【創作について】「登場人物が勝手に動く」は困るんです。
まぁ、よく言われるフレーズなんですが。教える立場になると、けっこう困るんですよ。本気でそう思ってしまっている人もいまして・・・・・・
言い得て妙なこのフレーズは、誰が最初かは知りませんが物書きが作っただけあって説得力がある。だから始末が悪い(笑)
まぁ、結論だけ先に言うとですね。
動きません!
主人公が勝手にコンビニ行ったり、休憩してご飯食べたりはしないわけです。物書きの手を離れて、文章上で行動を作り出すことはないんですよ。物書きという主体あるフィルターが内から生み出しているわけです。
異論ある人もいるとは思いますが、今回言いたいのはそこではありません。
物書きなら、もう少し正しく伝えて欲しい。そこなんです。私が現在の力量で表現するならば、こんな感じ。
物書き(書き手)が登場人物を深く理解し、高度にリンクした状態が生まれている。結果、台詞や行動・思考が手に取るように分かり、あたかもキャラクター自身が動き出したかのように描くことができる。
ただし、これは読み手である観客側にも起きていないと成立しないでしょう。物書きと観客と登場人物の三者の共有が同じになるように描かれていないと、登場人物がぶれます。
たとえばヒーローものでよくあるクライマックスなどで、「倒れたヒーローに立ち上がって欲しい」という観客の気持ちに応える「立ち上がるヒーロー」という感じでしょうか。