論破ではなく洞察を:ロジカルシンキングが生む学びの場
縁あって、毎年ロジカルシンキングの研修を務めているお客さまがいます。入社1~2年目の時期に半年に1回ずつ、3回シリーズで実施しています。
正直、必要なのかなと思うくらい出来が良いです。我々の世代と違って、学校でもコミュニケーションの授業をたくさんやってきています。プレゼンなんかも小学校のうちからやってますからね。
テキストとしては、通り一遍のことを準備するのですが、そのレベルは習得済み。そこで、ありがちな落とし穴や実践で活かせるようなポイントをお話しすることになります。そのあたりは、こちらの方が長く仕事で苦労しているのでアドバンテージがあります。
若者が一番苦労するのはなんだろうか…と考えながら講義をしています。恐らく、一番は、ロジカルシンキングのお作法なんて知らないベテランがいることでしょう。経験・勘・度胸(K・K・D)の世界で動いている人たちです。
誤解がないようにお伝えすると、K・K・D、嫌いじゃないです。むしろ必要だと思っています。アクションしないと結果も出ないし、学ぶこともできない。勘所や度胸があるからこそ進むことができる。アクションする中で、それぞれの持ち味や強みが活かされるのです。
あまりに標準化されるとつまらないと私は思います。一人ひとり違うはずの持ち味や強みを活かすことが組織をイキイキさせるからです。ただ、それには、一定の共通言語が必要で、それがロジカルシンキングだというのが私の考えです。
私たちの脳は、順序良く、整理して物事を捉えるのが得意ではありません。あちらこちらに思いや考えが飛んでいきます。無意識の中で感じていることもあります。そういう特性があるから、新しいアイディアが生まれます。
でも、そのアイディアは浮かんでは消えてしまいます。だから、書き出すわけですね。このとき出てくるのが、ピラミッドストラクチャーです。
とはいえ、これにあてはめれば問題が解決するわけではありません。それはただの整理。一般論が導きだされるだけになります。そのような答えが欲しいならChatGPTにお願いした方がいいでしょう。
私たちがほしいのは、ただの整理ではなく、発見や洞察です。あくまでこの構造を共通言語としながら、あえてはみ出すようなこと、議論していることとは切り口の違うことを見つけられるかどうかです。
そのような目的を前提として、このツールをうまく使う二つのポイントをあげます。
一つ目は「論点」です。何を話そうとしているのか、どんなアウトプットを出そうとしているのか、すぐ迷子になります。これは誰かと話すだけでなく、自分自身のなかでもよく起こります。
「そもそも何を目的にしていたんだっけ」「論点としてはこれで良いんだっけ」「論点から見直した方が良いかな」なんていう言葉がでてくれば、ロジカルシンキングのなかなかの使い手です。
二つ目は「結論を保留する」ことです。結論を目指して考えたり、話しあったりしているのに、結論を保留するとは矛盾を感じるかもしれません。しかし、単なる合意形成や予定調和ではなく、新たな発見をする洞察に目的を置くと、この「保留」は重要な機能を果たします。
私は、結論を持つことを否定しているのではありません。むしろ、一人ひとりが結論を持っていることはとても大切です。それぞれが結論や自分の考えを持って集まるから「保留」が機能します。違う視点でものを考える起点となるのですね。また、このとき、ホワイトボードなどに議論の形跡が残っていることが大切です。話してきたことを振返り、論点に立ち戻りながら、互いの考えを深めあっていくのです。
私が、ロジカルシンキングの講義で繰り返しメッセージとして伝えているのは、自分の正しさを主張するためのツールではないということです。受講者側の期待値とすれば、もしかしたら上司やベテランを論破したいなんていうことがあるかもしれません。
しかし、そのような論破は不毛です。相手を変える必要はない。自分が変われば良いのです。それを「折れる」と捉えるのか、「違う視点を学んだ」と捉えるのかの違いだと思います。
入社1~2年目の若者にはこう伝えました。
どこまで思いが伝わっているでしょうかね。少なくともロジックではなく、パッションはお贈りしたつもりです。