自分の会社の活動が社会の人々にとってプラスになっているか
ある社長様とお話していたときのことです。「うちはどうしたって労働集約型だから、生産性を高めていかないと」という話になりました。建設現場に足場を仮設する会社です。足場は、どの建設現場でも必要になります。また、参入障壁も低いです。Googleで検索すると地場の会社がたくさん出てきます。そういう中での競争もあり、なかなかシビアです。
その生産性向上は誰のため?
「そこで言っている生産性というのは、一人当たりの現場数とかですか?」と聞くと、「それもあるけど、それだとこちらの都合。元請さんの役に立つことを考えないと」とおっしゃいました。元請の現場監督は、やることがたくさんあります。かつては、長時間労働でカバーしてきましたが、いまや働き方改革の時代です。そこで、現場監督の一部の仕事を自分たちができる範囲で請け負えないか、模索しているとのことでした。
品質の高い工事を安全にかつ納期通りに行うという目的に立ち返ると、「自分たちの仕事はここまで」と線を引く必要はありません。というより、普通はその線に気づいていません。たいていは、引かれている線を当たり前のものとして疑わずに、ただ来る日も作業をしているだけです。
経営者の立場でいうと、疑いもせずに、働かせているということになります。その前提で生産性向上と言っても無理があるのです。社長様も「そういう発想を持たないと、ただの人工商売。ピンハネ業ですよ」ともおっしゃっていました。経営者としての存在意義を意識しているのです。足場そのものの品質だけでなく、作業員の技能や態度なども品質として高める取組みをさかんに行っています。そして、価格勝負はしないようにしてきています。「実際、高いと言われることもあるけど、他と同じことをしていたのではつまらない」とおっしゃいました。競合があまたいる中、このコロナ禍でも業績は好調です。つまり、価値のある会社として選ばれているわけです。
この会社がなくなったら、社会に何らかのマイナスをもたらすだろうか
松下幸之助さんはその著書の中でこう書いています。
私自身は、自分の会社の活動が社会の人々にとってプラスになっているかどうかということを常に自問自答してきた。〝この会社がなくなったら、社会に何らかのマイナスをもたらすだろうか。もし、何らのマイナスにならない、いいかえれば、会社の存在が社会のプラスにならないのであれば解散してしまったほうがいい。もちろん、従業員なり、会社に関係する人は困るだろうが、それは仕方がない。多数の人を擁する公の生産機関として社会に何らのプラスにもならないということは許されない〟そのように自分でも考え、また折にふれそういうことを従業員にも訴えてきた。
企業活動をするうえでは、さまざまな努力や工夫が必要です。生産性向上もその一つです。ただ、その目的を忘れてはいけません。その努力や工夫によって、お客様や社会に貢献できているかどうかが重要です。単に自社の効率が良くなるのではなく、価値を生んでいるかどうかです。
その視点に立たないと、存在意義がなく、必要とされない会社になってしまいます。