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優秀病棟 素通り科

山田ジャパン公演「優秀病棟 素通り科」

ふぉ〜ゆ〜の福田悠太くんを追いかけていたら、劇団山田ジャパンが12年の歳月をかけてたどり着いたという本多劇場での公演を見ることができた。

正直山田ジャパンはそれまで知らなかったし、いとうあさこさんは芸人さんだと思ってたし、動機としては「福ちゃん出るから見に行こう」でしかなかったんだけど、
こんなおもしろい劇団があるの?
こんなおもしろい劇団でも本多劇場に立つのは難しいの?
次の公演は!?
と今ではちゃんとひとつの推し劇団としてインプットされてるし、
千秋楽の配信で、いとうあさこさんの涙の挨拶を見て画面越しにちゃんと泣いた。

本当に本当に、初日から千秋楽まで完走できてよかった、、

ということで感想をメモ的に。

ストーリーをめちゃくちゃざっくりいうと、飛び降り自殺を図った福田悠太演じる飯塚哲人が、通りかかったおばさん喜久枝に助けられ、2人で自殺願望の理由を探る話。

飯塚は仕事環境も家庭環境も過去にも容姿にも(それは福ちゃんか)問題がなくて、完璧な男。
探っても探っても死にたい理由が出てこない。
本人にもわからない。

一方喜久枝の話を聞くと、
旦那はパワハラにあって失業、会社の嫌がらせにより手当はもらえず、家庭は崩壊。
状況だけ見ると、一般的に死にたいのはそちらでは?
という流れに。

不幸の種を探すべく、これまでの人生をひっくり返してみて飯塚は気づく。
「幸せだから死にたいんだ!」

「幸せの土台が不安定」で「火事の中のビルの屋上でビアガーデンしてる」みたいな感じ。

わかるわー、と思った。

飯塚のような完璧人間じゃないし、人と比べて極端に幸せなわけじゃないかもしれない。

でも幸せすぎて、それを失うのがこわくて、どうしようもない不安に駆られるってタイミングあるよね。わかるわかる。

それで死にたくなったことはないけど、飯塚に大共感。

なんて思っていると、
「じゃあ私が生きる気満々なのは、幸せが小さいからってこと?」
「幸せのバリエーションなめんな!!」
と喜久枝が熱を込めて叫ぶ。

ここでハッとした。
その前に飯塚に感情移入しまくっていたせいで、自分が怒鳴られてるのかと思った。

切り花の貿易業をしている飯塚は、
「自分の命は自分で見積もります。得意なんです。本業なんで」
と苛立つが、

自分だけで見積もれる命なんてない。

人生には2つの時間が流れていて、
ひとつは自分が見てきた自分の時間。
もうひとつは自分には見えない、人が自分のことを考えたり感じている時間。

このもうひとつの時間があるから、家族のことを考えてる時間があるから、喜久枝はどんな状況でも幸せなんだと言う。

飯塚は、
家で帰りを待つ妻、職場の仲間達や、取引相手、の姿を見渡してようやく自分の算段が間違っていたことに気づく。

思えばこの人たち、みんな飯塚がいないところで飯塚の話ばっかりしてたんだった。
冒頭から、飯塚が登場する前からずっと飯塚のことばっか考えてた。

気づいたら客席で涙が止まらなくなっていた。

私の人生も半分はわたしの周りの人のものなんだ。
「自分だけの命じゃない」って言葉はよく聞くけど、そんな言葉よりずっと腑に落ちた。
逆に言えば、誰かが私を考えている時間は、私の人生でもあるんだ。
そう考えると、敵意を向けられてもポジティブにやり過ごせちゃう気すらしてくる。

みんな私の人生にご参加ありがとう!!!

そして、飯塚が自死をきっぱりとやめる決意をしたとき、
ビルの屋上とも取れる坂の下から喜久枝が言う。
「名前、聞いてなかったよね」
ふたりは改めて名乗りあって、「よろしく」って言う。
名前を名乗っちゃったらそれはもう人生の時間の交換だし、よろしくって言葉は未来の約束。

「見積もり、まだわかんない。わかったら言いにきますわ」

そんな言葉を残して飯塚は自分の意思で、坂を降りる。

よかった。
飯塚もそして一度は飯塚に共感してしまった私も、ちゃんと生きていける。

喜久枝の言葉
「誰かと笑って、ほんのちょっと酔っぱらえば、いけるから。」

人生これさえあれば大丈夫だな。
この先もずっと私の中に、そして飯塚の中に残り続ける言葉だろうな。

このご時世で、生きる自信をつけられる作品に出会えた、と思った。






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