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【インタビュー】だからぼくはこんなにも ”変わった” 作品をつくり続けている。ー陶芸家・吉岡萬理さんのお話

陶芸家さんとの出会いは、ある日突然やってくる。

2022年のとある忘年会にて。
はじめましての方に、いきなりこんな話をされた。

きょうこさん、奈良に住んでますよね?奈良の長谷寺方面にものすごく人格者の陶芸家がいて。ぼくもお世話になった方なのでぜひ行ってほしいです!

正直こういう話はよくある。
どこまで本気にしたらいいかわからないから、とりあえず「そうなんですか」と適当な相槌をうちながら話を聞く。

しかし彼はひたすらに熱く語る。熱く、熱く…
あつくるしいっ!と突っ込みたくなるくらいだった。温度差がすごかった。

その彼というのは、私が愛読してやまない本であり、お店でも販売している本「スローシャッター」の作中や特別付録に登場する甲斐敦士さんだった。

この赤い帽子をかぶっているのが甲斐さんです。写真提供は廣瀬 翼さん。

甲斐さんがおすすめしてくれた陶芸家さんの名前は、吉岡萬理 よしおかばんりさん。
奈良県の桜井市 長谷寺近くに住んでいる方なのだそう。

そして年明け、甲斐さんからこんなDMがきた。

え!もう本人に言っちゃったんですか?

当時はまだ吉岡萬理さんのことを知らなかったし、うつわも見たことなかった。まずは見て使ってからお会いしたい…と言う間もなく、甲斐さんは「とにかく長谷寺へ行ってください」と被せてくる。まるで神のお告げのようだった。

それからすぐに吉岡萬理さんに連絡をして、おそるおそる行ってみた。そうしたら初めて会ったとは思えないほど物腰が柔らかくおやさしい方だった。

吉岡萬理さんがよく通っているうどん屋さんで、うどんをすすりながらお互いのことを話した。工房では奥さまも交えてさらに色んな話をした。作品もたくさん見せてもらって、長谷寺も案内してくれた。なんというか、仕事という感じはまったくなかった。ちゃんと一人の人として見てくれたことがとてもうれしくて、一気にファンになってしまった。

そしてこの日は萬理さんのうつわを選んで持ち帰らせてもらった。
レモンの黄色と青空のようなブルーが爽やかに描かれたお皿だった。

使ってみたら、さらにうれしいことが起こった。
食卓が格段にたのしくなったのだ。

萬理さんの使う色、描かれている絵。アートが生活に入り込んできたようで、メイン料理やパスタなどを食べるときにいつも活躍してくれる。

どんなにくすんだ料理だって華やかに見せてくれる。
食材とうつわの色合わせは、洋服の組み合わせを決めるかのようにたのしい。

最初はこのうつわ、「私には派手すぎるかなぁ..」と思ったのにいつの間にか生活にスッと入り込んでいる。この絶妙な距離感っていったい、なんなんだ。

それが知りたくて、吉岡萬理さんの工房を再び訪れてたっぷりお話を聞きました。

吉岡萬理プロフィール:
1963年 奈良県桜井市生まれ。1985年に大阪芸術大学アメリカンフットボール部卒業したのち、1986年に陶芸家・川渕直樹氏に弟子入り。
1994年に独立して以降、日本中で個展を開催する。
また、メディアにも度々露出しており、
・「たけしの誰でもピカソ」に陶芸の先生役として出演
・永谷園(お茶漬け)のCMやタイガー魔法瓶のCMに使われる
・タイガー土鍋釜のCMで「手タレ」デビューを果たす
など幅広い。眺めているだけで心が明るくなるような、伸び伸びとしたかたち、豊かな絵付けが広がるうつわをつくっている。

土の勢い、線の勢い。

ー萬理さんがつくるうつわって、不思議なんです。一見派手かなぁと思うのですが、使ってみるとすんなり入ってくる。まるで子どもが懐に飛び込んできたような純真無垢さを感じるんです。

(萬理)あぁ、ありがとうございます。まさにぼくにとっての師匠は「子ども」なんです。子どもの作品って、純粋にたのしいなぁという気持ちで一生懸命つくっているでしょ。「これ、こう書いたら売れるん違うか?」とか絶対考えない。その気持ちがそのまま線や色に出ると思うんですよ。

ー確かに子どものつくるものって、ぐちゃぐちゃでもなんだかいいですよね。

(萬理)これって、ぼくらには太刀打ちできない世界ですよ。人間大人になるに従って、いらないものをいっぱい身につけている。こうしたらきれいに見えるの違うか、こういうふうにつくったら売れるん違うか。人にどうみられているのかとか、そういうものをいっぱい身につけてきて「じゃあつくりなさい」と言われたときに、必ずそれが作品に出てしまう。

出たら悪いわけではないと思うけど、ぼくはね、やっぱりなんにも影響されない純粋な気持ちで生まれてきたものにものすごく魅力を感じるんです。
だからぼくの先生は子どもたちですね。

ー「大人がいらないものを身につけてしまう」ってたとえばどういうものなのでしょうか?

(萬理)たとえばね、技術。使う人が「6客ほしい」と言えば、同じものを6客きれいにできる技術が必要になって、その時点でつくる側に枠の規制が入るんですよ。

ー枠の規制、ですか。

(萬理)同じものを6個つくらなあかん、何センチにせなあかん。規制が入った時点でその考えでつくらなければいけない。それはね、この社会で食べていくためにはしょうがないことでもあります。

でもね、本来「ものをつくる」ってもっとたのしく、溢れる気持ちのままにつくれるはず。人間の根源を考えていくと今よりもっと自由だったはず。眠たいから今日はここでやめておこう、お酒飲みたいから今日はこれくらいにしといたろか、みたいな。もっと自由でええ加減なものだったはずなんです。

..まぁ、ものづくりする人みんなが同じこと思うかはわからんけど、ぼくはこう思います。

ーあぁ..。ちなみに陶芸をはじめた頃からその考え方だったんですか。

(萬理)これを考えるきっかけになったのは修行時代です。ぼくの師匠は常に「ひとりの陶芸作家が自分の手でつくる作品はどうあるべきか」という話をしてくれました。たくさん同じものをつくるなら、職人さんや機械につくってもらったほうがいいのでは、と。

ーなるほど。

(萬理)だからね、師匠の教えで今でもロクロをするときは寸法は図らないようにしています。だいたい何グラムと決めて土の玉をつくって、そこからロクロで成形するのですが、大事にしているのは「土の勢い」です。

ー土の勢い、ですか?

(萬理)ロクロを使って土が広がっていくときって、ものすごいエネルギーが出るんですよ。これは回転のエネルギーで、外へ外へ向かう力と、重力に逆らおうとする作り手のエネルギーが働くのですが、エネルギーの出方は一個一個ロクロする度に違います。だからかたちも違って当たり前だし、両者のエネルギーが絶妙に合わさるとおもしろい造形を生むことがある。
本来なら、そこでロクロをとめて完成とすればよいのです。

逆に寸法を合わせるために何度も土を触ると、動きのある造形や力強いロクロ目(ロクロを挽いたときにボディに残る指跡)が一気に死んでしまう。

ーへぇ..。ちなみにそれは、絵付けをするときも同じですか?

(萬理)同じですね。絵付けも「こう描かなければいけない」と規制がかかった途端に、一気に「線の勢い」が無くなります。それはね、見たときすぐにわかりますよ。

ー線の勢い、かぁ。

(萬理)たとえばね、点を描くだけの作業でも「規則的にここに描こう」と頭で考えてやるのではなく、子どものように頭をからっぽにしてエイヤーッとやったときのほうがおもしろい作品になる。

ちなみにこの花器のタイトルはね、「子どもの夏休みの宿題」 です。

ー わぁ、なんだか「生き生きしている」というのでしょうか。いいですねぇ。

おもろいか、おもろくないか

ー萬理さんは陶芸を40年近くやっていると思うのですが、長くやっていたら「こうしたら売れるのではないか..」という気持ちは少なからずよぎると思うんです。自分の表現と、人がいいと思うもののすり合わせはどうしているのでしょうか。

(萬理)あぁ、そりゃあよぎりますね。ただ、自分のなかで大切にしている判断基準があって。それは、「おもろい」か「おもろくない」か。

ーお…おもろい?

(萬理)たのしいかたのしくないか。心が躍るか踊らないか。「こうでないといけない」を取り払いながらつくりたいという気持ちは常にあります。ひょっとしたらなにをするにもそうかもわからん。

ーへぇ。昔からその考え方だったんですか?

(萬理)そうやねぇ。ぼくの親父は絵描で、物心ついたころから画用紙や色えんぴつが転がっている環境で自由に絵を描いていたのが大きいのかもしれない。
親父の哲学はどんな経験でもしたほうがいい。できるなら極限の精神状態、死に関わるところまでをも経験した方がいい。人に迷惑さえかけなければいいから、と言われました。

ーそこまで言えるのは、なかなかすごいことです。

(萬理)だからね、とりあえずなんでもやってまうんですよ。ブレーキがかからない。

ーえっ、具体的に聞いていいですか。なにを…やったんですか?

(萬理)ぼくは小学校の頃からガキ大将でね、有名な話をひとつあげると…

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※ここからは本当に公表できない話なので全面カットします。ごめんなさい!

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……で、

あまりにひどかったので、あるとき大人たちがぼくらに向かって猛犬を放したんです。ワーッ追いかけられて散り散りバラバラに逃げた。
それ以降やらなくなりましたね。

当時のイメージ図(吉岡萬理さん作)

ーわはは。漫画みたいな話ですね。

(萬理)そんな感じで幼い頃から行動に規制がかからずに、ずっと好き放題やってきたんですよ。

ー「おもろい」「おもろくない」話でいうと萬理さんが書いているブログのことも聞きたいです。萬理さんは2011年から400本以上もの記事を書いていましたよね。1つひとつがまぁすごい熱量と文字数で。こんなに「書く」陶芸家さんは初めてです。

(萬理)えっ、もしかしてあれ全部読んだの?

ーはい。いやむしろ、すっっごくおもしろくて読み出したら止まらなくて。

※ここで萬理さんのブログについて補足説明します。萬理さんのブログは、「旅する陶芸家」として全国を個展でまわっている様子や、その日に起こった出来事や見たニュースを思ったままに書いているのですが、後半(2021年〜)は「壮大な冒険物語」が描かれています。これは、彼のうつわに描かれているキャラクター(ピュア原人)が旅をしながら色んな人や生き物に出会うお話(妄想)です。

物語も、ちゃんとオリジナルの文章や画像の加工がしてあって。
久しぶりに人のブログ見てこんなに爆笑しました。

たとえば獣が出てくるシーンはこんな画像が出てきたり、

主人公の「ピュア原人」が異国で旅するシーンはこんな画像が出てきたり、

虹が見えたシーンはこんなんだったり、

ー表現したいことは半ば無理矢理にでもする。そのワイルドさがいいなぁ..と(笑)

(萬理)これもね、おもろいからやっているんですよ。作品が出来てから物語を書いている(こじつけている)のですが、たいてい突っ走ってしまうからいつもカミさんと娘に客観的な視点で構成してもらっています。

ーすごい!ちゃんと編集チームができているんですね。

(萬理)そうしたらね、個展会場にブログを読んでいるお客さんが来てくれるんですよ。「これがウワサのエラ呼吸サイコーですね!」などと言ってくれる。

ブログの更新をさぼっていると、ピュア原人ファンから「あのー、しばらくブログの更新が止まっているようですが..あの物語の続きまだですか?」なんて言われたりもする。そしたら「読んでくれてるの?ヨッシャー!」となって、またがんばって書く。

ーへぇ、フィクションと現実が入り混じったような。まさにうれしい連鎖ですね。

(萬理)なんのために書いてる?とか考えないですよ。そこは昔から変わっていなくて。やりたいから、やっているんです。

ー私は文章を書き始めたころ、まずはライターの学校へ通って学ぶことからはじめました。ただ萬理さんの文章を見ていると..ごめんなさい。ほんと失礼かもしれませんが、「技術」じゃないのかなって思います。

(萬理)ぼくが思うのは、「ルールに従って書いて伝わりませんでした..」だと意味がなくて、下手くそでもなんでも相手に伝わっていればいい。誤字脱字もあるけどめっちゃオモロイやん!感動したやん!がいいと思う。

ーはぁ..なんだかカウンセリングしてもらっているみたい。


伸び伸びと、おおらかに。


そもそも萬理さんが陶芸の道に進んだのってどういう経緯だったのでしょうか。プロフィールを見ると、大学卒業後にすぐに弟子入りしたみたいですが..。

(萬理)ぼくは昔から体育と美術が得意でした。ただ、体育は身体のサイズが足りなくて、美術の方が自分の力が発揮できるのではないか(?!)と考えて芸大に入った。でも、結局アメフトが楽しくて毎日そっちばかり行っていましたね。

ーへぇ。

(萬理)蓋をあけたら美術の授業がおもろくなくて。なにがいやか言うたら、先生から「期限までに作品を仕上げなければいけない。これは将来社会に出たときに必要なことですよ」などと言われた。
ぼくはそんな話を聞きたいんじゃなくて、「ものをつくる姿勢や考え方」を聞きたかった。当時は好き嫌いがものすごくはっきりしていたから、あっさりと授業には出なくなりましたね。

..まぁいま思えば、先生の言っていたことが正しいとよくわかりますが(笑)

ーなるほど。え、それでそのまま卒業できたのですか?

(萬理)いや…卒業しているはずのときに、ぼくは2年生になったばかりだったから親に「アホかー!何年かかってもいいから卒業しなさい」とえらい怒られて。でもぼくは「卒業するのいやです、無理です、どうしましょう」と言って。で、学費もまだまだかかるし結局そのまま辞めました。

ーへぇ。あれっ?萬理さんのプロフィールって、「大学卒業」ってなっていませんでしたか..。

1985年 大阪芸術大学アメリカンフットボール部卒業

(萬理)「大阪芸術大学 ”アメリカンフットボール部” 卒業 」
いちおう、学歴詐称ではないわな。

ーはぁぁ、なるほど!

(萬理)それで、学校辞めてさぁどうしましょうとなったとき、選択肢にあがったのは大工さん、料理人、調理師だった。ただ母親のしごとの関係で、高校時代から焼き物の窯焚きを手伝いに行っていた先生がいた。家族会議の結果、その先生(川淵直樹氏)のところに弟子入りすることになったんです。

ーへぇ、素直に焼き物の道を選んだのですね。そこからいまの作風に行き着いたのはどういう経緯だったのでしょうか。

(萬理)それから師匠のもとで5年、信楽で3年陶芸を学んで31歳のとき独立したのですが、学生時代にしていたイタリア料理のアルバイトをきっかけにイタリアやスペインの文化に興味をもつようになりました。当時はラテン系の音楽もよく聴いていたのでお店の音楽担当も任され、西洋文化(ラテンの世界)にどんどんハマっていった。雑誌を見ながら、”プロヴァンス”  や "コートダジュール"というおしゃれな響きにすごく憧れて、「これからはラテンの時代や!」と。

(萬理)そうして色々調べていったら、イタリアには「マジョリカ」という焼き物があることを知りました。明るい色でぎっしり絵が描かれていて、「こんなのにパスタ盛ったらええのんちゃうか」と盛りあがった。

※マジョリカ陶器とは?
イタリアで焼かれた錫釉(すずゆう)色絵陶器。名称の由来は、中世末期にスペインで焼かれた錫釉色絵陶器が、イベリア半島の東部に浮かぶマジョルカ島を経由して運ばれていたためとされている。

『コトバンク』より


さらに師匠から「宗赤絵 そうあかえ」という焼き物もあることを教えてもらった。中国の絵付陶器で、決して達筆じゃないけれど伸び伸びとおおらかに描かれているのを見て、直感的に「こういう作品をつくりたい!」と思ったのがはじまりですね。

※宗赤絵とは?
中国の絵付陶器の一種。宋時代に発明された陶法で、赤絵とは、白地透明釉陶磁の釉面に独特の絵の具をのせ、低火度の錦窯で焼き付ける加飾法。中国では五彩とよび、日本では赤絵のほか、錦手、色絵ともいう。

コトバンク』より

ー日本でも絵付けの焼き物ってありますが、マジョリカも宗赤絵もなんというか..カラッとした色をしていますね。

(萬理)そうそう。イタリア人って困ったとき「oh!ママミーア!」と言って何事もなかったようにその場をやり過ごすじゃないですか。ウジウジしていなくてカラッとした感じ。あれ、好きですねぇ。

人間に、興味がある。

ー私が今まで出会ってきた陶芸家さんって、土の表情や色、かたちにこだわる方が多かったのですが、萬理さんの作風は「絵」に込めているものが大きいなぁと思うんです。「世の中もっとこういうふうになればいい」という願いのようなものを感じるというか。

(萬理)あぁ、そういう意味でいうとぼくは、陶器やうつわ、焼き物よりも、一番興味があるのは、やっぱり「人間」なんやなぁと思う。

ーへぇ、人間ですか。

(萬理)今まで個展で全国の色んな人に出会ってきたけど、ギャラリーやお客さんから「おもろい作品やん」「また見たい」と言われるのがうれしくて、そのたびに行ってよかったなぁと思うことがたくさんあります。

「人間は、人間によってしか満たされない」という話を聞いたことがありますが、まさにそうやなぁと。よろこばせたり、悲しませたり、傷つけたりすることもいっぱいあるけれど、それもすべて対「人」でしか生まれない感情であり、おもしろいところでもある。だからね、ぼくが大事にしているのはまず「人」。人と人の間に生まれる信頼関係を一番大切にしているつもりです。

ー信頼関係かぁ..。今回、私が萬理さんにお会いするのは2回目なのですが、2回目にして萬理さんは人を大事にする方だなぁと感じました。1回目なんて「はじめまして」なのにうどん食べに連れていってくれたり、長谷寺を案内してくれたりしましたよね。私の話も前のめりで聞いてくれました。「取引先」ではなく、ちゃんと「人」として見てくれたのがうれしかったんです。

(萬理)たまにね、ぼくのSNSにDMが来るんですよ。「作品をインスタで見ていいなと思ったから取扱いさせてほしい」と。そういう人はたいていぼくの作品の実物を見たこともないし、使ったこともないんです。人差し指ひとつで誰かと気軽に繋がってしまうことができるやり方に、「信頼関係」って生まれないと思うんです。

ー最初から最後まで「取引先」の関係で終わってしまいそうですね。

(萬理)そう。これはぼくの価値観だし、なにがいいか悪いかは分からないけど少なくとも礼節を持って一生懸命お付き合いしていきたいですよね。

さらに広げて思うのは、世の中が資本主義社会になってから、大量生産、効率の良さがよしとされてきた。なんでもすぐに手に入る便利な世の中になった。しかし、近頃は環境破壊も進んで、格差も生まれてきた。それを続けることで、だんだんと行き詰まった社会になっている気がするんです。

(萬理)ぼくは焼き物で世の中を変えることができるとは思わないけれど、
「こうでなくちゃいけない」を取り払って、色々な考え方や生き方が認められる社会であってほしいなと思う。「あいつ変わってるな」「ヘンタイだな」と言われても、自分がいいと思うものを発表し続ける。一歩でも前に進もうとする。だからぼくはこんなにも ”変わった” 作品をつくり続けているんやと思います。

ー萬理さんみたいにリーダー気質で「声を挙げる」ことができるのってすごいなと思うんです。私もそうでしたが、やっぱり周りの目を気にしてしまう。自分のいいたいことをギュッと押しつけて生きている人ってたくさんいると思うんです。「自由」ってなんだろうって考えてしまいますね。

(萬理)まぁ、好き放題やっているばかりが「自由」ではないわな。もちろん育った環境があるかもわからんし、一概には言えないけれど、でもいまあらためて思うことは、『心が自由であること』は、きっと良い作品をつくるために一番大事なことやと思う。

(萬理)どんなかたちでも絵でもね、認めてあげたらええねん。そうやって気楽にたのしみながらつくる。そうしたらきっと、自分も自由になれる。そんな気がするなぁ。

(萬理)..でもね、こんなことをごちゃごちゃと考えながらも実際には子どものような心持ちでつくっていますよ。いいうつわが出来上がったら「ねぇねぇお母さん!いいもんできたでしょ!みてみてみて〜っ!!!」みたいな。

※ここで奥さまが入ってきて..
(奥さま)少年がね、そのまま大人になっちゃったような人ですよ。


***

あとがき:
このインタビューを書いている期間に萬理さんは還暦を迎えました。

「せっかくだから自作のケーキでも持っていこう!」と思い、先日、ロールケーキを焼いて持っていったのです。

しかし生地が厚すぎて、巻けなかった。ロールケーキなのに。
生クリームも少なくてほぼココアスポンジになってしまった。ロールケーキなのに。
しまいには、「焼き豚」と勘違いされる始末に。ロールケーキなのに。

でも味はおいしいし、お手製の旗もうまくいった。
萬理さんならきっとよろこんでくれるだろう..と信じて持っていった。そうしたらね、想像以上に「ええやん!」とすっごくすごく褒めてくれたんです。

さらに、インタビューのなかで話に出た「勢い」とはこのことだよ、とも教えてくれた。動きのあるかたち、規制の概念を変えるかたち。これがおもしろくていいんだよ、と。

そして奥さまも、今まで食べたロールケーキのなかで一番好きだったのは、今回のように「ロールされていないケーキ」だったらしい。生地がふわふわでクリームよりも生地をたのしむケーキだったらしい。なるほど、発想の転換である。

私はこの事件を経て、あらためてふたりともすごいなぁと感心しました。

知らないうちに「こうでなきゃいけない」が頭にあって、それに寄せよう寄せようとしていたけれど、もっと自由でいいのかもしれない。認めてあげるハードルを下げて、生きていってもいいのかもしれない。

このインタビューを通じて萬理さんと何回も会ってお話するなかで、だんだんと自分の心が楽になっていくような気がしたのです。

最後に、今回、萬理さんと私を繋げてくれた甲斐さんが言っていた話が忘れられないので引用させてもらいます。

萬理さんは、まだ若くて何も分かってない僕を一人の大人として丁寧に扱ってくれた。その記憶が、未だに残ってます。

***

今回も長いインタビューを読んでいただきありがとうございました。
いただいた感想やコメントはすべて吉岡萬理さんに伝えますので、なにか感じたことなどありましたらぜひお気軽にいただけると嬉しいです。

そして、6/15-7/8の期間で草々のメインテーブルに吉岡萬理さんのうつわが並んでいます。ぜひ遊びにいらしてくださいね。


うつわと暮らしのお店「草々」

住所:〒630-0101 奈良県生駒市高山町7782-3
営業日:木・金・土 11:00-16:00

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