7人の文章のお師匠さんたち~My Magnificent Seven~
私は何だかんだで「野良モノカキ」を自称しつつ、noteやブログや何やらに文章を書き散らしまくっているが、こんな私にも文章のお師匠さんと勝手に思っている人は何人かいる。
その人らの文体を真似てるとかではなくて、勝手に影響を受けてると思っているような人たちだけど、とりあえず適当に敬称略で7人挙げてみる。
私的な「The Magnificent Seven」というヤツだ。
あくまでも当方の独断であるのと、別にこの人たちに思想面での影響まで受けているわけではないことから、そうした面では特にそうだが、異論は一切受け付けない(笑)ので、そのつもりで。
では、以下に列記してみる。
土屋賢二
この人の場合は影響というより、私の最終的な到達点だと勝手に思っている。それほど大きな影響を及ぼした人だ。
この先生の本は、あの衝撃の邂逅作でもあった「われ笑う、ゆえにわれあり」以来、たくさん買ったし、たくさん読んだ。そして、どれも面白かった。何度も笑わせていただいた。
基本的にすっとぼけた文体なのだけど、哲学者なりの妙味というか、思索が深そうに思える部分があったり、最後まで油断ができない。
あの文体に憧れさえ抱いている私にとっては、まさに究極の目標となる先生だけど、問題は、何しろあの先生が哲学者だということ。
あまりにも進む方向違いな上に、到達点が遠く、途方に暮れている。ツチケン先生への道は本当に遠い。どうしよう。
でも、先生の本はこれからも、私の人生には欠かせないと思う。明らかに大きな影響を与えてくださった先生なので、これからも折に触れて愛読していくことになるだろう。
ボブ・グリーン
ボブ・グリーンはコラムニスト。でも、そもそもこの人をどうして知ったのかを覚えていない。
レコードで言うところのジャケ買いみたいな感じで惚れてしまったのだろうなあ、と思う。若い頃は本については雑食だった。なので、それなりに多くの本を読んだつもりだが。
そのうちの一つが彼のコラム集で、そのように彼のコラムはたくさんの著書にまとめてあるので、しばし読むことがあった。
原語たる英語で読めると、もっと面白いのかもしれない。その意味では、彼の文章の恐らく全てを解していないのかもしれず、ちょっと残念ではあるけれど、一端に触れてみている、というだけでも違いそう。
この人もまた、私に影響を及ぼした文筆家の一人と言えるかもしれない。
山際淳司
スポーツノンフィクションの世界で、特に野球を書かせると独特の文体で名作も多い。江夏の21球などはこの人抜きには語れない。
ただ、私が彼のことを知り、好きになったのは、彼が得意とする野球の文章でではない。
彼は、オフコースが解散するのしないのと喧しかった1982年頃のことをいろいろとまとめた「オフコース・ストーリーGive Up」という書を書いていて、実はそれで知った。
音楽については門外漢だったという彼だったが、その作風はあくまでも真摯で、私はその真摯さに惚れたのかもしれない。
その後、阪神タイガースに関してまとめた書で彼の名前を見た。得意の世界で楽しそうに書いている、その文体を私も楽しく読ませていただいた記憶がある。確か、西川のりおと対談をしていたような気がする。
近藤唯之
昔、フジテレビの夕方辺りのニュース番組でスポーツコーナーを担当していた人だ。
まあ、文章には少し癖があり、おまけに取材をしない人でもあったらしいのだが、その辺の問題は問題として、私はこの人の文章自体は嫌いではなかった。
いわゆる「浪花節」に近い感じなのかもしれないが、それはそれとして、たぶん私はこの人の文体にも、ある程度の影響は受けているかもしれない。そう思う程度には読みあさっていた記憶もある。
著書をいくつか持っている。たぶんその中には創作もいくつか含まれているだろうけど、それをノンフィクションでなくフィクションの一種として読んでみると、意外に受け入れられるかも。
神足裕司
渡辺和博との「金魂巻」に於けるマル金マルビが有名で、もう少し世代が下ると「恨ミシュラン」を西原理恵子と共著していた人として知られる。
近年は大病したことがあまりにも有名だろう。
なお、「恨ミシュラン」の中で、サイバラこと西原理恵子は彼をコータリンと呼んでいたので、ここでもそれに倣おうと思う。
あの「恨ミシュラン」、実はサイバラのマンガ目当てで買っていた面があったのだけど、コータリンの書く文章がわりと好きで、気づいたらそっちにハマっていた。
コータリンの文章というのは、私の感性にはピッタリきたのかもしれない。うまい文章っていうより、読める文章だろう。テンポも良いし。
あの歯切れの良さは見習いたいところ。私もコータリンが書くような文章を目指したいが、まあ、今のところうまく行った例しはない。
たぶん、ああいう文章を書くには、何らかのコツというものがあるのだろうと思えてならない。それを探り出すためには、わりと時間を要するかもしれない。
天野祐吉
広告批評で知られた人。何というか、彼のちょっとひねくれてて、だけどユーモアに満ちた文章がたまらなく好きだったりする。
この人の文章も私には羨ましい限りで、実際にこの人みたいに書けると良いけど、たぶんそれは私には難しいかもしれないなと思う。何しろユーモアのセンスが著しく欠如しているから。
恐らく、この人みたいな余裕が自分にはないのも問題かもしれない。私は大概、何かに追い立てられてるような部分があるから。普段から適当だ何だと言ってるくせにだよ。
彼のような飄々とした文体の域を目指すには、まず自分の在り方から変えないとダメなのかもしれない。そんな風に思うと、道は遠く険しいものかもしれない。
渋谷陽一
音楽系では伊藤政則とどちらかで迷ったのだけど、セーソクこと伊藤政則の著書って私は持ってなくて。
そんな感じでセーソクや彼はむしろ、ライナーノーツでお世話になる人、という認識でいる。
伊藤政則は、ハードロックやヘヴィメタルの世界で大変に名前の売れた人であり、今でもその名は轟いている。
渋谷陽一にも同じことが言える。Rockin' onのトップにいた人として有名な彼は、レッド・ツェッペリンみたいなものから、エレポップまで守備範囲は広い方だろう。
まあ、ちょっとスノッブがかってる面があるから好き嫌いは分かれそうな気もするけど、思ったよりは肩の凝らない文章を書く人だ。
この人についてはローリング・ストーンズのアルバム「Dirty Work」の昔のライナーノーツに書かれた「失語症に陥らせるノリ」と言った表現がグッときた。あれを越えるライナーノーツを読んだことはない。
伊藤政則と同様に、著書よりも、本来はライナーノーツをお勧めしたい人ではある。
まとめ
ここまでの人選を見て「何だおまえ、サッカーを書くライターが一人もいねえじゃねえか」とご指摘の方もいると思う。
そりゃ、探せばサッカー界隈にも好きだったり、よく読んだりする人はたくさんいるよ。いちいち名前を列挙したりはしないけど、間違いなくいる。
でも、そういう人々の多くは、ある程度、自分の色というものが固まってから本格的に出会った人たちばかりで、文体面での影響というものを見出すのは難しいだろう。
まあ、ともかくとして、思いつく限りでざっと7人挙げてみた。少なくとも文章のスタイルや書き方という面では、この人らから何らかの影響は受けているだろうと思う。
もちろん、私が今まで書いてきた文章を見て、この人らの影響を全く感じ取れなかったとしても、それはそれで間違いでもないだろう。
何故ならば、そもそも私が勝手に思っているだけのことだから。
いずれにしても、これらの7人が私の文章にとっての幾ばくかのエッセンスであることを、ここに改めて宣言しておきたい。
ま、何だかんだ書いてるが、実際のところ、この人らの文章的な何かが私の中にあるわけでもなくて、要は私がそれなりに愛読している(いた)人たちってだけのこと。
そう思ってもらって良い。その結果、こんなひねくれたおっさんが出来上がったというだけの話に過ぎない。
基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。