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俺の意思を読もうとしちゃだめだ
ふと、読み返して朝から大号泣…。
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フィギュアスケートでメダリストを目指す少女たちの物語を描いた「メダリスト」の一場面です。主人公の「いのり」に二つの練習方法をコーチである「司(つかさ)」が提案した場面です。
練習方法を決めつけずにいのりに提案するところが、司らしいところです。司は、常に選手を尊重します。普段はいのりに対して「だめだ」という言葉は使いません。ただ、この場面では明確に「だめだ」と伝えています。
これから成長していく過程で、うまくなるほどに様々なアドバイスや考えを伝えてくる大人が現れます。だから司はいのりに伝えました。
「あなただけの行き先を他人にいいように決められない選手になってほしい」
「あなたは大切な人生をかけているんだ」
「あなた自身が自分の選択を軽んじてはいけないよ」
そして…
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涙腺崩壊…。
さて、なぜこの場面を読み返していたのかというと、コンサルタントとしてのあり方が社内で話題になったからでした。
コンサルタントもクライエントの成功を願っています。そのために何が求められるでしょうか。
経営は学問ではなく実践です。原理原則はあっても正解はありません。いかに自分と向き合い、考え、実行するか。その積み重ねで研鑽していくしかありません。
経営者は、経営上の問題を解決していくことが仕事です。ただ、このときの「問題」には2種類あります。
一つは、「技術的な問題」です。これは、ある程度正解が決まっているものです。だから、代わりにやってもらうことで解決もできるし、技術を教われば、解決できます。例えば、財務諸表の読み方などがこれにあたります。
一方で、「適応を要する課題」というものがあります。問題の当事者が自分の考え方を変容させることが必要になる課題です。財務諸表が読めても、リスクを取って投資することができず、事業の可能性を広げられないといった課題です。分かってはいるものの、「失敗したらどうしよう」と踏み出せないでいるわけです。こればかりは、変わってあげることができません。また、大切であることを教えても、実行に踏み出せるかどうかはその人次第です。
「メダリスト」の司コーチは、スケートの技術を教えています。一方で、「適応を要する課題」にも向き合わせています。実は、いのりは、優柔不断で司に意見をゆだねたのではありません。さまざまな葛藤があって「先生は…」と訊いたのです。
ここで意見を言うことは簡単でしょう。ただ、本当に強い選手となるためには自分で「選択」ができるようにならなくてはならない。滑りやすい氷上で演技をする彼女たちに「絶対」はない。いつだって不確実で、想定外がつきまとう。そんな瞬間、瞬間に自らが選び取り、行動し、最善を尽くすことが求められます。その積み重ねが演技に表れ、見ている者に勇気と感動を与えるのでしょう。
もちろん、司にも葛藤はあります。いのりが選んだ選択が実を結ぶとは限りません。思ったように結果がでないこともあるわけです。ただ、思ったような結果とは、あくまで司の想定の話です。コーチや周囲が選手の代わりに選択をしていたら、選手はコーチの想定外を超えていくことができないでしょう。
(物語では、司の想定外が起こります。ここがまた号泣ポイントなのですが、それは、実際のストーリーをお読みください。)
いかがでしょうか。
考えてみると無意識に、あるいは、ノンバーバルな形で「俺の意思を読め」と言っていることが経営者にはあるかもしれません。
それは、コンサルタントの私たちも同じです。もっとはっきり言ってしまうと、専門性が高い部分があるために、「自分の意見になぜ従わないのだろうか」と思ってしまうこともあります。
誰しもが、いつも不確実なこの世の中で、想定がなければ不安になります。ただ、自分の想定に逃げていては、発展が止まります。
この葛藤に向き合い、自分の想定を手放せるかどうか。
これは、私たちコンサルタントに求められる「適応を要する課題」です。