辻潤全集月報4
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辻潤全集第6巻
月報4 1982年7月
五月書房
思い出(四)
松尾季子
私は最初「ふもれすく」を読んだ時にどうあがいても助からぬ地獄の底から助けを求めている声をきいたように感じました。やはり彼は何とも気の毒な悪因縁を背負った人でございました。その著書に興味を持つということは同じような因縁を背負っているからだろうと思います。彼の本は何となく秘密性を持っております。『個に生きる』の著者高木護氏もそれらしいことを書いておられます。今でさえ私も秘すのですが、愛読者がかくれておられるのでございます。特別悪いことは書いてありませんのに何だか秘密にしたい本でございます。なぜでしょうか? 人間の心の深奥を正直に引き出して見せているからでしょうか、考え方が異端者めいているからでしょうか、エッセイをはじめ小説や翻訳にしろ世間一般の著作と大変趣が違っているように思います。
谷崎潤一郎氏の小説に『鮫人』という長篇小説がございますが鮫人とは男性の人魚のことだそうで、谷崎氏は彼の中に異様なもの、妖気というようなもの、そして美しくその笛の音を聞けば思わず深淵に引きこまれるようなもの、この世ならぬものを感じて彼を鮫人と呼ばれたらしいと思います。もっとも辻さんは「あの小説は谷崎が自分の悪い癖を俺にくっつけて一人の人間像を作ったもの」といっておられました。そんな点もあるようでございますけれどやはり谷崎氏の観察は鋭いと思います。『鮫人』の他に宮島資夫氏、生田春月氏。尾崎士郎氏、野上弥生子氏、大杉栄氏、塑尸内寂聴氏等が彼をモデルにして小説をお書きになっているようでございますから、それらをお読みになればいろいろの角度から見た辻さんがわかるでしょう。いずれも彼の一面が語られていると思います。あんまり身近にいると燈台もと暗しということもあり、また自分の幼稚さや暗愚さも手伝って何がなんだかわからなくなってしまいます。お前は俺を馬鹿にしていると叱られたこともありますが、馬鹿にしたおぼえなんかないのに何をいっているんでしょうと不思議に思ったこともございます。家庭ではやかましやで厳格で、立ち居などは静かで殆どお話なんかしないで端然と坐っておられることが多く、「辻潤をパパという子の気が知れず」といった方もありますが、家ではやはりよいパパ君であり、尊敬すべき一人の学者でありました。家ではパパ君といったり、先生といったり、潤といったり、兄キとか親父とか立場立揚で呼び方が違いました。
吉祥寺の郊外にある辻さんの親類の奥様は、「辻さんの家は先祖祭りをしないからあんなに貧乏したり狂人になったりするんですよ。こちらのお祖父様が亡くなられた通夜の晩に潤さんたら女中にふざけて騒いだりしてね。全く仕様のない人ですわ」と聞いたこともございます。そのお祖父様といわれる方は辻さんの伯父さんになる方で、岩崎家の家令をしておられた方のように思います。
辻さんは一見大変無信仰な人のようですが、その実は成田山のお札を大切げに腹巻の中にしまってあるのを見たこともございます。もっともこれはお祖母さんの指図かもしれません。外面内面ということがありますが、あの方は外面は全く皆様御承知のようにどうしようもない不真面目な人に見えます。しかし内面はとても恐ろしいくらい真面目で厳しく、所作もひどく静かで立派と申しますか尊い位でございました。いつかお恒さんが「松尾さんに兄さんの青春時代を見せたかった。兄さんはほんとうに真面目な人だったのに」と申されたことがありますが、それが辻さんのほんとうの姿と思います。
原稿を書く姿は見せたがらず家人が寝しずまってからでした。その後ろ姿を一度密かに盗み見したことかおりますが、一分のすきもないと申しましょうか。真剣をかまえたような感じで見てはいけないものを見て申し訳ない気がいたしました。新聞に載せるものなどたとえふざけたような文章でも、心の構えに一分のすきも許されないのだろうと思いました。彼の執筆態度を見て木下順二氏の小説『夕鶴』を連想致しました。彼は終生安住する家もなく金も持たず肉躰も貧弱で不健康で畸形に近く、青白い顔をして静かに襤褸蒲団に寝ている時間が多かったのでした。あの虚弱な肉体では文筆業より他に出来る仕事もないので仕方なく自分の血の一滴一滴を搾りながら書いたのが遺された作品だと思います。名文という訳でもなく題材も身辺雑記みたようなものでございますが、何と申しますか読む方によって強い感銘を受ける方も多く、いわゆる毒にも薬にもなるような不可思議な文章でございます。自称大杉の高弟という川口圭介氏は「俺は死にたくなると辻さんの顔を見に来るんだ」といって時折訪ねて来られました。川口氏は別に話すでもなく、洗濯盥を借りて着ている着物を洗って、乾いたらそれを着てふらりと帰って行きました。それをみて辻さんは「川口は性病を持っているぞ、穢いなあ。女子供もいるのに」と呟いておられました。生田春月氏は辻潤の書いたものを読むと俺は死にたくなるといっておられたそうですが、瀬戸内海で投身自殺される二、三日前に訪ねて来られたといい、「俺は俺の文章を読むと生きたくなる筈だと思うけれど、春月は反対だねえ」といっておられました。さて私はどちらだろうと考えてみました。私は彼の文を読むと性来内向的性格でしたが、何もかも忘れて茫然自失してしまうようでございました。そして何となく生きたくなるような解放感が湧きました。戦後流行したリンゴの歌の作詞家佐藤氏も「俺は青年時代は不良だったんだが、辻潤の文を読んでからこんなふうになったんだ」と話されたのを何かで読んだような気がいたします。正直にいって魔性の文学とでも申しましょうか、ユニークとでも申しましょうか、英語やフランス語等と日本語とまぜたようにして新語? を作って書く内容を題の音調に表現しようとしているように思えます。現代のように流動時代で世界中の人心が動揺している時には、あるいは一滴の良薬となるかもしれません。要ずるに彼は一生苦しみぬいた人ですから、かえって苦しんでいる人を楽しくさせて生きる方向を示唆し、生きる勇気を与える作品を創作したのではないでしょうか。(つづく)
ごちゃごちゃの記
高木護
○れいのごとく、ごちゃごちゃと書きます。 ○この巻は『自我経』(「唯一者とその所有」の全訳)です。最初は『唯一者とその所有(人間篇)』として、大正九年五月に日本評論社から出ました。これは四六判の三八八頁、定価は二円でした。それから、『自我経』(「唯一者とその所有」の全訳)として、同十年十二月に改造社から出ました。これは四六判の六六二頁、定価は二円八十銭でした。同年同月、同本が冬夏社からも出ています。これは四六判の六六二頁、定価は三円三十銭でした。同十四年六月に改造社から改訂版が出て、昭和四年八月に改造文庫の一冊に加えられました。かなり広く読まれ、版を重ね、いわゆる辻潤ファンやマニアが増加したようです。この巻は改造社刊の大正十四年四月十八日改訂発行の六版本によりました。 ○十二年前にR出版から著作集(全六巻・別巻年譜)が出ましたが、これはなんといっても、「辻潤」をあの世から連れ出した松尾邦之助さんの尽力によるものです。資料のすべては当時、小田原市在の山本正一さんからお借りしました。二度三度とお借りしましたが、借り出す度に貴重な資料を破損させたのではないかと心配いたしました。もう一人忘れてならないのはやはり小田原在の山内我乱洞さんのことです。著作集も出版されそうだからと、松尾さんや雑役の小生をよんで下さり、お祝いの宴を張っていただきました。大きな海魚を風呂桶に溜めた水で洗い足場の簀子の上で叩き切ったものが酒の肴でした。松尾さんも我乱洞さんも亡くなられましたが、山本さんご夫婦は神戸にお元気でいらっしゃいます。 ○また京都でいの一番の居候先であった洋画家の伊藤健三氏未亡人の滋賀子さんから、辻潤の珍しい写真や手紙を貸していただき、当時の居候ぶりや友人たちとのことも聞かせてもらいました。昭和十一年ころのことですが、辻潤はもう一度洋行したがっていたとかで、同十二年一月とかにその送別会も開かれたようです。 ○辻潤が住んでいたことのある大岡山というところに、彼が出入りしていた児玉書店という古本屋さんがまだあります。そこのご主人はお元気ですので、近日お話を聞かせてもらうつもりです。辻潤の弟の義郎さんやお母さんのことをよくご存知だったとのことですので、おもしろい話が聞き出せるのではないかと思っています。 ○別巻一冊を考えております。辻潤論、珍しい写真、自筆、年譜などでまとめたいです。何か資料をお持ちの方はコピーをお見せ下さい。ささやかなお礼しか差し上げられませんがよろしくお願いします。別巻を出すことになりましたら二、三の方たちにご執筆をお頼みしたいと思っています。――――――――――――――――――――――――――――――――――
第五回配本は第三巻・著作三「癡人の独語」「孑孑以前」をお届けします。「文学」に憑かれ、「自己」を追求しつづけた辻潤の本髄があますところなく展開された晩年の作品です。
第五回配本は七月末日
第三巻 著作三 癡人の独語 孑孑以前――――――――――――――――――――――――――――――――――
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