【スペイン巡礼2日目】非巡礼者と言われた衝撃 Uterga→Puente la Reina
2021/9/3
巡礼2日目。
ゆりの肩がバックパックの荷重で炎症を起こしていたのと、まだ2人とも体が長距離歩行に慣れていないのもあって、今日は調整日にした。
距離を短くして進み、体の回復を促そう。
朝もゆっくり目に起きて、泊まったアルベルゲ"Camino del Perdón"で朝食用にバナナを買った。
オスピタレラ(アルベルゲのスタッフ)のお姉さんがどのバナナが美味しいか全部見て見繕ってくれた。
今までに食べたこっちのバナナは日本のそれよりもねっとりしてて糖分が多い感じがする。
食べたあとに水を飲んでも、当分は口の中にバナナ感が残る感じ。
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歩き始めてものの10分でウテルガの町から出て、草原やぶどう畑の中を進んだ。
昨日の疲れが多少残ってるのを感じつつ、今日は基本的に下りが続くので体力的には助かる。
途中でMuruzabal(ムルサバル)という村で休憩。
歩き始めて2時間ほどで、Obanos(オバノス)という町に差し掛かった。
ここがなんとも言えず、エネルギーが軽くて美しい町だった。
ツバメの集合住宅にもなっている大きな教会と、その傍にある公園が特に印象深くて。
良くは知らないけれど、まちづくりが上手くいってる場所なんだと思った。
と、ウォーキング中のマダムに「あんた達巡礼者?」と話しかけられた。
健太郎「そうです、サンティアゴ目指してます」
マダム「素敵ね、私も歩きたいと思いながらなかなか...」
彼女はマドリードでバリバリ働いていて、この町が好きでバカンスでよく長期滞在しているそう。
こうやって地元の人達や巡礼者ではない人からもよく話しかけられるし、「長い距離を歩いて彼方を目指すんだから」と、ケアやリスペクトの気持ちも共に話しかけてくれるのを感じる。
ともすれば観光客が多い場所では、次から次へと来る旅行者を疎ましく思う人もいるはずだし、仕方ないとも思う。
けれどカミーノを巡礼者として歩いていて、出会うほぼ全員から感じるこのウェルカムな空気感は、本当にありがたい。
歩きながら話していると、「話し続けてて大丈夫?巡礼中は、ひとり静かに歩きたいと思う人もいるから」と気を遣ってくれもした。
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マダムと別れてまた歩き続けた。
相変わらず黄色い矢印が道を教えてくれる。
12時をすぎると、強くなる日差しに体力を奪われるようになってくる。
Obanoから約1時間、今日泊まる宿がある街、Puente la Reina(プエンテ・ラ・レイナ。女王の橋という意味)に到着した。
今日の宿"Estrella Guia"(エストレージャ・ギア、意味は星のガイド)は、私設の可愛らしいアルベルゲ。
入り口にはキリスト教的「今日の格言」が貼ってあった。
お下げ髪のハイテンションなマダムが迎えてくれた。
(今日の格言は「内なる太陽」)
あてがわれたドミトリー部屋の名前は、魔法の部屋(内装はどの部屋も一緒)。
彼女はブラジル人で、もともと巡礼者としてカミーノを歩き、カミーノが大好きになってここでアルベルゲを始めたそう。
この次に予約しようとメールも電話もした宿から返事が無いことを相談したら、「任せなさい」と言わんばかりに速攻で、プライベートで繋がっている向こうの宿のオーナーに強気の電話をかけてくれた。
結局その宿はこちらのメールもメッセージもスルーしていたようで、うまく行かず。
すると、別の宿の手配までしてくれた。
「あそこのオーナーのことはよく知ってるから大丈夫」と言う彼女は頼もしかった。
この場所を、本当に喜びからやっているのを感じる。
心から信頼できるアルベルゲの一つ。
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洗濯を済ませ、晩ご飯がてら街のバルに出掛けた。
2人で店内のテーブルに着いてトルティージャを注文し、撮り溜めた動画をハードディスクに移行したり日記を書いたりしていると、ドイツ人の大柄なおじさんが我々の机に突然やってきて、こう言った。
"You are working and doing PC here. I guess you are not pilgrims!"
(ここに来て仕事したりパソコン開いたりして、あんた達は巡礼者じゃないと思う!)
急にやってきて「あんた達は巡礼者じゃない」と言われ、面食らった。
「いま日記を書いたり、確かにパソコンを長い時間触ってたけど、僕らも歩いて巡礼をしてる巡礼者だと自認してるよ...。でも、言ってくれてありがとう。ちょっと考えるよ」と返した。
それから実際、考えた。
この言葉をもらって発信に使う時間をもう一度考える良いきっかけになるのは確かだし、少し意識して時間を減らしてみよう。
一方で発信することについては、するかしないかも含めてスペインに来る前からずっと夫婦で考えてきて、僕らにとっては深いところで繋がっているテーマでもある。
彼には彼の巡礼の定義と正義があって、僕らが作業しているのを見て彼にとっての刺激になったんだろうし、発信に必要な最低限の作業をやめることはない。
立ち止まって考えるきっかけになって良かったな、ぐらいに思っていた。
歯を磨いてベッドに横になる直前、開いていたアプリケーションを閉じてシャットダウンしようと一瞬パソコンを開いた。
そのタイミングで、同室のペルー人の女の子が入ってきた。
そして僕の方を見るなり、小声でこう言った。
「PC work in Camino? Wow. Buen camino~」(カミーノでパソコン仕事?ワーオ。良いカミーノを〜)
皮肉たっぷりに言ったように聞こえて、そのまま彼女はまた出ていってしまった。
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部屋に残されて寝ようとした僕の頭には、ドイツ人の彼の声と今の彼女の声が木霊していた。
ドイツの彼に言われた後はそこまで気になっていなかったけれど、立て続けに2回も別の人からパソコンや作業について言われたのは、間違いなく何かのメッセージだと受け取った。
ドイツ人の彼の意図は、自分なりにやけどよくわかる。
彼が座るテーブルではワイワイと6人ぐらいのおじさんたちでビールを何本も飲んで楽しんでいた。
それが彼にとっての巡礼の夜の過ごし方の正解なんだろう。
ペルー人の彼女については、おじさんと同じように仕事やパソコン作業を巡礼に持ち込むことに違和感を感じて言った言葉かもしれないし、
荷物が重くなる(僕のMacBook Airは1kg弱やけど、荷物を軽くする知恵を絞る人が多い巡礼では1kgは大きな差)ことについて反応して言ったのかもしれないし、
そのどちらでもないかもしれない。
バルでパソコンを開いたり、ドミトリーで動画を編集したり、そもそもパソコンを持ち歩いていることで、自分は今日の2人以外の他の巡礼者たちからも、巡礼者として認められないんじゃないかという恐れ。
気を強く持って周りの目を気にせず自分の道を行くスタンスを取るのか、このメッセージを受けて潔くパソコンは手放す(サンティアゴまで送る)のか、迷う気持ち。
パソコンを開くと、意図と関係なく巡礼者としてカミーノに受け入れられなくて、
なのに爆音で音楽かけたり電話しながら歩く人や、毎日ビールを飲みまくって騒ぐ人は受け入れられるのか。
この道は正解が決められた道で、自由には在れないのかという、怒りや納得の行かない感情。
いろんなものが頭の中で溢れて渦巻き止められず、ベッドの上で1時間以上寝付けなかった。
明日は長い距離を歩く。
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9:20 Uterga出発
12:30 Puente la Reina到着
3時間10分 7.3km 12,318歩
Albergue Estrella Guia泊
この日の動画はこちらから↓