デミロマンティックにしっくりきた話
はじめに
確か中3の頃、バスケをテーマにした青春小説を書いていた。小さなリングノートにひたすらシャーペンで。読んでくれる友達が何人かいて、リアクションが嬉しくて、予想を裏切る展開を必死で考えた記憶がある。きっとその頃から言葉が湧き出ていたんだろう。
27歳にして、内向的な性格が増してきた。気が付けば思考の海にダイブしてしまって、何時間でも泳いでいる。そして頭の中に永遠と言葉が浮かんできてぐるぐるする。こうしてnoteに吐き出すまで落ち着かない。少し困る。
さて、本題。
2年半前にこんなブログを上げた。
要約すると、好きって一体何なの?どうして好きな人ができないんだろう。まるっきり分からないけど、気心知れた信用できる人がいたらそれでいいや。ということを話しております。
あれからしばらく経って、相も変わらず好きって何なんだろうと考えていたわけです。そして突然出会ったわけです。
「デミロマンティック」
え!これじゃん!?!?!?!となったんです。しっくり度がすごい。見つからないジグソーパズルのピースをずーっとずーっと探し続けて、頭おかしくなりそうな時に突然見つけてピタっとハマったみたいな感覚。2年半前のブログで話している「サピオセクシャル」「サピオロマンティック」にも割としっくり感はあったが、それ以上のフィット感。
どちらかというと、サピオロマンティックの方が感覚に近い。が、これはなんともはっきりしなくて。他人の知性であったり、知識や好奇心に惹かれるのは確かなんだけど、もしかしたらそれは「共感」や自分と同質のものに対して抱く「親近感」のようなものに近いかもしれないから。
それでは「私がデミロマンティックにしっくりくる理由 2022ver.」イッテミヨウ!
一目惚れしない、見た目で好きにならない
本当にこれ。現実世界でも、推しにも。同僚に何気なく、どんな人がタイプ?好きな芸能人で言ったら誰?と聞かれた時、非常に困る。皆さんなら、可愛いなと思ってる女優さんであったり、イケメンだと思う芸能人を答えるのではなかろうか。だが私の脳内では
(芸能人でよく知ってる人なんて推ししかいない…でも推しを言っても知らないかもしれない… みんな知ってる有名な芸能人に好きな人なんて、いない…)
となっています。私にとっては「その人のことをよく知っていること」がめっちゃくちゃ大事であり、「よく知らない人」は「好きな人」になり得ない。もちろんもっと気軽に答えていい質問だということは分かっている。分かってはいるが、本当に浮かばないんです。
顔が綺麗だな〜とか、イケメンだな〜って思うことはあります。ありますとも。でもそれは好きに直結しない。顔が綺麗な人間。イケメン。と認識してそれ以上のことは何も思わないのです。だから、一目惚れもしたことないしその感覚もよく分からない。顔や全身を見て、その人のことどれだけ分かるの?という感じ。逆に初対面や数回会った程度の人に好きです!なんて言われたとしたら、一体私の何を知ってそう言ってるんですか?という感じ。
ちなみにタイプを答えるなら「穏やかで、よく笑う、頭がキレる人」と答えます。そうです、QuizKnockのふくらPさんです。余談でした。
考え方や文章、他人への態度で好きになる
大学生の頃、先輩のことを好きになった。決め手というか、ダメ押しになった要素って何だったかを思い出したとき、他の部員が「あの先輩は部内で1番話を分かってくれる、良い先輩。」と話していたことだった。第三者からの、信頼できる人であることの裏付け。それが最も効いて、心動いた瞬間だったと思う。
推しに対しても、私は男女問わず文才のあるアイドルを好きになりがち。もしくは考えていることを丁寧に言葉にしてブログに綴ってくれるような人。哲学的な話をしていたり、詩的な言葉遣いをしたり、外国語を操っていたり。何に興味があって、世界をどんな風に見ていて、どう感じているのか。それを教えてくれる人は一気に解像度が上がって人間としての信用度も上がる。その人のことが「分かる」気がして好きになる。というより、安心して好きになれる?ような感覚。
逆に考えていることを読み取れない人、あまり言葉にしない人のことはずっと解像度が低いままで、好きになることもない。「人間」から印象が変わらないまま。
滅多に好きな人が現れない
ここまで読んだあなたは、仲の良い人やお互いの性格をよく知った人を好きになるのは当たり前じゃないか、と思ったかもしれない。難しいのは、その人のことをよく知れば全員好きになるわけじゃない。そりゃそうだ。その上、好きな人がいない時は恋愛したいというモチベーションもほとんどない。そもそもアンテナが仕事していない。再三言うが、誰のことも初めは「人間」と思っていて、基本的に「人間」であることから変わらない。その中から、ごくごく稀に何かがカチッとハマって、ごくごく稀に好きになる。これは数年単位でしか起きない。
どうやら、恋愛を頻繁にする人や好きになるハードルが低めの人って、パッと見た瞬間に(え!この人かっこいい!好きかも…!)とか(可愛い!付き合いたい!)とか(なんかこの人と恋に落ちる気がする…)とか思うことがあるらしいじゃないですか。噂で聞いたんですけど。それが私にはマジでないんですよね。
マッチングアプリに死ぬほど向いていない
この流れでいえば、まあそうでしょうね!!!!!って感じですよね。そう、マッチングアプリ、全然ダメなんです。
まずプロフィールの写真からジャッジしなきゃいけないじゃないですか、あれ。無理なんです、なーーーんにも惹かれないから。例えイケメンがいたとしても、素性の知れないイケメンほど怖いものはなくないですか??顔写真から得られる情報が(私からすると)少なすぎて、興味を持てない。それでも恋愛…したほうがいいんだろうなぁ…と思っていた数ヶ月前までの私は、生理的に受け付けない人を除いて、興味ないくせにメッセージやりとりして、会っていたんです。会ってみたらなんかピンとくるかもしれないじゃん。あ、なんか好きかもって思うかもしれないじゃんって自分に言い聞かせて。で、会ってみるんだけどやっぱりピンとなんてこない。普通の人だな、と思うだけ。また会いたいともなかなか思わないのです。そう思っているのが相手にも伝わるのか、大体1回会っただけで終了です。
逆に私と会ってくれた人たちに問いたい。何をジャッジしたんでしょうか?顔ですか?私の経歴ですか?話し方?なんか俺でもイケそうな感じに見えなかったから?脈なさそうだったから?
私からすれば、この人が周りとどんな関わり方をするのかとか、どんな仕事ぶりなのかとか、今の日本社会に対してどう思っているんだろうとか、そんなことを知りたい。でも今日会ったばかりのこの人と、そんな深い話をする間柄まで近付こうとも思わないし、そんな深い話をしたところでその先で好きになるかどうかなんて私にも分からない。そう、例えるなら、その人のことを好きかどうかなんて現代日本の差別的社会構造の話をするまで分からないのです。だから滅多に好きな人が現れない。
デミロマンティックの特徴で「好きになるのに時間がかかる」と言われていますが、深く知り合うのに時間がかかることがある、という解釈でほぼ間違いないかと思います。例えばお互い学生だったとして、合宿で5日間ずっと一緒に過ごして毎日夜中に色んなことを語り合ったとき、そこで初めて人としての信頼感が生まれて、好きになるかもしれないスタートラインに立つ。※好きになるかどうかはまた別。
滅多に恋をしない人
結局、どういう人なんですか?という質問には、滅多に恋をしない人。と答えるのが良いだろうか。全く恋愛しないわけではない、人を好きになることも数年に1度くらいはあるんだけど滅多にやってこない。そうじゃない時はアンテナの主電源ごとオフになっているような人。恋愛のハードルが高い人。そんな感じでしょうか。
もちろんデミロマンティック・デミセクシュアルにも人それぞれのグラデーションがあると思います。私と全く同じ感覚の人もなかなかいないでしょう。セクシュアリティは今後変わっていく可能性もありますし。でも、この言葉を知って、私だけじゃないんだと思えたというか。マッチングアプリで会う人の誰ひとりとして好きにならない私はおかしいんじゃないか(友達はアプリで最初に会った人とスピード結婚したというのにね!)とか、前は好きな人いたのに人を好きにならなくなってしまったのかとか、そういう悩みが少し晴れた気がして。こういう性格なんだから、無理に出会いを増やしてメンタル擦り減らしたりする必要もないかもな〜気楽にやってこ〜と思えるようになったので良かった。
今は、私って同じコミュニティ内でよく知ってる人しか好きになれないんだわ〜!あはは!って感じでアプリで頑張るのはやめました。腹括って。
恋愛しない人たち(滅多にしない、全くしない含む)へ。肩身狭いよね。恋愛至上主義のこの世界。でも見えてないだけで、声が聞こえないだけで、ここにもいるよ!と発信しておきます。