どら焼きと正倉院展。
美術館や博物館へ行くのは好きだけど、感想を聞かれるといつも困るなぁと思う。
それは、すぐに「忘れる」からだ。
いやいやそんなことはないだろ、とたまに言われるのだけどほんとうにそう。もうすこしちゃんと説明すると、たいてい美術館へ行くと私は、具体的にどの作品がああだこうだというのはあんまり覚えていなくって、全体の印象を身体の感覚で捉えている。たとえば、「気持ちがスーッとした」「おだやかになった」「ワクワクした」など。
そう、すべての展示を見終わったときに残るのは、漠然とした感覚のみ。
ただそれがね、ずっと恥ずかしくて。
せっかくお金を払って時間をつくって見に行ったのに感想それかよ…と思われるのが、いやでいやでしょうがなかった。だから無理やり絞り出して伝えようとしていたこともあった。
でもね、歳を重ねたいまとなってはこんな自分もアリかなぁと思っている。
たとえば久しぶりに日記を開いて読み返したとき、忘れていた記憶がポロポロと溢れ出てくることがある。あんなこと悩みながら書いていたなぁということが、実際には「書いていない」ところから読み取れたりすることがある。それは、常時覚えているよりもときには鮮明になり、自分の考えを巡らせるきっかけになったりすることもある。
…ということを、今朝、どら焼きを食べながら思った。
どら焼きに焼印された絵を見て、つい先日行った正倉院展のことを思い出したのだった。
二頭の鹿と木々が描かれた大きな屏風。
何気ない風景だったのだけれど、二頭の鹿や色合いの雰囲気がおだやかで「こんな世界に行けるなら行ってみたいなぁ」と思いながら多くの観客に入り混じってしばし眺めた。夾纈(きょうけち)と言う、二枚の板に同じ図柄を彫り、間に布を挟んで染め上げる技法も珍しく、なにより1300年も前の屏風なのにこんなにきれいなかたちで残っているのはすごいなとただひたすらに感心したのだった。
隣では、子どもがつまらなさそうに眺めていて、お母さんがバツが悪そうにしていたこともなぜか同時に思い出してしまった。