タイムパフォーマンス重視で余裕がなくなっているあなたへ
例えば、あなたが道を歩いているとする。
交差点の歩行者信号は青。
だけど点滅していて走らないと間に合わない。
あなたは走るタイプ?
それとも待つタイプ?
これが私が考える「せっかち」か「ゆったり」かの判定法だ。
私自身を判定すると「考えるまでもなくダッシュ」タイプである。なんなら「青信号がいつまで続くか予想して点滅する前にダッシュ」レベルである。せっかち偏差値は相当に高いと自負している。
しかし上には上がいる。若者たちだ。
曲のイントロは飛ばす、映画は倍速視聴、ドラマの途中話を飛ばしていきなり最終話を観る、結末だけ先に知りたいからとネタバレサイトを先に読んでから観る etc etc。
ここまでくると、「せっかち」と言うより「生き急いでいる」ように見えなくもない。若者たちは『とにかく結論や正解を早く教えてほしい』を何よりも優先しているようだ。今の時代、それも無理はないと思う。
スマホ・SNS・動画サイト・サブスクの登場によって情報やコンテンツが多くなりすぎ、情報は消耗品になっている。無料で無限の情報が得られるようになった結果、情報自体の価値は以前よりも低くなってしまった。
例えば映画。
以前はレンタル屋に行って300円を支払って視聴するのが普通だった。そこには3つのコストがかかっている。①レンタル料の金銭コスト②レンタル屋まで出向く肉体労働コスト③行き帰りと何を借りるか吟味する時間コスト。それが今や、ネットフリックスに毎月1,000円払えば、3つのコストを全て削減できる。
そこで今、タイムパフォーマンス、略して「タイパ」を追求する人が増えている。それを全否定はしない。仕事面では寧ろ正解だと思う。だが、タイパを追求すると、得るものが少なくなるというパラドックスがあるのではないか。
私もYouTubeで教養本の要約動画を倍速視聴で観ている。しかし記憶に残りづらく、行動が変化したことはない。つまり要約では学習や成長にはほとんど繋がっていないことになる。読書と要約動画では何が違うのだろうか?
それは、自分と対話する思考回数の差だと思う。
本を読んでるときに頭の中で相当量の思考が発生する。一冊の本で筆者が伝えたいことは実はそんなに多くない。どうしても伝えたいことを体系だてて教えてくれるわけだが、それに対して読み手はレスポンスを考え始める。「なるほどなぁ」や「これは使える」と。時間を必要とするが、頭の中で対話することで筆者の伝えたいことを自分の中に落とし込むことができる。
大事だと思う情報は消化しないと意味が無い。タイパのみで情報をドカ喰いすると消化不良になり、吸収されにくい。結局は自分のためにもならないと感じる。
タイパの弊害はそれだけではない。
タイパ重視になると、生活に対してせっかちになる。「もっと効率的に人生を送るにはどうしたらいいか」ばかり考えて、勝手にストレスが溜まっていないだろうか。私もせっかちだが、余裕と寛容さがない生活が楽しいとは思えない。
『正解を早く知りたい』若者たちに伝えたい。
誰にでも当てはまる正解なんてないことを。
人は流されやすく、誰かの意見を聞いていた方が楽だ。でも誰かの意見はその人の正解なのであって、あなたの正解ではない。自分で考え、自分だけの正解を見つけないということは、人生を誰かに委ねてしまうことに他ならない。
この記事で一番伝えたいのは、人生にはゴールなんてものもないということだ。
人生にマラソンのような分かりやすいゴールは存在しない。目標や夢を持つことが美徳のように言われるが、夢を達成しても人生は続いていく。ゴールを設定するよりも、日々を楽しく過ごす方が私は大切に思える。ゴールがないのだから、合理的に最短距離を進む必要すらないのだ。
だから回り道を楽しもう。
失敗も無駄なことも、それ自体を楽しむことができたなら、成功ばかりの人生よりもきっと素晴らしい。
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