映画「怪物」ネタバレ感想文
国際映画祭で賞賛されたニュースは耳にしていて、いずれ観に行こうと思っていた。ちょうど、大学院で映画を研究する友人と会う約束があったので怪物見ない!?と提案して二つ返事で観ることになった。土曜日の夕方、大きくないスクリーンだったがいろんな大人で満席だった。
結果、エンドロールが終わったとき私はボロボロ泣いていて、その後の焼肉に心がすぐ切り替わらなかった。こういう映画大好きなんですよ。救いがなく、気分が晴れない、心の底にズーンと重たく残るような映画。誰かを気軽に誘えないのでいつも1人で観るんですけど、付き合ってくれた友人マジでラブやで。
前半から後半への視点の切り替わり方、構成が見事だった。前半は明らかに母親が正義だったし、学校は頭おかしいし、教師はクズだった。後半に入って次々明かされていく、見えていなかった事実。ミステリー小説の種明かしのようで爽快でもあった。母親にとっての正義、学校や教師としての立場、子どもたちの世界。みんなそれぞれに見えているものが事実ではあるんだけど、全てではなく、間違っているわけでも正解でもなかった。全ての登場人物が完璧ではないし、極悪非道なわけでもなかった。誰も悪くない、みんな少しずつ悪かった。
それにしても、盛り込まれた要素が多過ぎて、何から言及していいやら。
大人がかける呪い
湊の母親は「湊が普通に結婚して家庭を持つまではお母さん頑張る」と言う。依里の父親は「お前の脳は豚の脳だ」と言う。保利先生は「それでも男か?」と息をするように言う。小学生相手に悪気なく、それが正しいかどうかなんて考えてもいないかのように呪いをかける。大人にとってはそれがこれまで信じてきた「普通」なんだから仕方ない。でもそれは確かに小学5年生の2人を閉じ込めている。
依里くんは小5に思えないほど達観していて、生まれ変わりや宇宙の終わりを語る。もしかすると登場人物の中で1番大人で、諦めていて、ナマケモノだった。(ナマケモノは襲われた時、何もしないで力を抜く。その方が痛みを感じないから。劇中・怪物だーれだゲームより)
湊くんは親のことを「親だし、気を遣うじゃん?」とか言うし、父親が事故死した時に一緒にいた不倫相手の名前を覚えていた。きっと大人が話しているのを聞いたんだろう。
子どもだから何も分かっちゃいないだろうって、大人は安易に考えてしまうけど、大人が思っている以上に子どもは‘’分かっている‘’と思わなきゃいけない。親に愛されていないこととか、こんなふうに生きてほしいと期待されていることとか。
クィア要素は隠すべきだったのか
私自身はクィア映画を好き好んで観に行く人種であるが、どうも世の中そんな人間ばかりではないようで、今回の湊くんと依里くんの同性愛描写は一切予告になかったし、メディアでもそんなワードで紹介されることはなかった。(単純にネタバレになるからかもしれないが)クィア映画と題してしまうと客足が遠のくのかもしれない。
湊くんが校長先生に「好きな子がいるけど、幸せになれないから言わない」と打ち明けるシーン。校長先生の言葉「誰にでも手に入るものしか幸せとは呼ばない」の意味を友人と考えた。難しい。校長先生にとっての幸せの定義ってなんだったんだろうな。ふたりが吹いた、ホルンとトロンボーンの音が怪物の吠える声のようだった。誰にも言えない叫び、誰しもが胸に抱える闇のことを怪物と呼ぶのかもしれないと思った。
トンネルを抜けた先
友人曰く、トンネルを抜けた先は死後の世界というのは映画界で鉄板らしい。劇中で湊と依里はトンネルの先の廃電車を2人だけの秘密基地にする。大人の目が届かない、何にも縛られない、ふたりがふたりのままでいられるユートピアだったのかなと考えた。友人は、ラストのふたりは死後説を唱えていたけど、私は信じたくない。確かに、それまであった行く先を塞ぐ柵が台風のあとはなくなっていた。それでも信じたくないぞ。令和の時代に、小学生が、死なないと自分らしくいられないなんてそんな酷い話あってたまるか。嫌だ嫌だ。
個人的に死を物語のカタルシスのように扱うのは好きじゃない。ずるいぞと思う。死んでその人のストーリーが終わってしまったことを美しく描くのも、死んだ後ならどんな理想郷も叶えられる的なのも好きじゃない。‘’今‘’は何も変わっていないじゃないか!と思ってしまうんだよな。
「生まれ変わったのかな?」「そんなものないよ、そのままだよ」はポジティブにもネガティブにも捉えられる。僕らは生まれ変わってない、ということか。世界は生まれ変わらない、ということか。
エンドロールで坂本龍一さんの名前を見て、あぁもっと音楽をしっかり胸に刻んでおけばよかったと思った、と友人に話すと彼女も同じことを思ったらしい。あと、レビューを読んで銀河鉄道の夜にリンクしていることを知り、自分の無学を嘆いた。銀河鉄道の夜を履修していたらもっと気付けたことがあったかもしれないな。
カンヌでこの映画を観た人たちはどう思ったんだろう。日本ってこんな湿っぽい国なの?と引かれた気がしてならない。(特に小学校について)英語圏のレビューを読んでいたら大体子役の演技が絶賛されていた。確かに。
全ての日本の大人たち、これを見て自省してほしい。自分の正義が本当に正しいのか、見えていないことへの想像力を持てているか、目の前の人間のことを全て分かっている気にならないほうがいい。自戒も込めて。