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幼少期の記憶

ちゃわんは猿だった。

幼き日のわたしを称して母がよくいう言葉だ。悪くいっているわけではなく、幼少期は本当に猿のように野山を駆けまわる子供だった。


最古の記憶といえば、弟がうまれたときのものだ。といっても、弟の姿は全く覚えておらず、入院着をきていた母の姿だけを覚えている。

その時の、母とわたしの姿が写真に残っている。入院着姿の母の手元をのぞきこむ幼き日のわたし。だから正確には、記憶があるのではなく、その写真を覚えているだけなのかもしれない。


その後の記憶はだいぶ飛んで、保育園に通っていた頃になる。

冒頭に書いた通り、この頃のわたしは猿のように駆け回っていた。

保育園にいる女の子が好きなのは、おままごとだろう。砂場の近くで、家族ごっこをしている女の子たちがいたような気もする。けれど、わたしがおままごとをした記憶はなく、楽しげな女の子たちの姿がおぼろげに浮かぶだけだ。

その頃のわたしの興味は、もっぱら身体を動かすことで、大きな庭のある保育園を何の目的もないまま走り回っていた。

庭の中心には、保育園のシンボルである大きな木があった。そして、庭の外周にも保育園を覆い隠すように木が植わっていた。

子供からすると、とても大きな木だったと思う。今みると、なんて事のない木なのかもしれないけれど。

数えるといくつかしかない木たちを、まるでジャングルのように思っていた。

外周にある木をジャンプして飛び移る。別に意味はない。ひとしきりジャンプをして満足したら、次は庭を走り回る。思いっきり笑いながら、ただ駆けていた。

庭の中心にある保育園のシンボルに登ればフィナーレだ。

小さい身体で、木の小さな節に足をかけて無理やりよじ登る。他の木にくらべて真っ直ぐした幹を持つシンボルツリーは大層登りづらかった。

その分の達成感はひとしおで、登った誰もが枝葉の中で達成感に酔いしれていた。


駆け回るのにも相棒はいて、エネルギーがあり余っている子供たちといつも外で遊んでいた。当然、怪我はたえない。

ある男の子と、いつものように木に登った。外周にある、幹が二股に別れている木によじ登った後だった。男の子が目を押さえて俯く。

どうやら目の中に木の滓が入ってしまったらしい。

目を覗きこむと、木の小さなカケラが中に入っているのが見えた。

「せんせー!」

先生が駆け寄ってきて、ティッシュで目の掃除をしたのを覚えている。横で見ていたら、わたしの目も痛くなってきた。同じくカケラが入っていたらしい。

今だとありえないかもしれないけれど、その後も木登りを禁止されることはなかった。

何の変哲もない記憶だけれど、子供心に衝撃を受けたのだと思う。彼の目を覗き込んだときの木のカケラをよく覚えている。


小学生になっても木に登る生活は続いた。活動の場は、小さな庭から、小学校の裏山になった。大きな蔦がぶら下がっており、ターザンのように蔦につかまって遊んでいた。

野生児ような遊びをしていたけれど、小学校の高学年にあがる頃にようやく落ち着きを見せた。ゲームが遊びの中心になり、一気にインドア派になった。

とはいえ今でも、大きな木をみると子供心がくすぐられる。かつてのような身軽さはないけれど、あそこに足をかければよじ登れるんじゃないか、そんな気持ちがわいてくる。

神社にある立派な木をみては、ひそかな願望をいだくこの頃である。



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また次の記事でお会いしましょう!

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今回のテーマは「ターニングポイント」になります。

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ちゃわん(Kaori Onozaki)|月曜18時更新
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