『ちりとてちん』と『カムカムエブリバディ』にハマった私の気付き
昨日は一人娘の誕生日でした。
2009年4月19日、当時住んでいたマンションのエントランスには雪柳の白い花が乱れ咲き、タクシーに乗り込む私に「行ってらっしゃい、おきばりやす。」と言ってくれているようでした。
夫と2人で病院に行ったのに、帰った時には3人になっていました。出て行った時にはまだ蕾だったマンション下のツツジは満開に。「おかえり。よう頑張ったね。」と迎えられたようでした。
娘の名前にこめた『ちりとてちん』のセリフ
娘が生まれる前の2007年10月から、夫とふたり毎朝『連続テレビ小説 ちりとてちん』を観ていました。私も夫もこのドラマが大好きになり、私は早朝のBS、8時からの総合、昼の再放送、夜の再放送、と同じ話を1日4回観るほどでした。
ドラマが終わった1年後に娘が生まれ、一番共感したセリフをその名前に込めました。
あれから13年が経ち、娘はこの春中学生になりました。身長も私を追い越し、私の知らない歌を口ずさみ、ずっとパパと行っていたコナンの映画も友達と行くように。
今朝、着替えて降りてきたら「今日、遅い。」と言う娘。私が布団からなかなか出られず朝ごはんが遅れたことを怒っているのかと思うと「クラブの体験入部があるから、帰り遅くなる。」とのこと。日に日に「親離れフラグ」が増えていきます。
ネクラな「きよみ」を引き受けた私
すくすくと成長し、ずんずんと自分の人生を自分の足で歩いていく娘。
その反面、私は年々「どうせ」「いやいや、私なんか・・・」という言葉が増え、このご時世と相まって、出かける機会も人と出会うこともどんどん少なくなっています。
6年前「子育てと両立できず」と言い訳をして仕事を辞めたことも、自分の中での「黒歴史」として根付いてしまっています。
正社員を辞めてからいくつかのことに挑戦するもどれも中途半端。誰の何の役にも立てないと勝手に卑屈になっていました。
ちょうど、『ちりとてちん』の主人公「きよみ」が自分に自信が無い卑屈な「隠キャ」だったように、私もウジウジ自ら選んで「日陰を歩く」人になっていました。
娘には、『ちりとてちん』にあったセリフのように「人生のど真ん中、ドーンと歩いていけばいい!」と願っていましたが、自分のこととなっては「もうこんなオバハン、日の当たるところに出られるはずがない。」と。
自分でも笑えるくらい、ウジウジ、グズグズしています。
『カムカムエブリバディ』のメッセージ
そんな中、去年からはじまった『連続テレビ小説 カムカムエブリバディ』に、またもや、どハマりしました。
3人のヒロインが繋ぐ100年物語。脚本は『ちりとてちん』と同じ藤本有紀さん。毎日泣いたり笑ったりとても忙しく、ドラマが終わった今は若干「カムロス」になっています。
中でも、やはり胸に響いたメッセージが
ルイ・アームストロングの歌の歌詞で、このドラマで何度も繰り返し出てきた、このパートでした。
制作チームの方がドラマのウェブサイトに書かれた文章を読んで、涙をこらえられませんでした。
「子どもがいるし」とか「会社辞めちゃったし」とかは言い訳で、何かをやってみて失敗したりうまくいかなかったりすることが怖くて、陰にいることを自分で選んでいたのかもしれない。そう気付きました。
少しずつ、一歩ずつ、踏み出してみる
自分にできることをビジネスとして人に提供していきたい。そう思いつつ、なかなか発信できなかったり、引き受けることができなかったり、「どうですか?」と提供できなかったりしています。
でも、私にも、ひなたの道を歩くことはできるんだ、と、藤本さんのふたつのドラマが教えてくれました。
今はまだ出来ることも少なく、人の繋がりも少ないですが、少しずつ眩しい方に一歩を踏み出していこうかと思います。
13歳の娘に負けてられないなぁ。