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「こんとら・ちくとら」と「にひる・にる・あどみらり」

青空文庫以外にも辻潤の文章を読める所がある。それは知る人ぞ知る辻潤の電子アーカイブ、アナキズム図書室。「アナーキー・イン・ニッポン」関係者に確認したわけではないが、断言しよう。メンバーの一人であるのんきち氏が入力したものである。その理由は、後で述べよう。
こちらにあるのは「にひる・にる・あどみらり」。しかし、辻潤の著作集、選集、全集いずれにもそのような作品は存在しない。これはどういうことなのか。今回記事はその覚え書きである。

■1.雑誌『虚無思想研究』の連載
1925年(大正14年)に辻潤が中心となり雑誌『虚無思想研究』を創刊。発案は卜部哲次郎で出版は荒川畔村が面倒を見ている。卜部哲次郎は辻潤門下の三哲の一人、通称卜哲。荒川畔村は編輯発行人の関根喜太郎その人。

この雑誌に辻潤は「こんとらぢくとら」を連載している。コンセプトとしては編集後記のようなコラム。改行記号▼を用いているのが特徴的だ。

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連載のタイトルを各号で微妙に変えている。その詳細は第1巻第6号に述べられている。

▼「こんちらぺくちら」というのはなにか意味があるのですかという質問、度々きかれるので弱る。やっぱり気になると見える。辰ちゃん曰く「あなたが語学者だから、きっとどこかの変な言葉を探し出してきてつけたと思うからみんなその意味を気にするのですよ」――これは辰ちゃんの言葉そのままではないが、要するにみんなを迷わすから一応説明した方が功徳になるというのだ。
▼こんどは「こんとらぺんちら」だ。最初につけたのは「こんとらちくとら」だ。それから少しづつかえて行ったのだ。英語で「矛盾」のことを"Contradiction"という。それから思いついて「こんとらちくとら」という新語を拵らえたのだ。
▼私の気持をシンボライズさせた積りだ。酔漢の千鳥足みたいなものだと思ってくれればそれで沢山だ。

各号の発行日とタイトルは下記の通りである。

・1巻1号 (大正14年07月)「こんとらぢくとら」
・1巻2号 (大正14年08月)「こんちらぺくとら」
・1巻3号 (大正14年09月)「こんちらぺくとら」
・1巻4号 (大正14年10月)「こんとらぺくちら」
・1巻5号 (大正14年11月)「こんちらぺくちら」
・1巻6号 (大正14年12月)「こんとらぺんちら」
・2巻1号 (大正15年01月)「乱輪舌」


■2.「こんとら・ちくとら」(万里閣書房『絶望の書』収録)
1930年(昭和5年)万里閣書房より『絶望の書』を刊行。ここに「こんとら・ちくとら」が収録されている。
# 写真はオリオン出版社『辻潤著作集1 絶望の書』

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辻による「あとがき」を見てみよう。

六七年前に出た「虚無思想研究」という雑誌に毎号書いた六号雑誌で、そのまま少しも取捨せず置いたから、雑誌を知らない人達には通じないところもあると思うが、自分の当時の生活や、世相の反映を多少暗示しているものだから、わざとそのままにして置いた。この種のものは僕という1箇の人間にパーソナル・インテレストを持っている人達によんでもらうのが一番適している。

辻潤の著作集、選集、全集に収録されているタイトルは全てこの「こんとら・ちくとら」である。小見出しとして「1」から「7」まで数字が振られている。その小見出しは雑誌『虚無思想研究』の号数に対応する。

「こんとら・ちくとら」
「1」1巻1号 (大正14年07月)「こんとらぢくとら」
「2」1巻2号 (大正14年08月)「こんちらぺくとら」
「3」1巻3号 (大正14年09月)「こんちらぺくとら」
「4」1巻4号 (大正14年10月)「こんとらぺくちら」
「5」1巻5号 (大正14年11月)「こんちらぺくちら」
「6」1巻6号 (大正14年12月)「こんとらぺんちら」
「7」2巻1号 (大正15年01月)「乱輪舌」

表題「こんとら・ちくとら」の特徴として、改行記号▼が全て除去されている。その結果、読み手に与える印象が大きく変わることになった。端的に言うと、支離滅裂で精神疾患者の妄言という印象を受ける。オイちょっとマテと突っ込みたい。これな、改行記号▼コレ一つで「ところで」「話題を変えて」「そう言えば」等の文を繋ぐ役割を果たしていたんだよ。編集って大事だよな。なぜ除去したのかと。原文で▼を使用していた意味を少しは考えろと。

■3.畔村版「にひる・にる・あどみらり」
1948年に星光書院から荒川畔村編『虚無思想研究』が出版される。ちなみに星光書院の発行者が関根喜太郎。そう、荒川畔村が運営する出版社なのだ。内容は1925年(大正14年)の雑誌『虚無思想研究』に掲載された文章を取捨選択してまとめたもの。ひとことで言うと、辻潤への愛。音楽アルバム風に言うと、辻潤トリビュート。

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「にひる・にる・あどみらり」はこの単行本に収録されている。戦前雑誌『虚無思想研究会』の連載コラム「こんとらぢくとら」。これを荒川畔村が取捨整理し「にひる・にる・あどみらり」と改題したものである。改行記号▼はそのまま残され、一部文章が割愛されている。一つの作品として読ませるため、1巻1号の末尾部分を「締め」として最後に持ってきている。1巻6号は全文割愛。箇条書きでまとめると下記の通り。

畔村版「にひる・にる・あどみらり」の掲載順
・1巻1号 (大正14年07月)「こんとらぢくとら」の途中まで
・1巻2-5号、2巻1号(1巻6号は全文割愛)
・1巻1号 (大正14年07月)「こんとらぢくとら」末尾部分
・1巻1号 (大正14年07月)「こんとらぢくとら」卜部哲次郎の文章

■4.大沢版「にひる・にる・あどみらり」
1975年に蝸牛社より大沢正道編『虚無思想研究』上下巻で刊行される。好事家の間では1925年創刊の雑誌が第一次『虚無思想研究』(全9冊)、1948年刊行の単行本が第二次『虚無思想研究』(全四巻)と呼ばれているようだ。蝸牛社版『虚無思想研究』は、第一次と第二次に掲載された作品の選集となる。

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「にひる・にる・あどみらり」は『虚無思想研究 上』にも収録されている。
荒川畔村が掲載したものと同内容だが、卜部哲次郎の部分が割愛され辻潤の文章のみとなった。また新字新仮名(現代仮名遣い)に改められている。

そして冒頭の話題に戻る。

■5.『アナキズム図書室』の「にひる・にる・あどみらり」

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底本が大沢版「にひる・にる・あどみらり」の入力となる。ただし、最後の一行に注意されたし。

▼高橋と中井という悪い奴らがいるが、その点小谷という人間は現代の偉人である。

これね、原文には存在しないのですよ。のんきち氏、別ハンドルは小谷のん氏。分かりますよね? 高橋、中井はおそらくAINのメンバー諸氏。小谷は入力者のんきち氏。入力者が滑り込ませた茶目っ気なのであった。

■6.当方記事
「にひる・にる・あどみらり」
再編「こんとら・ちくとら」

「にひる・にる・あどみらり」は『アナキズム図書室』を下敷きにして使用漢字の補正、誤字脱字の訂正、欠落部分の追加入力を行ったものである。『アナキズム図書室』で読んで理解不能な部分は欠落部分(入力飛ばし)に由来するものがほとんどであった。うん分かる、分かるよのんきちさん。意気揚々と入力し始めたのは良いが途中で飽きてくるし。目がチカチカしてくるし。入力後に見直すのがかったるいし。今回俺がまさにそうだったもん。

再編「こんとら・ちくとら」は前記「にひる・にる・あどみらり」を下敷きにしてさらに追加入力したものである。「にひる・にる・あどみらり」の底本が蝸牛社版『虚無思想研究』なのに対し、追加部分の底本はオリオン出版社版『辻潤著作集1 絶望の書』となる。そのため現代仮名遣いに関していくらか不統一が存在することとなった。冒頭部分を比較してみよう。

1.▼一日生きれば一日だけ恥を増すと唐人は云つたが、
2.一日生きれば一日だけ恥を増すと唐人はいったが、
3.▼一日生きれば一日だけ恥を増すと唐人は云ったが、

1.は原文の旧字旧仮名
2.は書籍収録のオリジナル「こんとら・ちくとら」
3.は大沢版「にひる・にる・あどみらり」
原文「云つた」に注目。再編「こんとら・ちくとら」は基本3.に依拠、でも追加部分は2.に依拠しているヨというお話。

再編「こんとら・ちくとら」とオリジナル版の相違は下記の通り。
・「にひる・にる・あどみらり」で割愛された文章を▽で明示
・「にひる・にる・あどみらり」との相違を※で註記
・小見出しの数字横に掲載情報を追加

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