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日本協同組合学会実践賞を頂きました!
(写真は私ではなく、表彰式の前に行われた学会シンポジウムにて事例発表されている、かりまた共働組合の國仲理事です)
すっかり遅くなりましたが、10月26日、沖縄国際大学で開催された第44回日本協同組合学会で、何と、奥共同店と共同売店ファンクラブの2団体が2024年度学会賞・実践賞を受賞しました。
https://www.coopstudies.com/会員表彰-学会賞/
協同組合ではない団体が受賞するのは異例とのことでした。
奥共同店の主任、宮城さんに続いて私も受賞の挨拶をさせて頂きました。今回の受賞の歴史的な意義について、話したいことはたくさんあったのですが、長く話すような場でもなく、かなり端折って結論だけ話してしまいましたので、この場を借りて受賞の挨拶ディレクターズノーカット版を掲載したいと思います。
※実際に話したのは5分ほどです
「協同組合学会実践賞、受賞の挨拶」(ノーカット全文)
まずは、奥共同店の皆さん、おめでとうございます。
奥と一緒に表彰されるなんて光栄というよりおこがましいというか、他にもたくさんある共同売店の皆様を差し置いて大変申し訳ないのですが、2月に頂いた地域再生大賞優秀賞と同じくファンクラブが代わりに預からせて頂き、各売店へこの賞をお届けして参りたいと思います。
それはさておき、奥共同店が協同組合学会に表彰されたことは、日本の協同組合の歴史を考える上でも非常に意義深いと思います。
協同組合学会が共同売店を評価した歴史的意義
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創立118年、日本に現存する消費生活組合的な組織としては最古であることを考えれば受賞は当然だと思いますが、その事実も一般にはほとんど知られていないでしょう。一般に「日本最古の生協」と言われるのは「コープこうべ」です。1921年設立の神戸購買組合と灘購買組合が前身ですが、実は熊本の水光社(日本窒素肥料の消費組合)を前身とするコープくまもとが1年早い1920年設立だそうです。その水光社よりさらに14年も早く奥共同店は誕生しているんですね。日本に産業組合法ができてわずか6年後に、辺境の小さな集落で生まれた組織が、今なお同じ地に同じように運営を続けているということは、もっと驚いていい事実だと思います。
ただし、奥共同店は日本の協同組合法上の協同組合ではありません。当時の明治政府や沖縄縣が普及を勧めた「産業組合」ではなく、法人格のない任意の組織として誕生し、その後も独自の道を歩んできました。設立から8年後の大正3年に、一度は産業組合(無限責任奥購買信用組合)に改組する(させられる?)のですが、わずか1年余りで行き詰まり解散、大正5(1916)年には元の奥共同店として復活しています。ちなみに再開後から数えてもコープこうべより古いです。
奥を始めとする沖縄の共同売店のユニークな点は、都市部から離れた「陸の孤島」とも呼ばれる集落で生まれ、集落毎に独立した組織を保ちながら各地へ広がり、合併や拡大、他地域への進出などすることなく今日まで営まれていることです。これが現代の生協とは大きく異なる特徴です。言うまでもありませんが、コープおきなわは共同売店の流れを汲むものではなく、1976年に本島南部でできた「沖縄南部市民生活協同組合」が前身の、現代日本における一般的な都市型、市民型の生協法人です。(でももしかすると、設立メンバーに北部や離島の共同売店を知っている人がいたかもしれませんが)
辺境の「野良」協同組合
現在まで沖縄県内で設立、運営されてきた共同店(共同売店)は、当初は産業組合としてスタートしたものもありますが、ほぼ法人格のない任意の組合のまま今日まで続いています。これは、地理的に中央政府から離れた島嶼地域というだけでなく、戦前の旧慣温存政策や、戦後も長い米軍統治下にあって本土の協同組合法が広がらなかったという歴史的経緯もあるとは思いますが、やはり奥共同店というモデルがあったことが大きかったように思います。一度は産業組合や農協に改組した売店も、1970年代頃に始まる合理化で農協が地域から撤退するのに伴い、任意の組合である元の共同売店に戻って経営を続けてきました。(ちなみに奄美の地域商店も、戦前の産業組合を起源にした、ほぼ沖縄の共同売店と同様の形態ではあるものの、日本復帰後に株式会社や有限会社などの法人になっています。沖縄より先に日本復帰し、行政の指導も早かったために法人化したと思われますが、奥共同店の影響を受けなかったことも一因と言えるかも知れません)
このような歴史的経緯を持つ沖縄の共同売店は、「協同組合的な組織」とは言われるものの、地元沖縄に於いてさえ、法的根拠のない、田舎の、価値の低い、モグリの、「野良協同組合」のような存在と思われてきました。かつて言語や芸能を含め多くの地方文化は大抵そのような扱いを受けてきているように、共同売店も劣ったもののように言われ続けてきました。
ロッチデール先駆者協同組合と奥共同店
ただ私は、素人の強みで「共同売店は世界的な普遍性を持っている」と確信しておりまして、今までにも共同売店と協同組合について、ブログに書いたり寄稿させてもらったりしてきました。
協同組合の関係について重要な示唆を与えて頂いたのは、林和孝さんの「コミュニティに埋め込まれた協同組合」(2012 年『まちと暮らし研究』No.15)でした。この時の奥の調査に私も協力させて頂いたのですが、近代的協同組合の祖、イギリスのロッチデール先駆者組合の原則と奥共同店の規約を比較し、多くの共通点があることを指摘されています。
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2012年は国際協同組合年だったこともあって、JAの『家の光』や生活クラブ生協の『生活と自治』など協同組合関連の雑誌で取り上げられたり、コープ九州のリーダー研修でもお話させてもらうなど、協同組合の源流として脚光を浴びはじめました。ただし、今でもコープの一般の組合員さんの勉強会などで、ロッチデールやコープこうべについて学ぶことはあっても、地元沖縄の共同売店にはほとんど関心を持たれていないのが現実でしょう。々と話してきましたが、私が皆さんに知ってほしいのは、スーパーもコンビニも成り立たない、農協でさえ逃げ出すような辺境の過疎地で、100年以上生き残ってきたのが共同売店だということです。言い換えると、これらの地域に限って言えば、日本の法律上の協同組合は役に立たず、辺境の「野良協同組合」が地域を支える存在であったのです。
118年後、野良が本家に認められた
コープのトラックやJAの移動販売車が過疎地まで回ってきてくれて、大変助かっています。確かにあれは「地域貢献」ではありますが、都市部の協同組合による「支援」であって、住民自身による自治ではないということです。共同売店と、どちらが本当の協同組合と呼べるでしょうか?全国規模の巨大組織に比べたら沖縄の共同売店は吹けば飛ぶような小さな存在ですが、このことを、協同組合を研究されている方々、何千何万という組合員を抱える巨大な協同組合の皆さんに、ぜひ知ってほしいと思います。そのことが、レイドロー報告にも述べられているようにヨーロッパ偏重の協同組合観から脱し、新たな協同組合の可能性を開くことにつながるのだと思います。
そして本日、協同組合を大変よくご存じの皆様が、奥共同店の取り組みが「世界に伝承すべき協同組合の実践である」として表彰されました。118年目にして、ついに野良が本家から認められたことを、心から嬉しく思います。
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沖縄らしい協同組合間協同を
そこで、最後にお願いと提案があります。本日のシンポジウムでも「協同組合間協同」という言葉が何度も出てきました。一方、今やんばる地域ではコープのトラックやJAの移動販売車が「買い物支援」を行っています。もちろんネットの通信販売、全国フランチャイズの移動販売事業など多くのサービスがあり、新たに郵便局と大手小売店が手を組み「買い物支援マーケット」に参入しようとしています。せっかくの地域のための支援のはずが、人口の少ない地域ではすぐに競合し、少ないパイを奪い合うことになってしまいます。もちろん実際に、共同売店の売上も奪ってしまっているのが現状です。その一方で、私も何度か移動販売車に同行してあちこちの集落を回りましたが、採算的には赤字で、配達員も人手不足で大変とのことでした。
それならばぜひ、JAも生協も郵便局も、バラバラに地域を支援するのではなく、共同売店も含め同じ協同組合同士として協同し、共同売店と共存する形での支援を考えて頂きたいです。同じ問題は全国で起きています。沖縄らしい協同組合間協同、協同組合間ゆいまーるをぜひ沖縄から発信して頂きたいと思います。生協、JAの皆さん、共同売店と協働し、共に地域を支える存在となりましょう!と提案し、受賞の挨拶に代えさせて頂きます。長くなりましたがご清聴ありがとうございました。