ満足に書けたと思うものは一ツだってない――短歌や俳句は勿論小説もドラマも詩も批評も――
▼しかしそれでいて満更ヘタの横好きだとも考えてはいない――なんとなく凝っている間に日月が用捨なく過ぎ去ってしまったに過ぎない。
▼余計なことばかり考えて暮らしてしまったのだ――しかし、元来文芸などは余計なものだと云うのが近来の説だ。
▼しかしそんなことを徒に議論しているのも余計なことだ――考えると一切が余計なことだと思われる。
▼「虚無思想研究」などもその余計なことの一ツの表現である。
▼無想庵の断片は彼が三十六七歳の時のものだから、多分約十年程以前に書かれたものだ――彼の意志から云えば無論発表なんかされたくないに相異ない。
▼僕は自分の書く物を読みなおしてみると大抵不愉快になって、発表したくなくなるのが常だ。しかし、なにか書いて雑誌に売りつけないと食えないから仕方なく恥を曝らしているまでの話だ。
▼手紙だって書きかけて出さない場合が随分多い、――止むを得ない用件にあらずんば大抵中止してしまう。但しラブレタアはこの限りではないが、これは相手がなければ書けないからいつでも書けると云うものではない。
▼自分が真に考え、感じていることだけを書いてみたい、たれが他にどんな影響を及ぼそうと、そんなことを考慮に入れずに、思うままのことを書き散らしてみたいものだ。
▼自分は自分のような物の見方や、考え方を他人に強いようとは思わない、しかし向うが共鳴するのは先の勝手で、僕の知ったことではないのだ。僕は自分の考え方が最上だとは思ってはいないが、――それが自分だけには正しいのならやむを得ない話である。
▼いつでも健康で、晴々とした気持で哄笑しながら暮したいものだ――しかし、健康でない人間が健康だと考えてみたところで、徒らに滑稽で、悲惨な話だ。貧乏な人間がいくら贅沢な生活を夢みたからと云って現在の貧乏は依然として貧乏だ。結局あきらめるより仕方あるまい。
▼あきらめて安心していられるなら、それで甚だ結構なことだと思う。
▼しかし、徒らに社会を呪ったり、他人を恨んでみたりするのはあまり感心は出来ない。
▼いくら悲しくとも、いくら苦しくとも、それを黙々として耐えて生きてゆくのも中々立派な生き方だと思う。
▼私はニイツエが自分のモットーとしたAmor Fati(汝の運命を愛せよ)と云う言葉が好きだ。
▼昔から達人はみんな工夫して、どんな境遇にあっても自分の心の態度をかえない心懸けをしたらしい。
▼自分はどんなに不幸でも、どんなにツマラヌ人間でも、やはり自分を愛してる。これは負け惜しみかも知れない。しかし実感だから仕方がない。自分以外の人間になりたいとは思わない。思ったところでなんにもならない話なのである。
▼自分が与えられた性格と、才能と境遇と、それ等に出来るだけ順応した生活をして生きて行くだけの話だ。
▼「悠々自適」と云う言葉がある――
▼僕は貧乏を得意にしたり、銭の欲しくないようなツラをして威張っているわけじゃない。銭を取る手段を考えるとウンザリするからだ。自分の好きな仕事をして生きていられる間は強いて余計な真似や、不愉快な思いをして銭をとろうと云う気持にもならないだけだ。
▼如何に世の中がセッパ詰って来たからと云って、もう少し人間は呑気なツラををして生きてもよさそうだ。笑うと損をすると云うような顔付をした人間の殖えることは愉快なことじゃない。
▼酒を飲まないと、少しも交際意識が働いて来ない、随って外出する気が起って来ない。タバコばかり吹かして、番茶などを啜りながら人と話をしてもサッパリ面白くない。
▼たしかに自分はアルコオル中毒患者に相異ない。その癖、酒とタバコを始終やめたいと考えているのだ。
▼恒産なければ恒心なし――マルクスに聴かないでも夙に孔子が喝破している。
▼明日のことを思い煩う勿れ――キリストは彼の生活を浮き草と同様に取り扱っていたのだろう。御心にまかせていたのだろう。
▼自分の心にもないことを云わないで生きてゆけないような人間はみんな可愛そうなもんだ。
▼世の中にはなんと沢山思いあがった愚人どもの多いことか。
▼どうせ生れて来た奴等に幸福な人間などは一人もないが、少なくとも僕等のような考え方をする人間がふえれば、世の中はもう少し明るく煩くなく、気楽になると思う。
▼私はこれでも少しばかり自分の同胞や生まれた国のことを心配しているつもりだ。
(1925年7月~1926年2月)
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