あの織田信長が負けた、[手取川の戦い]についてわかりやすく解説します!
このいくさは有名ですが、わかっていないことが多くあり、今も謎が多々あります。
それを、わかりやすく解説していきます。
南下する謙信!
謙信は京に上洛するために、北陸諸国を手中に収めようと考えます。
そこで、謙信は石川県にある全国有数の堅城「七尾城」を攻めますが、落とすことができず、上杉軍は一旦、撤退します。
謙信は再度、七尾城を攻めます。窮地に陥った城主の長続連は信長に助けを求めます。
そこで信長は援軍を送ることを決意し、柴田勝家を筆頭に4万の援軍を送ります。
手取川の戦い
織田軍は七尾城救援に向かい、9月23日には手取川まで軍を進めます。
するととんでもない知らせが織田軍の耳に届きます。
この知らせを聞いた勝家はすぐに撤退を命令します。
しかし、この撤退中に上杉軍が攻撃してきます。
織田軍は不意をつかれ、上杉軍に惨敗します。
織田軍は千人あまりの兵を失い、残る織田軍も、手取川に飲み込まれるものが多くいたそうです。
このときの上杉軍の兵力は1万2千人。
対する織田軍は4万人。
約3倍の圧倒的兵力差があったにもかかわらず、圧勝した上杉軍の強さがうかがえます。
謙信、急死!
これだけ強かった上杉軍でしたが、手取川の戦いの一年後の1578年に脳卒中で急死してしまいます。
もし、謙信が生きていたら、謙信が京に上洛しているかもしれません!