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親父ギャグで人気者になった父の謎
いきなりですが、わたしの父は2年半前に亡くなっています。そろそろ3年かあ。あっという間。月日が過ぎるのは早いですね。
今日は、お酒が大好きだった父との思い出話です。
この記事は、恵子さんの企画「 #大好きな家族 」に参加したものです。
わたしの両親はお酒が好きです。とくに父は「アル中だったのでは?」というくらい飲む人で、宝焼酎の水割りが好きでした。
少し汚れた居酒屋が好きで、父の仕事帰りに色んなところに連れて行ってもらいました。人も場所も雑多な感じが構えなくてよかったんでしょうね。
新橋の赤提灯に上野のガード下。わたしも居酒屋が好きなので、喜んで付いていってました。奢りですし。父の職場のおじさま達ともなぜか一緒に飲んでいました。
そんな父のお気に入りのお店は、家から徒歩10分くらいのバー。両親と同じ歳くらいのご夫婦が経営されています。
カウンター
--------------
○○○○…
父私母
カウンターに対面する丸椅子に、壁側から、父、わたし、母、の順に座るのがお決まりでした。喧嘩防止のために、サンドイッチされて座る。
いつからか、仕事帰りの父が先にお店に行き、わたしと母が後から合流するスタイルになりました。
そして気がつけば、父が酔っ払うとよく言っていた親父ギャグがバーで流行っていたのです。
下ネタが入ってるので、残念ながら此処では書けません。ほんと、しょうもないギャグなんです。
「----!!」
と酔っ払った父が言えば、
「でた、十八番、----!!」
とカップを掲げて笑う常連のおじさん。
「また、始まったよ〜。」
と楽しそうに話すバーのマスター。
「----!!」
と一緒に言うバーのママにお客さん。
父と一緒になって笑う人達がそこにはいました。
気がつけばそんな様子になっていたので、なぜ流行っていたのかは全くわかりません。
常連さんやバーのママからは、
「娘さんがいるとお父さんの顔になるからねー!」
「変わるんだよなー!」
とよく言われていました。たしかに、わたしといるときの父はほとんど喋りません。ときどき意見を言うけれど、ほとんど相槌を打つだけ。
わたしがいないときの父はどんな様子だったのか、と今になって思います。
もしかして、じょうぜつ??
いやいや、そんなまさか。
でも、しょうもない親父ギャグを繰り出すほどバーに集まる人達に気を許していたのでしょう。
親父ギャグがなぜあんなに流行っていたのか?
みんな酔っ払っていて、単に父のギャグが楽しくなっていただけかもしれない。
それはそれでいい。
「----!!」が流行っていた理由は謎だけど、謎のままでいいかなと思う。わたしといないときの父はきっと少し違ったのだろうけど、それは秘密のままでいい。
わたしの記憶には、バーで「----!!」と楽しそうに言う父の姿が残っているし、そのあと家に帰って、ソファでぐったりしながら力なく「----ぁ〜。」という父の姿が残っている。
しょうもないけれど、無くなってしまうと愛しくなる思い出でした。
記憶が薄れてしまう前に、父の話が書けてよかったです。恵子さん、素敵な企画をありがとうございました!
本日もお読みいただきまして、
ありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょうー!
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