遊郭で高人さんを見つけました。5
あいつが最後に花房屋に訪れてから3週間になる。
「…なんでこねーんだよ。」
高人はむすっとした顔で1人愚痴った。
見世の2階の自室から、散りかけた桜を眺める。
太陽は東から顔を出したばかりの時間だ。夜遅くまで働く廓が動き始めるのは昼を少しすぎてからだ。
「はぁー。あんだけ執着しといてほったらかしかよ。」
ぽてっと畳に倒れて仰向けに天井を見た。
「はぁー。東谷のばーか。」
名前を呼んだらひょっこり出てきそうな気がしたが、当然そんな事はなく、また少し機嫌が悪くなる。
ふと、下を見ると、東屋商会の荷をウチに届ける馬車が止まっていた。
あれに乗ったら、会いに行けたりするんだろうか。
勿論、絶対にやってはならない事なのだが。遊郭地区から出たら、連れ戻されて謹慎とキツい折檻だ。
「早く来いよなぁ…」
はぁ。とため息をつく。
すると、下に東屋商会の下働きと、花房屋の下働きが話し込んでいるのが見えた。
髪を軽く束ね、男性用の羽織を着て、足が勝手に一階に向かう。
誰もいない土間から外へ出て、自分の姿が見えないギリギリまで近づく。
「…――。ああ、そうなんだよ…。」
商会の男が困った様になにか話していた。
「それは大変だなぁ。じゃああれかい?お前んとこの若旦那は…」
「ああ、あれじゃ、暫くは外に出れんだろうなぁ。」
「そらまぁ、大変な事だなぁ。」
なに?…怪我でも、したのだろうか…。
人というのは、ひょんな事ですぐに死んでしまう。
父も母もそうだった。
不安で、こんな…外の人に心を許した事などなかったから…こういう時、どうすれば…。
ふと、荷馬車が見えてしまう。
…あれに乗れば会えるかもしれない…。
まだ見世のものは外に出てこない時間だ。皆が動き出す時間までに帰ってくれば…。
そう考えてからは夢中だった。見世の者が内に入り、商会の者が馬車に腰掛けたのを確認して、荷台にコッソリと上がり、木箱の影の荷造り用の麻布の中に隠れる。
やってしまった…ッ!!
緊張で冷や汗が止まらない。
ここに来て16年こんな足抜けみたいな事考えた事もなった…。怖い。けど、いてもたってもいられなかった…。絹江さんに…相談すれば良かった…?
いやでも…絶対許してくれなかっただろう。
帰ったら、折檻だな。絶対バレる。
はぁ…来年遊郭を抜けられる歳なのに…何やってんだ俺。
とりあえず、行くだけ行ってみよう。帰り方はそこから考えればいい。
元気だったら良し。でも…怪我や病気だったらどうしよう。そう言えば、財布も何も持ってこなかった。
慌て過ぎだろ。
ちょっと泣きたくなってきた。
廓の門は検問所だ。ここで見つかれば見世に逆戻りだ。
ガタンと馬車が止まり誰かがちらりと荷台を覗く気配がする。
ドッドッドと心臓が早鐘を打った。
「荷はすべて下ろしたのか?」
「へい、そこにあるのは空の箱と麻布だけでさぁ」
「そうか、よし。通っていいぞ。」
ゆっくりと馬車が動き出す。
高人は見つかる事無く廓の外に出る事ができた。
息を詰めていたので呼吸が乱れる。口元を抑えて必死で息をころす。周りと天井を布で囲ってある荷馬車で良かった…。これだったから見つからなかったのだ。
「はっ…」
廓を出てしまった。もう後戻りできない。
帰ったらこっ酷く叱られる。絹江さんは容赦ないから…怖いけど…。
いい。東谷のことをずっと心配してるよりはマシだ。
しばらくガタゴトと馬車は揺れてどこかへと進んでいった。街のざわめきが遠くなる頃、潮風が薫ってきた。近くの港のようだった。馬車が止まると御者は降りてどこかへ行ってしまった。恐る恐る麻布を取り、外を見る。
そこには大きな船が停泊しており、積荷を下ろしている。
「わぁ…船だ。」
荷台から降りるとぐるりと周囲を観察した。
「すごい。海だ。」
キラキラと輝く水面や、波の音が面白い。
はっ!そうだ!東谷の事を探さないと。
高人は周りを見渡しながら、大きめの建物を探した。
しばらく歩くと、東屋の看板を見つける。それを頼りに建物を探していると…
「あった…。」
大きな建物だ。
門の前に行くと、入って良いものかと、もたもたしてしまう。
「…っ、」
誰かが通るのを待って、東谷が居るかを聞いて…居場所が分かれば…。
そう考え込んで、門の前で立ち尽くしていた。
商会の前は大通りで、ガラガラと積荷を運ぶ馬車が行き交う。
「賑やかだな。」
潮風も、街の喧騒も、海鳥の鳴く声も…全てが新鮮だ。
「高人さん!!」
「…東谷?」
どこからか東谷の声がして、風に靡く髪を抑えてクルクルと周りを見た。
商会の中に目を向けた時、ガバッと抱きしめられる。
「高人さん!どうしてこんな所にいるんですか!」
なんだ、元気そうじゃないか。
身体を少し離して、東谷の顔を覗き込み嬉しくなってふわりと笑う。
「お前が心配で。…良かった。元気そうだ。」
「―――――ッ」
東谷は、ぐっと言葉を飲むように何も言わない。
東谷は怒っているようで、「行きますよ」と、商会の建物の中の自室へと乱暴に手を引かれて連れて行かれた。
迷惑だったか。
「すまん、すぐ帰るから」
自室に入ると鍵をされ、中央に設置された長椅子に、ボフッと座らされる。
「わ…ッ」
東谷は、俺の後ろの背もたれを掴んで、ぐっと顔を覗き込んでくる。
「…どうしてここに居るんです。」
怒ってる…。
「お前が、ずっと来ないから心配で…。」
おず…っと見上げると、切なげに俺を見下ろしている東谷の姿があった。
「あなた、こんな場所に来ちゃまずいんじゃないですか?」
まずいよ。でも…
「お前が無事なら、罰受けてもいいかなと思って。仕事が忙しいんだな。邪魔して悪かった。」
頬を撫でて、元気そうな東谷にホッとする。
「…――――冗談じゃない…ッ…こんな…」
陽の光でキラキラとひかる東谷の髪が苦しげに揺れていた。
こいつは、何を思い詰めているんだろう。
俺に出来る事はこの瞬間を慰める事だけ。
「東谷、こっち来い」
ふわりと東谷の頭を抱き寄せて、髪を優しく撫でてやる。
「…っ…高人さんッ」
「そんな顔するな。せっかくの綺麗な顔が台無しだぞ?」
軽口を叩きポンポンと頭を撫でてやる。
東谷はぎゅぅっと苦しいほどに抱き締めてくれた。
ああ、温かい。お前が無事で良かった。
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