世界の文様❸「卍」(万字)
今回は「卍(まんじ)」を取り上げてみたいと思う。
卍は文様であり、日本では文字としても認識されているが、その発祥は諸説あり、謎に包まれている。私たち日本人を含むアジア人にとっての卍は仏教的なイメージが強いが、そのイメージはインドのヒンドゥー教をはじめとした古くからのインド宗教にて使われており、サンスクリット語ではスバスティカと呼ばれており、吉祥喜旋(きっしょうきせん)を意味するとのことだ。
しかしながら卍をインド発祥とするのは間違いである。なぜならこのヒンドゥー教はバラモン教からの派生であり、それが定着したのは紀元前500年前と言われている。また、そのバラモン教はイランからアーリア人がインドに移ってきたことから少しずつ浸透してきた古い宗教であるが、それも紀元前2000年から1500年くらいである。
卍の文様は世界各国でそれ以前から存在しており、冒頭の写真の彩文土器は古代メソポタミア先史期の紀元前4000年頃のものとされている。またそれ以前にもブルガリアの洞窟にて紀元前6000年前のものと思われる最古のヨーロッパ人と言われる人類が描いた卍のような文様が出土している。
それでは一体卍とはどのような意味を持つものなのか?
日本人は卍は地図上での寺社のマークとして認識している人が多いと思われ、ある程度馴染みがある。しかしながらヨーロッパではナチスのハーゲンクロイツを連想されるため、タブーの文様の1つとも言われている。
卍の捉え方は様々であるが、インドでは先述したように吉祥文様として考えられており、中国では左卍は「和」を表し、右卍は「力」を表すとされている。ちなみに日本に馴染みの卍の多くは左卍である。また明の時代に伝わった紗綾形文様は別名卍繋ぎとも言われている。
さて、世界中でかなり古くから描かれているこの卍文様。最近の研究の中での説は、古代の人々は太陽の光を表しているのではないかということである。これは新石器時代から青銅器時代に見られる太陽十字から派生したのではないかという説で、ヨーロッパのみならずアメリカ大陸、南米大陸でも同時期、太陽を示す丸に十字(日本では島津の家紋で有名)の文様が見つかっており、その端を切った下記の図のような文様が現在の卍に派生したのではないかということである。
起源や意味も含め謎の多い卍文様であるが、どの説が正しいかは未だはっきりはしないものの、その後ゴート文字やラウブルと呼ばれる文様に変化したり、アジアでは三つ巴などの文様の元にもなったのではないかなどとも言われているがいずれも定かではない。
とはいえ、やはりこの卍文様も東へ西へ旅をし、その土地や民族、あるいは思想などに大きな影響を与えるものに進化してきていることは間違いない。
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