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住んだことがある場所

自分の亡くなった親父は国鉄~JR職員であるが故に転勤族でもあった。そんな父親の転勤につれてだったり、進学の結果として転居して自分が住んだことのある場所を適宜つらつらと。

島根県浜田市

出生の地。生誕直後と高校期のある一時期だけ住んでいたことがある。

前にも書いたように、生誕直後はだいたいこの写真の辺に住んでいた。

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何故か覚えている。何故だと言われてもあれだが。したがって、浜田市はわりと自分にとっては懐かしい場所。街の様子は、自分が知っている時代とはだいぶ異なるようだが・・・。

島根県邇摩郡仁摩町(今で言う島根県大田市仁摩町)

保育園・幼稚園の前半期辺りはここに住んでいた。母親の実家がここにあるのだ。ここも今ではすっかり様子が変わってしまったが、歩いてみると懐かしい。

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駅はこんな感じ。田舎の小さな駅だ。しかし、特急列車が停車したりするので、実はそこそこ乗降客はあるみたいだ。まあ、昔から急行列車が停車していたりするので、その関係も多分にあると思うが。

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巨大な砂時計がある、仁摩サンドミュージアムはよく知られるところだ。よく知られていて、それなりに有名な場所で。実際に建ってから時間も経っているが、自分は昨年初めて訪れた。

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ハッキリ言えばこのどデカい砂時計を見るための施設なのだが、これはこれで迫力がある。

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こんなのがついている。この砂が全て落ちきるまでどれぐらいの時間がかかるんだろうか。

で、何故砂なのかというと、近くにこういうものがあるからだ。

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琴ヶ浜という鳴り砂で有名な場所があるからだ。最寄りの駅は仁万の一つ西側にある馬路という駅。

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ふざけた駅名標だが実際に設置されている。

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裏側はこんな感じ。マジらしい。

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但し、現在(この写真の当時だと2019年6月頃)のダイヤだとこの程度しか停車しないので行き来の際はご注意あれ。

鳥取県米子市

実は鳥取県米子市にもちょっとだけ在住経験がある。小学校の1年次の夏休みぐらいから2年次の5月ぐらいまでだ。

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成人後もよく遊びに来ていた。サッカー絡み(言うまでもなくSC鳥取やガイナーレ鳥取絡み)で来るよりも前のことだ。
クルマ飛ばして米子ぐらいに来て遊んで帰るなんてことをしょっちゅうしていた。今じゃもうできるわけもないが。そんなムチャができた頃は楽しかった。儚い青春の思い出みたいなものだ。
またの名を若い頃の時間の壮大な浪費とも言うけれどね。ま、どちらにしたところで、無駄な時間だったが、自分らしく生きることはできた。楽しいこともたくさんした。あの頃に戻りたいって思うこともある。

住んでいた頃には、今のBSS山陰放送の局舎がある近辺に住んでいた。昔、あの辺りに鉄道官舎というものがあった。今はいろんなものに建て代わっているけれども。
そこから、近くに小学校があったので、そこに通っていた。

サッカーで行くようになって、ここがかつて住んでいた場所の近くにあることを知った。
SC鳥取を知っている人はもちろん知っていると思うが、あの「聖地・東山」である。ネーミングライツがあっても、決してどらパー(どらやきドラマチックパーク)などとは呼ばない。

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昔住んでたところのほんの近くじゃん!などと思ったもんだ。クルマで5分程度もかからないのではないか。
かつて住んでいた場所も、前述の通り、かなり変わった。思い出の場所もいろいろと変わった。住まないうちに建った場所もある。

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ここ(WINS米子)などはその代表格だろう。この他に米子コンヴェンションセンター・ビッグシップもだし、駅前のSATYなどもそうだ。後藤にあるホープタウンなんかもそう。TENMAYAもそうだ。

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もちろん、チュウブYAJINスタジアムを忘れてはいけないな。これは自分が住んでいた頃には当然の如くなかったのだから。

自分が住んでいた頃に既にあったものは、BSS山陰放送の本局、YSPのボウリング場、米子市公会堂、高島屋米子店など、その辺かな。

いずれにしろ米子市は、今でも頻繁に訪れる、大好きな街だ。また住んでみたいと思うこともあるが、もう面倒かもしれないなあ。かかりつけの病院とかもないし。ま、そんな辛気くさい話をしてもしょうがない。

神奈川県平塚市

自分にも大学時代というものが数年間だけあって(出来がよろしくなかったので、中退している)、その時に住んでいた。写真はない。

平塚にも当然ダイクマはあって、度々世話になった。あと、平塚でコンビニエンスストアというものを本格的に知った。

いや、島根にだって当時からあったよ。A&Bっての。今じゃもうないコンビニだけど。
ともあれ、ローソン、セブンイレブン、ファミリーマートはこの頃の平塚で経験済みだ。あと、これは今はもうないが、サンチェーンが好みだった。あと、スリーエフも好きだったなあ。住んでた学生寮の近くにスリーエフがあったんで、よく利用していた。そこの店員の1人(店長?)が、ターザン山本!みたいな風体のおっちゃんだったのは印象に残っている。

今でこそ平塚と言えば湘南ベルマーレの街なのだが、自分は平塚競技場、今で言うところのShonan BMWスタジアム平塚に行ったことが実はない。ついでながら、ベルマーレが昔練習場にしていた大神のグラウンドなんて知らない(大神という地名自体は知ってる)し、現在の練習場所である馬入にも行ったことはない。どちらも住んでいた場所とは大幅に離れていたし、当時はフジタのサッカー部を知る由もなかった。
平塚競技場と同じ敷地内にある平塚球場になら行ったことはある。大学をサボってフラフラと彷徨っていたら、横浜大洋と西武の二軍戦があった。そういうことは何故か覚えている。

もし、身体の調子が優れているのなら、ぜひ平塚には再度訪れてみたい。ベルマーレの試合を観たい、というのも当然あるのだが、それ以上に30年近く行かない間に大幅に変わったであろう平塚のいろいろな場所を見てみたいと思うのだ。但し、大学は大して思い出もないのでどうでもいいのだが。

島根県出雲市

自分が人生の大部分で過ごし、現在も住んでいる街。これからも恐らく、死ぬまで住み続けるだろう。

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とても一言では言い尽くせない。良い思い出も、苦い思い出も、切ない思いでも、全部詰まっている、そんな街だ。細かいところまでは全部覚えてこそいないが、いろいろな経験をした。それらのおかげで、感情的には決して好感だけがあるわけではない。だが・・・。

これらの街を好きだということについて

これだけは言える。自分は今住んでいる出雲の街が好きだし、それはこれからも変わることはない、と。
今まで住んできた経験のある街にも同様のことが言える。どの街も大なり小なりみんな自分の中では好きなところばかりだ。

ナショナリズム的な心情ではなく、パトリオティズム的な心情は、出雲という土地に、いや、それを含む上記全ての土地に抱いているし、特に山陰地方に暮らす者として、そこに属している島根県や鳥取県にも、一方ならぬ愛を持っているつもりだ。
そういう意味での、住んだことのある街や今現在住んでいる街を愛おしく思う心は、ごく普通に芽生えている。
だから、自分はナショナリズム的な愛国心ではなく、パトリオティズム的というか、もう少し幅の広い意味での愛国心は持っているつもりだ。

別に、イデオロギーとしての右方向の話をしたいのではなく、それは誰にでも起こり得る、ごく自然な心情だ、というだけの話だ。
考えてみてほしい。家族が好き、友達が好き、花が好き、食べ物が好き、などと同じような感覚で、住んだことがあったり、今住んでいる場所(更には日本という国)を好きと思うこともある。
自分が上記いずれの街にも抱いている感情は、そんなところなのだ。一度は住んで暮らした街だもの、嫌いになんかなれるはずがない。よほど手ひどい思い出でもない限り。
しかし、幸か不幸か未だかつてそんな目に遭ったことがない。だからこそ、自分はこれからも、過去に住んだ経験があったり、今住んでいる街を、大事に思い続けたい。

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KAZZと名乗る適当なおっさん
基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。