「空間に生きる」ということ。富山県南砺市で大福寺 住職 太田浩史さんに会ったお話。
お店をやっていると、迷うときがたくさんある。
こっちかなぁ、はたまたあっちかなぁ。
正解なんてないはずなのに、たいていは多くの人の目を気にしながら安心安全確実な方向を選びたくなる。
でもほんとうに、これでいいのか…。
そんなとき、私は富山県南砺市の大福寺というお寺を尋ねるようにしている。ここで住職をしながら、日本民藝協会常任理事をしている太田浩史さんと会って、お話をするためだ。
私が太田さんに初めて会ったのは2023年の夏。
あのときの衝撃はいまもずっと残っていて、この日から私はなにかこう、自分への向き合い方が変わった気がするのだ。
前回は日帰り旅だったのだけれど、今回は南砺市をゆっくり見てみたいという気持ちもあり二泊三日で訪れてみた。あれから一年ちょっと経って、太田さんとさらにお話したいことがあり、ドキドキしながら大福寺の門をくぐった。このnoteは、そんな南砺ひとり旅のお話です。
離れにある応接間。
ズラッと並ぶ民藝品たちに囲まれてソワソワしていると、太田さんは開口一番、ある本のページを開きながらまず私にこう問いかけた。
” 『到リ得バ事モナシ』という言葉を知っていますか。 ”
到リ得バ事モナシ…
これは、民藝運動の主唱者である柳宗悦が残した言葉らしい。
うーむ、わかるような、わからないような…。やっぱりわからない。
と、しばらく沈黙していたら、続けて太田さんは昨日リサイクルショップで手に入れたという小さな額縁を見せてくれた。
これは、『ミニアチュール』といって、中世にヨーロッパでつくられていた小さな絵画のこと。太田さんはミニアチュールをずっと欲しかったそうで、ふらっと訪れたリサイクルショップでこれを見つけたとき、とてもうれしかったという。
” よく描かれている光景なのですが、真ん中に生命の木があって、人間は獣を追いかけまわして狩りをしている。特に興味深いのが、よく見ると、人間の表情がないんですよ。”
そう言われて顔を近づけてみると、確かにみな同じような表情をしていた。
太田さんは続けて、ミニアチュールはあの板画家の、棟方志功も影響を受けたいう話をしてくれた。
ちなみに、お恥ずかしいことに私は…
太田さんに出会うまで棟方志功のことをよく知らなかった。太田さんが若いころに影響を受けた、有名な人であるということは知っていたのだけれど、結局彼の作品のなにがすごいのか、よくわからないでいた。そんな感じでぼんやりしている私に、「ちょっと待っててね」としばし席を立って太田さんはものすんごいものを持ってきてくれた。
えっ、これってもしかして…。
” これは実際に、棟方志功が刷った作品です。 ”
えええ、そうなのですか、とびっくり。
だって、おそらく美術館や博物館に所蔵されているような作品。それらが、いろいろなご縁が重なりに重なって、太田さんのもとへ辿り着いたというのだから…うーむ、これはやはりきっと、すごいものなのだろう。
さらに太田さんは「触ってみて」と言うので、おそるおそる触れさせてもらったら、なんというか、身体に小さな電気が走るくらいの衝撃を受けた。触れたまま固まる私に、太田さんはこんな話をしてくれた。
” 棟方志功はね、よじれるほど、紙がやぶれるくらい、力を込めて刷っていたんですよ。”
太田さんが言う通り、触れると「力を込めて」がよく伝わってくる。
紙の表面はデコボコしていて、インクも均一に濃い。しかしそれ以上に感じたのは、紙から「生命力」が溢れ出ていたことだった。版木を彫る音が聞こえてきたり、刷っている様子が目に浮かんでくるような、そんな雰囲気で。紙からここまでの勢いを感じたのは初めてだったかもしれない。
そもそも棟方志功は幼い頃から近視で、57歳の時には左眼を失明している。だから彫ったり刷ったりするときは、かなり近くの距離でつくっていたのだそう。そんなエピソードも交えながら、静かに一枚一枚をそっと取り出す太田さんはしみじみとこう話す。
” 棟方志功の作品はね、遠近法がなく、文字と絵に関係性がない。そこがいいんですよ。”
そう言われて一つひとつを見直して見ると、確かにどの作品にも、遠近法や関係性はなかった。
***
それから太田さんは、棟方志功の話を色々と聞かせてくれた。
棟方志功がサンパウロ・ビエンナーレで版画部門の最高賞を受賞したこと
、当時のヨーロッパ美術は遠近法で表現することが主流であったから、遠近法が存在しない棟方志功の作風は逆に新鮮にうつったのだということ、
そもそも遠近法は、関係(縁)が薄いものを遠くにやり、濃いものを近くにやることから「優劣をつけている」とも言えること…
そんなお話を聞きながら、私はぼんやりと冒頭の、『到リ得バ事モナシ』の意味について考えていた。
” ものづくりの理想はね、模様化することだと思うんですよ。 "
そう言いながら、太田さんが次々と見せてくれたものはどれも不思議な魅力を放っていた。表情がなく、模様と化している。けれども血が通っていないというわけでは決してなく、愛らしさがある。一度見たら忘れないクセの強さ、力強さもある。この不思議な魅力は、一体なんなのだろう。
” たとえば絵画の世界における天才というのは、景色を描こうとしないんですよ。山水画なら、心の中に山水はあって、空間を直感している。つまり、「空(くう)」の世界を描いている。”
” 技術や理念に頼っていると、空間に生きなくなると思います。たとえば現代アートはシャープさがあっておもしろくて、建物のなかで一つの調和が取れるけれど、別のところへ行ったら調和が取れないことがある。これは、人間の意識が勝ちすぎている、と言えるのかもしれない。 ”
空間かぁ…。
それは、私が太田さんと初めて会ったときに学んだことだった。
空間との調和を求めていくと、だんだんと色々な凝りがほぐれて、「誰がどうしたこうした」が大切なことでは無くなっていった。次第に「自分が自分が」というも無くなっていった。選ぶものの方向性も、だんだんと定まってきた。
この流れで、私は太田さんにどうしても聞いてみたいことがあった。
それは、太田さんにとって「空(くう)とはなんですか?」ということ。すると太田さんは笑いながら、
”それが分かったら、悟りをひらけますよ。”
と言って、ある場所へ連れていってくれた。
ここは、太田さんが境内のなかにつくった弓道場。太田さんは学生時代から弓道をやっていて、今でもこの場所で定期的にやっている。私はいつも太田さんが弓を引いている場所、弓道場の真ん中に立たせてもらった。
異世界に来たかのような、静けさ漂う空間。
あまりにも居心地が良くて、私はしばらくぼーっとしていた。
そうして「すごいですね…」という言葉が、感嘆のため息とともに搾り出すように出てきた。
すこし間を置いて、太田さんはこう言った。
” これが、空(くう)ですよ。”
***
それから私たちは、車である陶芸家さんのもとへ向かった。
南砺市で作陶する金京徳さん。
金さんは、もともと韓国で陶芸家として活躍していたが、1998年に来日し、やがて南砺市へ移住。築100年の古民家を自宅兼工房へと改装し、暮らしている。太田さんと知り合ってからはお互いに行き来して交流を深めているそうだ。
金さんの作品は、どれも端正さでかっこよくて、訴えかけてくるような力強さがあった。金さんは、「窯をあけたとき、細胞がワクワクするかどうかを大切にしている」という話をうれしそうにしてくれたのが印象的だった。当初は「韓国人だから白磁をつくったほうがいい」などと言われてきたけれど、次第に自由にものづくりすることが大切だと気づき、いまの作風にたどり着いたのだという。
とくに個人的に興味深いなぁと思ったのは、金さんは韓国で陶芸家として一度成功していたことだった。みんなが羨ましがるような生活をしていたのだが、色々な転機が重なり、来日。当初は子供も生まれて、家族を養っていかなければいけない状況で、生きていくのに必死だった。
何をしたら売れるか、どうしたら人によろこんでもらえるのか。
そんなことを考えながら陶芸をしていたら、だんだんとものづくりがつまらなくなった。しかし南砺市へ移り住んでから転機が訪れた。自然と、「南砺の土を使ったうつわをつくってご飯を食べてみたい」と思うようになった。陶芸家になってから、初めての感覚だったのだそう。
次第にこれまでつくるときに気にしていた、割れない、丈夫、軽い、悪い、良いかどうかがまず大事なことではなくなっていった。そうして金さんはだんだんと「自由」にものづくりができるようになっていったのだという。
” 民藝とは、束縛されない自由であり、根源から出てくるもの。 ”
" つくっているのではない、生まれてくるもの。”
太田さんは金さんの話にウンウン頷きながら、繰り返し、この言葉をつぶやいていた。
金さんは声が大きくてよく笑う。
初めて会う私にも、やさしく包み込んでくれるようなあたたかさがあった。
太田さん、金さん、貴重な時間をほんとうにどうもありがとうございました。
***
お二人と分かれた後、私は南砺のまちを歩きながら次の目的地へと向かった。
季節のめぐりを感じながらたどり着いた場所は、棟方志功がかつて富山県福光町(現南砺市)へ疎開したときに暮らしていたという住居兼アトリエ。数部屋ばかりの小さな平家だった。
入ってみると、トイレや押入れの板戸にびっしりと絵が描かれていてびっくり。菩薩や天女、鯉らがこの場所に、生き生きと息づいていた。
また、柳宗悦らが集ったという茶の間も残っていた。
ここでどんな会話がされていたのだろうと想像すると、ワクワクしてくる。
棟方志功がどんな気持ちで絵を描いたり、この場所で暮らしていたのかは分からない。けれども、ここで過ごす時間を「心からたのしんでいた」ことが隅々から伝わって、清々しく、羨ましい気持ちにすらなった。
いい旅の終わりになったなぁと思う。
そうして奈良に帰ってきてから、すこしだけ意識するようになったことがある。
それは、お店にあるうつわとの関わり方。パッと見た感じは変わっていないかもしれないけれど、うつわとうつわとの間に、ほどよい緊張感を保ちながら展示することに意識が向くようになった。「並べる」や「置く」ということではなく、「調和する」こと。太田さんが話していたように、自分もうつわも自然も、さらには行き交う人たちも、「空間に生きる」ことを大切にしていこうとあらためて思えるようになった。そうしたら、身体が軽くなってどこまでも行けるような気がした。同時にこの文章を書きながら、『到リ得バ事モナシ』がふっと頭に浮かんで、さらに身体が軽くなったような気がした。
太田さん、また必ず会いに行きます。
今回もたくさんの教えを、ありがとうございました。
***
暮らしとうつわのお店「草々」
住所:〒630-0101 奈良県生駒市高山町7782-3
営業日:木・金・土 11:00-16:00(たまに不定休あり)
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