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オフコースのオリジナルアルバムを勝手にレビューするシリーズVolume2:「この道をゆけば~オフ・コース・ラウンド2」

例によって、人名は敬称略。また、グループ名表記も中黒をつけない。

序説

前年に出した「僕の贈りもの」で本格的にプロとしてのキャリアを始めたオフコースではあったが、その先に進まなければならなかった。

このアルバムは、1974年にリリースされている。一つ変わった点があるとすると、このアルバム以降、ストリングスやブラスの編曲も含めて、自分たちで編曲を賄うようになったことが挙げられる。
「僕の贈りもの」では、基本のアレンジは彼ら自身でしたが、青木望がストリングスなどについてはアレンジをしていた。

小田や鈴木は音楽的な向上心が非常に強かったので、そうした勉強をすることも苦もなくできて、故に青木の手を煩わせることもなくなっていった。
青木には最終的なチェックを任せたのだという。青木も彼らを育てようという意思があったらしく、忙しかろうとも彼らの譜面を見ていたそうだ。
そうしてチェックしてもらった譜面で、実際にミュージシャンたちが音を正しく鳴らすと、当然の如く正しく鳴ったそうだが、そのことに小田も鈴木も安堵したそうだ。

また、起用した外部のミュージシャンが増えた。前作にも参加した重実博はもちろんのこと、先頃逝去したことでも知られる日本のロックポップス界でドラムスの第一人者と呼んで良いポンタこと村上秀一。
後にYMOに参加することでも知られる高橋幸宏、日本のセッションギタリストの黎明期にいた大村憲司、腕利きベーシストだった小原礼や高水健司、同じく腕の立つキーボード奏者であった篠原信彦らが参加していた。

本人たちだって、小田がギターを弾かないようになった。エレキは大村が弾くものとしても、アコースティックについては鈴木に全て任せている。

アルバムのリリース時期は二転三転した。当初2月と言っていたものが3月になり、4月、5月、果ては6月とどんどん伸びて行きかけたが、最終的には5月の発売となっている。

後述するが、先行シングルとして「もう歌は作れない/はたちの頃」が、アルバムの一ヶ月前にリリースされている。ただ、このシングルと「忘れ雪/水入らずの午後」は価格改定時に再発されていない。理由は不明だ。

ジャケット写真は迎賓館で撮影されているという。また「GOIN’ MY WAY」という副題らしきものがついているが、これは彼らの意図でなく、レコード会社で勝手につけたものだという。

曲目を紹介する。

1:プロローグ
2:すきま風
3:はたちの頃
4:日曜日のたいくつ
5:別れの情景・Ⅰ
6:別れの情景・Ⅱ~もう歌は作れない
7:新しい門出
8:あの角をまがれば
9:若すぎて
10:のがすなチャンスを
11:首輪のない犬
12:我が友よ

上述したメンバーが参加しており、この大部分が後にリサイタル「秋ゆく街で」の主要メンバーにもなる。
但し、その中に参加していたベースの森理は本作に一切参加しておらず、参加した多くのメンバーとスケジュール等が合わなかったためだろう。
また、本作には参加していない羽田健太郎がコンサートマスターの形で助力しているが、この辺りは次作の解説で述べたい。

ともあれ、「僕の贈りもの」からサウンドの幅を広げたいとする意欲が感じられた。

1:プロローグ

アカペラであるが、歌詞はないスキャットになっている。作曲者は鈴木で、歌唱の主導も鈴木。この作り方はある意味、ブラックミュージック的な感覚がある。
ライブにかけられた、という話は聞かないが、後に「NEXT~ORIGINAL SOUNDTRACK」に収録されたメドレーの冒頭部分を飾っている。
(作曲:鈴木康博)

2:すきま風

前曲「プロローグ」からシームレスで始まる鈴木の小品。エレピを弾いているのは小田。また、この曲のドラムスは高橋幸宏が叩いた。
ベースは「僕の贈りもの」に全面的に参加した重実博が、本作ではこの曲のみに参加している。
(作詞・作曲:鈴木康博)

3:はたちの頃

鈴木が歌っており、シングル「もう歌は作れない」のカップリング曲としても知られる。歌詞は鈴木が書いたが、曲は鈴木自身と重実が共作している。
印象深いエレキギターは大村憲司が弾き、ベースは高水健司が弾き、ドラムスは村上秀一が叩いた。
この曲ではキーボードを篠原義彦が担当した。
(作詞・鈴木康博、作曲:鈴木康博・重実博)

4:日曜日のたいくつ

これも鈴木の作品で、「すきま風」や「はたちの頃」に比べると溌剌とした感じがある。
主要メンバーは「はたちの頃」に準じているが、キーボードとして篠原は加わっていない。
随分と変態チックな転調をする作品でもある。
(作詞・作曲:鈴木康博)

5:別れの情景・Ⅰ

ここで初めて小田の作品が出て来る。これも独特な転調をする作品ではあって、なかなか面白い効果を出している。
主要メンバーは「日曜日のたいくつ」と同様。ベストアルバム「SELECTION1973-78」に収録されている。
(作詞・作曲:小田和正)

6:別れの情景・Ⅱ~もう歌は作れない

これはアルバムからのパイロットシングルなのだが、リリースされた時点では、タイトルに「別れの情景・Ⅱ」はついていなかった。アルバムのリリースに際して「別れの情景・Ⅰ」との連作扱いにされた、というべきだろう。
小田の作品で、主要メンバーは「日曜日のたいくつ」と同様。先に述べた通り、シングルカットされている作品でもあるが、ベスト盤などに収録されるケースが少なく、今一つ扱いが地味になっている。
(作詞・作曲:小田和正)

7:新しい門出

鈴木の、何処かブラックミュージック的な色合いのある作品で、レコーディングの主要メンバーが「はたちの頃」に準じており、キーボードに篠原義彦が参加している。作者の鈴木もギター演奏の他にコンガを叩いている。
大村憲司のエレキギターは、ワウが使われており、村上の黒っぽいグルーヴ感のあるドラミングと相俟って面白い効果を生んでいる。
(作詞・作曲:鈴木康博)

8:あの角をまがれば

小田の曲。メンバーは「はたちの頃」に準じる。篠原も参加。概ねアコースティックでしずしずやっている作品ではあるが、後半唐突に大村憲司のエレキギターが唸りを上げる、比較的ピーキーな作品。
歌詞の中に「この道をゆけば」と歌われる部分が登場するので、実質的なタイトルトラックと呼んで差し支えない。
(作詞・作曲:小田和正)

9:若すぎて

鈴木の作品で、アコースティックな小品。この曲ではベースが鈴木淳、ドラムスが小津昌彦によって賄われている他、作者の鈴木もギター演奏以外にコンガを叩いている。
(作詞・作曲:鈴木康博)

10:のがすなチャンスを

鈴木の作品で、発表当初から鈴木の脱退までの期間に於ける、ライブの定番曲と言っても良い。作者の鈴木によると、詞曲が同時にできたキャリア唯一の曲だそうだ。
ライブでのアレンジは時代によって異なり、発表当初に近い時期はスタジオテイクに近い。
続いて「SELECTION1973-78」に収録されたテイクでは、後年のテイクに近いが、風合いが若干違い、間奏もある他、まだ後年のテイクよりは短い。
そして「LIVE」や映像ソフト「1982・6・30」などで聴かれるテイクは大間のドラムソロが含まれる派手なアレンジになっていて、且つ演奏時間が非常に長くなっている。
鈴木はオフコースのライブでは頻繁にやり過ぎたと感じているようで、ソロになってからはジョークでしか演奏したことがないという。
アルバムのレコーディングメンバーは「はたちの頃」に準じている。また、この曲ではコンガを大村憲司が叩いている。
(作詞・作曲:鈴木康博)

11:首輪のない犬

小田の作品で、三拍子の速いワルツの部分と、一転してスローになる部分との、大まかに言えば二部構成みたいな感じになっている。
レコーディングメンバーは、ドラムスが村上秀一、ギターは大村憲司という常連の二人だが、ベースについては小原礼が担当している。
殊に村上秀一のドラミングの真骨頂を聴ける作品ということが言え、特に後半部分のキレキレなドラミングは一聴に値する。
同じく後半に登場するスパニッシュギター風のアコースティックギターのソロを担当しているのが、大村憲司だとすると、これがまた実にシビれるソロを弾いている。
(作詞・作曲:小田和正)

12:わが友よ

最後は小田の小品。一部、鈴木がファルセット気味に歌っている部分を除いては、ほぼ小田の歌唱。ピアノも小田。
タイトルも含めて、サイモン&ガーファンクルの「Old friends」に趣向としては近い曲と言えるだろう。
(作詞・作曲:小田和正)

アルバム全体の短評

セカンドアルバム、ということで、幾分冒険がなされた作品というのが自分なりの見方。
村上「ポンタ」秀一や大村憲司を起用したのもそういうことかもしれない。腕利きを頼んだことで幅を広げたかったのであろう。
また、前作に引き続き、今回も全曲オリジナルであることから、多様な表現が可能である、ということを知らしめたかったに違いない。

前作の部分でも述べているが、この頃の作品を手がけた東芝EMIのハウスプロデューサーの橋場正敏とは、あまり良好な関係を築くことができない状態だったという。
グループにも橋場にも、双方に言い分があると思う。いちいち当時の発言や事象を論って、どちらが良いの悪いのと言い立てるつもりはない。どちらにしても、オフコースと橋場との関係はこの年限りで終わってしまったのだから。
その辺は次作でいよいよ決定的になっていく。それもこれも「忘れ雪」事件が発端となったとだけは言える。

簡単に述べておくと、「忘れ雪」事件というのは、オフコースが1974年10月にリリースしたシングル「忘れ雪」の表題曲と、カップリング曲である「水いらずの午後」を、直後のリサイタル「秋ゆく街で」に於いて演奏しなかったことを指す。
両曲共に松本隆が作詞し、筒美京平が作曲し、矢野誠が編曲をしている。職業作家の作品である。
言っておくが悪い曲ではない。曲そのものには罪などない。橋場も橋場なりにオフコースをヒット街道に乗せたいと思ってこれらの両曲をシングルに選択したことだろう。
ちなみにこれらの曲の他に、小田が「キリストは来ないだろう」という曲を持って来て、鈴木が「白い帽子」という曲を持って来たが、いずれも不採用になった。
「秋ゆく街で」のセットリストに「忘れ雪」と「水いらずの午後」が入れられなかった代わりに、「キリストは来ないだろう」と「白い帽子」は収録されている。他ならぬ彼ら自身が作った曲だからだ。
恐らく、その事実を以て橋場もオフコースも、もうお互いにやっていけないと思ったのかもしれない。

橋場もオフコースも悪くない。橋場は橋場で東芝EMIという会社を代表して彼らに接している立場だ。橋場としても、オフコースを何としても売りたいとも思っていただろう。
一方、オフコースにも音楽を生業として立っていこうとするプライドのようなものが徐々に芽生えてきていた時期だった。
そんなお互いの感情がうまくシンクロしなかった。それが後の「忘れ雪」事件につながると思うのだが、このアルバムの頃はオフコースもまだいろいろな意味で模索期にあったと思う。
その結果、「忘れ雪」事件も起きたのだろうし、橋場とのコンビ解消にもつながったのだろう。
避け難い別離であったと思う。

そうした時期の作品であるにもかかわらず、このアルバムは前作の路線を推し進め、よりバラエティに富んだ作風を目指した。
その意味では意欲的な作風だとも言える。

いわゆる「売れ線」に乗るような曲はあまり多くないかもしれない。その一方で、作者の鈴木が1983年にオフコースから脱退するまで、ステージ映えするナンバーとして鎮座し続けた「のがすなチャンスを」が入っている。
腕利きミュージシャンも多いので、そういう意味ではエポックメイキングな作品とも言える。これほど音楽的に高い質を有しているのだから、ブレイクするには、橋場でなくても「ヒット曲」をと思いもするだろう。
本作は、そういう迷いの時期だったが故の、寄り道の記録、ということは言えるかもしれない。
ただ、寄り道とは言っても、オフコースの場合は単なる寄り道ではなく、それなりに意義を持たせようと、多くの試みをしている。それが結実していたかどうかは結論を出さないでおくけれど。そういう時期の一作だった。

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KAZZと名乗る適当なおっさん
基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。