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オフコースのオリジナルアルバムを勝手にレビューするシリーズVolume1:「僕の贈りもの」
最初に断っておくが、文中の人名は全て敬称略とさせてもらう。
序説
これは確かにオフコースの1973年に出た1stアルバムであるのだが、オフコースは元々、ジ・オフ・コース名義で1970年にシングル「群衆の中で」に於いてレコードデビューしている。この時は小田和正・鈴木康博に地主道夫というトリオ編成だった。
その後、地主が脱退し、小田と鈴木の後輩に当たる小林和行を引き入れ、このトリオでシングル「夜明けを告げに」を出している。
更に1972年にはメンバーをもう一人追加して四人体制(小田と鈴木、小林に吉田浩二)となり、東京音楽祭にも出場し、「おさらば」というシングルを出す。
作曲家の東海林修と組んだ彼らは、その東海林の意向もあり「おさらば」で違う一面を出そうとするも、これが当たららなかった。
その後、いろいろあって東海林修との仕事を辞めることになった。意に沿わないテレビ出演を断ったのがダメ押しになったらしい。
それらを経て、直後のコンサートからメンバーが小田和正と鈴木康博の二人組になり、間を置いて杉田二郎のいる事務所に入ることになる。
そうして、1973年に発売されたのが「僕の贈りもの」という、今回取り上げようとするアルバムだった。
先の「おさらば」がリリースされた後の1972年夏頃に、制作が始まり、1973年2月の「僕の贈りもの」のシングルリリースを経て、同年6月にアルバムがリリースされた。
それまでにリリースした「群衆の中で」「夜明けを告げに」「おさらば」の三枚のシングルは全て他人の作った曲だからという理由から収められていない。
強いて言えば「夜明けを告げに」のカップリング曲である「美しい世界」は小田のオリジナル曲だが、それでも収録されていない。
また、シングル「僕の贈りもの」のカップリング曲である「めぐり逢う今」も収録されていない。
こちらの作曲はグループ名によるクレジットであり、小田・鈴木のどちらが主導で書かれたかは不明だが、オリジナル曲には違いない。一方、歌詞を松山猛が書いている。
以下、収録曲。
1:僕の贈りもの
2:よみがえるひととき
3:彼のほほえみ
4:水曜日の午後
5:地球は狭くなりました
6:でももう花はいらない
7:歩こう
8:ほんの少しの間だけ
9:張り忘れた写真
10:静かな昼下がり
11:さわやかな朝をむかえるために
主要なレコーディングは小田・鈴木のメンバー両名に加え、ベースに重実博が、ドラムスにアリスの矢沢透が参加している。但し、「歩こう」の一曲のみ、六文銭のチト河内がドラムスを担当した。
ベーシックなアレンジも小田・鈴木・重実・矢沢で行っており、管弦のアレンジのみは青木望が担当している。オフコースのアルバムで管弦のアレンジを外注した例はこれぐらいしかない。
プロデュースは東芝の橋場正敏とオフコース自身。但し、橋場とオフコースとの関係は、小田の著書などでも見られたように、決して良好だったわけでなく、そんな軋轢は翌年の「忘れ雪」事件で決定的になってしまう。
では、オフコースがプロとしての歩みを始めた頃の本作を、一曲ずつご紹介する。なお1977年のある時期までグループ名は「オフ・コース」と中黒入りで表記されていたが、ここでは中黒のない「オフコース」表記で統一する。
1:僕の贈りもの
小田の作品で、シングル曲でもあった。冒頭のコーラスは、彼らの意図になく、味の素の何らかの商品のCMのために作られたパートである。シングルの歌詞カードにもその旨の記載がある。
このパートは、シングルのカップリング曲「めぐり逢う今」の冒頭にも聴かれるが、幾分「めぐり逢う今」で聴かれる方がテンポが速い。
ライブなどでは、問題のパートは省かれ、シンプルなアレンジで演奏されることの方が多い。ストリングスアレンジはこの曲に限っては深町純。
また、アルバムに収録のそれはシングルに収録とは多少ヴァージョンが異なる。更に、シングルのジャケットは当初、女性タレントまたはモデルを起用したものだったが、後年の再発後はグループショットに改められた。
(作詞・作曲:小田和正)
2:よみがえるひととき
美しい小田の小品。本当はこういう曲をもっとやりたかったのではないだろうか、という気がしてしまう。
(作詞・作曲:小田和正)
3:彼のほほえみ
鈴木の作品で、彼らしい微笑ましさとライトさ、そしてペーソスが絶妙に入り交じる作品である。
転調がわりと頻繁で、演奏はなかなか難しいかもしれないが、面白い曲ではある。
何処か哀感の漂うバイオリンがフィーチャーされていて、これがアクセントをつける効果を担っていると言える。
(作詞・作曲:鈴木康博)
4:水曜日の午後
小田の作品で、コンピレーション盤にも収録されることが多い。本来この曲はライブ等で鈴木が歌うことが多かったそうだが、スタジオ音源では小田が歌っている。
これは「作曲した本人が歌うべき」との進言がスタッフからあったためだそうだ。
また、スターダストレビューの根本要が愛好する曲として挙げており、根本は小田とライブで共にこの曲を歌ったこともある。
(作詞・作曲:小田和正)
5:地球は狭くなりました
小田の作品。フォーク的な色合いの濃い作品で、この頃の小田なら作って寄越しそうな作品と言えるかもしれない。
(作詞・作曲:小田和正)
6:でももう花はいらない
鈴木の作品で、コンピレーション盤に収録されることも多い初期の名作。フェンダーローズのエレクトリックピアノを羽田健太郎が弾いている。但し、このローズエレピは決して目立っているわけでもない。
後半のアレンジはサイモン&ガーファンクルの「The Boxer」を彷彿とさせる面もあるものの、これが作者の鈴木が意図したものかは不明。
間奏だけ他の部分と全く異なる着想のメロディになっていて、これがある意味とてもよく効いている。
また、鈴木の歌唱法は、フレーズの冒頭に「あ、」と間投詞的に入れることで独特の間を作っている。
矢沢透のドラミングが、ある意味この曲の生命線という言い方ができる。特にアウトロ部分ではドラムソロと言っても良いほど大活躍している。
(作詞・作曲:鈴木康博)
7:歩こう
これも鈴木の作品。ドラムスはこの曲のみチト河内。ブラスセクションも入って賑々しい作風と言える。初期の鈴木は、こういうソウル風味の作品を残すことでも知られた。
この当時の鈴木はソウルミュージックを愛好しており、その影響がこうした楽曲にも垣間見られる。
(作詞・作曲:鈴木康博)
8:ほんの少しの間だけ
小田の作品で、彼ら(特に小田)がライバル視していたと言える「赤い鳥」が視線の先にいるような作風になっている。民話風の歌詞がそれを裏付けているのかもしれない。
あと、明朗な前曲との対比を聴かせる、という意味でも、動的な「歩こう」の直後にこの曲を持って来た配置の妙は聴いておくべきだと言えるだろう。
(作詞・作曲:小田和正)
9:張り忘れた写真
鈴木の作品。妖しいベースのフレーズから入る軽快な作品。こういう作品が鈴木の真骨頂とも言える。エンディングの口笛のフレーズがとてもアクセントになっていて好き。
(作詞・作曲:鈴木康博)
10:静かな昼下がり
これも鈴木の作品。タイトルからは想像のつかない明朗なイメージの曲であり、Aメロで安心していると意外性のあるサビにドキッとさせられる。
(作詞・作曲:鈴木康博)
11:さわやかな朝をむかえるために
作者は小田だが、歌っているのは鈴木。鈴木は何故これを自分が歌うことになったのかを覚えていないそうだが、鈴木のオリジナル曲かと思えるほど、自分のものにして歌っている。
AメロとサビがEメジャーで、その間をEマイナーで挟む構成はとても面白い。アルバムのエンディングとしてもよくできている作品。
後年になって、五人体制になってからの二枚組ライヴ盤「LIVE」にも収録されたが、ここでも鈴木が歌っていることから見て、元々鈴木のために作られた曲と見るべきかもしれない。
(作詞・作曲:小田和正)
アルバム全体の短評
彼らを事務所に迎え入れた杉田二郎が後見人みたいな感じの立場でいたことが作用して、このアルバムはできたような話を聞いたことがある。
実際、売れるか売れないかも定かでない彼らのために時間を取らせて、これだけのものをつくらせたのだから、杉田二郎の慧眼たるや、恐ろしいと言うべきか。
実際はどうだったのかは知らないけれど、杉田二郎がオフコースを高く買っていたのは確かなようである。
また、そんな風に、海のものとも山のものともわからないオフコースを買う杉田も杉田なら、そんな杉田の期待に応えてしまう小田と鈴木もさすがだと言わざるを得ない。
この頃はどちらかというと、売らんかなという感じでなく、自分たちがやりたい音楽をやろうという意気込みの方が強かったのではないか。杉田はそんなオフコースを羨んでいたのかもしれない。
作風にもその辺りが強く表れていると言えるだろう。良い作品も確かに多いし、売れたわけではないにしろ、音楽的な評価はこの頃から高かったのではないだろうか。
その結果、一年後のセカンドアルバムや、その半年近く後のライブアルバムへとつながっていくことになる。
但し、彼らが「売れるグループ」たり得たかどうかは何とも言い難いのだけれども、まあ、この頃はまだ「ミュージシャンズ・ミュージシャン」だったのだろう。そのように感じられる。
それは例えば、収録曲に最初の三枚のシングルから一曲たりとも選ばなかったことや、後年でも「忘れ雪」の人前での歌唱を拒んだりしたことからも見て取れそうだ。
そして、結果として、橋場正敏とは喧嘩別れみたいな形となり、新たに武藤敏史がプロデュースを引き受けることになるのだが、それはまた別のお話である。
別に橋場がダメなのではなく、彼もレコード会社サイドの人間なるが故に、会社としての論理で動かざるを得なかった。お互いに仕方がなかったのだ。
ともあれ、オフコースは先ず、このアルバムから本格的な一歩を踏み出すこととなった。
そして、橋場と組んでいた頃も、非常に意義のある期間だったことは間違いない。それをもう少し読み解いていきたい。
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