大泉黒石『俺の自叙傅』『人間開業』の入力作業と覚え書き
<入力作業の公開>
・大泉黒石『俺の自叙傅』
底本:玄文社、1919年12月20日発行
・大泉黒石『人間開業』
底本:『大泉黒石全集第1巻 人間開業』緑書房、1988年5月20日発行
<「俺の自叙傅」と「人間開業」の関係>
『人間開業』=『俺の自叙傅』の加筆修正+「労働者時代」「文士時代」
『俺の自叙傅』の末尾ニ文に注目。
玄文社版『俺の自叙傅』P279 #【A】【B】は当方で付与
…その時貢太郞居士が俺の小說を見て、旨い旨いと、つづけ樣に赤い舌をべろべろと二度出した。【A】
それから俺を中央公論の親方へ引つ張つて行つて、こ奴は物になるから何か書かせろと言ふと、親方が、俺の話を聞いて、そんなら自叙伝を書いて見ろと云つたから、直ぐに書いたのが、ざっと此の通りである。【B】
【A】が、『人間開業』の「青年時代」末尾文に相当する。
1929年刊行『現代ユウモア全集10大泉黒石集 当世浮世大学』の収録タイトルは「俺の自叙傅」だが、内容は「人間開業」となる。章立ての対照表は下記の通り。
人間開業 |俺の自叙伝
少年時代一|幼年時代
少年時代二|少年時代一
少年時代三|少年時代二
少年時代四|少年時代三青年時代 (※「三」の副題が「青年時代」)
青年時代一|京都時代
青年時代二|
青年時代三|東京時代
労働者時代|(なし)
文士時代 |(なし)
<関連する書籍>
1919『俺の自叙傅』 玄文社
1926『人間開業』 毎夕社出版部
1929『現代ユウモア全集10大泉黒石集 当世浮世大学』
現代ユウモア全集刊行会 、「人間開業」を収録
※収録名は「俺の自叙傅」
1969『ドキュメント日本人 9 虚人列伝』
学芸書林、「俺の自叙伝」を抄録?
1988『大泉黒石全集』(全9巻) 造型社・緑書房
「第1巻 人間開業」
<入力作業と覚え書き>
『俺の自叙傅』玄文社、1919年12月20日発行
・底本:国立国会図書館>玄文社版『俺の自叙伝』
・底本にルビはほぼ存在せず
・誤字脱字等がかなり多いが原文ママとした
『大泉黒石全集第1巻 人間開業』緑書房、1988年5月20日発行
・底本:『大泉黒石全集第1巻 人間開業』
・解題によると1929年当世浮世大学版を使用とのこと
・ルビは入力対象外とする
<『人間開放』のルビ概要>
・同一漢字の読み分け
例:俺《わし》、俺《あっし》
・当字、特殊な読み方の明示
例:弾丸《たま》、叩《ぶ》つ、容《き》く
・ロシア語を表現
例:俺は否《ニエト》と答えた
当方入力作業ではこれらをサポートしない。
必要な方にはKindle版『人間開業』を推奨しておこう。
<『人間開業』刊行時の加筆修正>
以下はその具体例。
玄文社版『俺の自叙傅』から抜粋
・露西亞の廢帝が日本を見舞つた
・そこでお袋は俺を生んで直ぐ死んだ。死んだときは十七だつた。
当世浮世大学版「俺の自叙伝」から抜粋 # 実質は「人間開業」
・露西亞の先皇が日本を見舞つた
・そこでお袋は俺を生んで直ぐ死んだ。死んだときは十六だつた。
修正時に混入したミスと思われる箇所が数ヶ所。二例挙げてみよう。
玄文社版『俺の自叙傅』P90
俺は默つて廢園に出た。最後にナタリアを見たときとは、まるで違つた心持ちで、今日は「左樣なら」を告げやうと思つたが、窓は鐵の扉が堅く閉ざされてゐた。
当世浮世大学版「俺の自叙伝」P60 # 実質は「人間開業」
…俺は默つて廢園に出た。最後にナタリアを見たときは、まるで違つた心持ちで、今日は「左樣なら」を告げやうと思つたが、窓は鐵の扉が堅く閉ざされてゐた。
1つめは、”と”の除去。文意がかえって不明瞭になっている。
玄文社版『俺の自叙傅』P100
俺が登ると、今度はポールが来た。ポールを先に往來へ跳ばせて置いて最後に俺が蝙蝠傘をポールへ渡して、跳ぶから退いてくれ、退いてくれと云つて居るうちに、垣の頭が崩れて、運動場へ墜ちてうんと腰の骨を打つた。
当世浮世大学版「俺の自叙伝」P60 # 実質は「人間開業」
俺が登ると、今度はポールを先に往來へ跳ばせて置いて最後に俺が蝙蝠傘をポールへ渡して、跳ぶから退いてくれ、退いてくれと云つて居るうちに、垣の頭が崩れて、運動場へ墜ちてうんと腰の骨を打つた。
2つめは、”ポールが来た。”の欠落。
<全集版の疑問点>
由良君美の「解題」によると、全集版の底本は1929年当世浮世大学版になるようだ。しかし冒頭の1926年2月付「挨拶」は、当世浮世大学版に存在しない。この「挨拶」だけ毎夕社出版部による1926年版から持ってきたということなのだろうか?
次に、テキスト入力していて気づく点をいくつか。
親爺は露西亞人だが、俺は國際的の居候だ。(玄文社版)
親爺は露西亞人だが、俺は國際的の居候だ。(当世浮世大学版)
親爺は露西亜人だが、俺は国際的な居候だ。(全集版)
冒頭お馴染みの文章。「国際的の」から「国際的な」に。
そこでお袋は俺を生んで直ぐ死んだ。
・死んだときは十七だつた。(玄文社版)
・死んだときは十六だつた。(当世浮世大学版)
・死んだときは十六歳だった。(全集版)
当世浮世大学版にはない「歳」が加筆されている。
当世浮世大学版「俺の自叙伝」P65 # 実質は「人間開業」
「巴里へ行つたら、ナタリアに逢へるわ。」と云ひ乍ら、爺さんは俺に尻を押されて馬車に乘つて、俺の荷車を追ふて去つた。俺は後ろから、小石を拾つて爺さんの馬車へ、五つ六つ投げつけた。爺さんは杖を振つて怒つた。いつ見ても薄汚い爺だ。
全集版『人間開業』P54
「巴里へ行ったらナタリアに会えるわ」と言いながら、爺さんは俺に尻を押されて馬車に乗り、荷車を追って去った。俺は後ろから、小石を拾って爺さんの馬車へ五つ六つ投げつけた。爺さんは杖を振って怒った。いつ見ても薄汚い爺だ。
動詞の活用が改変されている。
例:「乗って」→「乗り」に、「追ふて」→「追って」に
更に「俺の荷車を」から「荷車を」になり、「俺の」が除去されている。
新字新仮名への変更方針は各編集部に委ねられている。その良し悪しは一概に言えないのだが、せめて変更方針を明示して欲しかった。黒石のキャッチコピーは「国際的の居候」なんだぜ。そこを変えてしまうのかと。
蛇足となるが。
新字新仮名への変更時にもミスが混入している。
Note(覚え書き)として残しておこう。
当世浮世大学版「俺の自叙伝」P163 # 実質は「人間開業」
長崎の證明が漸く濟むと、餘程暇だと見えて彼女は漸くこげ茶色の疊へ座つた。
全集版『人間開業』P137
長崎の証明が漸く済むと、余程暇だと見みえて彼女はしばらくこげ茶色の畳に座った。
二点のミス。
「見えて」から「見みえて」に。
「漸く」から「しばらく」に。# 漸《ようや》く / 暫《しばら》く
「疊へ」から「畳に」、これはミスではなく、変更方針によるもの。
最後に。
Kindle版『人間開業』は全集版を底本としている。
そちらは二箇所、虱《しらみ》を風《かぜ》に誤植している。
当方の入力作業、実はKindle版『人間開業』を基礎としている。Kindle版独自のミスが存在していて、当方のチェックから漏れてしまった時。Kindle由来のミスを公開テキストに混入させていることになる。当方テキストを参照する際はこれをお含みおきください、と注意を喚起しておこう。
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