北方領土の日と竹島の日への雑感
今日(2/7)は北方領土の日。
2/22には島根県が制定した竹島の日も来る。
これらに加えて、最近では尖閣諸島の問題も喧しい。
けれども、そういう我が国固有の領土を巡る問題に露ほども関心を寄せない人たちは、残念ながら圧倒的に多いのが現状だと思う。
多くの人たちは、どうせ産経界隈を筆頭とする右寄りの連中だけが騒いでるぐらいだろ?程度にしか思ってないだろうし、私のような根無し草みたいな人間からしたら迷惑この上ない認識だと思うけど、実際、そういうものだと思われても仕方がない側面はある。
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領土問題に関心を持たないなんて(意識が低すぎる!)、と我々はとかく思いがちだ。
その一方で、じゃあその「無関心サイド」にいる人たちに「刺さる」ような伝え方をどれだけできてるのか?…と言われると、私自身も含めて、何とも心許なくなってしまうような気がしてしまう。
たぶん、それはずっとできていなくて、だからこそ無関心派が多数派を占めるような事態になっているのだろうし、その現状に大した変動がないまま現状で推移しているのだろうとも思う。
実際、イデオロギーなんて関係ないのだ。昨今流行中の例の疫病などにも同じことは言えるのだが、どの政党や政治家を支持していようが、それはそれで関係ない。
我が国固有の領土の問題なのだから。
そういう認識に向いていけば良いと思うが、現実的にはなかなか困難なのが実際のところかもしれない。
私も馬鹿なので、残念なことに、そんな風に大多数の認識を改めていけるような効果的な方法、またはきっかけを見つけられないでいる。
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今はもう面倒くさいので止めてしまったが、以前、社会時評的なサイトやらブログやらをチラッとやっていた時期があり、そのブログの方で活動してしていた頃に、後述するような竹島の日プロジェクトなんてものに関わりを持ったことがあった。
上のリンク先にあるのはもう私が関わりを持たなくなってからの話だが、あのように細々とながらもやっていたことは窺える。
あと、ググってるうちに以下のようなものも見つけた。既に終了しているようだが。
竹島の日プロジェクトというのは、私は中心にいなかったので詳しくは知らないが、「ブログ主またはサイト主の有志が集まって2/22の竹島の日について周知しましょう」、みたいなイメージだった。
少なくとも私はそういうノリで参加していたし、それでどうこうしようってのはなくて、国民運動的なノリに少しでも近づければ良いかな、ぐらいの、今思うとわりかし大それた野望…というには些か質素なものを持っていた。
で、当時流行っていたmixiでそういうグループみたいなのの最終的な管理人みたいなことをしていた時期があった。
私は島根県民だし、だからこそ竹島の話は重要かもね、と思いやすい土壌もあった。別に右とか左とか、そんなもんクソ食らえだ。だからそういうのも引き受けた。
ま、そんな崇高な話ではなく、実際には単なるリリーバーのつもりだっただけなのだが。
いずれにしても、私はそういうつもりでやっていたのだが、やはりこう主張の性質的に仕方ないのだろうが、「保守系の人々」の居場所みたいになり、根っからの保守でない私自身が息苦しくなった。
その頃、mixiそのものが下火になってきていて、私自身もログインすることが減ってきていた。元々管理人などに向かない私なので、いい加減、管理さえ鬱陶しく思うようになった。
そして、これ以上やっても行き詰まるだけだし、もう辞めたいなあ、と思っていたところ、お許しも出たので、辞めさせてもらった。
今の自由な立場の方が、よほど気楽だ。
ま、そうなったから即ち「刺さる何か」が言えるようになるわけでは絶対にないのだけれど。
何にしても、伝える側は、受け取る側にとって「刺さる何か」を言えなければ、未来永劫関心を持ってもらえないのかもしれない。
それはとても重要だけれど、非常に困難を伴うことだと思う。
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少しだけ、脱線を許していただきたい。
私自身のことで言えば、主義主張を標榜するのは面倒くさいので、自分はどっちでもないと最近ではずっと言ってきている。
私は私
または…
俺は俺
それだけ。一面だけ見て決めつけられんの大嫌いだしね。
保守だろうが革新だろうが、私が判断して良いと思ったものには、程度はさておき賛同するし、疑問に思ったり否定的に感じるものには、同様に程度はともかく反対する。
とかく最近は、「白か黒か」「0か100か」を安易に決めようとするが、領土問題のような帰属の問題はともかく、そうでない主義主張の問題までその手法を持ち込むことは、個人的には反対だ。
主義主張の問題は濃淡あって当然だし、黒と白との割合が、90:10だろうが、75:25だろうが、55:45だろうが、それはそれで認められるべきだと思う。
これに対して、領土問題は白黒明確であるべきだし、仲良く共同で、とか、それは理想という名のお題目の上ではあるかもしれないが、現実的な解決策とはとても言えないと思う。
John Lennonの有名な「Imagine」という楽曲がある。理想の世界を歌っているわけだが…。
ここで歌われているのは、良くも悪くも、人間の究極の理想だとは思う。崇高だと思う一方で、これを実現するのは先ず不可能だと言って良い。
だって、私たちは人間である以上、目の前にある現実に相対しなければいけない。忌避したって立ち向かわなければならない場合もある。
だからJohnは、その理想について「Imagine(想像しろ)」と歌っている。「Act(行動しろ)」だなんて一つも歌ってなどいない。
にもかかわらず、その辺を混同する人々が多い。
脱線してしまったが、理想主義だけごり押ししても、何も解決などしないのが、恐らく現実なのだろう。「Imagine」の歌詞にはその戒めの意味もあると思う。
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話を元に戻す。
ともあれ、北方領土の日を例年の如く迎え、そして近々竹島の日も、同じく例年の如くやってくる。
そこにいろいろと思索を巡らせる人もいるだろう。それは人それぞれの話だし、強制も何もされない。自由意志だ。
ただ、北方領土や竹島、あるいは尖閣諸島が、我が国固有の領土である、という前提を持たない人々に、その前提をもってもらうには、どうしたら良いのか?
その問題はこれからもずっとつきまとい続けるだろう。
それはいいのだが、「私たちは領土問題を常に意識している(から君たちとは違う!)」と、徒に強調するだけでは、何も前に進まないのではないか、という気がしている。
ただ、それを解消するために具体的にこうしたら良い、という方策を何一つ持っていない。私はもちろんだが、そういう話に関心を持つ、その他多くの皆さんも同様な状態ではないか、と。
どちらにしても、無関心の解消は、一朝一夕にはいかない問題だと思う。