自分の葬式の挨拶の練習をさせる母の話
この前、金スマで上島竜兵さんが亡くなった時の話をしていました。
生前、最後は笑って送り出して欲しいと語っていたそうで。
彼の周りは芸人さんばかりですから、もちろんお葬式は馬鹿話の連続で、笑いの絶えないお葬式になったそうです。
スタジオを涙もありながら、笑いにたくさん包まれていました。
自分の母親がなくなったのは4年前でした。
母は、サバサバとした女性でした。
癌が発覚してから、症状が悪化していった母。
ある日、自分と姉は母に実家に呼び出されました。
すると母からこんな事を言われたのです。
「私、あと1ヶ月で死ぬから」
いきなりの私もうすぐ死にます宣言です。
母は、1週間後に緩和ケアだったか?の病院に入る事というのです。
自分も、母の体調の悪さからいって、ここから快方に向かうと思えはしませんでしたが、ここまで早いお別れになるとは思ってはいなかったので戸惑いました。
そんな事は気にも止めず、銀行の通帳のありかや、様々な要件を姉に引き継いで行く母。
母は、段取りが良い仕事の出来る女性でしたが、全く変わる事がないのです。
そんな母に自分は
「1ヶ月後と言えば自分と姉ちゃんの誕生日が近いね。もし命日がその前後ならお母さんが亡くなった日をずっと忘れないね」と言いました。
自分と姉は歳は離れているものの、誕生日が一日しか違わないのです。
すると母は
「出来るか分からないけど狙ってみる」
人間、たぶん、狙えません。
ってか、狙う必要ありません。
普通は少しでも長く生きたいと思います。
しかし、母は違うのです。
健康でちゃんと生活を送れるのが生きるという事であるというのがあったんだと思います。
正直、母の身体はボロボロでした。
生きているのが辛い状態でした。
だから、治る見込みがないならば、早く死にたいという気持ちはあったと思います。
そんな母でしたから、緩和ケアに入ったあとも悲壮感とか感じさせませんでした。
ホントに死が近い人なのか?
そんな感じでした。
入院して数日がたった時、母から病院に呼び出されました。
「死ぬ前にアンタと話がしたい」
母とは子供の頃から色々あった自分です。
亡くなる数年前に和解してからは、今までの不仲が嘘のように母とは喋りました。
そんな母との最後のトークです。
そこで自分は母に
「お母さんの葬式の喪主の挨拶は任せてくれ!」
すると母は
「どんな挨拶か聞かせなさい」
自分が
「恥ずかしいわ!何で本人の前でやるんだよ!そういうのは死んだ時に草場の影で聞くんじゃないの?」
母は
「アンタ死んだ事ないでしょ!そんなの嘘かもしれないでじゃん!いいから早く聞かせなさい!」
しょうがないので母の前で披露しました。
母は満足したようで、拍手してくれました。
その後、しばらくして母は眠る薬を注入したので、まともに会話したのはこれが最後です。
途中、思ったより長く生きてしまい「死ぬのが遅すぎる!」と医者にクレームをつけたりはしていましたが。。。
僕と母の死生観はだいたい一緒です。
だから、母が生きていたのは最後に話した時までですね。
葬式の日の喪主の挨拶。
自分は紙に用意したりとかは嫌いなのでノープランで臨みました。
あらかじめ用意しちゃうと嘘くさくなっちゃうので。
だから、母の前で練習したものとは違っちゃいましたね。
噛みまくりの、つっかえまくりでしたが、自分らしい挨拶が出来ました。
その後は、母の兄妹たちとの会食でした。
湿っぽいのは嫌な母でしたから、楽しい会食になるよう心がけました。
幸い、亡くなる前に母がたくさんのネタを用意してくれたので、それを話すと、とにかくウケる。
笑いは緊張と緩和と言いますが。。。
葬式の帰り、おばさんから声をかけられました。
何やら母から「葬式の際には明るくやれ!」と自分に伝えてあると聞かされてたけど思っていた以上だったらしい。
「おばさん感動したわ!」
と握手を求めてきたので
自分は
「でしょうね。」
とドヤ顔で返しました。
このやり取りを一番笑っているのは、間違いなく母でしょう。
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