二人で本を読むシリーズ ~ 具体と抽象 世界が変わって見える知性のしくみ
前回の続きです。これで完結すると思います。
では早速、いこか。
第6章 往復運動 たとえ話の成否は何で決まるか
完全にお笑い芸人でしたやん。「具体→抽象→具体」の往復運動が上手けりゃええんやん。さっそく読み続けることに不安を覚える。
あーーーーー。うん、これはそうかも。それで言うとエモみのある文章って具体→抽象なのかな。現場を客観的に見ているようで、思っきし主観が入っているようなもの。うん、具体例の短歌ほしい。
歌詞はダメだ。その音楽と歌詞をはじめから終わりまで何十回何百回と行き来してるから、切り取る側にはエモくても、おそらく初めて見た人にはそこまでエモく捉えられないですよね。聴いてみてください。
第5章 関係性と構造 図解の目的は何か
四コマ漫画は歴史の勉強でのたとえ話。
うーん、全体を読んでも、なんだか驚きが得られる章ではなかったな。目星の付け所が悪かったかな。。。
終章 抽象化だけでは生きにくい
抽象は人類の発展的にはいいけど、コミュニケーションとしては使えないよね。
抽象化の阻害要因は「自分を特殊だと考える」人間の思考の癖だったそう。すごい。3/4行でまとめてくれた。
だそうです。もうこの本の言いたいことは終わってるんじゃないかな?
第7章 相対的 「おにぎり」は具体か抽象か
ピックアップしてたときは気づいてなかった。めっちゃ前半に偏ってたのね。
なんか読みながら思ったけど、大学と社会で働くっていうのもある種の具体と抽象のようなものよね。
社会で働いて、実際の現場で必要なものごとを掘って掘って。そこで現れるエラーにしっかりと対処して。実際に手を動かして、なにか物が作られていって。一方で研究は、こんなことしたらこうなりました。ここで求められるのは行為じゃなくて、そこから得られた学びを考え・まとめな気がする。
そういう意味で抽象と具体を行き来するなら、大学までに抽象を詰め込んで、そこから永遠と具体だけをこなすっていうのは正しい流れなのか?逆に働くわけじゃなく、そのまま研究者になってしまって、抽象を極め続けるのもどうなんだ?もっと行ったり来たりする世の中の方が、動物の道にならずに済むのでは?そりゃ進み出したら止まれない気持ちは分かるよ。学校までの道のりで、タバコがポイ捨てされていて、拾いたいなと思いつつゴミ袋もないからなあ、なんて考えている頃にはもう通り過ぎている現実。。多々あります。だけど本当は立ち止まらないといけないよね。進みながら学ぶっていうのは、出来ていそうで出来てなかったりするのかもね。
はい、本文に戻りましょうか。抽象と具体はピラミッド上になっていて、上位の抽象は全ての具体に当てはまる必要があるそうです。プログラミングならclassそのものでしょう。はい、皆さ〜ん、プログラミングの勉強しましょうねえ。
第3章 精神世界と物理世界 言葉には二つずつ意味がある
投げる。ボールを投げる。転じて、諦めて放棄する。
ちょっと前に考えたんだけど、日本語ってそもそも抽象的だよね。と言うのも英語だとmusicは、ラテン語ぐらいに起源があるのかな。
だそうで。じゃあそのmousikeは一体何を表してるんですか。なんかほんま、他の国の言語ってそんなん多いよね。神話に基づきがち。
じゃあ一方で日本語だと、音楽。音を楽しむ。楽しい音。すっっごく想像しやすいよね。そしてその語自体に行為だったり何かが乗っかっている。まあ、だからなんだと聞かれると困ります。
はい、まだ1行しか本文に触れてなかったので戻ります。戻りました。
第13章 ベクトル 哲学、理念、コンセプトの役割
前回の気になる章には挙げていませんでしたよね。ただ私はこういった部分にどハマりしているタイプの人間です。企業にもコンセプト経営が必要とか思っちゃったりしてます。もうこの本にはあまり期待していないので、この章で最後にしたいと思います。
以上です。ここまでお付き合いしていただきありがとうございました。
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