なんで、 書いてるの?
「 noteを書く理由はなんですか?」
笠井さんの記事にあった質問です。
「回答をコメントで」とあったけれど、思考が膨らんだので記事にしてみました。
「 noteを書く理由はなんですか?」
この質問、みんな一度は考えたことあるのでは?
もちろんわたしも考えたことがある。
「 noteとの付き合い方というのは、最近の僕にとってはちょっと難しいんです。」
ともあった。
うんうん、わかるわかる。
楽しいだけじゃないんだよね。
やらなくちゃ、と思うと辛くなるんだよね。
noteに限らずだけれど、文章を書くというのはエネルギーを使う。
まず、何を書きたいのか、記事のテーマを考えるところから始まる。
わたしのnoteは週1回の更新。けれど、毎日、「次の記事は何を書こう?」とネタを考えている。
仕事中に思いつくことも多い。アイディアが浮かべば、それが飛び立たっていかないように、急いでノートに書きとめる。走り書きすぎて、わたしにも読めない字が並んでいる。もはや暗号。
テーマが決まれば、次は、内容だ。
ここで自分の心を深掘りしていく。
この記事だったら、「わたしがnoteを書く理由」を納得いくまで考える。
アー!とかウー!とか唸りながらね。
本心って、自分が見たい綺麗なもの、だけではない。だから、それに触れるのはちょっと辛い。
そして構成に取りかかる。テーマを分解したり、組み合わせてみたり、挿入するエピソードを考えてみたり。
こねこね。
ここでようやく記事を書きはじめる。と思ったら、構成を大きく変えたくなって、また構成に戻ったりする。
こねこね、こねこね。
よくこねた記事は、熟成したわたしの気持ち、というなんだか恐ろしいものを放出する。こねすぎると怖いときもあるよね。
こうした試行錯誤を繰りかえして、記事が完成する。
一連のプロセスは、決して楽しいだけの作業ではない。まずテーマ決めの段階で苦しむことが多い。
では、なぜ書いているのだろう?
「やりたいこと」もしくは「やりたくてやっていること」を人に言うのは恥ずかしかったりする。
みんなはどうなんだろう?
分からないけれど、わたしは恥ずかしいと思うときがある。
noteを書いていることだって、母と友人2名にしか伝えていない。
なんで恥ずかしいのかな?
考えてみて、思いついたのは、
内面と結びついているからだと思う。
つまり「欲」。
そう、お金がほしいとか、甘えたいとか、凄いって思われたいとか。綺麗とは言えない感情たち。
前回の記事で「わたしは教えたい」と書いたけれど、これを書くのにも勇気が必要だった。
この「教えたい」はわたしの欲と結びついている。それは、凄いと思われたい、感謝されたい、といった感情。承認欲求!
こうして書かない限りは、わたしの欲はバレないのかもしれない。
でも、この欲が他の人に見透かされる気がして、やりたいことを言うのをためらってしまうのだ。
自分の気持ちを隠しているうちに、
隠したものに気づけなくなってくる。
やりたいことが、
わからなくなってしまうのかもしれないね。
ちなみに今、欲をさらけだしたので、わたしはめっちゃ恥ずかしい。
心臓を、ぐっと掴まれて揺すられている、ように感じる。「静まれー!」と思って、胸のあたりをさするけれど、一向におさまらずソワソワしている。
そこまでして、なんで書いているんだよ(笑)。
そう、恥ずかしくなってまでnoteを書いている理由。
もちろん「欲」とつながっている。
わたしは、自分の考えを発表するために、noteを使う。
それにくっついている欲は、ポジティブな反応が欲しいのと、デトックスのためだ。
すごいとか、面白いとか、笑ったとか、最高とか。わたしの記事を楽しんでもらって、こういうポジティブな反応がもらえるのが、嬉しいのだ!
デトックス的な側面もある。自分の考えを、ああでもない、こうでもない、とこねくり回し、綺麗にまとまると、気持ちいいのだ!
そうなのだ!こんな単純な理由なのだ!
(恥ずかしいので勢いで誤魔化す)
恥ずかしいと言いつつ、内面をさらす。りっぱな変態である。
いや、noteを書いている人は、きっとみんな変態だ。心の内をさらけ出しているんだもの。
おそらく、こういう答えを予想されていなかったのでは、と思う。深堀りするところまで、掘ってみたらこんな答えになってしまった。ごめんなさい。
今、スタバで紅茶をおともに、この記事を書いている。わたしの横では、学生さんが世界史を勉強している。なんか、ごめん。
怪しい人だろう。口元はにやけて、眉は困ったときのハの字になっている。声も出てしまっているかも。
口元だけでも、マスクで隠れていてよかった!
「あ〜っ、恥ずかしい!」と言いながら、これからも、記事を量産していく所存です!
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
また次の記事でお会いしましょう!