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[新連載]ハーバートを継ぐ者。#1
ここは本当にアメリカなのか?あの生き生きとした雰囲気はどこへいったのだ。スーツやドレスを着込んで笑顔で出かけていく人々、太陽が看板に反射して輝きを纏っている店や駅。
それが今ではどうだろうか。寒空の下で粗末な衣を羽織って、震えている者も入れば、ゴミを奪い合っている者だっている。
奥の交差点では破れたジーンズを穿いた男がスーツを着た男性に一ドルを乞いている。
この異常な光景を見慣れている自分が恐ろしくもあった。だが、もう始まって三ヶ月だ。
そうか。もう三ヶ月なのだ。世界恐慌が始まって三ヶ月なのだ。
ジュベリント新聞社の調査によれば失業率は二十五%に上昇。アメリカ国民の四人に一人が失業している状態だという。
かくいう自分も昨日職を失ったばかりだった。どうして世界恐慌などということが始まってしまったのだろうか。
それは誰にも分からない。正確には、理解している人もいるのだろうけど自分達のような一般庶民には知る由もない。それに今銀行は大変なことになっていると聞いている。
「恐慌によって銀行が破産すれば、自分達の貯めた金がうやむやになりかねない。」それを危惧した国民達が一斉に金を引き出しているのだ。
銀行強盗も増えたという。銀行に訪れる人が増えれば必然的に銀行の貯金も増える。それを狙う悪漢共が銀行強盗を働いているらしい。
ため息を一つ吐くと、隣に座っていたホームレスが新聞を一枚よこせと脅してきた。手にはどこからかっぱらってきたか分からない鉄パイプが握られていた。
何の抵抗もせずに、おとなしく新聞紙を渡した。新聞紙を受け取ったホームレスは満足げに地面を這ってどこかへ消えていった。
明日もこのような不毛な時間が流れ、過ぎて、気がつけば一日の終わりを迎えているのだろうか。仕事を失い、妻にも逃げられ、家や金も取られて、少し前まで最下層の人間だと見下していた人種に今は自分がなっているのだ。
どうせ何も変わらない。時間が経てど、日付が変わろうと、週、月を過ごそうと、年を越そうとこの状況は変わらない。変わると信じていたいが視線を上にやると、それは叶わぬ夢だということに気づく。
目を深く瞑って、新聞紙を繋げて作った寝袋の中に入る。鼻の辺りまで新聞がかかる。目線を下にずらすと「銀行強盗マイケルでリンジャー逮捕」という一面や株価などを読み取ることができた。
いつの新聞だろうか。何ヶ月も前に捨てられた新聞を繋ぎ合わせて、やっとで寒さを凌いで、夜を明かすのか・・・・なんと惨めなことだ・・・・・
先々のことを考えていると頭痛が起こる。それに腹も空いた。もう寝よう・・・・・・惨めな思いを紛らわす為に眠るのだ・・・・・・
比較的西の方では豪勢な家が立ち並び、人々は高級な衣服を身につけて揚々と各々の未来へ進んでいく。
はたまた比較的東の方では、雨漏りに苦しむ家族もいれば家賃を払えなくて追い出される家庭もあった。
このように貧富の差がはっきりと見て取れる。
ただこの町では林業が盛んで、ここ一帯には松の森林地帯が広がっており、現在のアメリカの約半分の木はこの町が原産であるという。しかし近年では工場同士の競争が激しくなり、一番大きな工場が絶対的な力を持ち始め森林を独占するようなこともしていた。
その所為か中小工場はほとんど吸収されてしまい、失業者も半端なく増えてしまったのだ。そんな遜色もあるこの町はオハイオ州の東に位置するニオスという小さな町だ。
ニオスには刑務所がある。
都合の良いことに、松の森林地帯や町の文明から切り離された平坦な乾燥帯に位置していて脱獄しようにもどこへ行けば良いか見当も付かない上に、暑く水分の無い地で土地鑑もなく彷徨うよりは刑務所の方がましだといって、今まで脱獄を企てた囚人は一人もいなかった。
銀色の壁面、巨人でも入れない塀。そんな刑務所のお手本のような所で犯罪者達はその無駄な日々を過ごしていた。
——まだかな・・・いや慌てるな・・・奴等は必ず来る・・・・・最上階の独房で寝転ぶ男は、カビの生える天井を見つめながら考えていた。
この男は半年前仲間達と共に銀行強盗を企て、実行した。その結果あえなく逮捕されてしまった。仲間達を逃すという条件で自分だけ逮捕されたのだ。
男は卑劣で狡猾で、それはもう卑しい犯罪者に間違いはないのだが独自の美学を持っていた。
それは、友人や仲間を決して裏切らないこと。不必要に命を奪わないこと、ナイフを使わないこと。一般市民を襲わないこと、という風に彼の中で誓われていた。
実際彼は、その美学に従って今まで生きてきた。———友人や仲間を決して裏切らないこと。この美学のお陰か、彼の周りには常に信頼できる仲間がいた。
その仲間達も同じように友人や仲間を決して裏切らないことを美学としていた。
ガ——ン!!!!
鈍い破裂音のようなものが最上階まで響いてきた。
男は、にやりと口元を緩めた。そして「・・・さて・・・」と小さくいうと翳りのある目に余裕と自信を顕にしながら静かに、硬いベッドから立ち上がった。