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右胸さまにありがとう

「もしがんだったら、右胸全部取ってやろうと思ってるんですよね」

悪性かもしれないからもっと詳しい検査をしないと、とお医者さんに言われた時、私はそう言った。
お医者さんは「ずいぶん乱暴なことを言うね」と笑ってくれた。

初めから、私は全摘することをあまり惜しんでいなくて。
大きな病院に移った後も、一貫して揺らぐことはなかった。
何度も聞かれ、その都度「全部取りたい」と言った。
部分切除が可能だとしても、全摘してしまいたいと思っていた。
なんとなく、そうなるだろうって予感がしていたし。

検査が進み、病状的にも全摘をした方がいいと決まった。
「良かった」と思った。
右胸に恨みはないけど、がんを生み出してしまった以上もう私の体から去ってもらうしかないのだ。
できるだけ、早いうちに。

とにかくまずは手術して、検体を生検に出す。
がんの“詳細”が分かるのはそれからだと説明を受けていた。
“どの程度悪いものか”を知ることができるまでの間は、世界が儚く見えた。
とても綺麗なのに、もうすぐ消えてしまう。
幻みたいに。

あれは心細い感覚に似ていたと思う。
置き去りにされた夜の寂しさって感じだった。
生きるってことが、大きな夢みたいに思えた。

強く自分の道を歩いてきたつもりだった

まず、今までの人生を思った。
常々自分の性格や、考え方がどうしようもないと感じていて、それを一生懸命修正するような道のりだったと思う。
それが、「愛される自分になる」ということだと信じていた。

私の母は子育てに向かない人で、子供の頃は本当にたくさん苦しんだ。
大人になっても私は自分に自信がなくて、
「ちゃんとしなくちゃ」とか
「苦しんだ分いい人間になれるはず」とか
「こんな風にするのは良くない」とか
いつも自分を縛っていた。
自分がとてもいびつだって分かっていたから。

だから、ずいぶん物事をよく考える子供だったと思うし、人の心の機微をいつも汲み取っていたと思う。
より多くの幸せを得ようとして、外ではよく笑っていたし、明るかった。

家庭の事情を知られたくなかったから。
家と外とは違う世界だと思いたかったから。
私は母とは違ういい人間だと思いたかったから。

「悩みがなさそう」とか「楽しそうだね」とか友達に言われるたび、ホッとした。
大丈夫だ、私はちゃんとこの世界に馴染めているんだって、安心できた。
そんな子供時代だった。

大人になっても相変わらず私はいびつだったけど、それなりにこの世界に馴染めていたと思う。
ただ、モラルに潔癖なところがあるのは自覚していた。
だって、“よくないこと”は“母みたい”だったから。

その生き方のおかげで、いいこともたくさんあった。
いい人と出会えたし、手を差し伸べてくれる友達がいて、だから私はこれで間違ってないって思えた。

でも、なんだろう。
すごく息苦しかったような気がする。

人生における不幸の分量

小さい時、私は心の支えにしていたことがあった。
どこから伝え聞いたのか、私の境遇を知る誰かに言われたのか忘れてしまったけど。
「よくないことがあれば、次はいいことがきっとある。人生は平等にできているんだよ」
そんな言い回しだった。

それで、私はワクワクした。
こんなに辛い日々を送った私は、どんなに幸せな日々が待っているのかな。
母みたいな人間にならないように努力して、幸せになりたい。
周りの人にも幸せでいてほしい。
単純だけれど、この考え方は私を正しく育てたし、心を病むこともなく生きられたのは本当に素晴らしいことだったと思う。
この単純さは、幸せを信じる強さだった。

事実、こんな私を見つけてくれた人と家庭を持ってからは、過去のマイナスを取り戻すくらい幸せだったのだ。

そして、乳がんになる

そうやって生きてきた私は、モラルに潔癖でありながらも、子供を大切に愛して育てることができた。
家族を大切にして、大切にされることを知った。

そして、乳がんになる。

なんで私が、とは思わなかった。
自己肯定感のなさが働いて、“運の悪い私の人生なんてこんなものか”と思った。

だけど、死にたくはなかった。

私がこの世界からいなくなった後、残された人のことを想像した。
いや、そんなことにはならない。
大丈夫だ。
全てが分かるまでは、その真ん中で洗濯機の中みたいにぐるぐる回っていた。

どう生きたいか

“この先も生きられるとしたら、どう生きたいか”考えるようになった。

どう生きたいか。
今までよりも、もっとずっと、はっきりと。
今日と、明日と、明後日のことを考えるようになった。
やりたいこと。
やりたくないこと。
やらなければいけないこと。
今できること。
できないこと。
今までよりもはっきりと、取捨選択するようになった。

できないことは頑張らない。
やりたくないこともしない。
まわりのことは気にしない。
私がやりたいことをやるのだ。

息苦しさが、なくなった。

私の生き方は、恨みの延長線上にあった

私という個人を縛り付けていたものは、なんだったのだろう。
“頑張って生きてきた”感触は確かにあるのだけれど、それがどこへ向かうものだったのかが分からなくなった。

私はいつも、明るく笑っていて、元気いっぱいでいなくてはならなかった。
いつも正しいことをして、人を傷つけないようにしなくてはならなかった。そういう私を嫌いじゃなかったし、生き方として間違ってはいなかったと思う。
だけど、どうして、
“しなくてはならなかった”んだっけ。

不幸な子供時代を経て、幸せに暮らそうと努力した毎日。
私はうまく生きてきたと思っていたけれど、そうじゃなかった。
私の生き方は、恨みの延長線上にあったのだ。

その時私はまず、自分が過去を恨んでいたのだということに気がついた。
そして、いつまでも“ちゃんと育ててもらえなかったこと”に執着していたのだと思った。
もういい大人なのに、いつまでも子供の立場で傷を治せずにいた。

私は信じるべきだった。
そんな境遇であっても、今の自分になれた自分自身のことを。
愛する家族を持つことができた自分自身のことを。
“私は大丈夫だ”ということを。

乳がんは、どんな自己啓発よりも強烈に、私の目を醒まさせた。

右胸さまにありがとう

私の病気を見つけてくれた先生は私に、
「僕は時々、乳がんになる方を羨ましいと思うんですよ」と言った。
私はパニックの中にいたから、その言葉の意味を数ヶ月考えることになった。

何かの合間にふと思い出しては、どういうことだろうと思索する。
難しいなぞなぞを出されて、答えを教えてもらえないまま一人にされたような気分だった。

乳がんになんて絶対になりたくなかった。
だけど私は、今日も、昨日も、一昨日も、少しだけ感謝しているのだ。
乳がんにならなければ持たなかったこんな気持ち。
それを持ってまだ生きられるということ。
こんなに世界が明るく、美しくて、温かいと感じられること。

乳がんにならなければ、私はずっと恨みの延長線上の人生を歩み続けたのかもしれないと思うから。

私の右胸は、がんを生み出し、それをすべて抱えていなくなった。
恨みも、悩みも、呪縛も、よくないものを全部抱えて消えてしまった。

だから私は、今日も思う。
右胸さま、ありがとう。と。


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