四半世紀前に、大分FCトリニティのゴール裏に行って、流しのサポーターになった話
脱線が多発するサッカー噺をしばしさせてもらう。
序
皆さんは、大分FCトリニティというチームをご存知だろうか?
今は大分トリニータと名乗っているチームだ。
実は一度だけ、その大分FCトリニティの試合を、天皇杯で見たことがある。四半世紀前、つまり25年程度前の話だ。
彼らは当時、JFLにいた。
そう、JFLことジャパンフットボールリーグに。
ジャパンフットボールリーグ
ただ、あの頃のJFLと今のJFLとは略称こそ同一ながら、基本的にはまるで別物だ。
大分がいた頃のJFLはジャパンフットボールリーグ(俗に言う旧JFL)。
現在行われているのは日本フットボールリーグ。
新旧のJFLを経験しているチームではHonda FCや大塚製薬、ソニー仙台FC、ジヤトコ、FC刈谷(デンソー時代に旧JFLに所属)、国士舘大学、水戸ホーリーホックなどがあるようだ。(漏れ・落ちがあればご容赦を)
例えば、今でこそ馬鹿強いことでよく知られる川崎フロンターレなんてところも、昔はジャパンフットボールリーグに籍を置いていたし、FC東京なんてところも、同様にジャパンフットボールリーグにいたことがある。
時々述べているが、実はこの旧JFLの試合を、一度見逃したことがある。東京ガスvsセレッソ大阪という試合が何故か島根県の片田舎たる出雲市で、1994年の某日に行われたのだが、これを見損ねている。
これを見逃したのは一生の不覚と言っても過言ではない。確かこの当時、東京ガスに島根県出身選手がいたはずなのだが、その縁で来たのかどうか、そこまでは知らない。が、そんな試合もあった。
まあ、それはいいとして。
大分FCトリニティ
さて、大分FCトリニティに話を戻そう。
私は、旧JFLを実は一度も生で見たことがない。よって、大分を含め、多くのチームの実態を知らない。
そんな大分FCトリニティが、鳥取市営サッカー場バードスタジアムに来ることになった。天皇杯の3回戦をやりに来たのだ。1996年のこと。
Wikipediaしかなくて申し訳ないが、これだ。第76回天皇杯全日本サッカー選手権。予選の範囲が拡大した最初の回だったと思う。
相手は、泣く子も黙るあのヴェルディ川崎。
当時のヴェルディ川崎は、まだきらめきのあるスター軍団として存在を続けるチームだった。
ヴェルディ川崎を見たのは、この時二度目だ。前年に、望月重良や上野優作、西ヶ谷隆之らを擁した筑波大学との試合を見ている。その試合は4-0で圧勝した。
それに引き換え、大分FCトリニティに関しては、ほとんど見たことがない。皇甫官(ファンボ・カン)という韓国の良い選手がいるらしいことぐらいしか知らなかった。崔大植(チェ・デシク)とかもだけど。
あ、待てよ。
後に横浜FCに移籍したGKの小山健二がいたじゃないか。
……つっても、顔が出てこん。
あかんやん。
だいたい、この記事書くのに、私、一枚も写真持ってないのよ。こんな不利なこともない。
まあ、いい。
昔、鳥取に行くには
ともあれ、その日、私は鳥取にいた。まだ山陰道なんて鳥取県内にはほぼ開通なんてしていない頃。
いつからか通ることのなくなった難所の魚見台も、当時は当たり前に通行していた。
Googleマップではわかりにくいが、ここの坂はとんでもなくキツいのだ。私はここを通行していた頃、いつもこの魚見台の坂が大嫌いだった。ここでは車のエンジンがいかれたことがある。行きも帰りもヒヤヒヤした。
それだけに、青谷はわい道路ができて、ここをやり過ごせるようになった時には、どれだけ嬉しかったことか。
昔、出雲から鳥取に行くというのは、大袈裟な話ではなく、それだけ大変な話だった。
2021年現在、私は長距離の自走をしないので、この魚見台をはじめ、鳥取県の中部から東を車で行くことはないが、魚見台はもう一度訪れてみたいような気もする。
……と、そんなことを言っている場合ではない。
当時は国道9号線を進むしかなかったので、そこを通らざるを得なかった。そりゃあ、基本的に曲線路が少なめなんでどちらかと言えば走りやすい方だと思うけど、下道は辛い。
後年よりも疲労感に苛まれつつ、私はひたすら東を目指した。まだMTのパルサーに乗っていた頃だから、運転自体も決して楽ではなかった。そんな状態での東行き。
鳥取市に着いたら、だいぶ気分的にホッとしたのを覚えている。ただ、バードスタジアムは鳥取市の南東側にあるので、まだまだ先なんだけどね。
鳥取市営サッカー場バードスタジアム
さて、ネーミングライツなんてものが、まだなかった頃のハードスタジアム。
天皇杯の時の価格はもう忘れたが……
Jのリーグ戦で自由席、つまりゴール裏ってこういう価格だった。2000円。
少し後のナビスコカップでも同じ価格。
5年後ぐらいの天皇杯でも同一価格。そういう相場なんだろう。この時だって、たぶん2000円だったと思う。違っていたらすまん。
……と思ったら、チケットあったよ。
この上のがそう。やっぱり2000円だった。
ちなみに、下のは翌月、広スタでサンフレと柏レイソルとの対戦見た時のヤツだね。何で私はこういうのを持ってたりするんだろうなあ。
ちなみにSC鳥取の名前が登場するが、この頃はSC鳥取を見に行っていない頃で、当然この試合は知らない。
相手はアップルスポーツカレッジFCって何処やねんって話だが、今で言うJAPANサッカーカレッジだそうだ。ここには1-0で勝っていて、2回戦で大分トリニータに1-2で惜敗したそうだが、まあ、それはまた別のお話。
当時は、チケットFPOというプレイガイドというか発券窓口があったので、そこを通じてチケットを入手していた。FPOって何だ?と訊かれても、私は知らない。
流しのサポーターとは何ぞや?
この頃から、私は流しのサポーターをやっていた。流しのサポーターとは何ぞや?という話だが、つまり、どっかのチームのゴール裏に押しかけて適当に応援しながら観戦する、というもの。
ガチサポの人が聞いたら、頭から湯気出して怒りそうだけど、さっきチケット写真を出したサンフレvsジェフの、ジェフ側ゴール裏に行ったのがそもそものきっかけで、流しのサポ稼業を始めた。
サポーターと言うより、一個人的且つ熱狂的なファンと言った方が良いのかもしれない。あるいは、サッカーに問答無用で恋い焦がれた男、というのが最も適切な気がしている。
なんちゃってサポーターと言われても文句が言えないのだが、そんな私が、ネイティヴのサポーターに混じって応援していても、誰一人として咎めた人はいなかった。
但し、どう思われていたかは知らない。まあ、助勢してくれるんだし、別に迷惑行為をしでかすヤツでもないだろうから、と目こぼしされていたのかもしれない。
実際に迷惑がられるような行為もしていないし、こちとら彼らのお作法を見よう見まねで読み取りながら応援していただけだ。それ以外のことなんざ、何一つしていない。
この方式で、数年後には浦和のゴール裏にも乗り込んでいるが、その場でちょっと話したサポはいても、その彼から怒られたりはしなかった。
駒場や埼スタだと、また独特の雰囲気があったりするんだろうけど、地方の彼らがほとんど試合をしないスタジアムでの話だし、そこまでうるさくも言われなかったのだろう。
後にSC鳥取及びガイナーレ鳥取で応援稼業に本格的に没入するまでの間ではあったが、流しのサポーターをやっていた。単純にサッカーで騒ぐのが好きだった。実際、血が沸き立つしね。
あ、ちなみに湘南ベルマーレの応援も混じったことがあるけど、あのチームにはシンパシー感じてるわけだし、だからベルマーレの応援は、ガイナーレの時同様にガチでやったつもりだよ。
まあ、それはどうでもいい。
バードスタジアムのアウェイ側に行く
これは、もうできて10年ぐらい経つ頃のバードスタジアムのスコアボードなのだが、このようにヴィジョンはなかった。
大分FCトリニティのサイドは、このスコアボードがある方だ。
関係ないが、私は何故かこのアウェイ側で応援する機会も結構あった。何度か見た湘南ベルマーレの試合もそうだった。
近くでこれを見ると、なかなかの姿にドキドキする。こういうものを背にして応援するのも悪くない。
SC鳥取やガイナーレ鳥取を応援しだしてからは、そちらサイドで応援したのは、SC鳥取ドリームスを応援した時ぐらいしかない。
大分FCトリニティの応援団は大分からはるばる、それなりの人数が来ていたような記憶がある、
人数までは数えてないので知らないけれど、たくさんいたとは思う。くどいようだけど、四半世紀前の話だし、よく覚えてないのよ。
地元の鳥取の人たちもそれなりにいたような記憶はある。よくは知らないけどね。
試合
試合は粛々と始まった。内容はよく覚えていない。ただ、この頃のヴェルディは普通に強かった。いろいろあった時期だが、まだ威光は通じる時期だったように思う。
この時のヴェルディのメンバー、誠に申し訳ないけれど、これが実は全然覚えてない。
この大会、ヴェルディは優勝しているのにだよ。にもかかわらず、メンバーをまるで覚えていない。ラモスがいなかったことぐらいは何となく覚えている。私はアホか馬鹿か。
まあ、この年のヴェルディは天皇杯で馬鹿強かった。天皇杯の頃は監督がエメルソン・レオンだっけ?ネルシーニョではなかったはず。
今でもネルシーニョは監督やってる。やたらと尊大だったエメルソン・レオンの今は知らない。
試合はというと、大分トリニティはJFLにいたが、相手がこの時の天皇杯を制したヴェルディというのがマズかった。まだこの頃のヴェルディは、それなりにスター選手揃いだったので、大分FCトリニティが対戦するには、分が悪すぎた。
いくらヴェルディが没落過程にあったとは言っても、天皇杯を勝ちきれるぐらいの力はあった。
まだ前半は大分FCトリニティ側に、鳥取の人たちが大勢いた。大分FCトリニティも応援はアツい。
お~お~お~お~おお~
お~いたトリニティ~
お~お~お~お~おお~
お~いたトリニティ~♪
原曲が何かは知らないのだけど、こういうチャントがあって、これがどうしたものか、やたらと耳に残る羽目になってしまった。今でもこのメロディだけは覚えていて、歌えてしまう。
でまあ、前半が終わる。
点差がそれなりについていたと思う。大分側にいた地元民が、潮が引くようにヴェルディ川崎側に移動していった。
私はそんな彼らを後目に、半ば判官贔屓みたいな感じで、大分側に残ることにした。その理由は至極簡単で……
大分FCトリニティのゴール裏の方が楽しそうだったから
……でしかない。
試合は明らかに劣勢なのに、大分FCトリニティの応援は熱を帯びていた。
そんな雰囲気の中で迎えたハーフタイム、自分の近くにいた子供さんに何気なく話しかけた。
「Jリーグに行けたら良いね」
そしたら、その子供さん……
「ダメでしょ、無理無理」
……みたいなニュアンスのドライな反応をしてみせた。まあ、そう言いたくもなろうって気はする。眼前でああいう試合を見せられては。
でも、このお子さんのドライな反応をよそに、その後、大分トリニータと名前を変えたこのチームは、Jリーグに行くどころか、2008年にはナビスコカップまで制してしまうのだが、まあ、それはまた別のお話だ。
そんなわけで、後半、ヴェルディ側のゴール裏の人がやたらと増え、大分トリニティ側は目減りしたが、応援の圧はさほど変わりなかった。何しろ、応援団は全員一生懸命だ。
大分は果敢に健闘したものの、ヴェルディ川崎の相手にはやや足りない面もあると思えた。カテゴリの差というより、頂点を極めたことのあるスター揃いのチームと、まだ下の方でウロチョロしているチームとの差、と言える。
しかも、大分FCトリニティはこの1996年が天皇杯初出場だった。それだけを見ても、差は歴然としていたと言わざるを得ない。
試合は結局、0-4の圧倒的大差で、ヴェルディ川崎が大分FCトリニティを完膚なきまでに叩きのめした。むしろ、0-4で済んだことが御の字、とも言えたのではないか。
だけど、ヴェルディ川崎といくら差があったとは言え、鳥取まで試合をしに来た大分FCトリニティは私の中に確かに爪痕を残した。
主に、試合を巡るひたむきさと、愚直に自軍の勝利を信じて応援を続けるサポーターの皆さんのアツい応援ぶりに。
のちに、私はSC鳥取やガイナーレ鳥取で、これに類似した経験をすることになるのだけど、こういう、チームの応援スタイルを作り上げるプロセスにいたことが楽しかったのかもしれない。
なお、この6年後の2002年、大分トリニータと名前を変えたチームが、やはり天皇杯の中で、再び鳥取の地に舞い降りた。
4回戦でジュビロ磐田と対戦し、この時は残念ながら0-2で敗れたものの、6年ぶりに大分のゴール裏に行けて楽しかった。
なお、この試合って、高原直泰がハンブルガーSVと契約した試合だったと小耳に挟んだことがあるけど、そういう試合だっけ?
大分トリニータのVメガホンだけどさ、だって大分FCトリニティのグッズなんて当時は売ってなかったんだもん。だから大分トリニータのグッズで勘弁してくれ。
その後、大分FCトリニティはご存知のように、J2に参入し、J1にも昇格し、一時はJ3も経験して、ガイナーレ鳥取とも何度か対戦したことがあるものの、2021年現在はJ1にいる。
大分トリニータを見る機会は、2002年以降はなかなか訪れていない。だってJ3リーグ降格後のガイナーレ鳥取と同じカテゴリにいた2016年は、試合を観に行ってない。病気の影響だ。
J2リーグにいた2011年は観てるはずなんだけど、記憶にない。写真に撮ってないから、あるいは観に行ってないのかもしれない。
同じくJ2リーグの2012年は2016年の時と同じく、病気の影響で観てない。2013年は同じカテゴリにいなかったので対戦機会がなかった。
ともあれ、もう一度、大分トリニータは観たいなあ。ゴール裏に混じるのはもうできないけど、それでも観てみたい。
当時の写真が一枚もないのに
というわけで、当時の写真が一枚もないし、試合の記憶もメチャクチャ曖昧なのに、どうにかこうにかごまかした。
その気になれば、これぐらいは書けるわけだけど、こんなもん、編集入ったら一瞥もされないでボツ喰らうに決まってるやん。まあ、私のヘボな文章だけに、どうにも仕方ない。
やはり記憶がちゃんとあって、なおかつ写真もないと、少なくとも試合の記録としてのいい文章は書けないなってことで。それがわかっただけでも十分というものだ。
グダグダダラダラと文字数だけやたらと稼ぎ倒した、いわば長編ポエムみたいなもんだね。書いてて恥ずかしくなってきたわ。
書いてて、とりあえず疲れた。今度はこういうごまかしの文章でなく、もう少しまともな文章を書くことにしたいもんだ。
当時のことなんて何一つわからないけど、その場にいたって雰囲気だけでも伝われば、それでいいや、ってことでお許しを。