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朝鮮に対する犯罪的取引の産物、「桂―タフト協定」

20世紀、アメリカ帝国主義と日本帝国主義はアジアにおけるその侵略野望を遂げるために犯罪的な取引を行った。その結果物が他ならぬ「桂―タフト協定」である。

久しい前からアジア大陸という脂身をめぐって熾烈な角逐戦を繰り広げてきた列強は1900年代に入り、勢力圏の分割にいっそう血眼になって狂奔した。

特に、日本帝国主義は一日も早く朝鮮を自国の独占的植民地にするために手段と方法を選ばなかった。朝鮮に対する支配権を狙って日本帝国主義は帝政ロシアと戦争をも行った。

日本帝国主義は、アメリカ帝国主義を後ろ盾にして帝政ロシアとの対決で決定的な優位を占めることによって、朝鮮に対する植民地支配を米国から保証を得ようとした。アメリカ帝国主義は自国なりに朝鮮だけでなく、アジア大陸の広大な地域を欲しがり、日本からフィリピンに対するその植民地支配の安定性の保証を得ようとした。

自国のそのような侵略的目的の追求から出発して1905年7月下旬、当時のアメリカ大統領であったルーズベルトは米陸軍将官のタフトを日本に派遣した。

訪日したタフトは、1905年7月29日日本首相の桂と秘密会談を行い、強盗さながらの「桂―タフト協定」を締結した。

この協定でアメリカ帝国主義は、日本の朝鮮占領を認め、日本帝国主義はフィリピンに対するアメリカの植民地支配を認め、いかなる干渉もしないということを約束した。

アメリカ帝国主義の庇護、支持の下に、日本帝国主義はその後、「ポーツマス条約」などを相次いで締結して朝鮮に対する独占的支配権を確立できる対外的準備を完備し、1905年11月「乙巳5条約」を締結することによって、ついに朝鮮を日本の植民地にした。

「桂―タフト協定」は、植民地支配を狙った犯罪的な米日共謀結託の産物である。

対朝鮮侵略のための米日間の犯罪的な共謀結託は続いた。

1950年代、朝鮮戦争の時期にもアメリカ帝国主義は日本の反動層を朝鮮戦争の手先として引き入れ、日本の反動層はアメリカ帝国主義の侵略戦争に積極的に加担することによって、朝鮮人民に対してぬぐうことのできない罪悪を犯した。

朝鮮戦争以後にも、日本の反動層はアメリカ帝国主義の対朝鮮支配戦略に積極的に便乗し、アメリカを後ろ盾にして軍事大国化を執拗に追求してきた。アメリカ帝国主義もやはり、日本の反動層のこのような策動を極力庇護、助長して日本を侵略の突撃隊、新しい戦争挑発の斥候隊として立たせた。

今日も、朝鮮をはじめ他国に対する侵略野望を実現するために米日は各方面から軍事的結託を強化し、地域の情勢を緊張激化へと追い込んでいる。

アメリカ帝国主義と日本の反動層は各種の合同軍事演習を頻繁に繰り広げ、朝鮮周辺の情勢を人為的に悪化させている。

実に、犯罪的な侵略野望を片時も捨てず、朝鮮情勢を危険な事態に追いやるアメリカ帝国主義と日本の反動層こそ、朝鮮人民の不倶戴天の敵であり、平和の破壊者である。

われわれは、アメリカ帝国主義と日本の反動層の無分別な軍事的妄動を鋭く注視している。万が一、アメリカ帝国主義と日本の反動層がついにこの地で血なまぐさい過去を再現しようとするなら朝鮮人民は積もりに積もった憤怒を総爆発させて不倶戴天の敵に容赦のない鉄槌を下すであろう。

キム・ヨングァン

ネナラ(2024-07-29)


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