長井紬(置賜紬) 山形県
東北地方で最も織物産業の発達しているところが山形県米沢地方です。中でも特に歴史を持った地区が長井地方といえるでしょう。起源は諸説ありますが、8世紀初めといわれており、産地として認識されたのは上杉景勝によって奨励された慶長年間といわれています。
山形県西置賜郡の中心地である長井市を中心としたこの地方の織物は江戸時代中期に盛んになったといわれています。この時代の藩主である上杉鷹山は、安永五年(1776年)に越後国から小千谷縮の職人を招いて長井地方に麻縮布の技を伝授させたり、仙台から藍作師大友次助を招いて、新たに藍園をつくらせたり、また、桑などの植林を奨励するなど置賜地方の機業の振興に努めたのです。
こうしたことがこの地方に、麻から紬織に、そして絹織物と発達し、現代の基礎を作ることになったのです。
発達史を物語る一説に文化年間の文献に次のような文章がみられます。
「偶々東五十川ナル(長井市五十川)牛沢十助ノ宅ヲ訪エル一浮浪ノ徒、絣(かすり)ノ製法ヲ伝エル」とあります。また成田村(長井市成田)の飯沢半右衛門が下総の結城に行って紬織の西方を持ち帰り、紬に改良を加えたと伝えられています。
さらに安政年間(1854〜1859年)には白兎村(長井市白兎)の高橋仁右衛門が、初歩的なものながら、経緯(たてよこ)の絣を発明したことから長井地方に多様な絣が紬の織物として生まれることなります。
そしてこのことを米琉などとよんで有名になったのです。こうして明治維新には長井紬と名付けて現在の長井紬の始まりとなったのです。またこの長井、米沢、白鷹地方で織られる紬のことを総称として「置賜紬」とも呼んでいるのです。
上杉景勝によって産地を起こし、上杉鷹山によって東北の一大織物産地に成長させたこの長井紬をはじめとする置賜地方の織物は、経済産業省指定伝統工芸品となり、長井、米沢、白鷹産地は全国の中でも若手がその歴史と伝統を伝承し活気ある産地として引き継がれています。
参考サイト
米沢繊維協議会
東北経済産業局伝統的工芸品サイト
https://www.tohoku.meti.go.jp/s_densan/index.html
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