民藝のこころに触れた日帰り旅。大福寺 住職 太田浩史さんから学んだこと。
「民藝」とは、なにか。
なんとなく自分のやりたいことに近いような気がして、東京に住んでいた頃、駒場の日本民藝館や柳宗悦をテーマにした展示会に行ったことがある。そこに並ぶものを眺めて、ひたすらに「いいなぁ」「素敵だなぁ」と思ったけれど、正直ピンときてはいなかった。
なるほど。いい思想ではあるけれど、そもそものところで「民衆」という言葉がよくわからなかった。今の私とどう違うのか。そこから生まれたものって、なにがいいのか。
そうしたらTwitterを通じてご縁をいただいて、民藝に精通する方に会いにいくことになった。その方は、富山県南砺市の大福寺というお寺で住職をしながら日本民藝協会常任理事をしている太田浩史さん。民藝のこころを伝える活動をしていて、いわば、現代に生きる柳宗悦的な人だった。
また、南砺市は民藝運動の聖地ともいわれていて、柳宗悦らがたびたび訪れた場所でもあるのだそう。私が行ったときはちょうど田植えが終わった頃で緑が眩しく、ときおり吹く風がサワサワと心地いい音をたてて揺れていた。
ドキドキしながら大福寺の門をくぐり、はじめましてと挨拶をするとすぐに太田さんは「高校2年生のとき、はじめて買ったうつわ」を見せてくれた。
伸び伸びとした色とかたち、どっしりとした重みが特徴的な大ぶりの片口。
倉敷に旅行したときに出会った、小鹿田焼のうつわらしい。
なぜこのうつわを選んだのですか?と聞いたら、太田さんはこう話してくれた。
” うつわが、ぼくを選んだ。”
この答えに、まずはびっくりした。
うつわが人を選ぶって..そんなことありますかと。
当時の太田さんにとってこのうつわはたいへん高価なもので、買ったら帰りの交通費がもたないくらいだった。しかし、うつわが「あっさりと通り過ぎたら承知しないぞ」と呼びかけた。さらに、そこから倉敷の民藝館をつくった外村吉之介さんに出会い、色々な薫陶を受けた、とのこと。
はじめからなんてすごい話なんだ..と私が圧倒されていると、続けてこんな話をしてくれた。
” ものってね、最初に持っているものの空気が大事になるし、ベースになるんですよ。"
それから、近くの小屋に移動して太田さんが集めてきた民藝品を見せてもらった。
うつわ、布、農具、いす、机..
生活に関わる色々なものが、この場所には並んでいた。
ここでさらにびっくりしたのは、この場所に入ったときの空気。
色んな種類や国のものが置いてあるにもかかわらず、もの同士がケンカしていない。「おだやかな空気」が流れていたのだった。
それを太田さんに伝えると、
" ここにいるものたちはね、「 本来の姿 」をあらわしているんです。人間と暮らすために生まれてきた、共同生活者なんですよ。"
共同生活者..。
たしかにここにいるものたちは「美術館で見る民藝品」とはまたちがって、完全にくつろいでいる。仲間たちに囲まれて、ホッとしている感じがする。
そういえば、我が家にいるうつわたちも同じような気がする。
買ってきたばかりのときはぎこちないけれど、だんだんと家の空気に馴染んでいく。顔つきも変わっていく気がする。そんなことを太田さんに話したら、「そうそう、使うと雰囲気変わりますよ。だって人間の生活する場所ですから」と話してくれた。
一つひとつのものにも触れさせてもらった。見た目以上にどっしりと重みがある。これは物理的な重みじゃなくて、深くびっしりと刻まれた年輪に触れているような、そんな感覚だった。
縄文土器や年代物の海外の陶器などもあった。
これらはただ展示しているだけではなく実際に太田さんが生活で使っているのだそう。
この睡蓮鉢で三輪そうめんを食べているし、
この農具は小豆の粒を揃えるために使っている。
これでお酒を飲むし、ご飯も食べる。
みんな出番を待っている..
と、親しい友人を紹介するように説明してくれた。
さらに太田さんは、「もの同士が引き合う」という話もしてくれた。
” これはね、愛知県の常滑焼の壺なのですが、講演にいったとき、終わったら参加者のおじいちゃんが「ちょっと待ってて。渡したいものがある」と軽トラで自宅からこの壺を運んできた。「末期ガンでもう余命が僅かだから、あんたに引き取って欲しい」と。"
このほかにも「家を処分するから引き取ってほしい」など、だんだんもの側から太田さんのもとへやってくるようになったのだそう。
えぇ..そんなことってあるんですか。
そんな太田さんに、「現代の陶芸についてどう思いますか?」と聞いてみた。
" 昔は、自分の好きなものをつくっていればよかった。しかし明治時代に入ってから市場主義に入り、他者と競争する必要に迫られた。狙い通りのものをつくろうと技巧に走り、人間の力が及ぶ世界にものを押し込めていった。そこから貧弱なものができあがり、ものづくりは不幸な時代に入っていったと思う。"
不幸、ですか。
その二文字のインパクトと現実にギャップを感じて戸惑っていると、太田さんは席を立って、昔の新聞をコピーして持ってきてくれた。
戦後、富山県にバーナードリーチ(イギリス人の陶芸家。柳宗悦らと民藝運動を推進した一人)がきて講演したときの様子を伝える新聞記事で、そこにはこんな記載があった。
世界でものづくりが盛んになったのは戦後。
戦争中は、機械的に動かされ、人間の心も機械のようになってしまった。その流れのなかで戦後、「人間性を快復する」ことを求めてたくさんの作家が生まれた。
私はこの話にガツンと頭を打たれた気分になった。
私たちがごく当たり前に食事や睡眠を求めるように、ものづくりも求められた。生きることの延長に、ものづくりはあった。
" いまの陶芸を見ているとね、自分をコントロールしようとする人が多いなという印象があります。本来は、コントロールできないところに任せていくもの。言い換えると、自然の力でできていくものに人間が仕えていくのです。"
" 自然に対して畏敬の念を持ってものづくりをしていたら、自然にいいものができあがる。人間の力以上のものが、できあがってくるんですよ。"
この話を聞きながら、私の頭のなかにはぼんやりと何人かの陶芸家さんの顔が思い浮かんできた。
ある人は、私から見るとすごく非効率なやり方でうつわをつくっている。その土地の土を採取して、何日間かかけて精製して、釉薬も天然の灰を使っているものだから手間暇がかかりすぎてしょうがない。
本人も非効率なやりかたであることを自覚していて、会うたびにどうしたらいいものかと頭を抱えている。でも、そうしたい本能のようなものが働くし、そうしなければ自分の根本が変わってしまうかもしれない..という話をよくしてくれる。
いつもそんな姿をそばで見ていて複雑な気持ちになるけれど、この陶芸家さんは確実に人の心を動かす「いいもの」をつくっている。だから、価格が高かろうが有名であろうがなかろうが、その存在自体が、救いの象徴のような気がしている。
そんな話を太田さんにポツリポツリとしたら、「あぁいいですね」ということと「実はね、そこまで気張らなくていいんですよ」という話もしてくれた。
ほかにも色々と話をしたのだけれど、最後、これだけは聞きたい!と思うことがあったから聞いてみた。
それは、民藝の考え方について。
民藝はその土地に根付いたものを、「民藝品」としている。
日常的につくられた何気ない雑器にうつくしさを見出している。
いっぽうで私がやっているお店 草々は、「つくり手」の思想を大事にしている。つくり手がどんな人で、どんな想いでうつわをつくっているのか。
これについてはどう思うかと聞いたら、こんな話をしてくれた。
" うつわを届けるお店は、伝え手であり、運び手である。
つくり手と使い手の間に立って、” 心から心に届ける仕事をする "のがお店の大事な役割。そういう意味では、あなたがやっていることは民藝とおなじですよ。"
そのあとで、太田さんは「民藝は、手仕事である必要があるか」についても話をしてくれた。
" 必要があるかどうかはわからないけれど、民藝は、手仕事に宿る傾向がある。"
手仕事に宿る傾向がある。
それはつまり、「人間的要素が入っているかどうか」が深く関わってくる。もし機械でつくってもそういうことが実現できるなら、それは民藝になりうる、と。
ある人は、味の素の容器やキッコーマンのロゴを「民藝だ!」という。
ある人は、Jeepを「民藝だ!」という。
もう民藝運動を広めた柳宗悦はこの世にいないし、民藝品と定める確かな基準もない。しかし、「民藝のこころ」は確かに現代にも息づいていて、私たちの生き方が試されているのかもしれない。それは文明が「進んでいく」ことではなく「戻っていく」ことなのかもしれない。
そんなことを考えながら奈良に帰ったら、富山と同じ、心地よい空気を感じたような気がしたのでした。
太田さん、たくさんの学びと気づきをほんとうにありがとうございました。今回の対話を通してあらためて自分の立ち位置を見直すきっかけをもらったような気がします。
そしていくつかの「宿題」も預かったので、次回はそれを盃に、お酒を飲みながら語らいたいなぁと思います。
おしまい。
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今回、私と太田さんをつなげてくれたのはツイッター仲間の本田武彦さんでした。太田さんは本田さんの先輩にあたり、本田さんは三重県で浄土真宗の僧侶をしています。
本田さん、この度は貴重な機会をいただきほんとうにありがとうございました。本田さんともまた語らいたいです。
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うつわと暮らしのお店「草々」
住所:〒630-0101 奈良県生駒市高山町7782-3
営業日:木・金・土 11:00-16:00
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