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25時のBittersweet Samba
この曲が夜中に鳴り出すと、まあ、普通は「〇〇のオールナイトニッポン」となるわけで。
自分もいろいろ聴いた。
マセガキだったので、初めて聴いたのは鶴光師匠だった。その後、中島みゆきの本人の歌唱とは全くかけ離れた喋りにノックアウトされ、その後、速射砲のようなビートたけしが登場した。
だけしのオールナイトニッポンに於ける最終盤の頃、自分は俗に言うハガキ職人をやっていたことがある。
まあ、やっていたといえば聞こえは良いが、クソみたいなネタを書いたハガキを送りつけていた。
当時何度かネタを読まれたことがあり、ラジオネームこそ読まれなかったものの、聴いていてすぐに自分のネタだとわかった。放送でたけしの口から読まれた程度ならまだ良い。
それどころか、とうとう自分のネタが本にすら載ったことすらある。実際に本を買って流し読みしてる最中に自分のネタを確認した時、本当にぶったまげた記憶がある。
それはちょっとした青春の自慢、みたいなものだが、今誇るような話でもない。そんな経験があったよ、程度のものだ。
だいたい、たけしのオールナイトニッポンに於けるハガキ職人は、後に放送作家デビューする小泉せつ子(ちなみに♂)みたいな人が、それこそ掃いて捨てるほどにはいたわけで、元々から投稿レベルは高かった。
そんな中に、ラジオネームこそ読まれなかったものの、伍することができたというだけでも、個人的には「勲章を賜った」レベルの話に相当すると思っている。
ま、それはともかく。
25時のBittersweet Sambaには、いろんな思い出のある人も多いだろう。その多くは青春時代に聴いていたと思うし、故にこのメロディが流れてくると、何とも甘酸っぱいような気分を想起する人もいるかもしれない。
だいたい、自分ですらそんな風にハガキ職人を気取って熱狂した時期があるわけで、深夜放送にはそんな事態に容易に陥れる「沼のような魔力」みたいなものがある。
ただ、「沼のような魔力」と言ったが、多くの人はその沼から時期を見て這い出してくる。未来永劫、その沼にハマったりはしない。
かく言う自分もその一人で、就職などと引き換えに知らず知らずのうちにオールナイトニッポンを離れた。
まあ、深夜番組にも多種あって、セイヤングとかパックインミュージックとか、関西ならヤングタウンとか。それらの熱心なリスナーだった人もいるのだろうけど、少なくとも自分はオールナイトニッポンだった。
それしか聴けなかった、というのもあるけれど、ともかく自分が思う深夜番組はあれしかなかった。
特にBSS山陰放送でオールナイトニッポンの第一部だけネットするようになった1985年春以降は。昔は域外局を受信してノイズだらけの放送を聴いていた。鶴光師匠の時代はそうだったし。
今も様々なパーソナリティが番組を彩っていると思うけれど、時々懐かしく思うこともある。
まあ、今はもう、そんな時間になるとさすがに眠くなるので、第二部も含めて29時頃までとか、第一部だけの27時までとか、聴く気は失せているけれども。
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