遊郭で高人さんを見つけました。19
「高人さん、ただいま戻りました。」
すーっと襖を開けると、雨の匂いのする風が部屋をふわりと通り抜けて行った。
外が見えるように敷かれた布団は乱雑に剥がれ、もぬけの殻だ。
「高人さん?」
楼主と話をして戻ってみれば、高人さんの姿はどこにも無い。
見ればいつも外に見送りに来てくれる時に着ていた上着も無いようだ。
用を足しに出たのかもしれないし、水を飲みに行ったのかもしれない。
俺は勝手知ったる見世の中を探してみる。
すれ違う遊女や男衆は少なかったが、歩く人を見つけては手当たり次第に夜霧さんを見なかったかと聞いて回る。が、良い返事が貰えない。
「高人さんどこ行ったんですか…。」
最後に、高人さんの下駄を見に行くと、そこにある筈の物は無かった。
不安が胸に募っていく。
千早という遊女を探しに出た?
いや…でも、なんでいきなり…。
病み上がりでやっと身体が起こせるようになったのだ。自分の体調くらい分かるはずだ。
「東谷様、如何なさいました?」
番頭が玄関先で考え込む俺を見つけて声を掛けてくる。
「あぁ、番頭さん、高人さんを見ま…――」
いい終わる前に玄関の扉がガラガラと勢い良く開いた。
「ちわ――っす。夜霧サンいます?あ――、あと、チハヤ…だっけ?あの元気なお嬢さん。あの子は―?」
左手に朱色の鞠柄の打掛を持ち、後ろに数人の強面の男を連れている。
「綾木様!どうかされましたか?」
番頭が慌てたように近づこうとすると、見世に叫び声がこだまする。
「離せクソが!!俺が何したってんだ!!」
綾木の連れてきた男達は、叫び散らす1人の柄の悪い男を両手を後ろ手で縛ったうえ、2人がかりで拘束している。
「うるせーな。黙らせろ。」
綾木が言うと、拘束された男は地面に押し付けられた。
綾木はチラリと俺を見る。
「東谷サン?夜霧サン、います?」
睨みつけるように俺を見る目は、高人さんに何か起こったのだと知らせている。
「俺も探していたんです。高人さんに何かありましたか?」
臆する事なく綾木に視線を向ける。
「チッ…居ないんだな?」
綾木は舌打ちして、俺の胸ぐらを掴みかかってきた。
「てめぇ、俺の邪魔ばっかりしやがって…俺の大切なモン掻っ攫いやがったくせに…――っ!…護れねーんなら返せよ!!」
まっすぐに俺を睨みつけ、怒号を飛ばしてくる。
綾木は本当に真っ直ぐに高人さんを守っていたのだと思い知る。
その気持ちを受け止めるように、俺も綾木から目を逸らさず見据える。
掴む手が緩んでいき、手を離す。
「高人さんは物じゃない。誰の傍にいるかを決めるのはあの人だ。綾木さん何があったのか教えて頂けませんか?」
「…わ―ってるよそんな事。チッ…東組みたいなバケモンじゃなきゃ、アンタなんぞすぐさま追い出してやれんのに。」
「…綾木さん、そこまでにして頂けると。」
ニコリと俺が笑うと綾木は嫌そうに睨みつけるがそれ以上は何も言わない。
「何の騒ぎですか?」
番頭が楼主を連れてくる。絹江は2人を見て盛大にため息をつく。
「そんな、人でも殺しそうな剣幕で玄関先に居られては困ります。佐々木、菊の間へ2人をお通しして。男衆は拘束された者を地下の牢に入れておきなさい。」
「畏まりました。」
番頭…佐々木は、一礼すると俺と綾木を座敷へ案内する。
「…夜霧サンいなくなったのに、アンタ全然焦らねーんだな。」
綾木が横を歩きながらチクチクと話かけてくる。
「綾木さんがもう、今出来る手は打っているでしょう?」
涼しい顔で前だけ見て答える。笑顔を作る事すら億劫だ。
「なに?俺頼み?こんなチンケな呉服屋頼りにしてんの?東谷サン?悔しくねーのかよ。」
かっは!と笑うと、ヘラヘラ顔で俺を覗き込んでくる。
「悔しくはないですね。使えるものは何でも使う。綾木さんは嫌いですが仕事は出来る人だという事は知っています。それに、高人さんの事で貴方が手を抜く筈無いですから。」
そこまで言うと、綾木は、まぁ確かに。と言葉を詰まらせた。
「菊の間でございます。楼主も後ほどいらっしゃるそうです。」
佐々木はそう言うと2人が中に入るのを見届けて襖を閉めて行ってしまった。
「それで、何があったのか聞いても?」
俺は適当に座ると、綾木を見上げる。
「…これだよ。」
綾木も対面で座ると、抱えていた朱色の打掛を東谷の前に置く。
「これは俺が選んでやった、チハヤ嬢の打掛だ。夜霧サンもその場に居た。これをさっきのゴロツキが俺の店に売りに来た。」
「普通に考えて、持ってるはずのねーもんを、ソイツが持ってたもんだから、問い詰めたら歯切れがわりーもんで、こりゃなんかあると思って花房屋に来たってわけ。」
「へぇ」
「そしたらアンタ難しい顔して立ってるじゃねーか。そしたらもう確信しちまったよ。アンタの企みで家業が忙しすぎて夜霧サンの見張りが手薄になったのも思い出して…掴みかかっちまった。悪かったな。」
「いえ。じゃあ、あの男なら何か知っていると?」
「そーだな。あれは土産。ここに置いときゃ、てめぇがシメんだろー?」
「人聞きが悪いな。丁重に聞くだけです。」
「丁重ねぇ…」
「大方、この打掛使って、夜霧サン外に誘き出したんだろう。あの人考えるより先に動いちまうからな。危なっかしくてかなわねーんだよな…」
「そこは…同意しますね。この間釘を刺したばかりだったのに…。もうこれだ。」
「「はぁー…」」
「アンタもだいぶ手こずってるな。夜霧サン可愛いだろう。」
「…可愛いですね。」
こういう所は意見が合う。
「俺はあの人の事、小さい頃から知ってんぜ?羨ましーだろー?いやぁー可愛かったナァー!どんなだったかは教えてやんねーよー?」
ニヤニヤと笑ってくる綾木に、稀に感じる苛立ちを覚える。
「アナタ、高人さんの弟みたいな存在だそうで?じゃあ将来は義理の弟だ。よろしくね。千広くん。」
満面の笑みでお前は恋愛対象じゃなくて残念だったな。と遠回しに言ってやった。
「…チッいてーとこ突きやがって。」
綾木は言い淀んで睨みつけてくる。
当然の報いだろう。
「まぁ言い争いはこの辺にして、楼主が来たら次の行動に移りましょう。高人さん個人を狙ったのであれば、無差別誘拐犯とは別だと考えて良い。打掛を近場で売っているのも詰めが甘い。無差別誘拐犯は証拠を一切残していないので、その点を見ても違いそうだ。なら犯人は…」
「夜霧サンに横恋慕して攫ったって事か。」
「高人さん、最近俺の相手しかさせてなかったからな。」
「ケッ…金持ちが…。夜霧の揚代やら座敷代幾らすると思ってんだよ。湯水のように金使いやがって。親父さんにバレちまえ。」
妬みの混じる顔でこちらをじっとりと見てくる綾木。
遊郭に溺れず堅実に仕事をこなしている。意外と真面目な奴だ。
「はは。その分、綾木さんのところのお得意様をいただいてるんで。しかし凄い。予定の三分の一も仕事が取れないと側近が嘆いていたよ。信頼と実績の賜物だ。アナタの仕事ぶりは評価に値する。」
ふっと笑って手をすっと差し出す。
「ハッ!てめぇのせいで俺は得意先を駆けずり回ったんだからな!ったく、俺で遊んでんじゃねーよ。共闘は夜霧サン絡みのトラブルのみだかんな。めんどくせーんだよ…てめぇ。」
綾木は俺が差し出した手を握り返す。
程なく楼主が入ってくると、3人での会議が始まった。
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