田舎育ちが都会で感じた格差は、乗りこえられるのか
「人は生まれた時から平等ではない。だけど、乗り越えるためにできることはある。」
田舎で育ち、都会に出てきた私が、最近感じていることだ。
自分より、恵まれて育った人が世の中にはたくさんいると気づいたのは、いつ頃だろうか。
おそらく、勉強を頑張り始めて進学校に入った高校時代から少しずつ感じ始め、はっきりと思ったのは、上京した社会人になってからだろうか。
私は新潟県新潟市の一番小さい区で育った。徒歩30分圏内に買い物ができる場所はコンビニ1つ。
そのたった一つのコンビニが、自分の家から徒歩1分にあり、私はそれを誇りに思っていた。
遊べる場所といえば、近くに大きな公園があったが、ずっと遊んでいると飽きるわけで、私たちは常に新たな遊びを探し、作る必要があった。
田んぼにいた生まれたばかりの小ちゃなカエルを見つめたり、アリの巣を掘って壊したり、雪の中でサッカーをしたりした。
その時は、自分と他の環境で育った人を見ることもなく育ったので、格差なんて感じなかった。
中学に入り、3つの小学校が合併し、人数は多くなったが、それでも学年でたった50人。航空写真には、田んぼの中にポツンと大きな学校が浮かんでいた。
高校生になり、私は市外の高校に行くことになった。市の中では一番頭が良い高校で、クラスメートの自信がすごいなと思った。市内出身の人は特に。
中学と同様に、周りは田んぼだらけだったが、親が、先生だったり、海外赴任していたり、少し地元の友人とは違う感じはした。
中には、「将来海外に行きたい」という子もいた。
当の私は、ALT以外の海外の人を見たことがなく、もちろん海外にも行ったこともないため、そんな選択肢を持っていることに言葉が出なかった。
その後、地元の大学に入る。関東の大学に入りたいという夢は、家庭の金銭状況と高校時代に手術した持病の関係で消えた。
地元と言えど、6割近くが県外から来た子だった。
大学のクラスメートでは、親が医者や、大学教授の子がいた。
その時は意識しなかったが、無償の奨学金をもらっていた私は、金銭的な面を考えると、少しマイノリティな方だったかもしれない。
そして、社会人になり、念願の東京で働くことになった。
ここでは、中学受験をする人が大多数であったり、私立高校に行く人が多いことにびっくりする。
小学校から、塾に行っている人もかなりいるらしい。
ここで、塾も、中学受験もしていない私が、もちろん東大に行けるはずもない(目指してすらないが)ということに気づく。
圧倒的に勉強にかけてきた時間、そして環境が違うのだ。
この時、生まれた場所、家庭で人生は決まるんだなと悟った。
都会で育った子は、遊ぶところがたくさんあり、習い事もたくさんあり、近くに美術館や博物館もある。
毎週末、いつもと違うところに行ける。様々な友達もできる。
それを通して、自分の感性や、やりたいことを知っていくのだろう。
私はそもそも将来の選択肢がわからなかった。地元にいた時は、先生、公務員、病院勤めの人しか想像がつかなかった。
芸術や工学など、興味はあっても、それを勉強した先に、何になれるのか。なっている人もいなければ、その職業さえ知らなかった。
もちろん、広い世界を知らない方が幸せに生きれる、という人もいる。
ただ、もう知ってしまった。そして、その幅広い選択肢に魅力されてしまった。
人生はやり直せない。田舎で生まれ育った私が、今何ができるだろうか。
遊ぶものが何もなかった時に得られた想像力。お父さんのパソコンを使ってインターネットで色々な人と繋がり、新しい世界を知るのに夢中になったこと。
形にはならないが、それが私の持っているものだった。
ここに生まれてよかったと思えるほど、まだ、大人にはなれていないが、いつかここで生まれて良かったと思えるように、後悔なく生きていきたい。
また、私のように田舎育ちで都会に来て、ギャップを感じている人は、自分を誇らしく思って欲しい。
私は都会に来た時に、周りの育ちに圧倒され少し自信を損失したが、逆にほぼ何もない場所で育ったわりに頑張ったと自分を褒めてあげたくなった。
「25歳からのあなたは、生まれや育ちではなく、努力で決まる。」という言葉が好きだ。
努力して、行動すれば、いつか状況は変わるということを信じて頑張ってみたい。