『辻潤全集』月報の入力作業と覚え書き
<関連する辻潤書籍>
1982年『辻潤全集』を五月書房より刊行。月報は各巻の付録。
『辻潤全集第1巻』著作1 浮浪漫語他 (1982年04月15日発行)
『辻潤全集第2巻』著作2 絶望の書他 (1982年06月15日発行)
『辻潤全集第3巻』著作3 癡人の独語他 (1982年08月15日発行)
『辻潤全集第4巻』著作4 脱線語 勉めよ春夫!他(1982年10月10日発行)
『辻潤全集第5巻』翻訳1 天才論 (1982年05月15日発行)
『辻潤全集第6巻』翻訳2 自我経 (1982年07月15日発行)
『辻潤全集第7巻』翻訳3 一青年の告白他 (1982年09月10日発行)
『辻潤全集第8巻』翻訳4 刹那 エトランジェ他 (1982年10月30日発行)
『辻潤全集別巻』解題 年賦他 (1982年11月30日発行)
<特徴と収録内容>
・辻潤作品をカテゴリー別に収録している。
・生前単行本との関係は下記の通り。
1:『浮浪漫語』(1922年)、『ですぺら』(1924年)
2:『絶望の書』(1930年)、『どうすればいいのか?』(1928年)
3:『癡人の独語』(1935年)、『孑孑以前』著作(1936年)
4:単行本未収録のエッセイ、序文、アンケート回答、詩
5:『天才論』(1940年改造文庫版?)
6:『唯一者とその所有』(1925年改造社版『自我經』改訂六版)
7:『阿片溺愛者の告白』(1929年改造文庫版?)
8:『螺旋道』(1929年)、『孑孑以前』翻訳(1936年)、未収録作品
別:補遺、辻潤論、年譜その他
<入力作業の公開>
・辻潤全集月報1(1982年04月『辻潤全集第1巻』付録)
・辻潤全集月報2(1982年05月『辻潤全集第5巻』付録)
・辻潤全集月報3(1982年06月『辻潤全集第2巻』付録)
・辻潤全集月報4(1982年07月『辻潤全集第6巻』付録)
・辻潤全集月報5(1982年08月『辻潤全集第3巻』付録)
・辻潤全集月報6(1982年09月『辻潤全集第7巻』付録)
・辻潤全集月報7(1982年10月『辻潤全集第4巻』付録)
・辻潤全集月報8(1982年10月『辻潤全集第8巻』付録)
・辻潤全集月報9(1982年11月『辻潤全集別巻』付録)
<入力作業と覚え書き>
・辻潤全集月報3
「原敬の秘書をしていたことがあった、原敬を殺害した某の息子が伊庭孝のところに出入りしていて俺も親しくなった、変なものだなあ」
原敬ではなく星亨。殺害した某は伊庭想太郎。
父六次郎は東京市教育科に勤務、星亨は東京市会議長。星亨を殺害した伊庭想太郎の養子が伊庭孝。この内容は「あまちゃ放言」に詳しい。
「その本の“百人の浜口雄幸(時の首相)を失うとも、一人の辻潤を失うべからず”という広告文が物議をかもし、版元の万里閣書房は、政治ゴロに殴り込みをかけたという裹ばなし」
文脈で判断可能と思うが「政治ゴロに殴り込みをかけられた」が正しい。
・辻潤全集月報6
来間恭という日日の記者だった方が、ある晩辻さんと飲んでから、夜遅く来られて、終電に間にあわず泊られました。来間氏は酔っておられるので大声で、「マルクスマルクスというけれど、日本でほんとうに理解して読んでいる者は何人もいやあしない。その数少ない中の一人が辻さんだよ、辻さんは大学の先生だ。俺がまあ高等学校かそれとも中学生位か。あんたはまあ幼稚園だな……」と申されました。その言葉はすなおに肯定しましたが、私はその夜なぜか無茶苦茶に眠たくて困ったことを思い出します。
松尾季子は共産主義や無政府主義に全く興味がない。それが読み取れる。
・辻潤全集月報8
林芙美子の名が出ましたので、辻さんの林芙美子観の一端を思い出しました。当時林芙美子は女辻潤などといわれていました。林芙美子も元来青鞜傘下の方ではないかと思いますが違いますかしら?
林芙美子は『青鞜』傘下ではない。
それよりも気になるのは敬称。松尾季子は地の文で氏・女史・さん・君と必ず敬称をつけている。しかしなぜか林芙美子だけ敬称をつけていない。これは敬意を抱いていないのではなく、また見下しているわけでもなく、親近感を抱いていたのではないだろうか。『放浪記』を読んでいたとか。
・辻潤全集月報9
己れのところにやってくる人間共はみんな各自かってに、自分で「辻潤」のイリュージョンをこしらえておいて、それにアテはまらぬと色々不平をいったり、ケチをつけたり、幻滅したりするにはまったく僕も降参する。買い被られることはまったく迷惑子万だ。
辻潤の鋭さが端的に出ている。
この分析が素晴らしい。またこれを体得しているからこそ、他者にイリュージョンを見ることもなかった。それが辻潤の魅力なのだ。
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