生きていたんだよな
15年前、某所に書いた「鎮魂歌」
2003年05月23日。昆明の雲南大学に留学していた時のこと。
当時の中国はSARS問題で騒がれていた。この日、久しぶりにメールをチェックしてみる。友人から一通のメールが届いていた。送信日は05月21日。本来、私信の公開は慎むべきだが今回はおおめにみてもらおう。
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佐々木嬢の件、ご存じですか?
深夜まで仕事の日々が数ヶ月続きました。ネットする時間も無くなっていたことを悔やみます。
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奇妙だ。文体がいつもと違う。この友人はどんな苦境にあっても、それを楽しむ事ができる精神力の持ち主なのに。その慎ましやかな文体に違和感を覚えた。
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「佐々木嬢」とは、サークルの後輩である。
大学で友人らとサークルを立ち上げていた頃、参加者の一人が彼女であった。ただし彼女は創設メンバーとして熱心に活動をしていた訳ではない。俺と彼女との接点は別の場所にあったように思う。
先に断っておくが、これは恋愛という類の話ではない。むしろ俺にとって、彼女は恋愛の対象となるタイプではなかった。世間的には「美人」「かわいい」とされる容姿であったかもしれない。ただしここに書くのは、そういう話ではない。
* * *
2002年08月04日。時は遡り9ヶ月前。
麗江でホームステイをしていたときのこと。
彼女からおよそ四ヶ月ぶりにメールをもらった。それは知人全員に宛てた同報送信であり、内容は携帯電話番号の変更通知と近況報告であった。三日前の08月01日彼女は毎日新聞社に入社し、出版局図書編集部に配属されたとのことだ。
2002年08月05日、俺は彼女に対し近況報告と祝辞を述べた。
同日、彼女から返信のメールをもらう。そこには彼女が記載する日記のURLが添付されていた。ここを読めば彼女の近況が伝わるとの事だ。俺は少しだけ読んでみたが、要領を得ない内容だと思った。たぶんに“作品”的傾向の強い文章である。
* * *
2003年05月23日。再び9ヵ月後。
「奇妙だ」と思った直後、俺は彼女の日記を思い出した。メーラーから過去ログを探し出し、当該ページを開いてみる。
▼記憶の増大 > 二階堂奥歯『八本脚の蝶』
http://note2.nifty.com/cgi-bin/note.cgi?u=ICF13700&n=5
驚愕。
しかし、このページは日記の形態を取った“作品”(もしくは虚構)であろう。額面どおりに受け止める訳にはいかない。自分にそう言い聞かせつつ、友人に事実確認のメールを送信する。
* * *
2003年05月24日。翌日のこと。
友人から返信をもらう。メールにははっきり書かれていた。
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佐々木嬢は自殺しました
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2003年06月01日。一週間後のこと。
事実確認の御礼を述べるため、友人に再返信。
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ご報告、ありがとうございます。正直なところ、かなりのショックを受けました。より厳密に言うと、「事実を事実として受け容れられない」という心境でいます。海外において、彼女との思い出を共有する友人がいない環境にいると、彼女がこの世にいないという現実を実感が湧いてこないのです。死者に対する告別式も、死者の鎮魂のためになされるものではなく、残されたもの同士で現実を受け容れる儀式ではないか、と考えるようになりました。
紹介してもらった件のURL、筆名「二階堂奥歯」で彼女が書いていた日記サイトは自分も知っていました。中国に来てから使用しているノート型PCにもそのログが残っています。2003/08/04に「毎日新聞社に入社し、出版局図書編集部で働くことになりました」という彼女からの同報送信と、それに対する自分の祝賀メール。この祝賀メールに対して、さらに彼女から返信をもらっていますね。そこで例のURL を紹介してもらっています。
ただし、これ以前にも日記サイトの存在は知っていました。というのも、彼女はメールをくれる度にこのサイトを紹介していたのです。だから就職報告の時に再度紹介してもらった際には「それほど人に読んでもらいたい内容なのだろうか」という感じで、ある意味“彼女の自己顕示欲の一具象”と受け止めていました。返事を書きたくても、記述があまりに抽象的に過ぎて解釈に苦しものでした。だから返信せずに自分は流してしまいましたが。
自分の中にあるイメージは何だろう。う~ん、“捉えがたい存在”だったと思う。小説や映画でお互いの趣味や嗜好を深く語り合うことはあったけど、人生や世界観について語り合った記憶はなかったと思う。だから彼女が何を考えているのか正直つかみ難いと思ったし、時にはひどく能天気で楽観的に見え、時にはひどく哀しげで刹那的に見えた。また先輩と後輩という立場に規定されてか、自分に対しては遠慮がちだったと思える。その意味では、俺は彼女に対して何も悪いイメージを持っていないね。
「う~ん、う~ん……」と頭を悩ませているのが、正直なところの現状です。彼女についてあれこれ頭を巡らせても、どれも焦点が定まらず具体像を描けないという感じです。その彼女が自殺したとなると、自分はそれをどう受け止め/受け容れるべきなのか。焦点のズレに拍車をかけられた感じです。○○が△△氏と俺の二人に同報送信をしたのも、そして俺がまたこうして○○にメールを書いているのも、現実を受け容れるための行為なのではないか。何だかそんな気がしてきます。
俺が日本にいたら、サークル員を招集して彼女についての思い出話で花を咲かせるところなんだけれどね。今回の件で、海外在住の不便さを痛感させられました。
今回は彼女への鎮魂を込めて、笑いで落とすのはやめておきます。
次回は笑いに突っ走ってみせるから、ご期待あれ。
それでは、また。
○○氏は、馬車馬の如く働いて下さい。
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二階堂奥歯こと、佐々木絢子の死は虚構ではない。
実感を持てなかった俺にこのページは「現実」をつきつけていた。
▼狂乱西葛西日記2002年4月1日~4月30日(ページ内検索:"4月29日")
http://www.ltokyo.com/ohmori/030430.html
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2006年04月26日。現在。
佐々木絢子が就職する時、俺は少しだけ関わりを持った。1999年09月21日、佐々木は国書刊行会の内定を取りつける。翌2000年04月、同社に入社。佐々木が就職活動で国書刊行会のOB訪問をする際、俺は「OBの友人」を紹介している。その前後には彼女と頻繁にメールを往復させている。
佐々木と直接会った時に受ける印象は「才媛」である。すさまじい読書量と知識量。どんな話題にも独特の視点で食いついてみせる。しかしメールを通して見せる佐々木は繊細であり直情的でもあり飾り気がなかった。直接会った時の印象とは少し違った感じがする。膨大な読書量を誇りながら、それを鼻にかけない性格。薀蓄を溜め込むというよりは、知識を楽しむというスタイル。
正直に言えば、佐々木は俺の親友と呼べる人ではない。同じモノをみても、彼女と俺とでは感じ方が全く違う。「意気投合」する類の友人とはとても言えない。しかしある一点において、佐々木は俺と共有していたものがあったと思う。
「己の生をいきること」
手垢にまみれた言葉で「人生を楽しむこと」と言い換えてもよい。佐々木はそれを求める者だった。およそこの種の人間は、他者の目には異様に映る。他者に無関心な冷血漢に見えたり。世間体を気にしない変人に見えたり。常識を意に介さない挑発者に見えたり。
確かに、そういう一面もある。
だからこそ、佐々木に対する周囲の見方は様々であった。周囲に多くの「誤解」を与えていたとも言える。その「誤解」を解こうともせず、我が道を突き進んだ佐々木にも責任の一端はあるのだが。
しかし、この種の人間に共有してみられる美学がある。
それは、決して他人を軽蔑しないことだ。
こう言うと語弊があるかもしれない。佐々木の激しい性格はしばしば他者と衝突する。その時には彼女もやはり他人を軽蔑することがあっただろう。俺が言いたいのは別の意味においてである。己より読書量の少ない相手を軽蔑する。己より知識量の少ない相手を軽蔑する。それは一種の劣等感である。知識人階級に多く見られる傾向でもある。
佐々木はこの種の劣等感からは無縁であった。自らの生をいきるのが第一であり、ヒトサマがどうであるかなどあまり意に介さない。それが自覚的であるなら「美学」であろう。彼女の場合は自然体であったようだが。
そしてこの種の人間こそ自殺から最も遠い存在だ、と思う。
少なくとも俺はそう思っていた。
だから俺にとって、「友の死」はとても不可解なものだったのだ。
彼女の死後、ある種の違和感が俺を支配し続けていた。
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佐々木はウェブ上でも有名人であった。
その死について、各人が様々な視点で語っている。
▼the foujita's official web site > JOURNAL
http://foujita.vis.ne.jp/JOURNAL.html
ページ内検索:"2003.4.28"
友の死を悲しまないアタマデッカチでムカつく文章。
この人は現実の佐々木と面識がないのではないか、と疑いたくなる。
▼日々雑感
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/nayamama/yoya/sub6.htm
ページ内検索:"5月1日"
仕事をともにしたモノカキさんによる所感。
翌日5/2も彼女について言及、仕事面では誠実であったようだ。
▼まぐまぐ - フェティッシュ・ヴォイス -
http://blog.mag2.com/m/log/0000091082/75321913?page=2
ページ内検索:"2003/5/3"
そういえばコルセットが好きだと言っていた。
求道と狂気は裏表一体、その具象なのだろうか。
▼despera掲示板
http://ushigome.bird.to/bbs/despera0033.html
ページ内検索:"05月06日"
彼女が出入りしていたバーのオーナーによる追悼。
「辻潤」でも繋がっていたとその死後に知る。皮肉だ。
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「彼女の死後、ある種の違和感が俺を支配し続けていた」
正直に言えば、この違和感は未だに払拭できていない。「友の死」は俺を呪縛し続ける。思い出すたびに「苛立ち」を感じる。何処かで、何らかの形で、「友の死」を自分なりに整理しなければならない。それがなぜだかは自分にもわからない。しかしある種の直感が、俺をそのように駆り立てるのだ。
2004年04月26日 仕事に慣れず不安定にあった。
2005年04月26日 退職を目前にし相変わらず不安定にあった。
2006年04月26日 今では安定している、とはとても言えない。
それでも、現時点のモノを書き留めておこう。読み手を想定して書いた方が、客観的に整理する事ができる。タイトルは「鎮魂歌」、友に捧げる歌である。そしてまた、残されたものが今を生きる歌でもある。
そして現在。
あいみょん「生きていたんだよな」が心に刺さる。不思議な曲だ。初回は、冒頭部を聴いてイラッと来て、最後まで聴かずに停めてしまった。今はしみじみと聴いて何かを思い出したり、泣きたくなったり。Youtubeのコメント欄をまじまじと眺めてみたり。頷いたり首を傾げたり。聴き手の心情が反映している。聴き手の心情と共振している。そういうことなのかな。
この曲を聴くと佐々木を思い出す。
あれから18年、か。
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