永遠とは
10年以上応援していた国民的アイドルグループが活動休止したのは、もう3年も前のこと。誠実で優しい彼らは、各方面へ感謝と愛を届けるために2年もの間どでかい花火を上げ続けて、上げ続けて。そして2020年12月31日を境にぱたりと私たちの前から姿を消した。
正確には今後も芸能活動に邁進すると宣言した4人は年が明けてからも精力的に活動を続けているのだけど、当然ながらそれはグループ活動ではなく、個人活動。
グループでいる。ただそれだけのことがどれだけ自分にとってどれだけ救いで、希望で、当たり前のものであったのかを痛感させられた年明けだった。
それから数か月のことは、ちょっと思い出したくない。一人一人の個人活動を見守って、グループを大切に思っていることが分かる彼らの言動を見聞きして幾度となく涙を流した。
しかしどんなに個人活動が充実していようともそれが個人であることには変わらず、いっそファンクラブ動画で活動休止をすると告げられる前に時を戻したいと何度も思った。
そんな状況でも腹は減るし、眠くもなる。仕事も休めない。心にぽっかりと開いた穴を自覚しながらなんとなく空虚感を抱いて日々を過ごしていた。本当に何も楽しみがなく、ただただ惰性で毎日を終わらせるだけだった。
けれど、そんな抜け殻のようだった自分を救ってくれたものがある。
それが2021年4月に突如として生まれたYouTubeユニット、現在のよにのちゃんねるだった。
私が愛したグループ、嵐のメンバーの一人であるニノが中心となって立ち上げた、とあってはこれは見ないわけにはいかないだろう。
そんな気持ちですぐさまチャンネル登録のボタンを押したのが最初で、それからはびっくりするくらいよにのちゃんねるにのめりこんでいった。
今まで抱いていた悲しさや孤独を埋め、落ち込んだ心を救ってくれたのは、このチャンネルの存在だった。
そして、この出会いをきっかけに、私は新しい『推し』を見つけることになる。KAT-TUNとSexyZoneだ。
KAT-TUNとSexyZone。
どちらも波瀾万丈の一言で片づけることができないほど、色々なことが起こり、乗り越えてきたグループだ。
KAT-TUNは元々6人グループで、数年の下積みを経て華々しいデビューを果たした。しかし様々な理由でメンバーが脱退し、現在は3人グループとして活動している。
3人目の脱退があった際には2年の充電期間という名の活動休止期間を設けており、個々で力を付けて充電完了、再始動となり現在に至っている。
SexyZoneは事務所の中でもデビュー時の平均年齢は飛びぬけて低く、特に勝利くんと聡ちゃん、マリウスはジュニアとしての活動期間も短く、幼かった。
一時期は3人活動期があったり、仲違いがあったり。
やっと5人体制に戻ったその後、聡ちゃんの体調不良による活動休止。
その後復帰するが入れ違いでマリウスが体調不良にて活動休止。
その中で新たな目標を見つけたマリウスは2022年末をもって惜しまれながらグループを卒業し、SexyZoneは4人体制となったのだ。
そして、2024年4月にはSexyZoneというグループ名を改名する。
私はどちらのグループに対してもまだまだ新規の域を出ないが、好きになってからは歴史を辿っていきながら楽しく応援をできている、と思う。この記事では、SexyZoneについて話そうと思う。
2024年1月8日。衝撃的なニュースを目にした。
SexyZoneのメンバーの一人、ケンティーがグループを『卒業』する、というニュースだ。
SexyZone内の卒業は初めてではない。2022年にマリウスを送り出したばかりである。
しかし、その時とは胸中が全く違っていた。
マリウスの時は長く続く休止期間の中で薄々覚悟できていた面があった。けれど、私はケンティーがグループを離れて個人活動をするなんて未来を一ミリも想像したことがなかった。そんな事実に、ショックを受けた。
2023年12月に行われたSexyZoneのドームツアー。もちろん私も参戦し、その内容の素晴らしさに毎回涙した。充実したセットリストと、ドームの広さをものともしない機構の使い方の上手さ。そして何より、4人で『SexyZoneは5人』と強く訴える絆の強さが胸を打った。
このグループはすごい。これからどんな風に成長して、どんな景色を見せてくれるのだろう。本気でそう思った。
グループの名前が変わってもこの4人なら大丈夫。本気でそう思った。
オーラスが終わった後も余韻は抜けず、会う友達みんなにSexyZoneのライブがいかに素晴らしかったかを興奮気味に伝えた。
だからこそ、年明け早々に直面した衝撃的な事実をすぐには受け入れることができなかった。
ケンティーの卒業。
そのピースを手にした途端、ドームで見た色々なことが答え合わせのように塗り替えられていった。
確かに改名は寂しいけれど、それ一つの理由で聡ちゃんは崩れ落ちるように泣くだろうか。
風磨が涙を見せるだろうか。
勝利くんの力強く『5人』を伝える手のひら。
いつまでも風磨の背中に自分の背中を預けていたケンティー。
全部全部、腑に落ちた。悲しいくらいに。
嵐の活動休止を経験してから、当たり前のようにメンバー全員そろって仲良くグループ活動が行われることが当たり前ではなく尊いものだということを嫌というほど思い知った。
それからの私は解散や脱退や休止に人より怯える節があったが、けれどもそんな憂いが「今日」起こるかもしれない、と思ってはいなかった。自分を呑気で愚かな奴だと思った。
「永遠なんてないのかもしれない。でも、永遠を信じられる僕らでいたい」
笑顔溢れるドームという空間の中で、風磨は一体、どんな思いでこの言葉を毎回届けていたのだろうか。
私は彼らの間でどのような話し合いがなされていたかとか、ケンティーがどんな未来図を描いて今回の決断をしたのかとか、そういったことを何も知らない。当然だ。
私は彼らにとって決定事項を最後に知らされる、ただのファンでしかないのだから。
ツイッターを見る限り、今回の決断に整理を付けられない私のような人がまだ多くいる。
その中で、「風磨が『もう誰も卒業させません』と言っていたじゃないか。どうして」というツイートがあった。
思うに、割と最近だったその発言はきっと心から思っていたことなのだろう。
事務所のごたごたが関係あるとは断言できないけれど、きっと熟考の中で意識せざるを得ない事柄だったということは想像に難くない。
それが起こる前の夏のツアーは4人でこれからもやっていくと本気で思っていたのかもしれない。かもしれない、としか言えないが。
人の気持ちは、予期せぬタイミングで急に変わるもので、そしてそんな気持ちを他者が引き留めるのは容易ではないのだなと思う。それが酸いも甘いも噛み分けたメンバーであったとしても。
今回のことがあって、私は嵐の活動休止に関する記者会見で櫻井くんが発していた言葉を思い出した。思い出さざるを得なかった。
「誰か一人の思いで嵐の将来のことを決めるのは難しいんだろうなと思うのと同時に、他の何人かの思いで一人の人生を縛ることもできない」
きっと、そういうことなんだろうなと思う。
グループというのは個の集合体なわけで、その個の足並みが揃わないと進むことはできない。
別の方向を向いた時、一時は無理やり自分の本当の気持ちを抑え込めたとしても、一生ごまかし続けることは無理なのだろうなと思う。
KAT-TUNは、前述の通り波瀾万丈に出来事を乗り越えてきたグループだ。
それが関係しているかは分からないけど、彼らはあまりファンに安心できる決定的な一言を与えない。これからもずっと3人一緒だとか、これからもずっとKAT-TUNだとか。
それに不安を感じてしまうことは正直少なくなくて、私は今もKAT-TUNがいつ解散してしまうのかと勝手に怯えている。
周年までは続けてくれるだろうか。その周年を区切りにその活動を終えてしまうのではないか、といつも心のどこかでびくびくしている。
何を言われたわけでもないのに。
これからもついてきてとファンに期待してもらえるよう安心してもらえるような言葉を与えるSexyZoneも、確実性のない約束をしないKAT-TUNも、きっとどちらも間違いではない。
どちらも正解で、残酷だ。
永遠が確約されていないからこそ、これぞ正解と言えるものなんてきっと見つからない。
「KAT-TUNは永遠」と、2023年のツアーの中で中丸くんは発言していた。
その言い方は可愛らしく明るいものではあったけれど、その一言がいかに重みを持ったものであるかは考えなくとも分かった。
人の心が変わることは仕方がない。こうやってグループ活動を続けられているのは奇跡みたいなことなのだと誰より知っている彼の口から発せられた永遠という言葉の裏側に、最近また思考を巡らせている。
物理的に物事が続くことを約束する言葉ではないのだと思う。
だとすれば、これは私の考えの一つでしかないのだけれど、きっと中丸くんの言う永遠は、「いつまでも心にその存在を宿すこと」なのではないかと思った。
だから中丸くんにとって、「KAT-TUNは永遠」なのだと、そう私は受け止めた。
KAT-TUNやSexyZoneだけじゃない。今絶賛売り出し中でフレッシュなグループだって、デビューしてからある程度の年数が経ってすっかり安定したグループだって、きっと何かしらの終わりがいつかは訪れる。
その度に落胆したり悲しんだり、悔しくなったり怒ったりするのだろう。
けれどここまで歩んだ道筋は決して0になるわけではなく、むしろその過程で得たものをフルに生かして、新しい形になったとき武器にしていくのだろう。
正直、こんなにつらい思いをするのなら好きにならなければよかったと思ってしまう時もある。
人間なんて推すからこんなにつらいのだと思った。
けれど私は、その時々でどんどん変わっていって、それが時には受け入れがたいものだとしてもきちんと丸ごと受け入れて、寄り添い合いながら懸命に前を向いて笑顔と夢を届ける彼らだからこそきっと好きになったのだ。
彼らの人生ごと推したいのだと、今は強く感じている。
とは言いながらも迫りくる3月31日をどんと構えて待つことはできていないのだけど、グループを離れて自分の足で歩みを進める決断をしたケンティーのことを、結果的に応援できたらと思う。
どうしてなんでと決断に否定的になる前に、彼が今までどれほど献身的にグループとファンを愛してきたかを決して忘れないでいようと思う。
私は彼らにとって、数多くいるファンの一人でしかない。
けれど同時に、彼らにとってかけがえのないファンの一人だ。
様々なものが多様化して好きなものを自由に選び取れるこの時代の中で、私は彼らに出会った。
奇跡みたいなことで、きっとこの事実をこれからも誇って生きていくのだろう。
「永遠なんてないかもしれないけど、永遠を信じられる僕らでいたい」
大好きな人がそう言うのならば、私も信じてみようじゃないか。
この尊くも儚い一瞬がいつまでも続くんだと信じて、これから訪れる無数の一瞬を見届けようじゃないか。
その最中でたとえ傷つくことがあったとしても、「もう一度」と何度も彼らを信じ直そうじゃないか。
今は、そう思う。