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辻潤全集月報1

親記事>『辻潤全集』月報の入力作業と覚え書き
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辻潤全集第1巻
月報1 1982年4月

東京都千代田区猿楽町2-6-5
五月書房

思い出(一)
松尾季子

 彼は戦争と云う暴風の中で一夜のうちに人知れずこの世から消え去ってしまいました。
 人生と云う行路の行きずりに私がふと眺めた池の汚泥の中に、一本の蓮華が咲いて居ました。数年の歳月が経ってから私は手をさしのべましたが、岸がずるずると崩れて足をとられ、私は溺れ死ぬのだなと思いましたので、救いを求めて逃げ出しました。そこで知ったのは底なしの沼で、蛇や虫やもろもろのかつて見たことも無い恐ろしい、いまわしい世界でありました。汚泥の中とはいえ、そこに咲いていた一本の華を私は忘れかねて、長い長い間あの華恋しと人知れず憂愁の日々を送りました。彼も私を待ったかも知れません。因縁と云う一本の糸を引きあった長い歳月も今は静かに終わろうとしている今日この頃でございます。人は皆天人の様に美しく、山も川も草も木も金銀宝石をもって造ってある様に輝いていて、何とこの世の美しいことよ、苦しみ悩みの果てにことごとく皆成仏の世界が見えるのだと感じるこの頃の日々でございます。彼は苦しみに泣く私にやさしく囁いて教えました。「天国の栄耀は地獄を知らねばわからないのだよ」と。彼こそ天国への路しるべとして地獄に咲いていた一本の蓮華であったのでしょうか、蓮華からしたたり落ちた折々の露こそ彼の遺した著作であろうかと思います。
 辻さんが死なれてから三十七年の歳月が過ぎました。その間著作集全六巻が出たり、評論や彼に関係のある本が幾冊か出版されました様子でございます。私は彼の死を知った時自分の心臓から血がみな流れ出て行く様に感じました。自分の人生はこれで終わったと思いましたので、生きて居ても死骸同然で世の中の何事にも関心を持つことが出来ませんでした。
 昨年の秋ふとした御縁で五月書房社長竹森久次氏と作家の高木護氏にお目にかかる機会を得まして、優しくいたわりの言葉を頂き、荒々しい人生航路に傷みきった身も心も蘇生の思いをして喜びました。自分の選んだ道とはいえ、苦しく悲しく語る人のない孤独さはたえられぬほど淋しかったのでございます。この頃では歳月が自分を朽ちさせて葬ってくれる気配に喜んでさえ居ました。ぼつぼつ心静かに旅立ちの用意もして居りました。
 辻さんの全著作と翻訳の全集が出版される運びを知らされ、その月報に何か書けとのお言葉を頂き有り難く嬉しい反面、彼の死後長い歳月が過ぎて居りますので、個々の記憶も薄らぎ他人様の前に語るべき、あるいは語って何かのお役に立つことが出来るかどうかと我ながら疑い峻巡する気持ちもございます。考えてみますと私の書くものは若い日の未熟な私の目で見、心に感じた自分の力量だけの辻さんでしかないのでございますから、ほんとうの辻さんを知りたいと思われる方は直接本人の遺された著作をお読みになるのが最上の道と思います。辻さんは真面目に、あるいは不真面目に、ある時はおどけながら何気ない語り方で自分の本心を述べて居られますが、ついうっかり大事なことを時々見おとすことがあります。そこに深い意味が正直にすなおに述べられているのに、後で「あっ」という思いで気付くことがございます。彼に対する毀誉褒貶に迷わされず先入観を作らずに、白紙の心で彼の作品をお読みになって頂きたいものと思います。それをお願いする助けになるならばと思って、晩年十五年間の私が彼から直接語られた話や生きざまなど、思い出すことどもを拾い集めて書いてみようと思います。
 彼はいたいたしく傷ついた心と病身な身体を一片の襤褸に包み、他人の侮蔑に耐えにたえて生きました。人生の悲しさを胸に秘めて、哲学を考え、宗教を考え、詩をうたい、尺八を奏しながら喜捨を求めて巷を彷徨した晩年でございました。
 彼は色々の秀れた才能を天稟として持っていました。哲学的素質、宗教的素質、芸術的素質、特に音に対する素質は秀れていました。長い間宝塚の音楽指導者であった方や藤原義江氏等、音楽家に親しい方が多いのも彼自身が音楽家の素質があった為と思います。然し天は二物を許さずとか、彼ほど家庭的に不幸だった人も珍しいでしょう。八方ふさがりという言葉がありますけれど、八方どころか百方ふさがりの一生でございました。彼はその母を尊敬し愛しましたが、彼のお母さん位子供に苦しみを与えた人も稀でしょう。事情は違うけれど、彼の母子関係を追想する時画家ユトリロの母を連想したり致します。光女は懸命に子供を愛しつくして居るつもりだった様でございますが、現実にはそれが反対に働いていた様に思えます。
 ある時辻さんが「世間では自分の母親を邪魔者の様に云う人もあるけれど、僕は母をそんな風に思ったことは無いよ。母が居なかったら子供達は育って居なかっただろうな。この家では母が家長だね」と申しました。「そうですね」ととっさに相槌を打った私でしたが、はてと考えて、「お祖母さんはなるほど尊敬しなければならないけれど、たとえ収入は無くても家長は貴方ではないのですか」と云いたい気がして、「それでもお祖母さんは経済的な力が無い方だから」とつぶやきました。辻さんも「そうだなア」といって居られました。ここに辻一家の崩壊の謎がかくされて居る様に思います。
 或る時お祖母さんが何かの話から、「私を潤が邪魔者なんかと思っていたら許しませんから」とけわしい顔でひらきなおって話されたことがありました。「辻さんは決してそんな考えではない。反対に大変大事に思って居られます」といいたかったのですが、そのあまりに険しい顔にびっくりして私は黙ってしまいました。
 極度に貧困な家庭では、親子夫婦等の近親が共食いの様相をするのは、悲しくあさましいけれど現実の姿であって、それを心の底において書いたのが彼の短篇の一つ「一滴の水」ではないかと思います。(つづく)

辻潤全集刊行によせて
高木護

 ○第一巻をお届けします。準備期間がたっぷりあったはずですが、人様とお逢いして話を聞かせてもらったり、資料探しで旅をしたり、資料調べをやっているうちに時間が不足してきました。こんなことをいったら、弁解になりそうですが、浮浪人の辻潤の足跡を追うのは困難です。だから、著作に末収録の作品を集めるのもなおさらです。が、もしお持ちの方がございましたら、お見せ下さい。未収録のエッセー、翻訳、詩、句など百以上集まっていますが、どこかにまだまだあるはずです。辻潤の書簡(手紙、はがきなど)も見せていただけたら、ありかたいです。 ○この全集には編集委員はいません。五月書房が責任を持って刊行し、だれがということではなく、その一人としてわたしなどが雑用の手伝いをいたします。 ○辻潤といえば、一三冊の著、訳集があります。死後文学全集などへの一部収録の他に、近代社の『辻潤集』全二巻(第一巻は昭和二九年刊。三巻の予定でしたが、二巻しか出ていません)、オリオン出版社の『辻潤著作集』全六巻・別巻一(第一巻は昭和四四年刊)、五月書房の『辻潤選集』第一巻(玉川信明編、昭和五六年刊)がありますが、全集の刊行はこれが最初で、最後になるのではないかと思われます。内容は著作四巻、翻訳四巻の計八巻ですが、都合によっては辻潤研究、書簡などの別巻も考えています。 ○なんといったところで、買って下さる方たちがいなければ、全集の刊行は成立しません。そこで、本好きの四人の若い人に集まってもらい、「辻潤全集の刊行の意義があるか」「定価三八〇〇円は高いか」の二つについてこたえてもらいました。

A君(学生)いわく、意義があるといえばある、アルバイト学生にはこたえる。Bさん(絵を描いている)いわく、意義なんて判らない、いい本なら仕方ないわ。C君(会社員)いわく、この時代に生き還ってほしい人物だよ、それだけの値打ちはあると思う。D君(工員)いわく、辻まことさんのオヤジか、そら安いほうがいいさ――とのこと。
 ○お願いですが、辻潤全集についてのご感想やお気づきになったことがありましたら、五月書房宛か、もしくは小生宛にぜひご一筆下さい。どんなことでも、参考にさせていただき、少しでもよりよい全集造りの資としたいと考えています。 ○風間光作氏(東京)、寺島珠雄氏(大阪)、佐々木靖章氏(水戸)、大月健君(京都)から、お手持ちの貴重な資料を見せていただきました。(詩人)――――――――――――――――――――――――――――――――――
 第二回配本は第五巻・翻訳一「天才論」(ロンブロオゾオ)をお届けします。大正三年に出版されて以来反響をよび、二十数版を重ねたもので、辻潤の最初の訳本です。御期待下さい。

第二回配本は四月末日
第五巻 翻訳一 天才論
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