自分はニワカです
すごく以前からガイナーレ鳥取とかデッツォーラ島根とか湘南ベルマーレとか、ごく最近ではポルセイド浜田とかそういうチームについていろいろ書いているわけだけど、基本的には「あくまでも自分はトーシローに過ぎない」というスタンスだけは守っているつもりです。
だいたい、自分みたいな浅薄な知見しか持ち合わせていない人間が、知識量の豊富な人間とケンカして勝てるわけがありません。表面に貼ってある極薄のメッキをバリバリと剥がされて終わりですよ。そんなことは、ここでわざわざ宣言するまでもないこと。
なので、自分はトーシローだからと以前から繰り返し申し上げております。但し、別にそのことを免罪符にするつもりはございません。自分以上に知識が豊富で、判断力にも優れ、表現力もあり、自分なんぞよりずっと誠実に活動されてる人々のことは、やはりリスペクトするべきでは。
例えば、今、戦術系とか何とか言われる人々が増えていますよね。それらの中にも違いはあると思いますが、彼らは自分みたいな「床屋政談」じみた話しかできない人間とは「いるべき世界が違う人々」です。
戦術やそれに基づく選手たちの行動原理などを、詳細且つ的確に分析していく様子は、絶対に自分は真似ができません。そもそもそんな能力がないのですから。
無論、そういう人たちも定形の用語に固執して、本質をぼかしかねない、という危険性がなくもないのでしょうが、それは彼らが、これから先の「表現者」としての切磋琢磨によって解決していくべき問題だと思うんですよ。
いずれにしろ、自分みたいな門外漢同然の馬鹿者とはそもそもの立脚点が全く違います。そして、そういう専門性の強い人々と、自分に代表されるそうでない人々、つまりニワカとが共存し得るからこそ、競技の見方って多様性を帯びてくるんじゃないでしょうかね。
自分は「床屋政談」じみてる、と言いましたが・・・
このマガジンの一連の記事なんかまさしく「床屋政談」みたいなものです。ダイジェスト(時折実際の試合)を見て「ああでもない、こうでもない」と適当なことを言ってるだけなんですよ。
技術的なことや戦術的なことを(その量の多寡はさておき)知っている人々が見たら、さぞかし噴飯物なんじゃないかと思いますよ。
「あの馬鹿、またいい加減なことを並べ立てやがって」となっても仕方がないでしょう。それについてはもう、素直に「ごめんなさい」するしかありません。
だけど、別にそれならそれでいいんじゃねえか、とも思うわけでして。例えば、ガイナーレ鳥取のファン(若しくはサポーター)が、「〇〇(特定の選手名は入れにくいので勘弁してください)は今日もあそこでシュートをミスりやがった」とか言いつつクダ巻いてんのと似たようなスタンスを目指しております。
で、その先を目指すかどうかは読み手次第だとも思っています。さっきの話で言えば、「〇〇はシュートをミスしたけど、それは何故なのか?」を、他の人々が書いたものなどを読むなどして、その選手の技術的な問題に起因するのか、戦術的な問題に起因するのか、という辺りを掘り下げようと思うか否か、は読み手が決めたら良いんです。
このように、自分の文章は人々にとっての「入り口」になれば良いかな、ぐらいの気持ちで書いています。その方が自分にとってもずっと気が楽で書きやすい、と気がついたからです。まあ、実際に「入り口」たり得ているかはどうにも疑わしいところなんですが・・・。
昔はエラソーなことを書き倒しもしていましたが、何年も書いていく中で、文章からは年を追うごとに程よく角が取れて、穏やかになったんじゃないかとも思います。
あと、病気をした関係で、体調的且つ精神的に荒ぶるみたいなことができにくくなってる面もあります。
それと、まあ、やはり自分もある程度、歳も取りましたんで、あんまりそのイキってどうこうってのも、自分のガラじゃないぞ、と思うようにもなりましたからね。
そんなわけで(どんなわけなんだよ?)、自分は(特にサッカーに於いては)これまでもこれからも、極めつけのニワカだと思っております。そのことを恥じたりするつもりは毛頭ありません。
こういう記事があるようです。で、記事中にも出てくるNHKのアナウンサー氏は肯定的なニュアンスと前置きしつつ「にわかファンがたくさん生まれたことは大きなことだった」と言い、ゲストの五郎丸歩氏もこれに同調するようなコメントを残したとのことです。
考えてみると、昔はナショナルパスタイム(国民的娯楽)がプロ野球や大相撲程度しかなかった(ように思えた)時代が長く続いたのが、Jリーグの誕生で他のスポーツにも少しずつナショナルパスタイムとしての門戸が開かれ始めて、そこに持って来て今回行われたラグビーのワールドカップで、他のスポーツにもどんどん熱狂して良いんだ、となった人が増えたのではないかな、と思います。もちろん、それ以前にも折に触れて、そうした機会はあったと思いますよ。でも、それが(日本代表の快進撃も手伝う形で)目に見えて具現化したのが、今回のラグビーのワールドカップではなかったか、と。
にわかファン。字面だけ見ると、好意的な側面よりも、否定的あるいは揶揄的な側面があることは否めないところもあります。
でも、そもそも最初は誰しもみんなにわかファン(その個々人が最初に有している知見の質量は別にして、です)なんですよ。そこから先に行けるかどうかは、その人々自体の要因も大きいでしょうが、根本的には競技個々の問題であって、それを促進していくのは、当該競技の既存のファンの人たちにかかっているんですよ。
今後もっとラグビーを盛り上げてほしいなら、競技の内側にいる人々(リーグやチームや選手、更にはファン)が手を打つべきで、この大会ではマスメディアもいろいろな形で助力してくれましたが、その先は自分たちで攻めていくしかないのだろうと思っています。
サッカーの世界も、いろいろと試行錯誤を繰り返しながら、サッカーが本当に日本のナショナルパスタイムとして定着できるように、日々努力をしていると思います。
日本の津々浦々にチームがあり、たくさんの選手たちがしのぎを削り合っているのは、挫折や頓挫という歴史も含めたサッカー界の歩みに他ならないと思っています。
随分とスケールのデカい話になりましたが、ともかく、ニワカはこれからもたくさんいて良いと思います。そして、人がそのニワカから脱却したいと思うなら、その機会はいくらでも与えられるべきです。
一方、ニワカである故にニワカを迫害してはダメです。暴力や暴言などに訴えるような連中は論外ですが、そうでない人々については、そのスタンスはやはり尊重された方が良いと思います。
再度繰り返しますが自分はあくまでもニワカです。それで良いとさえ思っています。その点をご理解の上、自分の文章をお読みいただくと幸いです。