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高人さんが猫になる話。6
猫は本当に繊細だ。どんな些細な音でも聞き分けて次のリスクを考える。行動も早い。
西條は自分が猫の身体と本能に振り回されているかのような奇妙な感覚に陥っていた。実際、思考が猫寄りになっている。本能が強いのだ。
ちゅん太のそばを離れてしまった。
でも、しばらくは戻れない。人の気配が多い。
(戻らなくても良いんじゃない?自由に生きればいい)
縛られる事を嫌う本能が首をもたげる。
いや、ちゅん太にはまた逢いたい。
とりあえず、もっと静かな場所に身を隠そう。
西條はゆっくりと路地の奥へと入っていった。
歩いていると、どんどんとビル群が無くなり、古い民家やアパートの並ぶ静かな場所へ出た。
人間の頃にも見た事の無い新鮮な風景だった。
仕事ばかりだったからな。毎日毎日、仕事と家の往復の人生だった。
今はどうせ猫なんだし。細かい事を気にしても仕方ないのだ。車も来ない人もいない。日も高くなり春の日差しが温かい。こんな時は昼寝だろう。
喉も乾いたが、とりあえず眠いのだ。古びたアパートの階段下、隠れた部分にゴロンと横になりうつらうつらと微睡んだ。
数時間経ったころ、ぱちっと目を覚ました。
そうだ、寝てしまったのだ。
あたりは夕暮れ時で、帰宅する人の子の声がこだまする。大きく欠伸をするとぐーっと身体を伸ばす。
ああ、なんて気持ちいいのか。
(このまま猫でいればいいよ。)
またどこからか声がした。
それもいいかもしれない。
でも、ちゅん太が心配なのだ。あいつは俺が居なかったら壊れてしまうから。
ゆっくりと歩き始める。ちゅん太が来たあの場所に戻るのだ。あそこに入れば、またあいつが来るかもしれないから。
夜の帳が下り、あたりは一層暗くなる。
細い路地を歩いていると、声が聞こえた。
「黒猫さーん、いますかー?」
ちゅん太の声だ。やっぱりな。
近づくが、ちゅん太は気付かない。当たり前だ。闇に溶けるような毛並みなんだから。
なので返事をしてやった。
「ニャァ(ここにいるぞ)」
明かりに照らされて、猫の目には明るすぎて目が開けていられない。
それに気付いたのか、スッとライトを逸らしてくれた。
「よかった。探しましたよ」
ただの猫なのに、探してくれてたのか?
「お腹、減ってませんか?」
確かに減ってはいるけど、どうしてそこまでしてくれるんだ?お前にとってはただ猫だろう?
嬉しいのか嬉しく無いのか。猫に浮気するのかお前は。とか思ってしまい素直に喜べない。
少し離れて、バシバシと地面に尻尾を打ち付ける。
でも、なにやら美味しそうな匂いだ。
なんだそれ!
お皿に盛られていくクッキーのようなもの。
食欲には勝てず、嬉しさから喉が鳴ってしまう。
「ゆっくり食べて、食べ終わるまで待ってますから」
ちゅん太は座り込んで、疲れた表情だが少し安堵した様子でこちらを見ていた。
俺が俺だと分かっているのだろうか、それともただの心の埋め合わせか?
気づいているのだとしたら怖いな。埋め合わせなら怒る。我ながら理不尽な話だ。
美味しくご飯を頂き、水を飲む。初めての水だ。たしかこうして…
水面に顔を近づけていくと、近づけすぎて鼻まで浸かってしまう。あわてて顔を離しフルフルと水気を飛ばした。
なるほど、ゆっくりだな。
そっと口を近づけて水を舐め取る。
初めてにしては上手いじゃないか。ふふん。
とご機嫌になる。
「黒猫さんは帰る家はあるんです?」
膝に顔をつき、こちらを見ていたちゅん太が小さく言った。
「にゃあん(しらん)」
猫に浮気するやつは知らん。つーん。と返事をしてしまう。
困ったような表情で笑う彼をチラリと見ていた。ほんとは何を言ってるか分かってるんじゃないか?と思ってしまう。
その後は、ちゅん太を無視して毛繕いに勤しんだ。
毛繕いがひと段落すると、ちゅん太を見上げた。疲れた表情だ。ずっと眉間の皺が取れていない。泣きそうな表情だ。
俺がいなくなったんだから、忙しかっただろうな。ごめんな、ちゅん太。
「にゃぁん(ありがとうな)」
ゴロゴロと喉を鳴らして、ちゅん太に擦り寄る。頭を撫でて貰えた。もっと触れていたい。この匂いはとても落ち着くのだ。触れて欲しい。
「抱っこしてもいいですか?」
ちゅん太が座り直して膝をトントン叩いてこっちに来いと誘ってくる。
仕方ないな。今日だけだからな!浮気は目を瞑ってやろう。
本当は嬉しくて仕方なかったのだけど。
撫でてくれる手が心地いい。
「高人さん…」
その声にパッとちゅん太の顔を見る。気付いてくれていたのかと歓喜した。
けれどちゅん太の視線は自分には向いていなかった。
どこ見てんだよ。バカ。
悲しくなって尻尾が項垂れた。